徒然苔


吉田さんに倣って日々の徒然を綴ることにした。徒然じゃないときは綴らないので日記ではない。
( 実質は日記である。 )



2, October 1996 (Wed)
今日はことえり。昨日からの徹夜で今は昼だが猛烈に眠い。普段なら一日や二日の徹夜などまったく平気なのだが、体調がいま一つなので辛い。
さて、昨日私の大分行きがどうのこうのと書いたが、そのせいかどうか知らないが、今朝さっそく大分行きの日程が決まってしまった。決まったのは嬉しいが、ゆくことは嬉しくない。大分なんか本音をいえば行きたくなんかないのである。だが、仕事である以上は仕方がない。半月だろうが半年だろうが行く。
話は変わるが、昨日だったかの日経に猥褻なホームページを公開していた会員がいたプロパイダーの人間が書類送検されたという事件が載っていた。これ自体については賛否両論、いろいろあるだろうが、私自身についていえば、これはプロパイダー側に、そのユーザのホームページを検閲しなければならない義務があると警察が考えているように解釈した。なんということか。プロパイダーは単なる接続斡旋業者ではないか。雑誌の発行人や、そういったものと同等に扱うなどとは現状を警察はしらなすぎるのではないか。
もちろん、猥褻な文書や画像を一般に公開しているのはまったく公序良俗に反する行為であり、道徳的に見て極めて悪劣であることは論を待たないと思うが、あくまでも道徳的にであって、そんなことまで警察が手を出す必要はないのではないか。そんなことを取り締まる余裕があるのなら今後選挙違反が増えると思われるのだから、そっちにより多くの人員を配置するなり予算を配分するなりすべきではないのか。また、交通事情の悪化にともなう事故の多発を鑑みれば、まったくそんなばかばかしいことに警察の機能を奪われていていいのか。それだけ警察の機能に余裕があるというのならば、警察に予算を割り振りすぎている。もっと予算を削減するべきだ。警察だって行政組織なのだから当然スリム化すべきであって、聖域などでは決してない。まあこれは余談だが。
それにしても嘆かわしい。そんなものを取り締まっている余裕があるのなら麻薬の未成年者への浸透だっていじめによる自殺者の増加だってもっと予防対策や防止策を策定したらどうなのか。そんなものに一々付き合っていても仕方がないのではないか。そんなものは逮捕したらおしまいよ、という訳には行かないのだから、もっと市民の啓蒙につとめるとか、そういう高所大所的からの配慮こそが重要なのであって、警察の出る幕ではないのだ。日本の警察は優秀である。だからこそ、こんな馬鹿馬鹿しいことにかかずらわっているよりももっと有意義な予算の使い方をして欲しい。
ところで、この問題はこんな瑣末な見方なんかふっとばすような議論が口を開けて待っている。憲法解釈と法執行の在り方についての問題である。これは見方をかえれば、警察による思想の弾圧とも受け取ることが出来る。私はそうは思いたくないが、しかし仮にそうだとするならば、由々しい問題である。憲法では思想の自由が規定されている。一方で、まったく無限則に自由を享受することは許されていない。これは程度の問題であって、つまるところ、これはいい、これはだめ、と決める公の機関が必要になってくる。いまは、警察という行政機関がこれを代行している形になっている。そして、それに基づいて取り締まるのも警察である。これはちょっと無理があるような気がするのだがどうだろうか。ここで無理だというのは、規制がその本質となっている警察という組織がそのガイドラインをあいまいなままAについては検挙しBについては黙認する、と受け取られても仕方がないような行動をとっていることをさす。だが、実際問題として、国権の最高機関であり、民意の反映の場である国会の決議を待って行動するなどということは不可能であり、もっと身軽で、小回りの利く機関を新たに設け、そのガイドラインの作成のプロセスをガラス張りにして、かつそのガイドラインに添って各機関が行動しているかを監視できるような機関の創設が急務となるのではないかと前々から考えているのだが、しかしそれを公約に掲げる政治家というのがいない。とても残念なことだ。
余談になるが、今までの日本は、あいまいなままにしておいたほうがうまくゆくことが多かった。しかし、これからはあいまいさを排除してゆく方向へ向かうべきではないのか。戦後の教育があいまいさを許容しない教育であるとするならば、その効果は日を追って高まってゆく。そろそろ戦後教育を受けたものだけが社会を支配してゆく時代に入ろうとしている。清濁合わせのむのがこれまでの徳であるなら、これからは清は清、濁は濁と厳しく峻別してゆくのがこれからの徳目となろう。それに伴う犠牲は多大なものがあるだろうが、しかしここまで巨大化した日本社会を支えてゆくうえで、さらに発展を続けていくうえで、あいまいさを排除しなければどうにもならないのではないかという思いがしてならない。
話を戻そう。つまるところ、万人が納得できるような基準、ガイドラインなどありえない。だから、妥協しなければならない。妥協するには、妥協できるほどの理由が必要である。その理由を与えるのが、先の機関になるのではないだろうか。法の精神と、それを執行する機関に矛盾が生じないよう、常に世論に配慮し、機関を監視してはじめて可能ではないか。巨大な組織、強力な組織、排他的な組織ほど独走しやすい。原則論に立てば、法を改めればすべて解決するはずではあるが、現実問題として、すべてを考慮にいれた法など出来るはずがない。運用面でのカバーがどうしても必要になってくる。そこで、警察に限らず、法を執行する機関が直接解釈を迫られるようなことがないように第三者機関を設けて、そこで包括的に判断を下すことが重要である。ただ、この機関の運用はよほど成人君子でしかつとまらないだろうというのが、この私の論の最大の欠点である。要するに、机上の空論ということだ。これを具体化するには、まだまだ私の力では及ばない。より一層勉強しなければならない。

1, October 1996 (Tue)
今日は MSIME95。早いもので10月である。私の大分行きはどうなっているのか?
ところで、以下のことは山梨のその決議をしたという町や町民をどうこうするというものではない。予めお断りしておく。
過日、山梨県三珠町議会では、町議会が現職の町長の推薦を決議していたというニュースを読んで、深く考え込んでしまった。もちろん、町議会というのは町民の代表が集うところであり、その決議は町民のものである。だが、町長という地方自治体における合衆国大統領よりも強いとされる権限を持つ首長を監視すべき役割を持った町議会がそのような決議を行うというのは常識の範囲外といっていいのではないか。その町の実状を知っているわけではないので何ともいえないのだが、大変に奇異に映ることは間違いない。よほどその町政がうまく行っているか、あるいは首長と議会が結託し、堕落しきっているかのどちらかしか考えられないからである。前者だと思いたいが、しかし都会部にすんでいる私のようなものにはちょっと想像も付かない。もうちょっと実情を知りたいと思っている。

30, September 1996 (Mon)
今日はことえり。早いものでもう九月の最後の日になってしまった。明日からはいよいよ十月、本格的な秋がやって来る。
秋と言えば、私の家の近くを都電が走っているのだが、深夜そこを眠れないままに散歩していると、線路に所々ある草叢から秋の虫の声が聞こえるのに気がついた。人々の往来がやみ、終電車が出てしまい、辺りが静まり返った後になってはじめて気づくほどのかぼそさだが、それでも秋の知らせをもたらす役割を担っていることに何となく健気さというか、そのようなものを感じた。恐らく隅田川や荒川の土手に出れば、もっと盛大にやっていることだろう。来月中旬までは予定が一杯だが、それでもすぐそこにあるのだから下旬までには一度行ってみようと思う。
ところで、またもや南の方から台風が2つも来ているようだ。先週の金曜日にひまわりの画像で見たところとあまり変わってはいないが、台風二十号のほうはほとんど停止しているように見える二十一号とは違って、着実に北上を続けている。いまのところ、天気図によれば西日本上空に前線が停滞し、東日本には高気圧がはり出しているが、この高気圧がこのまま上空に居座ってくれて台風を防いでくれるかどうかは専門家でない私にはわからない。ただ、関東の水不足は先週の台風で一息ついたものの、まだまだ貯水率は低いから雨は欲しいのだが、しかし災害もともにもたらすのが台風の厄介なところだし、こればかりはどうすることも出来ない。風神と雷神のなすままを受け入れるしかない。何となく癪なような気もしないでもないが、いらいらしてもはじまらない。台風が来るなら、自分に出来る範囲内の事をして、台風に備えるだけのことだ。

27, September 1996 (Fri)
今日は MSIME95。相変わらず体調が思わしくないが、昨日よりはだいぶ楽になってきた。
ここの所、体調が悪いからと早めに寝るのはいいのだが、朝かと思って起きてみると2時間しか寝ていなかったということが続いているのだが、これは周囲の騒音と体調の悪さと環境の変化が重なったせいで神経がおかしくなってしまっているのだろうか。それならもう少し図太くならないとだめだろう。ただ、図々しくなるのは簡単だが図太い神経とやらはどうやって獲得すればいいのだろう。いや、体調を崩すよりも先に、すぐ目が覚めてしまうというのが先だったような気がする。まあ、それはいいのだが(よくないけど)一旦起きてしまうと、もう朝まで眠れない。大体12時や1時には起き出してしまうので朝までの間、えらい暇である。横になっていればよさそうなものを、目が覚めている間は横になるのがもったいなくてついつい端末に向かって何事かをしてしまう。実はこの徒然苔もそのようなわけで書いている。こんなことでは体調の回復が遅れるどころか余計悪くなってしまわないとも限らないように思うのだが、なぜか快方に向かっているようでもあるし、とりあえず若さに任せてみることにする。もしかしたら後で後悔するようなことをしているのかもしれない。
話は変わるが、引っ越してきてからというものこの街で大きな本屋がないかと探しているのだが、小さな本屋は数軒見つけたものの、文房具屋に毛が生えた程度の規模でしかなく少々落胆している。やはり大きな本屋は神保町あたりに出るのが筋で、郊外型の巨大な本屋がこの街にある方がおかしいというものかもしれない。あるいは三河島方面に行けばあるかもしれず、もうちょっと探してみようかと思う。

26, September 1996 (Thu)
今日は MSIME95。体調をひどく崩して辛いのだが、眠ることが出来ず、日記をつづることにした。
最近、現在の歴史の教科書を使った教育、特に近現代史をさして「自虐史観」を生徒に教えて生徒の「元気をなくす」歴史教育であるという主張をなす人々が、なんと国公立大学にもいることを知った。これより先に、最近の自民党の政策で高校の教科書の自由化を図るという方針を固めたというニュースに触れていたこともあり、両者が私の中でつながり、とても不安になっている。
もちろん、そのような主張をなす人々はいまのところ、南京大虐殺はなかった、慰安婦問題は教科書から削除せよ、何から何まで教科書に載せることはない、などと主張しているが、その主張は要するに自分たちの異常なまでに肥大した自尊意識を傷つけられたくないためとしか思えないものであり、説得力は全くないためにまだ真実への脅威とするには時期尚早かもしれない。
私は別に社民でも共産でも自民でもないが、自民党が教科書自由化と言い出す事に対して、私にはそれはせっかく自国の歴史について少しずつ正直に記述するようになってきた教科書がまた右傾化するだろうということに直截に繋がるような不信感がある。誰だって自分が知りたくない歴史、恥ずかしい歴史には触れたくないし触れられたくないだろうからだ。教師だって教えるのに多大な精神的体力が必要になるはずだ。もちろん、教科書の検定自身は検閲とも言えるような制度であり、これが撤廃されれば確かにさらに健全な教科書となる近道に違いないと思うのだが、しかし最近の世論の右傾化に迎合した、偏った情報だけを載せた教科書も登場するということであり、歴史の教師によってはそれを採用しないとも限らないということである。この教科書を元に、その教科書の史観に沿って教えられた生徒の歴史観が捻じ曲がってしまう。それは要するに、日本がアジア近隣諸国を始めとした世界各国に対して加害した歴史を隠蔽するということになるだろうし、その当時に日本が行った蛮行を正当化する記述のみが見られるようになり、日本が受けた被害は誇張されるようになるだろう。そして、その教育を受けたものは被害を受けた国々の人々に対して、意味のない(有害な、と言っていい)根拠のない優越意識を持ったり、あの忌まわしい歴史を繰り返さないようにするという我々の義務を義務とも思わないようになってしまう。たとえば、今、あるいはこれから歴史を学ぶ人々の大多数にとって戦争ははるか昔の出来事としてしか見ることが出来ないような教育を施すだけで既に教育として失敗であるし、それどころか現代史を歪めて教えるなど愚の骨頂である。第2次世界大戦の爪痕だけを考えても、それはいまだに日本だけでなく東南アジアから欧米にまで残っているのである。
余談だが、私が思うに、歴史教育とは、単に事実を列挙しただけの年表を覚えることではない。たとえばノモンハン事件が起きた年を覚えるだけならそんな歴史教育などなくていい。重要なのは、なぜそのような事件が起きたか、その時に日本が世界の中でどのような立場を取っていたのか、ロシアとの関係はどうだったのか、アジアと日本の関係はどうだったのか、日本国内の状況はどうだったのか、ということを理解することが重要なのである。歴史とはその一瞬一瞬を切り取るだけでは意味がない。歴史とは連続した時間の流れの中で積み重なるものであって薄っぺらいものではない。その激流の中でもまれるように編まれてきた歴史の流れの中にあって、その流れを正しく認識し、その認識を元にこれからの歴史をどのようにすべきかを考えることが歴史教育というものではないだろうか。歴史の一片を取り出す作業は好事家に任せておくべきことで、それは基礎となる教育が済んでからのみ出来る作業であり、それそのものが教育ではないのである。一片だけを取り出してそれをいくら眺めても、流れとしてとらえなければそれは誤った結論しかえられない。
話がそれた。
例の自虐史観と唱える人々はちょうど直截には戦争を体験しなかったし、親の世代が第2次世界大戦に従軍した世代に属する人によって先導されている。現代史における日本の蛮行は親の蛮行であり、それを認めたくない気持ちも良く分かる。口では偉そうなことを言っているが要は肉親が犯した罪を見たくないということも無意識のうちにはあるはずである。それは措くとしても戦争が終わってから半世紀を経た今、そろそろ我々は事実をありのままに、理性的にとらえることが出来るはずである。幸い、日本は立憲君主制を採る民主主義国に生まれ変わっている。思想犯などはありえないし、また言論の自由を享受することが出来る。だから、当時の日本を批判しても罪にはならない。これが重要なのであって、今、我々は国家の統制を受けること無しに歴史を正しく見ることが出来るという、かつての日本では考えられなかったようなことが可能なのである。それはまた、自分の発言に対して責任をもたなければならないことと同義である。かつては大袈裟に言えば誰かが決めたことを型通りにしゃべっているだけでよかった。今は違う。自分の考えに対して自分だけが責任を負わなくてはならない。これは見方によってはとても辛いことになるのだが、しかし極左、極右という、思想的にすがりつきたい人々にとってはとても気楽にすがりつける安易な意見に流されずにしっかりと自分なりの歴史観を持っていきたい。

24, September 1996 (Tue)
今日はことえり。昨日から引いていた風邪がひどくなってしまった。頭はふらふらのどががらがら、鼻がむずむず。参った。
こういう体調の悪いときの営団日比谷線上野駅からJR上野駅への乗り換えはこたえる。営団秋葉原駅からJR秋葉原駅という経路は今日は断念して上野駅で乗り換えたがそれでも結構きついものがある。薬ものんだし、あとは今日は早めにかえって温かくして眠らなければ長引いてしまうだろう。それにしても私は体が弱いのだろうか、単に不摂生なだけなのか?両方かも知れない。
椅子がない生活に堪えられなかったので昨日実家からアウトドアベンチを持ってきた。ちゃんとした椅子を持ってきたいのだが、車を持っているわけではないのでそれはできない。このベンチは折り畳んで1メートルぐらいの竿状になるし、ケースというか袋もついているので(なぜか米国ポロ協会の文字があるが本物だろうか?)持ち運びに便利であるためにこれにした。まあ、高さについては多少低さを感じるものの、あるのとないのとでは比べ物にならないから来月の引越までこれで我慢することにする。

23, September 1996 (Mon)
今日は MSIME95。今日は忙しかった。昨日の台風をおして実家に帰り、今日引越しの見積もりを受け、そのまま新居に帰り、とんぼ返りで上野に出て友人と飲みに行った。それにしても今日は飲んだ。日ごろの鬱憤を一気に晴らした感じがするほどで、それほどに楽しかった。たまにはこういうこともあっていいと思う。この前飲んだときは最悪だったからひとしおである。
しかしまあ、こんなに酔っ払ったのは久しぶりである。気分良く酔えることはなかなか得難い。その得難い何事かを与えてくれる友人を持ったことは大変に幸福なことだとつくづく思う。

22, September 1996 (Sun)
今日は MSIME95。今日ですべてのインフラストラクチャに関する設備が整った。あとは旧居からの荷物の運搬である。業者の皆さんには台風の中わざわざ来てくれて感謝したい。
昨日、つい衝動買いで机とベッドを買ってしまった。まあ、別にいいのだが机があっても椅子がない。よっぽどパイプ椅子でも買ってしまおうかとも思ったのだが、引越しをすればその椅子が余ってしまうことが分かりきっているだけに決心が付かなかった。だからこの文をかくのも床に座って机の上にあるディスプレイを眺める格好になって非常に首が痛い。こんな状態が長く続いてしまうようなら椅子を買ってしまうかもしれない。あるいは会社に置きっぱなしにしてあるノートマシンを持ってくるかどうかだが、それ以外にも書類をかいたりするのにはやはり椅子が欲しいところだ。或いは意表を突いて床に座ってでも大丈夫なような低いテーブル(いわゆる卓袱台)もいいかもしれない。まあ、どちらにせよ本格的に荷物がくればいずれも邪魔であることには変わりない。
ガス給湯器(というよりも、あの性能の高さではもはや給湯「機」ではないか?)というのはなかなか高いものだ。それに取り付けも面倒くさくてかなわない。業者に頼むほど複雑ではないし、かといって自分で取り付けるとなると壁に穴を開けたりなかなか七面倒なことが多い。それに値段も高いので(余計な机を買う余裕があるなら給湯機買えばいいのに)このままだと給湯機を買わないかもしれない。

20, September 1996 (Fri)
今日はことえり。いまごろになるがそれぞれの市区に転出転入届を提出し、なんとなく一段落ついた気持だ。だがしかし、23日の引越の見積、来月5日の引越、ガス機具の設置、電子機器の被害状況のチェック、まだ住所変更届をしていないカード会社や銀行などへの連絡、などなどなど、2山も3山も残ってはいる。しかし、こちらでの生活がかりそめにでも始まることには違いなく、その意味から言っても重大な区切りであることはまちがいない。
とりあえず今日は電話が開通した。明日はエアコンがつき、翌日のためにガス機器の据え付けを行っておかなくてはならない。明後日はガス、水道が開通し、電気は15日から開通しているが契約電力を増やすために工事人を呼んである。明々後日は引越の見積を取ってもらうために実家にいったん移動しなければならない。都合、連休が事務ですべて潰れる計算である。出来ればこの期間中に家電量販店から買った家電製品一式を配送してもらいたかったのだが、洗濯機について在庫切れということで今週末はどうも無理のようだ。こればかりはどうしようもない。
しかし、荒川区というところは実に便のいいところだ。千葉市の花見川区にすんでいたときには考えられもしないことだが、区役所まであるいて10分弱、区役所の出張所までなら5分、その他さすがに区自身が狭いだけあって区内の各種の公共機関まですべてあるいて行けるところにある。さらに、都電なら徒歩0分、営団なら徒歩3分、JRなら徒歩10分、京成なら最寄りが足立区になるが徒歩15分といった具合で、どこにいくにしても甚だ便利である。第一、上野まで出たとしても、せいぜいあるいて20分程度のものだ。千葉にすんでいたときはよく使うバス停まで徒歩10分、最寄り駅まで徒歩30分もかかっていたことが嘘のようである。おまけに、千葉市役所まで電車とバスで約1時間20分、花見川区役所までバスで45分だったことなど馬鹿馬鹿しくてどうしようもない。もちろん、バスを使う以上、渋滞に巻き込まれればより時間がかかるわけだし、さらに言えばバスは16号線を使うために渋滞してないことのほうが珍しい。最寄り駅が事故などで不通になってしまっている場合には、さらに次に近い駅までバスで1時間以上かかることを考えるとまさに陸の孤島すれすれと思わざるを得ない。但し、本当の陸の孤島というのは全く公共の交通機関などありはしないのだから、それに比べればまことに別天地であるということになるだろうが、やはり日常をそこで営むとなると不満は鬱積するものである。そこへ今度のような環境の変化が起こると感動すら覚えてしまう。要するに田舎者なのである。田舎者の愚痴と歓喜ということだ。
愚痴の続きをしよう。引越はどうも10月にずれこむようだ。ここで言う引越とは家財道具の旧居から新居への運搬のことで、私がすみはじめるという意味は含んでいない。もう今月はどこの引越業者も予定が一杯にはいっており、しかも私の仕事の都合で土日祭日のみ可能なわけだから、勢い翌々週の土曜日の10月5日ということになってしまうだろう。それまではコインランドリーと閑散とした部屋にすまなくてはならないが、これまでのホテルや品川暮らしもそのようなものだったのだから堪えられないということはない。ただ、何が必要になるかわからないままにとりあえず梱包だけはしておかなければならず、いざというときに不便な生活を強いられることだけが多少気がかりではあるが、これは早めに引越屋を手配しなかった私のミスであるから当然のペナルティと言える。まあ、発作的に部屋を決めたので手配のしようもなかったという事情もなくはないが、それはまた別の話である。
そんなこんなで、ばたばたとしているのが当分続くだろう。出来れば長くすみたいものだ。

18, September 1996 (Wed)
今日はことえり。納品も色々あったがとりあえず無事終わり検収待ちということになった。あっちこっちうろうろした甲斐があったというものだ。
大森ベルポートというビルがあるのだが、このビルのD,E館がとうとう竣工したらしい。もともと大きなビルだったが、さらに大変な建物になった。オフィスもきれいだし、私が建てたビルではないがなにやら嬉しい。

17, September 1996 (Tue)
今日は MSIME95。なぜかとっくに契約も済んではいる新居探しだが、引越しの予定が立たない。引越しの他にも転出届を出さなければならない人跡未踏の荒野にあると言われている千葉市花見川区役所という古代の遺跡までは遥かかなたである。レベルの低い私には途中で行き倒れになってしまう可能性が高く、レベルアップにまずは励まなければならない。転入届先は荒川区役所なのですぐそこなのだが・・・。本当に千葉市は政令指定都市なのか?こんなに市民にとって不便な場所に市民生活に密着しているはずの区役所を作っていいのか?疑問がふつふつと湧きあがる自分を押さえ切れない。
要するに、何の手配も出来ていないということだ。せめて寝具さえ運べれば・・・。
ところで、明日は納品である。こんなもん書いてないでとっとと仕事をしよう。

5, September 1996 (Thu)
今日は MSIME95。着々と部屋探しは進んで・・・いない。書類をとりあえず集めては来たものの、ふぉれんとやATHOMEなどの各賃貸情報誌の物件インターネット検索サービスを活用させていただいてそれぞれ探しているが、まだ申し込みなどはしていない。今週末に電話しまくってみるつもりだ。
高橋由美子のピッツァマンという曲を聞きながら、こいつはどういう事を考えながらこんな曲を歌っとるのか一度対面して聞いてみたいと思う。

4, September 1996 (Wed)
今日はことえり。そういえばもう9月ではないか。何が何やら分からぬうちにあっという間に秋である。
昨日はようやくHISAのロシア料理編が書きあがった。それとはまったく関係はないがひどいバグが発生した。私が近いところに住んでいるうちに発覚してほしかった・・・。
ところで、当然千葉の奥地から通勤するわけだから電車内の中吊り広告とにらめっこする時間が飛躍的に増えるわけだが、それが良くない。たとえば今週の Tokyo Walker の広告は上野という文字を大書している。上野は私の勤める会社の所在地である。だから買う。そうすると表紙が森高千里だったりする。するとCDがほしくなる。結局買う。一体なんなんだ。
中吊り広告を見なければ見ないで2時間以上かかる通勤時間をつぶすために文庫本を買わなくてはならない。あまりの退屈にいたたまれなくなるのである。買えば往復5時間以上かかるわけだから大抵の本は一日で読了してしまう。だからほとんど毎日買うことになる。実際、買っている。月にすると一冊が600円程度でも、15冊買えば9千円である。15という数字は私が一月に買う文庫本のおおよその冊数だが、それでも大きな出費になる。あほらしい。こんな馬鹿なことがあるか。
だから、早急に引越しをしなければならない。そうすれば時間を取り戻すことが出来る。月24日通勤するとして、千葉からだと往復5時間ちょっとだから120時間以上を通勤に費やしていることになる。馬鹿馬鹿しい。往復1時間の場所に住めば月に24時間で済む。つまり、1月あたり100時間近くを「買う」ことが出来る。家賃その他所雑費が月に10万かかるとしても、これは安い買い物ではないか?おまけに仕事が忙しくなればなるほどこの差が響いてくるのだ。
まあとにかく、会社を10時に出ても家に着くのが1時近くになってしまうというこんな馬鹿な現状を何とかしなければどうにもならないのである。

2, September 1996 (Mon)
今日は MSIME95。週末、久しぶりに実家に帰って驚いた。頼みもしないクレジットカードとローンカードと猫がいた。私が来るのを知っていたのは DELPHI 2.0 だけである。クレジットカードとローンカードは今日の朝になったらすぐ返却の手続きをしなくてはならない(今は午前4時だ)。全く世知辛い世の中ではないか。
猫については・・・どうも名前がないらしい。私は家族とはほとんど会話を交わさないのだが、妹を捕まえて聞いてみるとどうも前に飼っていた雌猫の名をそのまま流用しているらしい。今いる猫は雄猫であるが、あきれてものも言えない。このままでは猫がかわいそうなので私は私で勝手に名前をつけてやろうと思っている。ワルデガルド、権左衛門、ジョー、雄一郎・・・どれもこれもいまいちだ。
まあ猫というのはかわいいものだが、気高さがなければならない。それなのに今度の猫と来たら初対面の私に向かって人懐っこくにゃあとないて見せるていたらくである。こんなんではだめだ。猫は本来、気高いのである。初対面の私に向かって素知らぬ振りをし、私が近づけば威嚇しなくてはならないのである。それゆえに猫は猫足りうるのにそれが分かってない。そんなんでは犬と一緒ではないか。もしかして犬猫なのであろうか。観察が必要なようである。
しかし、私が知らないうちに家族が増えるのはちょっとした驚きである。また、その家族に顔を憶えてもらえないだろうことを思うと、多少憂鬱である。今度の猫も少なくとも10年以上、家族の一員としてやってゆくわけだが、親戚のおじさんのまたいとこくらいに認識してもらえればありがたいものだ。

30, August 1996 (Fri)
今日はことえり。一日に2回も日記を書くとは思わなかった。今は午後6時である。
先ほど Windows 版のスティッ○ーズの類似品をダウンロードしてみたら、作者は私の知っているというか、お世話になったことがある方だった。添付のメモにあったメールアドレスを見てみるとどうも富○通に就職したらしい。おめでとうございます(ってここを読んでるわけじゃないけど)。
それと、Windows 版のウィ○ドウシ○ードも見つけたのでこれも落としてみた。こちらは知人でも何でもなかった。
どうもマックを使っていると上記のようなちょっとしたアクセサリが欲しくなるようで、それは誰でも同じらしい。どれもこれも今ひとつなような気がして自分で作るつもりでいたり実際に作ってたりしてたのだが、結局存じ上げている方が作っているならそれを使ってみようと思ったとたん、一気に堰を切ったようにフリーウェアやシェアウェアで環境を固めてしまった。これまでアクセサリ類は自分で作っていたのに、もう面倒くさくなっていたこともあって甘えてしまった。一度甘えてしまうと雪崩に巻き込まれたように流されていく自分が情けない。ただ、スティッ○ーズだけはどうしても私が求めているものと他の人が作るものとでは異なるので、これだけは最後は自分で作ってやろうとは思っている。仮にスティッ○ーズそのまんまじゃないか!というような物が出来たとしても、自分が使うだけなら特に問題はないだろう。あとはデスクトップをクリックしたら既に開いてあって画面の裏に回ってしまっているエクスプローラが全て表に上がってくるようなツールを作りたいと思っている。下のメニューバーだけではどのエクスプローラがどのディレクトリの内容を表示させてるのか表示域が短すぎて一見しただけでは分からないからである。デスクトップの一覧をメニュー形式で表示するプログラムは既にマイクロソフトの Power Toys にあるが、これは良いアイディアだったと思う。こういった小さなプログラムは割合テクニックが必要だったり、飽きる前に完成できるし、なかなか面白いものである。もし良いアイディアと組み合わさればとても気分がよい作品が出来あがる。もっとも、一番難しいのがこのアイディアというやつなのだが、今回に限ってはサンプルが既に別OSながら存在しているので、あとはいかに Windows というOSにマッチさせるかという問題だけが残る。
まあ、コツコツ暇を見つけては作っていこうと思う。その前にやるべきことが堕落の園関係だけでもかなりある。もちろん本来の仕事もある。ゆっくり、ゆっくり。

30, August 1996 (Fri)
今日は MSIME95。昨日の日記同様、午前3時にこれを書いている。私は馬鹿だ。
おまけに、この更新したファイルをサーバには登録してないから読者にとっては一気に2日分更新されていることになる。そういう事情があるので読者は注意してほしい。
さて、昨日決めた仕事について昨日から早速当時のログを漁ったりBBSの方へがたがたと所信表明のようなことをしてみたが、本日見てみても温度は私だけが馬鹿高いだけのようで、やはりホームページがまだHISAにとって公的なものとして認知されていないし、そもそもそんな温度が高くなりやすいような人はもとからいないわけだからそれはそれで当然だろう。私としてはこのHISAのホームページを私の手から離れて(もちろん場所的には堕落の園の中にあることは揺るぎもない事実だが)もっと公的性格を持って欲しいとかねてから願っていたし、今回の事業においてそれを少しでも実現できるのではないかと期待しているのだ。要するに、堕落の園の中のHISAのホームページというのではなく、感覚として両者は全くの別物になってほしいということである。誤解を恐れずに言うなら、HISAのみんなが、HISAのホームページのURLは憶えていても堕落の園のURLは忘れてしまうような、ということである。
もちろんそれにはかなり時間がかかるのは承知の上だ。しかし私はやる。当分この徒然草がその進捗状況を記録する場所として利用するような感じに出来ればしたいものだ。

29, August 1996 (Thu)
今日は MSIME95。もう午前3時をまわってしまった。時が経つのは実に速いものである。今日はシャンプーがきれている事を除けば特に何も無いが、眠れないために日記を書く。
前の行で何も無いといったばかりだったが、訂正する。HISA−地下潜伏が‘地下潜伏’という修飾子がくっついてから、4周年目を迎える事になった事を今日、正確には昨日か、内容的には全く関係のないA氏からのメールを読んでいるときに、突然気づいた。修飾子がつかないオリジナルの‘HISA−NET’というBBSがSYSOP氏の都合により突然閉局したのが、先ほど調査してみると1993年8月25日のことであった。それを受けて TonChan 陛下の主導のもとにその月のうちにISL-NET内のグループステージとして再出発する事になった事はあまり知られていないが、 TonChan 陛下は中興の祖として十分称えられていい。むしろ称えられるべきではないか、とそう思う。なぜ‘HISA−NET’が閉局したのか、詳しい理由を私は知らないし、陛下もご存知ではないと思うのだが、われわれが3年以上もその今はなき‘HISA−NET’を引きずっている事は認めざるをえない。この辺の事情は深く考えれば考えるほどもつれてくる問題なので詳細は日記に書く事も憚られるのだが、それはさて置き、とにかく陛下を顕彰すべきである事には代わりはないし、4周年を迎えるにあたってこれほどめでたい事もない。
グループステージ設立の経緯などもこのホームページに文書化したいと思っているのだが、なにぶん3年も前の事でもあり、しかも枢機に参画した重要なメンバーの1名が行方不明というていたらくである。難しいかもしれない・・・。もちろん、私一人では到底書ききれたものではないし、たとえ書けたとしても当時の関係者全員の証言も交えなければ本物ではない。単なる文字の羅列である。そんなものに意味はない。
つまり、4周年記念事業として今、2つの仕事が生まれたわけである。1つ、陛下の業績に対し顕彰すべきこと。1つ、設立の経緯を文書化する事・・・。
必ず今年中にやり遂げたい!

27, August 1996 (The)
今日はことえり。昨日は凄かった。昨日の日記をかいたその後、幸運にもA氏とM氏を捕獲することが出来たのでなぜか上野経由お台場という怒涛のコースを辿ってしまった。プラネタリウムが見たいというA氏の要望があったもののそれには時間も遅すぎるためにその案は自動的に却下され、上野の SUBWAY でなぜだかサンドイッチである。わけわからん。さらにM氏が犬とのバトルに敗れた掃除機(っていったいなんなんだ?)を買い替えた後にM氏の案によりお台場へ。なぜお台場かなどと考えてはならんのである。そういうものだと割り切るしかないのである。
さすがに夜のお台場は素晴らしい景観で、こりゃ降参である。しかもアベックばっかりでもう石でも投げつけてやろうかと思ったが最近お上品な私はかろうじて理性を発揮することに成功したのである。我ながら見事な理性の発揮ぶりであった。しかし、食事中はなぜか話題がお下品なシモネタばかりになってしまったことはまことに理解に苦しむのである。私を筆頭に全員お上品なはずなのである。いわばお上品の3乗なのである。たとえ私が前日に寝ていなくて何を口走っているかわかならかったと言う事実があるにせよである。なにかの間違いであったに相違ないのである。そういうことにしておこう。ちゅうか、まあ、その、、、ごめんなさい。悪いのは私です。
さらに、A氏により数珠を授けられた私は、数珠の虜になってしまったようである。これからはより敬虔な仏教徒になるようにさらに精進して参る所存である。大嘘。しかし紐状のものが手にあると手悪戯をしてしまうのはなにも私が落ち着きがないせいだけではあるまい。と言うか、、、落ち着きがないことについては認めます。ごめんなさい。数珠は返却しました。
昨日のお料理は地中海風だった。一人あたり 40 %はその料金のなかに景観料の様なものが含まれているに相違ないのではないかという価格設定ではあったが、ただし、特にまずいというわけではない。また、お台場でアサヒが作っているのかどうなのか、限定の地ビールがあるのだが、これはなかなか過ごしやすいものだ。二種類ある。某メーカーの食前麦酒という銘柄があるが、両者をそれぞれ軽くしたような感じとでも言えばいいだろうか。なかなかおいしいので一度試してみるといいだろう。値段は忘れた。
帰りはなかなか悲惨であった。大渋滞にはまって一時間。A氏およびM氏におかれましてはまことにご苦労さまでございました。渋滞の影響が皆無なのは私だけだから、なにやら申し訳ないようなきもする。
楽しかった。

26, August 1996 (Mon)
今日は MSIME95。土曜日は徹夜明けでそのまま昼から会社を出て秋葉原へ遊びにゆき、さらに夕方からHISA−地下潜伏のお食事会OFFへなだれ込むという怒涛のような週末であった。今回の秋葉原では私自身はあまり良いアイテムは見つからなかったものの同行させていただいたK氏はなかなか良いアイテムを get することができ、まことに喜ばしい結果となった。その後、きちんと使えているのだろうか。
OFFについてはこれから結果をHISAのホームページに書くつもりなのでここでは書く事はあまりないが、それにしてもまことに大層な事になってしまったものだ。請うご期待である。
そのOFFの後、腹ごなしというか口直しでの喫茶店で数時間ほど駄弁ってしまったが(10時までだったかな?)、同業(?)の先輩からいろいろ参考になる事をお聞かせいただいたりして大いに愉しんだ。翌日は爆睡こいてしまったものの、東京七不思議のごみ箱も見る事が出来たし、まあ有意義な週末だったとする事が出来るだろう。

24, August 1996 (Sat)
今日は MSIME95。午前 3 時、まだ仕事場にいるのだが、これを書いているという事は要するに逃避中ということである。まあ朝までには何とか格好が付くだろうという打算も働いているが油断はできない。御用心である。でも仕事しない。
さて、眠いわけであるが、こんな時にはやはり一番効くのは何といってもナイスな仕事や興味をひくような出来事である。何とかドリンクやカフェインなど所詮は無駄な足掻きである。ナイスな仕事さえあれば 3 日でも容易に徹夜をする事が出来る。私は眠い、という場合は、それをナイスな仕事と呼ばないのだ。ああ、なんか変な事書いてるような気がする。
最近思うのだが、私は毎日ラーメンを食べているのではないだろうか。今日もなんだかんだいって夕食はラーメンだった。これは由々しい。読み返してみるとここの所確かにラーメンを食べている。これは間違いない。由々しい由々しい全く由々しい。だからなんだ。
下っ腹が出てきた。うーん。24 にしてこれかい。日々是好日で煙草がうまい。

21, August 1996 (Wed)
今日はことえり。堕落の園ホームページ全般に渡っての細かい変更やディレクトリ構成の変更がようやく一段落した。日数にして一週間程度もかかってしまった。どこがどう変わったか分かるような人が万が一にでもいるとしたら、私はその人と刎頚の交わりを結ぶのも吝かではない。
コンビニ弁当に飽きたゆえ今日の夕飯は葱みそラーメンであった。そういえば昨日もラーメンであった。手軽でまことに結構ながらやはりまともなものが食いたいという思いが胸中を去来する。最近は再び品川に移り住んでいるためファミレス巡りもやっていない。一日一食なのに、なにやら損をしたような気がする。
ところで、凶悪な風邪をまたひいてしまった。昨夜冷房をかけたまま寝たのがまずかったのだろう。ただでさえ風邪をひきやすいのでちょっとしたことに気を使えばいいものを、全然無頓着なものだからしょっちゅう風邪をひく。我ながら愚かである。

19, August 1996 (Mon)
今日はことえり。今週末はビアガーデンや居酒屋で飲んでばかりであった。これで太る太ると喚いていては世話はない。
昨日は秋葉原をうろうろしてきた。なんか手元に金があるためにまたまたどうでもいいものを2、3買い込んでしまった。スタートレックやバックドラフトのサントラ版やらプレイステーション用のゲームなどである。スーパーファミコン用の聖剣伝説3やらパソコン用のレベルアサルト2やら、普段ゲームをやりつけない私にとってはなんだか目移りしてしまってしょうがない感じだ。特にパソコン用のゲームソフトのレベルアサルト2というゲームに強くひかれたが、今こっちにもってきているのがカラーノートマシンだけで、画面が狭いし CPU が足らないしといった具合でなくなく諦めざるを得なかった。何といってもベイダー卿にいつでも好きなときに会えるのである。私は泣き崩れそうなほどに感動した。是非いつか戻ったら買ってやろうと思っている。いつ戻れるかはまったく分からないのが泣きたいほど情けないのだが。
ところで、なぜバックドラフトかというと、この曲が CX 系列の料理の鉄人という TV 番組で使われている曲を網羅しているからである。というか、料理の鉄人という番組がバックドラフトの曲を番組に使っているというだけの話であるが、一部の例外を除いてほぼすべてといっていいほどこのサントラから使用されているので非常にお買い得感が高い。これを聞きながら道場や陳等が戦い抜いた数々の名勝負を脳裏に浮かべ、且つ拳を握り締め、且つ微笑むのである。バックドラフトという映画はとても名作と呼べるような作品ではなかったが、この料理の鉄人にこの曲が使われることで少なくともその存在する意義を認めてもらえるであろう。
スタートレックは当然所有せねばならないことは言うまでもないが、今回買ったものは映画版の曲を集めたもので、なかなかおいしい作品である。余談だが、出来れば next generations も人間としての誇りをもって所有したいものだ。

17, August 1996 (Sat)
今日は MSIME95。劇症の暇に悩んでいる。やることがない。
最近はあまりに暇なためにインターネット上の各種サーバーが提供するチャットをやりはじめた。IRCはちょっとやって止めちゃったのだが、ベッコアメがつい最近から GUI によるチャットサーバを立ち上げたり、ワールドチャットなどのサービスが目白押しで、こりゃやらねばなるまいといったところである。
ところで、今日は酔っ払いである。またビアガーデンにいってしまった。たった中ジョッキ2杯でめろめろだ。私はお酒がとっても弱いのだ。ビアガーデンはたのしいなあ。この前まではもうちょっとお酒に強かったと思うのだが、あれは遠い昔の出来事になってしまったのだろうか。友人にはおやぢおやぢと罵られるし、まったく悲しみとともに酔っ払う酒の苦さよ。僕はまだ24だぞ。

13, August 1996 (Tue)
今日は MSIME95。風邪は幸い治ったようだ。
久しぶりに中国映画である。私は中国映画が大好きである。何の脈絡もないストーリー、超ど派手なアクション、日常生活に突如として現れる燦然と輝かんばかりの倫理、隣国にありながら理解の難しい文化、どれをとっても見るに値をしないように思われるのだが、それでいて底流に流れるなにものかが私を引き付けて止まないのである。中国映画は実に偉大である。久しぶりに堪能した。めちゃくちゃ痛快である。
楽しい事を、楽しい事を、楽しい事を楽しい事を楽しい事を楽しい事を!いろいろやってみるけれど、うにゃうにゃ。なんかが足りない。
さて、今日も徹夜してこんなこと書いているのだが、実は眠くて仕方がない。これから眠ろう。考え事は起きてからでも遅くないだろう。

12, August 1996 (Mon)
今日は MSIME95。風邪気味で、かなり頭がふらつく。
金曜土曜日曜と飲みに行ったり秋葉原へいったりタイ料理を食べたりなかなか充実した?週末であった。まず金曜日は、内輪のOFFということで、会社の斜向かいのビルにあるアサヒビール東京工場の屋上のビアガーデンで行ったが、なかなか職場が見えるところでの酒席というのも乙なもので、けれんみがたっぷりである。なかなか気温も心配されたほど低くなく、良い具合になっていて十分堪能する事が出来たのは幸いであった。
翌土曜日は秋葉原での散策というか、あてもなくふらつく予定だったが、やはり当然の成り行きというか、衝動買いをしてしまった。とりあえず5ポート HUB と PCMCIA の 288 モデムをかなり安く GET する事が出来たのは幸運であった。怪しい V42.bis の PCMCIA の FAX モデム (DATA 2400/FAX 9600) が大量に売られていたが、それを買ったM氏によると Windows95 で一発で認識して使えたという事なので、怪しいアイテムから一転して魅力的なアイテムへと評価が 180 度ほどひっくりかえってしまった。これは異様に安かったので買いである。また、その横の箱には、同じような値段でこれまた PCMCIA の 10BASE-2 の LAN カードが売られていたが、これもほしい人にはたまらない魅力を発揮するのではないだろうか。なんといっても、10BASE-2 の LAN カードなどあまり売っていないし探すとなると結構面倒であるから、使わない人でも一つくらい持っているといいかもしれない。なにせ値段が値段である。数回食事をぬけばよい。痩身術を兼ねた買い物などなかなかあるものではあるまい。ただ、10BASE-T にしようとすると、変換するためのアイテムを探さなければならなくなるので多少面倒ではある。
土曜日の夜は偶然目に入ったお茶の水駅前の卵料理店へいってみたが、さすがに卵料理専門店というだけあって感心するほど美味であった。店の雰囲気もなかなかであったが、なにぶん私どもは野郎ばかりだったので気が引けなかったわけでもない。この店のお勧めはオムレツである。ふんわりとした卵の感触を愉しんでほしい。
その後、いったん家に帰ったものの、深夜にマシンが不調だという訴えがあってそれを解決するために客の来訪を受けたが、結局朝までかかってしまった。一旦朝になって解散したものの再び夕方に同じメンバーで私の荷物を品川へ運んでくれるという事もかねて(感謝してます)ある事情により秋葉原へ 2.5 インチの HDD を GET するために秋葉原へ向かった。なかなか 2.5 インチの HDD は高いもので、E-IDE 540MB でも2万円前後することを知らなかった。私などは日ごろ E-IDE の HDD は 3.5 インチの 1GB で2万円弱が HDD の相場だと思っていたので、この差には不覚にも驚いてしまった。さすがに 1 インチの差は大きかった。買わなければ仕方がないので結局は買ったのだが、あと半年もすればさらに値は下がっているだろう。もちろん目的の品物とは別に、衝動買いも忘れないのであった。
その後、拙宅へ荷物をおいた後に大森まで出て念願の?タイ料理店へ夕食を取りに向かったが、最初こそ痛烈な辛さを感じたものの、段々馴れてくるに従って辛さよりもうまみが分かるようになってくるのが何といっても快い。タイ料理を以前にも幕張で食べた事があるというT氏は草ぼうぼうな料理といっていたが、幸いにも草ぼうぼうではなかったので、タイ料理にも地方によっていろいろな種類があるのだろうか。前日までに予約をしておけばタイ風しゃぶしゃぶなるものを食べられるらしいので、そのうち食べてやろうと思っている。
この店のお勧めは名前を忘れてしまったが、焼き飯がうまい。トムヤンクンも酸味がそれほどでもない。タイ風がんもどきもなかなかである。要するにまずいものがない。また、タイのシンガー(発音は多少怪しいが)というビールが、とても料理に合うので一度やってみてほしい。度数は軽めで、そこはかとない苦みとふくよかなハーブの香りが料理を引き立ててくれるだろう。
結局、かなり金を使ってしまったが、いろいろと遊んだ週末であった。

9, August 1996 (Fri)
今日は MSIME95。今日も内輪で小さな OFF 会のようなものが行われる。要は単なる飲み会だ。たまにはこんなのもよいだろう。ただ、ビルの屋上でやろうと思っているのであるが、どうも気温が低そうで多少心配ではある。どこか屋内の方がいいかもしれない。
今日から品川の部屋へ移動する事が出来る。今日のひるごろ、カードキーをフロントへ取りに行くつもりである。今現在通勤に2時間半から最悪で3時間もかかっているので、これでようやく、だいぶ楽になる。
ウィンブルドンでのダブルスだが、シングルのときと同様やはり雨に悩まされ続けている。かといって屋内でやれというような意見は私は組しない。やはりウィンブルドンのセンターコートは屋外でなければならず、グラスに落ちる影や照り付ける太陽がなければいまいちしっくり来ないのである。

7, August 1996 (Wed)
今日は MSIME95。徹夜明けである。昨日はちょっと調子に乗ってしまい家に帰る事が出来る時間を超えてしまったために会社で夜を明かさざるをえなかった。
去る今月4日、HISAのOFFが行われたが、事前に心配していた事など全くの杞憂に終わり、満足すべき結果を得る事が出来た。これもひとえに参加者全員の協力と配慮の賜物であり、それをうる事が出来た私はとてもうれしい。うれしいついでにHISAのホームページにそのOFFの結果をようやく(徹夜のおかげで?)追加する事が出来た。あまり良い出来ではないが、トータルのサイズが500キロバイトもの大きさとなってしまい、苦い思いがしないでもない。20メガバイトしかない中での500キロバイトだから、実にたった1つの出来事で40の1も消費してしまった事になる。もっとうまい方法を考えなくてはならなくなるだろうが、まあ今のうちだけはこれでもとりあえずは支障がないので、その時になってから考える事にする。なんといっても今は何も考えられない。
Netscape3.0b6をgetしてきて使ってみたが、なにやらまた多少ページの見え方が変わってしまっている。もちろん進歩し続けるというのは素晴らしい事だが、そろそろついてゆけないものを感じはじめていないでもない。自分のホームページだけでもまた元どおりにみえるようにするだけで大変な時間を要するようになってしまったからでもある。
それにしても眠くなってきてしまった。終業時間ぴったりには帰ってしまおうかとも思うが、まあそれは出来ない相談だろう。仕方がない。
しかし、本当にOFFが成功してよかった・・・!

3, August 1996 (Sat)
今日は MSIME95。まだ八月である。いい加減にしてもらいたい。責任者出てこい。
なんと、ダベンポートが勝った。いまだに信じられずにいる。ゲームの流れもダベンポートのものだった。これには驚いた。さしものサンチェスもダブルスとシングルの両方をこなすのは難しかったのだろうか。
ところで、社会人になっても暑中見舞いの一通も出さないおおばか者が私の周りには多いのだが、いかがなものか。まったく、私もひどい馬鹿だが馬鹿も驚くような激馬鹿ばかり増えてどうしようもない。このような輩は・・・処分方法がない。こんな輩に使用する焼却炉などない。道端で腐らせておくのも不衛生である。

2, August 1996 (Fri)
今日は MSIME95。ついに八月になってしまった。Augustである。多分ほとんどの人が知っていると思うが、例の皇帝アウグスティヌスが無理矢理押し込んだ月である。気持ちのいい権力の使い方には違いかなろうが、全くの無意味であることは明々白々、後世の人々に嘲笑われるだけのことだ。ローマに征服されたことがない日本人にも馬鹿にされているなど、これほど間抜けなことがあるだろうか。
またまた風邪を引いてしまった。千葉の気候はやっぱり私にむいていない。年がら年中風邪を引いているような気がする。気候だけはやはり千葉は良くない。
さて、女子シングルのファイナルだが、ダベンポートが出てくるとは実は想像していなかった。サンチェスは当然出てくるだろうと予想していたが、ダベンポートについてはフェド杯からかなり上り調子だったのはこれは本物だったのかもしれない。当然サンチェスはウィンブルドンでグラフと熾烈な優勝争いをしたほどであるから言うまでもないだろう。 さて、今週末にHISA−地下潜伏のOFF会を行うことになった。OFF会とはパソコン通信での一種の隠語で、パソコン通信での交流はいわばオンラインで行うものであるとした場合、実際に顔を合わせて交歓することをオフラインと定義できないこともないことから生まれた言葉である。いわばこじつけだが、一般にオフ、オフ会、オフミ(OFF LINE MEETINGの略)などと呼ばれており、最近徐々に市民権を得つつある言葉であるが、個人的にはとても隠語めいていて仲間内でしか通用しないような感じがして好きではないのだが、ついつい使ってしまう、そんな言葉でもある。
まあ、そういうわけで、行うわけだが、なんと稲毛海岸(!)でやることになった。実はこの稲毛海岸、毎回候補にあがるのだが毎回なんらかの形で挫折する事になっているいわく付きの場所なのである。多分みんなここではやりたくないと思っているのだが、どうしても候補地に挙げたくなる場所であり、候補地に挙げられた以上、他に選択の余地はないのである。いわば疫病神の繁殖地、といえば感覚的に近いだろうか。すべての災厄はここから出のである。多分今回も失敗するだろう。今から目にみえるようである。しかもやっぱり今回もバーベキュー(冬場は鍋という事になっている)。せめて雨だけでも降らないで欲しい・・・。
ところで、最近はファミリーレストランをあちこち食べてまわっている。あちこちといっても私は基本的に一食/一日なので夜中に限られるわけで、そもそもファミリーレストランくらいしかやっていないのである。飲み屋もやっているが、そんなものは問題外だ。ラーメン屋もなくはないが、ラーメンなど所詮はラーメンである。主食足りうる力量を備えてなどいない。あんなものは邪道である。時々私も是非もなくそれで食事を済ませることがあるが、そんなときは決まって情けない思いを噛み締めるのだ。あんなものは立ち食い蕎麦ほど手軽ではないし、かといってまともとは到底言い難いのだから昼飯がわりに小腹に詰め込む程度で十分である。そして、昼飯を摂らない私はそもそもラーメンなど存在意義がないのだ。そこへ夕食にラーメン、などというシチュエーションを選択せざるをえない状況が突如訪れたときにどのような感情を持ちうるか、想像に難くないであろう。
そもそも食事とは食事それ自体を楽しみと捕らえるならまことに結構な道楽だが、そうでなければとても時間的にも金銭的にも無駄が多い行為ではないだろうか。かといって食事を摂らなければそんなことを考えることも無くなってしまうわけで、現実的に摂らないという手は採用することが出来ない。食事とは人生の不条理を良くあらわしてはいないだろうか。私は普段は一日一食という手段を以って対抗しているがこれでも無駄が多すぎる。かといって二、三日に一食では体が持たないわけで、これ以上減らせないことは確かである。そこで、さらに調理は他人にさせる、つまり外食で済ませる方法を採用しているが、これが精いっぱいの対抗手段だろう。これ以上有効な手段を知っているのなら教えて欲しい。

31, July 1996 (Wed)
今日は MSIME95。昨日は思わぬ人からチャットでこの出だしを使ってからかわれてしまった。なかなか誰が読んでいるか分からないのでスリリングではあるけれども、しかし私の脳みそではそこまで考慮する余裕がないので読まれようが読まれまいが結局は一緒である。
ところで、今月も今日でおしまいであるが、地球が滅亡しない事をこの私が保証するので安心してほしい。ただし、その保証には裏付けがないが、あまり細かい事を気にしていると毛が抜けるので用心した方がいいだろう。‘注意一生毛が一瞬’である。
さて、世間では学生の皆さんは夏休みであるようで、公共交通機関を始め彼らが出没するあらゆる所から消え去ってまことに欣快である。このうっとおしい夏場に彼らを社会から隔絶せしめるのは良い考えであり、再び涼しくなってきたら社会性を身につける事を再開したがよかろう。これを考え出したのは誰だか知らないが、よいことである。口実も夏場は暑いから学生諸君も大変だろうとか何とかもっともらしい理屈で武装してある為にますますよい。学生の皆さんは家でおとなしく本でも読んで、間違っても朝夕のラッシュ時などにのこのこ出歩かない方がよろしい。
そろそろHISA−地下潜伏や特別企画を更新したいのだが、以前ほどに時間がないというわけではないのに今度はねたがない。あまり頭が良い訳ではないので、一発ギャグなどは思い浮かぶのだがそこから先に敷延できないのである。四部合唱も止まっているし、なにやら良くない。しかしまあ、これに相手がいるわけでもないのでそう急ぐ事もないのだから、ゆっくりやる事にしよう。

28, July 1996 (Sun)
今日は MSIME95。ですます調というのはあまりいい文体ではありませんが、今日はですます調でやってみようと思います。
ようやく千葉に帰ってくることが出来ました。大分での仕事が他の会社の担当分を待つことによって進まないために別のところに手をつけることにしましたが、なかなか今度の仕事は厄介そうです。アルゴリズムの勉強にとでも思って初心に返ってやりたいと思います。
千葉に帰って早々、色々やってますが、やっぱり何といっても地元はいいですね。融通が利きます。出先では身動きが取れないことでも地元なら何とかなるものです。それに落ち着きます。また大分に長期出張かと思うとため息が出てしまいます。
その反面、私がすむところはかなりな僻地であるためにちょっと移動しようというだけで相当費用がかさみます。たとえば、千葉市街に出ようと思ったら片道だけで700円以上かかってしまい、時間にして1時間強を必要とします。千葉市民にしてこの現状です。本当に首都圏なのか、と首をかしげざるをえない状況です。さて、ここまでが前振りで、今回は千葉市街地にいったのでその感想を書きたいと思います。
私が千葉市街、以下千葉としますが、千葉に出たのはおおよそ1年半ぶりです。まあ工事中だったということもありますが、たった1年半でこうも変わるのか、と驚いてしまうほど様がわりしていました。まず、駅前のロータリーに歩道橋が全くなくなってしまったことが一番大きな驚きでした。地下道になってしまっていたのです。これは全く予想外でした。私が知っていたのは車道を一部地下に移すということで、これはもう外観については2年ほど前から出来上がっていたので全く驚くに値しませんが、歩道橋が無くなるとは全くの驚きです。また、モノレール千葉駅が千葉駅に接続しているのも初めてみました。バス停の位置も一変していますし、全くたった1年半でこれほどにかわるものなのかと感心しました。
なぜ千葉に行ったかというと、直接のきっかけは千葉駅からちょっと外れた会社にお勤めになられている友人が勤務としての祭りの辛さを嘆いていたのを聞いて、ちょっと冷やかしてやろうと思ったことですが(申し訳ない)、ついでに、と思って千葉駅の至近で働いている友人たち(千葉駅の近くで働いている友人が、僕にはかなりたくさん居るのです。同じ所に二人も働いていたりもします)のところへ行って、相手はもちろん勤務中ですがとりあえず帰郷の挨拶をしまして、その後、ずっと私服を買っていなかったので千葉のショッピングモールで色々と、主に衣類をあさりにゆく事にしたわけです。もちろん、所期の目的を忘れるわけはありません。きっちり行ってきました。
その祭りの見学については、私が訪れた時間がちょっと早かったせいか(日が落ちて間もないころでした)ちょっとさびしいものでしたし、祭りだというのにその友人は本部でデスクワークをこなしているという悲惨な状況で、ぼやきたくなるのもうなずけました。祭りはやはり参加する方がいいですね。主催する側は大変そうです。ただ、ご当人は口先とは裏腹に、外見だけかもしれませんが、結構はしゃいでおられたのが救いといえば救いかも知れません。ここで鬱した表情を仮にしていたとしたら、こちらもやりきれなくなってしまい、仕事をおっぽり出させてしまおうと思っていたかもしれません。結果的にそうではなかったので、まずよかったと思います。その後、ちょっとその友人と一言二言交わした後、すぐにその場を離れました。予め約束してあった千葉で働いている別の友人たちと落ち合って旧交を温めるためです。一人は働いているのに冷たいやつだとおっしゃるかもしれません。そのとおりかもしれません。しかし弁解をお許しいただけますならば、彼らの共通点は私との友人であるということだけですから、友人同士がまた友人であるという分けではないのです。ですから、その点についてはご理解いただきたいと思います。
まことに、千葉というのは私にとっては無意味な場所で、買い物をするにしても何にしても他の街におよばない中途半端な場所です。ただ、友人が居るということだけが私にとっての千葉の存在理由です。意味不明な理屈ですが、千葉市民であり、且つ昔は千葉が遊び場だったことを考えるとちょっと寂しいような気もしないでもありません。
うーん、私がですます調でかくとこんなに無意味な内容になってしまうのですね。徒然どころか日記にもなっていないようです。やはり文体には何らかの力が確かに存在するようです。甘く見てはいけませんね。

24, July 1996 (Wed)
今日は MSIME95。たまには乱れた口語でかいてみようかなと思います。口調そのまんまというやつです。
オリンピックも大変な盛り上がりを見せていて、日本の活躍も目覚しく、とっても楽しくて寝てる暇なんか全然無いですね。寝不足気味どころか完全に寝不足だという人も私を含めてそこらじゅうに居ると思います。昨晩は女子バスケットの危なっかしくて、それでいて後半から取っては取られのシーソーゲーム試合にはらはらさせられ、ついに中国に競り勝ったときには思わず立ち上がって大喜びしてしまいました。今晩は今晩でバレーにはらはらどきどきで、もうほんとに寝てるなんて馬鹿みたいですね。柔道もいい成績を出せたようだし、水泳も入賞を果たせたようでとってもうれしいですね。テニスも松岡はとっとと負けたようだけど伊達さんは緒戦を取りますます好調なご様子。
さてと。多分おんなじ事を考えてる人も多いんじゃないかと思うのですが、オリンピックは4年に一度の祭典であることは周知の通りだと思います。普通、4年前といえばかなり前の話ですよね。4年前に何をしていたか、なんて事を憶えてる人は稀だと思います。ですが、バルセロナオリンピック、これはついこの前のような気がしませんか。ロサンゼルスオリンピックだって終わったばっかりという感じがします。森末がメダルとったの先週じゃない?というような感じです。そりゃ、私がいかに内容のない日常を送っているか、いかにハレがないかということにつながらない事もないと思いますが、このことを考えると、なんだか、私が死ぬ間際になって、何を思い出すだろうと思うのです。・・・
たとえ、死ぬときのことを考えなくても、この調子では気づいたらよぼよぼの年金生活者になっているのではないかという恐怖感、ありませんか。ついこの前まで冬だと思っていたらいつのまにか盆なんかとっくにすぎて夏真っ盛りですし、考えてみたらもう生まれてから○○回目の夏だよ、ということに驚きませんか?それで、夏なんかあっという間に過ぎ去って気づいたらいっつも冬になってるという事に愕然としてるんです。ほぼ間違いなく今年もそうでしょう。これじゃいかん、と一瞬思う事もあるんですけど、思うだけ。不毛です。
で、ここで考えが止まっちゃうと、とってもあまーい感傷に首までどっぷり漬かってなるちゃんする事が出来るわけですけど、やっぱりもったいないですよね。そりゃあ、なるちゃんもそれなりにというかとってもというか、気持ちいいし、別に悪くはないけれど、でも、そんなもんいつでもできるんだから・・・ねえ。
でも、こんなことうだうだいってるのは、別の見方をすれば実は相当贅沢なんじゃないでしょうか。何かをなした人は何かを必ず犠牲にしているはずで、その犠牲を払わなかった分、幸福かもしれないですよね。もちろん、太く短く、というか、一瞬の輝きにすべてをかけた生き方は潔いし、美しいし、十分理想的です。憧れですよね。当然私もこちらの方がいいわけですが、しかしそれだけがすべてというのではいやだ、という考えがあった方がいいですよね。
まあ、かなり大袈裟に書いてみましたが、結局前述の恐怖感というやつを払拭するには、それなりのことをしなくちゃだめなんでしょうね。それが恐ければ恐怖感といっしょに暮らしていくしかないんでしょう。それなりの、ということを書きましたが、これにはとんでもない勇気や努力が必要ですよね。そんな勇気を奮い立たせることが出来るように少しずつ訓練していった方がいいかもしれませんね。もしかして近いうちに必要になるかもしれないし、いざというときが明日かもしれませんしね。

22, July 1996 (Mon)
今日は MSIME95。地方の教育機関って、考えてみたら上級学校に進めば進むほど数が少なくなるわけで、実際のところ、高校なんて一校あればいい方なのではないか。大学になれば、それこそありゃしないという所もあるだろうから、かえって全国規模で選択するという事がいわば常識でもあるのだが、高校ともなるとせいぜい隣県とかその程度ではないだろうか。要するに高校に進学するそこら一帯の住民の母校はいっしょだったりするわけだ。これは恐怖だ。「底が割れ」ているわけだ。
学校にとどまらず隣近所どころか村中すべての人が自分以外の動静をしっかり把握し監視しているんじゃないかという恐怖感がある。自分がどこかで誰かのお茶を飲むだけでそのお茶がなんであったか、相手は誰であったか、その場所にどの程度とどまっていたか、話の内容は何であったか、すべて知られているのではないか。あるいは昼寝をする。何時から何時まで昼寝をして、寝言の内容は何で、寝返りを打った回数までも知られているのではないか。
まあ、これはどちらかといえば妄想の域に入るのだろうが、地方という語感から受ける圧迫感を極端にいえばこうなる。私の生活は、これまで人付き合いというのは凡そ表面的なものであり、それであるがゆえに魚の様に生きてゆけるような気楽さがある。ところが地方というのは濃厚という言葉では足りぬほどの濃さであり、深さである。もちろん、よそ者に対しては彼らは一定の垣を設けているに相違ないのだが、それでもあまりの濃さに息苦しさを感じてしまうのだ。私は南関東以外に住めない。住めないのだ。今は、もちろんホテルに滞在しているわけで、それが大分という関東どころか中部も近畿も中国もすっとばして九州という想像だにしなかったところに住んでいるわけであり、ホテルに滞在しているということだけが地方の持つ強烈な重圧からかろうじて私を支えてくれている。
なんで急にこんな事をかくかといえば、今日ようやく(たった一月でも)東京へ戻る事が出来る事が本決まりになったからであり、その嬉しさに舞い上がっているわけだからだ。表面的な付き合いしかない生活というのは多少寂しいものには違いないが、かといってこの濃厚な世界にいては息が詰まってしまうに相違なく、それに元々私自身が偏る性格だから日常は寂しいくらいがちょうどいいのである。時々自分でも驚くくらいに狂おしく人恋しくなる事があるが、別に本当に人間が必要なわけではなく、感情を騙す事さえ出来れば、それはそれでいつかおさまり、またすぐに希薄さを求めるようになるのだから、それなら常に希薄である方が結果として幸せである。もちろん、一瞬の濃厚さを求めるのは、日常が希薄であるがゆえである事は分かってはいるのだが、だからといっていまさらどうにかするのも億劫だし、その一瞬で何事かを為せれば、これほどうれしい事はない。・・・ここまでかいてきてふと思い当たったが、結局これを制度化すれば民俗学でいうハレとケ、祭りと日常ということになるのかもしれない。ただ、野蛮化したのかどうか知らないが今では祭りという制度が無くなってしまったために各々が自らケに耐え切れなくなった瞬間にハレを行っているのかもしれない。かえって現代よりも近代の方が、暦という制度によってハレとケを明確にしていたという点で、文明的であるといえるかもしれず、現代の社会はこの点で退廃しつつあるのではないか。
いや、考えてみると、地方にはハレである祭りは必ずといっていいほど大規模に残っているものではないか。たとえばねぶた。七夕。大文字。祇園祭り。いや、もっと考えてみれば、地方でなくてもハレは残っているではないか。クリスマス、初詣、ゴールデンウィーク。多少従来とは形が変わっているがハレには相違無い。そういえば私もGWや初詣にはなにやら浮き立つものを感じるし、これも制度化されたハレであることは考えるに及ばないではないか。 なんだかすごい事になってきてしまった。柳田国男の著作を読んでいればよかった、とちょっと後悔しはじめたが、話が本題とずれてきてしまったので、また機会があったら改めて考えてみたい。ただ、制度化されていないのは現代ではなく私個人であったという事ははっきりした。制度化が現代社会を成立させる要件であるならば、現代が退廃したのではなく、私が堕落していただけのことだったのだ。現代の制度に充足しない/できない私の堕落。
そうだったのか。
今日は何やら、自分の低能さを再確認してしまったようだ。

21, July 1996 (Sun)
今日は MSIME95。最近、なにやら説教臭くなっている徒然苔ではある。説教している方にはまったくそのような資格などないので安心してほしい。
さて、昨日は愚かな事に開会式を見逃した。会社などに行っている場合ではなかったのである。馬鹿な事をした。開会式と閉会式は会社など辞めてでも見るべきであると言うのにこの体たらくである。今後4年間悔やむ事になっては大変である。閉会式だけはたとえ地球が滅んでもエントロピーが無限大になっても必ずや見なければならない。HAVE TO である(なんてこった!)。
ところで、ホテルには各部屋に体重計を備え付けてくれるととてもうれしい。再三繰り返しているのでご存知かもしれないのだが、なんと70キログラムを超えてしまった。これは中学生以来の Clear and present danger である。どうも私の家庭と言うのはほかと比べてすさんでいたようで記録とかそういったたぐいのものは自分自身で意識してつけたもの以外にほとんど残っていないのだが、その自分自身で意識的に残すと言う事もほとんどしないために物心ついたころからの記憶も実は曖昧であったりする。で、その数少ない記録のうち、ほんの数枚残っていた写真のなかに丸々と太ったリトルボーイが写っている写真があったのだがそれが私だと言う。言われたときは強烈に衝撃を受けたものだが、それが第一の危機であったろう。そのとき、どのように私が危機を脱したのかは知らない。恐らく身長が伸びはじめて、そちらに養分が吸い取られていってしまったのではないだろうか。その後、なぜか身長も180に後1センチを残して成長が止まってしまった時期、小学生だか中学生だかのころには74キログラムあった。これが第2の危機である。確かそれ以前、私の記憶が確かならば、いわゆるローレル指数というもので痩せ気味であると言う数値が出ていたはずであるから一挙に太ったと言う事になるはずである。180弱で74キログラムと言う事は平均体重と言う事になるのであるから、確かに太った事になる。ただし、このころまで、危機感と言うものを持った事はなかったが、なぜだか私の中で痩せていると言う事が誇りといえないほどの誇りとなってはいたのである。まあ、危機感を持たないくらいだから誇りといえるかどうか。
それは高校入学2年目にはまたまたなぜか50キログラム台まで体重が落ちている事実を知る事になるまでそれっきり意識からは消えていた。急激に15キログラム以上も体重が落ちた事を知ったときはなぜか驚きよりも喜びの方が大きかったように思われる。なぜなら、やせっぽちと言うのが誇りだったからであり、その痩せっぽちに復帰した事は喜ばしいからであろうとおもわれる。その痩せようは、中学校のときの友人に再会したときに、幾人もの友人からあまりの痩せように私が誰だかわからなかったと言う科白から証明されよう。ただし、単に忘れられていただけかもしれないが。
50キログラム台の体重は、その後転職して大森に飛ばされたある日、客先の責任者をお勤めになっておられる方からこう指摘されてもろくも崩れ去った事をしった。
「松田さん、お腹だいぶ出てきたんじゃない?」
私は無意識の中で恐らく気づいていたのに違いないのだが、その場ではむきになって否定した。・・・その直後、凶悪な事態が出来するまでは自分を欺く事すら可能だったかもしれない。その出来事とはなんと、
― 私のベルトがはじけとんだ!
のである。要するに太ったくせにそれに気づかずに同じベルトの穴に通していたものだからベルトがその負担に耐え切れなくなってしまっていたと言う事であろう。それにしても実に効果的なときにベルトが壊れてくれるものである。情けないと言うよりも大変におかしかった事を憶えている。
肥満の原因はすぐ分かった。自堕落な生活と、それに見合わぬ量の食事である。当時、品川に住んでいたが、昼間で寝て夜遅く帰ると言う生活を繰り返していた。当然楽しみなんか何もない。自然、食べてストレスを発散すると言う事になるが、食べる量がはんぱではない。腹が裂けそうになってもまだ食っているのである。まるでブタだ。いや、ブタの方がまだ上品ではあるまいか。ただひたすらに食い続けていた。しかも、基本的に一日一食の生活が基本だったから、体が吸収しようと必死になるのだろう、食べた分だけ確実に体重になると言う具合だった。これでは太るはずである。だが、止める事ができなかった。ストレスの原因が取り除かれていないからである。ストレス太りと言うのは本当に有るのだと知った冬だった。
現在、九州にいるものの、凝りもせずいまだに食い続けている。下腹部がくちくなるほど(この表現にはいやらしい意味はこれっぽっちも含まれていないので念のため)食う習慣も改まってはいない。これにはどうもスーツの緩いズボンも犯罪の一翼をになっているのではないかと恨みがましくおもってしまうこともある。そんなことがあるはずがない。単に自分の意志が弱いだけである。
自分なりに体重を回復(この場合は減らす方である)する方法を考えてみたが、規則正しい食生活、適切な運動量、ストレスの発散・・・どれもこれも尋常でない努力が必要だと思い知った。どれもこれも基底にはすべて規則正しい生活がなければならない。すべてはそこから始まるのだ。しかし・・・
近いうちに、自分に従うか自分と戦うか、二者択一の窮極の選択を迫られるだろう。ほとんどの人は自分に負けている。私もそうなるか、あるいは勝者となるか、それは近未来の私の体重がすべてを語ってくれるだろう。
・・・既に負けているのではあるまいか??

18, July 1996 (Thu)
今日は MSIME95。台風が来ている。今夜半がピークらしいがホテルの部屋はさすがに快適である。外を窺うとさすがに暴風と大雨が吹き荒れているが、まあどうと言う事はない。こんな日にはおとなしく日記でもかいていることだ。
さて、最近「学校なんてくだらない!」「勉強なんてしなくていい」と叫んでいる人をよく見かける。学歴がない馬鹿から一言申し上げたい。
どういうつもりで学校なんて!と叫ぶのか知らないが、そういう人はおそらく受け身でしかものを考えられない人だ。また、井の中の蛙大海を知らずという俚諺を人格化するとそういう人が出来上がる。この意味に気づいた人は人生の成功者か脱落者であるのかもしれない。この意味が分からないからこそ叫ぶのだから、まあ発展途上といえる学生、生徒諸君にわかりっこないと言う事はいえるかもしれない。
チャンスが有るなら教育を受けよ。時間があるなら勉強せよ。ただし、天才を持つ人は一瞬のひらめきに生きた方がよいが、この天才性と言うのは持とうと思って持てるものではないからここではひとまず措く。
なぜ教育を受けるのか、それは自分の視野を広くするためである。自分の人生を豊かにするためである。誰のためでもなく、ただ自分のためだけに教育を受けよ。そうすれば必ず他人にも役に立つ人間になる事が出来る。なぜ勉強するのか。すべては基礎があって初めて応用がある事を忘れてはいけない。基礎も出来てないくせに何事かをなそうとしても絶対になせない。絶対に、だ。うぬぼれるな。
へ理屈が好きな人は、学校教育でなくても社会に出て実地に学べばよい、などと言う人がいるかもしれない。もちろんいきなり社会にでて、周りに多大な迷惑をかけながら何事かを学んでゆくと言うスタイルもありうる。ただ、それもきちんと学校と言ういわばノウリッジベースの権化ともいえる機関で集中的に受ける教育とは問題にならないほどの格差があると言う現実から目を逸らしてはならない。学校で資質を磨き、その上で社会に出ればそれだけ社会が与えてくれる無言の教育に気づき、あるいは吸収する事が容易になる。さらにはそこからさらに奥に潜む高度な点に気づく事が出来るかもしれない。
学校じゃ教えてくれない!とわかっていない奴等は叫ぶ。当たり前である。学校は学校であって実務機関ではない。社会に出たとき、より早く、より効率的に学べる基礎を育むところである。人間は一生学んでゆかなければならない。オイラは勉強なんかしてないよ、なんて口走るひねくれものもいるかもしれない。そういう人は手を胸に当ててよく考えてみてほしい。
話を変えよう。国語も算数も理科も社会も実際には大して役に立たない。もちろん日本人として最低限の知識として憶えておかなければならない物ばかりだが、知らなくても生きてはゆける。ただし、生きてゆくだけだ。生活を豊かなものにするには、打って変わってそれらがすべて重要である事に気づくはずだ。気づかない人は、豊かとはいったいどういう事なのかも分からないほど視野が狭いのである。そこまで狭い視野の持ち主はいっそ天晴れとしか言いようがないかもしれない。そういう人はそのままそのことに気づかずに全うしてほしい。
たとえば、文学。文字を読む事自身はそれこそ教育などいらない。知識だけで読む事だけは出来る。文字の知識さえあれば。しかし、文章として読もうとするととたんにそれまで受けた教育、知識、経験、人生観といったものを総動員しなければならない。知識をつむのも、経験から何事かを学ぶのも、人生観を確立するにも、すべて基本となる教育がしっかりしていなければそれを土台とするすべては砂上の楼閣にならざるをえないと言う事は容易に想像がつくのではないだろうか。
たとえば、テニス。球を打ち返すだけなら教育などいらない。球を打てば飛んでゆくと言う経験もしくは知識だけあればそれで十分である。ただしそれだけだ。うまくなればもっと楽しくプレーできるという事が理解できるにはそれなりの素養が必要だ。うまくなるにはどのように打てばよいか、どのような体力の付け方がよいか、どのようにすればテニスをする時間を作り出せるか。端的に言えばそれらを考える能力を養うのが教育と言うものである。
極端すぎてわかりにくかったかもしれない。たとえばこういう話がある。クラスにいじめがあると言う事を知っていた100人の生徒のうち、およそ30%がいじめに対してなにもしなかった、静観していたというデータがある。あなたはおよそ3割の人間が何もしないなんてなんということだ、と考えるかもしれない。しかし、逆から見れば70%もの人間が何かをしたと言う事である。もちろんこの中の数字のうち、自分がいじめていたと言う数字は含まれていない。70%もの人が何をしたか?70%もの人が「何かをした」のにいじめがおさまらないこととは?
現代は知識偏重、学歴社会だといわれる。そのとおりかもしれない。だが、それがどうしたと言うのだ。そんなものは言い訳にすぎない。知識偏重結構ではないか、知識とは、あって当然なものであり、その上に思索が覆い被さるものなのである。学校で知識しかつめこまれない?あって当然の知識を頭に詰められないくせに何を言うか。自分は天才とはっきり自覚している人間以外には、それらの知識は必要最低限なのであると思え。第一、まだ将来が定まらない生徒諸君にとって、何が必要で何が不要であるのか、どうやって判断するつもりなのか。頭は柔らかいのだから詰め込めるだけ詰め込むがいい。その上で自分の思索の発展に生かすなり自分に必要と判断した技能の修得に役立てるなりすればよい。どうせある程度道が定まってしまえば不要な知識は憶えておく事が困難になるのだ。知識に貪欲になる程度が望ましいのではないか。後から知識を詰め込む事は相当な難事であることを憶えておいてほしい。そうして、知識を貯えてゆけば、自然と物を考える事が好きになる。楽になる。考えずにはいられなくなる。知識がほかの知識と結びつき、結びついた知識と知識の集合がやがて新たな境地を見せはじめる快感をぜひ味わってほしい。 むしろ中途半端な知識を持っている人はかえって物を考えず知識だけに頼ってしまうので、そこは徹底してもらいたい。
以上、無学歴者から現代の教育を受ける事に嫌気がさしているあなたに。
われわれ凡人が楽しい人生、充実した日常、張り切った一日を過ごすにはこれが最短の道なのである。

16, July 1996 (Tue)
今日はことえり。今日も意味もなく大分にいる。なぜ大分にいなければならないのかさっぱり分からない今日この頃である。
何か面白いことはないものだろうか。オリンピックが始まるまであと4日もあるし、大体オリンピックを見ることが出来るだろうか。ちょっと不安である。 つまらないことならたくさんある。資料は来ないし時間は刻々と経つし飯はうまくないし大体大分にいることが気に入らないのは言うまでもない。まあ、気候は関東に比べてよく、空気は比べ物にならないほど澄んでいるのでそれは救いになると思うのだが、それだけである。それだけ。いや、そう言えば観光地というものがあった。忙しさにかまけていて、まだ観光地めぐりをしていなかった。さすがに有名な観光地が控えているだけあっておサルの高崎山やら別府温泉、地獄めぐり、国東峠など目白押しである。これは行かねば勿体ないおばけがたくさん出てくること請け合いである。ただ、たぶん勿体ないおばけが私を多数襲いかかってくることになるだろう。今から目に見えるようではある。
なんだか、まだ本決まりではないようだが8月に東京のほうへ戻れるらしい。ただ、その場合、また9月になったら大分に再送還されるらしい。なんということだ。最初からこなくたってよかったのではないか!憤懣やるかたないとはこのことではないか?まあ、過ぎてしまったものは仕方がない。この埋め合わせはかならずしてもらうということにしておこう。
そろそろ本格的な夏がやって来る。私にはお盆はないが誰かこっちに来てくれないものか。どこへでもご案内申し上げるのだが。

10, July 1996 (Wed)
今日はことえり。今日はちょっと嬉しい事があったので全然関係のないことで徒然てみる。
最近、また大学に入りたくなってきた。まあ、これはいわば病気なのでほっとけば自然に治るのだが、私は大学に入学したことはあるが卒業したことがない。つまり、中退である。志望とは全くかけ離れた大学に、生まれ育った町に出来たからという理由だけで推薦入試を冗談で受けてしまったら受かってしまったという、まるで悪夢のような話で、ただ引っ込みがつかなくなってしまって入学しただけの大学だったからだ。大学に入りたくても入れない人には大変に申し訳ない話なのだが、私自身は別に中退したことには全く後悔していないのでそれはいい。入りたくもない大学で4年間も大過なく過ごすなんて芸当はとてもではないが私には出来るものではない。ただ、自分の軽率さから自分の進路を誤ったという事実が病原菌のようにこびりつき、冒頭のような大学に入りたい病の一因になる。つまり自分の軽率さへの悔恨というのがまず一つ。
もう一つは、やはり専門に関する高い能力を得ることが出来ることである。もちろん、大学を出たからといって即戦力になるということを言うつもりは全くないが、後者と関連するが基礎が出来ていれば未知の事態が起きたときにそれを克服するのに大変大きな力を発揮することは言うまでもない。中退でも大学にいったんは在籍しておいてよかったな、という実体験があるので、全うすればよほど大きいに違いないのである。と、これが一つ。 最後は、よい大学教育を受け、専門知識を身につけた者は非常に広い視野を持って物事に臨むことが出来るという点である。もちろん専門馬鹿という言葉があるように、中途半端ではいけない。生半可なものではないのだがこれは在野にいて獲得できにくい能力の一つである。大学に入るということは、その能力を獲得する大きな助けとなる。
上記の三点が私の病気の三大要因である。ただ、それを実行するには今の仕事が楽しすぎるのである。この仕事へつくことを小学生の頃から考えていた。希望が叶った今、他のことなどどうでもいい。そう考えるとこの病気が嘘のように消えてしまう。
ただ、この業界は30歳定年説というものがある。つまり、よほどの能力がない限り業界の進歩に追従して行くことが出来なくなると言うことである。この病気にかかったとき、万一にもそうなったらまた大学に入って磨き直してもいいな、と考えることがある。
柄でもなくなんかこっぱずかしいことを書いてしまったような気がする。
おしまい。

7, July 1996 (Sun)
今日はことえり。今日は七夕様である。通常、彦星様と織姫様が一年に一度お会いになる日ということになっているがまことに喜ばしい事である。それに引き替え私を含めた多くの人々は働いている。ロマンも糞もあったものではない。しかも今日は日曜日だよね。
昨日はウィンブルドンで女子ファイナルが行われたのを NHK の録画中継で見た。というか、毎晩見ているのだが、他の地域は知らないがここ大分では夜中の 1 時ごろから朝方まで放映するのを見ている。都合のよいことにちょうど夜中にホテルに帰ると放映される時間なのである。
それにしてもグラフ選手はかっちょいい。強い。美しい。まことに女王様たるにふさわしい。おまけに今年は女王様の鼻をかむお姿と音まで聞こえて幸せである、ってこれでは変態だ。うーん。
ナブラチロワも凄かったが私は断然グラフである。今年の優勝の時の笑顔は最高であった。

4, July 1996 (Thu)
今日はことえり 。昨日の雨は強烈であった。ニュースなどでご覧になった方もおられるかも知れないが全国的に被害を受けたようだ。ここ大分でもすぐ近くでこれまでの降水記録を更新してしまったそうだ。今回は膨大な降水量は言うに及ばず、落雷による死者や雹による農作物への影響も甚大であった。天変地異屋(このような気象現象が起こるとすぐ天変地異とか世紀末とか本気で言いだすやから)どもには稼ぎ時であろう。ご苦労なこった。
UMIN(大学医療情報ネットワーク)WWWサーバにインターネット栄養診断プログラムが移管されたのでプログラムを受けてみたが、これは日頃の食生活から目安程度にだが栄養診断をしてくれるプログラムであるが、確かに自覚しているとおりの不摂生気味な結果が出てしまい遺憾である。遺憾と言っても自分が悪いので何とも言い様がない。このような状態のことを自業自得とも言うらしい。自縄自縛とはちょっと違うようである。

1, July 1996 (Mon)
今日は ことえり 。もう 7 月である。夏ではないか。まあ気付いたころには冬になっているだろうが、まったく日々是無色である。
昨日の徒然をページに追加したが、文中の墜落の文字を見て墜落せんでよかったなあなどと思う。

30, June 1996 (Sun)
今日は MSIME95 。今回も徒然苔スペシャルということで今度は東京〜大分空港間で徒然して見た。こちらのページ(徒然苔スペシャル・ 96 年 6 月 30 日編)を参照して欲しい。

29, June 1996 (Sat)
今日は MSIME95 。今日は Windows World Expo'96 に行ってきたが、近年からようやく土曜日にもやるようになったので就職してからも欠かさず行くことが出来、非常に有り難い。
今回の目玉は出展社ブースではなく場内販売にあった。T-ZONE という業者があるのだがここでは色々なコンピュータの周辺機器が普段では考えられないような値段で売られていた。ここまではいつもやっていることだし、なにが目玉だったのかというかもしれないが、今回はなんと 16M の SIMM が 11,800 円 だったり PCMCIA の Fast-SCSI II カードが 4,980 円だったりと、例年を上回るインパクトであった。当然メモリも PCMCIA カードも購入したのだが、 16M の SIMM を 3 枚購入した時点で、この合計金額が現在使っている 8M SIMM のたった 1 枚の購入金額とほぼ等しいことに気付いてしまい、あまりの衝撃に愕然としてしまった。何ということか。おまけに 16M の SIMM を導入したおかげで 8M の SIMM が 3 枚も余ってしまい、このあまった SIMM だけでも 9 万円以上かかっていることにも気付いてしまい、時の流れが恨めしく感じずにおれなかった。 9 万円あれば現在なら 100M くらい簡単に実装できてしまうではないか。100M のメモリを購入してもお釣が来るくらいである。嘆いても無駄だと分かってはいるが私は小市民なのでどうしても嘆かずにはいられない。次には 32M の SIMM がこのような値段になるのであろう。そうすれば 200M である・・・。死んだ赤子の齢を数えるたぐいなのでもう止める。
それと、前回だったか前々回だったか、アトラスの地図の CDROM 版の試作版が 500 円で配布されていたのだが、今回は製品版として販売されていた。なんだか着実な企業の歩みを見ているようで微笑ましいような気がしなくもない。
私は地図が大好きなので当然 CDROM 版であろうと購入せざるをえなかったが、これが前回の試作版を大幅に改良してあり実に使いやすく、また高い付加価値を製品に付与することで大きな価値を生み出すことに成功しているといえるだろう。これは 4,000 円で首都圏版であったが、 10,000 円でも買いたいと思ったほどである。全国版があるなら是非欲しい製品である。
買い物の話だけになってしまったが、ブースの方は気付かなかっただけかもしれないがネットスケープコミュニケーション社やボーランド社、シマンテック社などが見当たらず、多少物寂しい印象を受けた。実はボーランドのデルファイ II を見たかったのだが残念であった。マイクロソフトの MSIE のあおりを受けてネットスケープコミュニケーション社は出展できなかったのであろうか。万が一にもそうであったらこれほど遺憾なことはない。
今回はインプレスであったか、なんとミネラルウォーターを配布していた。いい着眼点であろう。毎年ここはあまりにも暑く、これまで出展してきていた彼らもこれまでの経験を鑑みてなにが一番来場者にインパクトがあるかという事を考えに考えたのであろう。私は、この意外性や実用性、話題性を兼ね備えたミネラルウォーターが一番良い宣伝効果や企業イメージを高める効果を発揮したのではないだろうかと思うのである。私はこのアイディアに脱帽した。実に素晴らしいのではないだろうか。 たった 2 時間しか居なかったが実に今回は有意義であった。次回もまた楽しみである。

28, June 1996 (Fri)
今日は MSIME95 。今回は徒然苔スペシャルということで空港までのバスの中でかいてみた。こちらのページ(徒然苔スペシャル・ 96 年 6 月 28 日編)を参照して欲しい。

26, June 1996 (Wed)
今日はことえり。特筆すべき事柄はない。しかし書く。
今週末は幕張で開催される Windows World Expo に行くためもあり、千葉に帰る。 最終日だけだが仕方ない。
抜糸したあとがぽっかりと空洞になっている。抜歯したあと歯茎の腫れや縫合してあったためにこれほどの大きさの空洞が出来るとは思いにも寄らなかった。当然親指の先ほどもある大きな歯が消滅したのだからそれだけの空間が出来るのは当り前といえば当り前であるし、頭のなかではそれを分かってはいたのだが、やはり実際に穴があいて見ると、穴といっても比喩であって穴のようにへこんだ箇所とでもいおうか、その大きさには驚かざるを得ない。ここに食べ糟などが溜まってしまえば口腔内が不潔になり口臭の原因になってしまうだろう。今後は一層留意しなければならない。

24, June 1996 (Mon)
今日はことえり。特に何もないが徒然であるから書く。
最近面白いアイディアが浮かばない。脳味噌が黴びちまったか? どうもそのようだ。元から螺子も足りないし救いようがないな。
合唱やりたい。 Delphi いじりたい。休日に休みたい。人並みの生活したい。 本読みたい。いっぱい。
給料が高くたって使えなけりゃなんの意味があるってんだ。でも仕事は楽しい。 なかなか悩ましい。贅沢な悩みですな。まったくだ。

21, June 1996 (Fri)
今日はことえり。今日も大雨である。今年の梅雨はよく降るものだと 思っていたら、関東では、荒川があまりの降雨量の少なさに瀬切れが起き ているというニュースが 読売オンライン の今日付けのヘッドラインニュースとして扱われていた。 まことに日本は細長い。ちなみに、いまは大分で暮らしている。
昨日、修理に出していたノートマシンが出来たという連絡が入った。一月 以上かかったのだが、マシンを修理したわけではなく交換しただけだそうだ。 いったいいままで何をやっていたのか不思議である。そのマシンが届くのは 早ければ明日、おそらく月曜日になるだろう。そのときは代替機を送らねば ならない。
ついでといっては何だが、機嫌が悪い。雨が降っているのも理由の一つだ が、体調がいま一つすっきりしないのが最大の理由である。こんな日はとっ とと寝ちまうのが良いのだが仕事はそれを許さない。

19, June 1996 (Wed)
今日はことえり。 17 日に無事歯科手術 ( 親知らず 2 本の抜歯 ) を終えたが、まことに呆気ないものであった。 実際、抜歯の瞬間を知覚できるのかと期待していたものの、 気付いたときにはすでに糸を操り縫合していた。麻酔の威力たるや凄まじい ものがある。幸い、神経に傷もつかなかったようで、未だ腫れはあるものの 痺れや無感覚といったような症状はなく一安心と言ったところであろうか。 あとは口腔内を清潔に保ち化膿を起こさないように気を付けていればじきに 腫れは引き、元の状態に戻るだろう。
しかし奥歯とはじつに大きいものだ。歯茎から一寸顔を出していただけの 姿からは想像もできないほどである。もちろん、レントゲンで見てはいた のだがそれでも想像を絶している。実に親指の先程もあるのである。こん なものが齲になっていれば、手術せざるを得ないだろう。改めて納得させ られた。こんなものを 2 本も抜いたのだからさぞかしすっきりすることだ ろうと思われるかも知れない。全くそのとおりである。医師に手術になる と言われ動揺している諸兄には、手術を受けることを強くお勧めする。
歯を割るときは顎が抜けるかと思ったが、抜けたって元に戻せるのである からどんどん外して大口をあけて悪いところを早く治してもらうに限るの である。それに、たいした怪我でもないのに手術台にあがれるということ もそうそうあるものではない。ここはひとつラッキーだと思ってチャレンジ してみることだ。上の奥歯なら一瞬で、下の奥歯なら上ほどではないが、 それでも手術台に上っているのは 1 時間もかかるなんてことはまずない そうであるから、大したことないのである。私の場合は 2 本の抜歯 ( 上下各 1 本 ) で 30 分そこそこであった。
ちなみに、手術代は 1,980 円 (!) であった。私の場合は本人負担額が 1 割であるから、 19,800 円 ということになる。目安になるかどうかわ からないが、手術代で迷っている人もこれを聞けば迷いがふっきれるので はないだろうか。もちろん、これは私の例であって諸兄はきちんと医師に 金額の確認をすべきである。前記の額で収まらなかったといった苦情その他 には一切応じないので各自責任をもって行動するように。
それでも踏ん切りがつかない諸兄には、笑気麻酔と言うものがあるという ことを一言添えておく。これは、麻酔というよりも鎮静効果があるものだ そうだが、麻酔が怖い、手術が怖い、といった恐怖感を和らげる働きが あるそうである。どうしても恐怖感から逃れられないと判断したら、 医師に相談して欲しい。ただし、誤解がないように申し添えておくが、 これで麻酔がいらなくなるということではない。
最後に、歯を磨くだけでは虫歯は予防するのは難しい。定期的に歯科検診 を受け、専門家の指導を受けるようにするとよい。

17, June 1996 (Mon)
今日はことえり。いよいよこれから歯科手術である。手術と名のつく ものを受けるのはこれが初めてであるので多少緊張している。緊張という より不安というべきだろう。神経が傷つけられないかという不安である。 しかし、こればかりは医師を信頼するしか患者に手は残されていないのだ から致し方ない。不安と諦念の相半ばといったところか。厄介なバグである。

13, June 1996 (Thu)
今日はことえり。実は来週の月曜日に手術を受ける。手術と言っても 歯科手術なのだが、これが結構たいへんである。先週の月曜日、あまりの 痛みに耐え切れず(なにせ二日も痛みのせいで眠れなかったのだ)、遂に 大分で歯科にかかったのだが、やはりというか何というか、普通の歯科では 手におえない代物だった。何せ歯が横に寝て生えている上に、顎の下に走って いる神経叢に深く深ーく食い込んでおり、普通の歯科手術では抜歯できない ことがはっきりした。レントゲン写真を見せてもらったが、これ以上はない というほど見事に神経につきささっていた。この神経を傷つけてしまうと 半年は痛みとしびれが続き、その後感覚がなくなってしまうという。
これではいくら名医といっても並大抵な設備ではどう しようもない。そのため大分にある日赤病院という設備の整った総合病院 の歯科で手術を受けることになった。出来ることなら千葉で治療を受けた かったのだが、事ここに至った以上致し方ないし、なによりも設備が整った 歯科と言うのは少ないのだからこの際大分の大病院で治療を受けたほうが よいのかもしれない。現状の予定では少なくとも歯茎の切開手術により2 本の抜歯を行うが、問題の歯痛を起こしている歯の状態によっては入院し、 顎を切開して抜歯するということになるという。 少なくともかなてこでよっこらしょ、という具合にはいかない。しかし、 ほおっておけばいずれは神経に雑菌が侵入し、神経全体が壊死するだけで なく、遂には顎部だけにとどまらないのは明白である。年貢の収め時とは まさにこのことかもしれない。

9, June 1996 (Sun)
今日はことえり。今日も休日出勤である。休日出勤そのものには遺憾は ないが、家事を行う余裕がないのには閉口する。特に洗濯には困る。毎日深 夜に帰宅しているため洗濯できないのである。何とか隙を見てちょぼちょぼ とやってはいるがそれには限界がある。半日でも時間ができればよいのだが...。
ここ数年、基本的には毎日コンビニ弁当なのだが、そのためかどうか知らな いがそろそろ無理が出てきているようだ。私は一応 20 代なのにこんな 腑甲斐ないことではどうしようもないではないか。といっても結局今日も 夜遅くにコンビニで弁当を購うのだろう。打開策はいかに?
この業界で健康と仕事を両立するのは容易ならざる仕業である。

8, June 1996 (Sat)
今日はことえり。今週の頭に仕事用のマシン (Macintosh) が新しく なって Power Macintosh 9500/150 になった。いままで使っていたのが Power Macintosh 9500/120 だが、利用感からすると両者はまったく異なっ たマシンである。クロック数が上がっただけの様にみえるがとんでもない のである。
ここ大分は最近天気が悪い。まだ梅雨入りしたとは聞いていないが、湿気が 多く蒸し暑い日々が続いている。特にマシンルームなどは冬場でも暑いのに この時期になると冷房を入れてもなかなか涼しくならず閉口している。

2, June 1996 (Sun)
今日は MSIME95 。先週の金曜日、千駄ヶ谷のアップルに出張するため に千葉に帰ってきた。千葉ほど住みづらいところはないのではないだろうか。 まだ大分の方がましなようだ。幸い、大分への長期出張が終わったらとっと と都内へ引越しをする予定になっているために先行きは明るいが、こんなと ころには長くすめたものではない。住みづらいというのは他でもない、空港 や会社へのアクセスにかかる時間のことである。ここで暮らし、働き、一生 を負えるならまあまあ住みやすいと思うのだが、我々千葉都民にはたまった ものではない。千葉で生まれ育ったが、こればかりはいかんともしがたい。 とっとと千葉を出るのが賢明である。そういった意味からも早く大分での仕 事を終わらせてしまいたいものだ。歯医者も満足に予約できない。

29, May 1996 (Wed)
今日はことえり。以前からひどい虫歯があったのだが、そのうちの右下 の親知らずが一番ひどく、これまでもひどい歯痛から頭痛までひきおこして いたのだが、だましだまし放っておいてきたものの、昨晩からついに眠れぬ ほどの痛みを感じはじめるようになってしまった。本来ならばすぐにでも歯 医者に行きたいところだが何せここは大分であり、しかも仕事の都合でどう しても穴を開けることが出来ない。仮に仕事を抜けられるとしても右下の親 知らずは歯茎を切除しなければ抜歯することが出来ないと以前言われたこと があるために、そのような手術が上手な医者にかかりたいのだがここではど の医者が評判がよいのか悪いのかさっぱりわからない。どこでもいいから、 というような医者の選び方は出来るだけ避けたいと思っているのだが、この 調子ではそうも言っていられなさそうな気配ではあるが、しかし仕事が忙し いということを免罪符に、自分を欺き続けてついに千葉に帰るまで歯医者に 行かないかもしれない。

26, May 1996 (Sun)
今日はEGBRIDGE。休日出勤したにもかかわらずこんなものを書いている。 決して不貞腐れているわけではない。やることがないから出勤しているだけ のことだ。
今日は高崎山へ行こうと思っていたのだが、結局仕事をしにきてしまった。再 来週あたり是非行こうかと思うが、どうせこんなことでは東京に帰るまで 高崎山に行くことはあるまい。怠惰なのか仕事熱心なのかと問われれば、当 然怠惰であるということになるだろう。いい悪いは別として、 そんなものだ。
今ごろになって清水義範の代表的な著作「蕎麦ときしめん」を読んだ。近く に古本屋があり、一気に司馬遼太郎や眉村卓や清水義範や原田宗典などを 漁ったのだが、それぞれ充実した成果を得られたように思う。特に(司馬 遼太郎は別格として)清水義範の蕎麦ときしめんに改めて文学のすばらしさ を思い知らされた次第である。また、清水の例の入門/必勝法ものをさらに ひねって、近いうちに堕落の園のひとつのコーナーを新設してみようかと思っ ている。
そのうち、眉村の例の系統に手を出してみようかとおもう。今迄恥ずかし くてとても読めなかったのだが、時間が味方して呉れるかも知れないとわ ずかながら期待している。司政官ものとはまた違ったものを提供してくれる だろう。

21, May 1996 (Tue)
今日はことえり。大分は最近天気が悪く、湿度は高いものの割合涼しい 毎日である。ところで、 18 日にここで一言申し上げた彼は、大変素直な態度で 受け入れてくれ、誠に清々しい。なかなか出来たことではなく、その態度には 頭が下がる思いである。実に素晴しいことだと思う、称賛すべき態度であった。 見習いたいものであると強く思う。
MacTCP の TCP/IP ソケットが何とか動かせるまでに形になってきた。これを奇 麗にして、さらに Open Transport 対応にするまでの我慢である。これさえでき てしまえば、一山超えたといえるだろう。もちろん、次の山はすぐそこにあるの だが。しかし、Windows 3.1 でさえ標準的なソケットが存在したというのに、こ のような状態で一時期までマッキントッシュのほうがインターネットに強いとい う伝説というよりもむしろ事実が存在していたことをどう考えればよいのだろう か。逆境に強いひとびとが集まっているとだけでは言い切れないのではないだろ うか。個人的には MacOS で動くマッキントッシュは、使いたくないマシンの最 右翼ではあるが、仕事である以上はしっかりやらなけばならないし、マッキント ッシュなんぞどうでもいいとも言い切ることが出来ない。

18, May 1996 (Sat)
今日は MSIME95 。最近ここのプロパイダが特別第 2 種電気通信事業者になっ たためかどうかしらないが、かなり安定している。この特別第 2 種電気通信事業者 になるためのハードルの高さはご存知の通りで、これに認定されることが出来たと いうことは相当に期待出来ることは間違いないことは言うまでもなく、こうなると 年額 2 万円で利用できるというメリットがより生かされるようになるだろう。 実に素晴らしいことである。ここまで努力を重ねてきた湯浅氏を始めとしたスタッ フの方々にささやかではあるが賛辞を送りたい。
また、友人 2 名が加入するインターリンクという小さなプロパイダとの間の線が 極端に細いためになかなか見に行くことが苦痛であったが、最近インターリンクが 経費をかけるべきところをやっと理解したようでまともな速度になった。なぜ最初 からやらないのだろうか。鼈甲飴への線にばかり負担をかけていたから この男などは鼈甲飴に入っ たこともないくせにすっかりアンチ鼈甲飴である(笑)(一言だけ言っておきたいの だが、鼈甲飴と鼈甲飴への回線はまったく別の話である。鼈甲飴への回線は鼈甲飴 が敷設するわけではないことがわからないのだろうか。入ったこともないくせに遅 いとか速いとかデマを流すのはやめて欲しい。1.5M回線がいくつもあるのにそれほ どにも遅いわけがないではないか。遅いのはインターリンクが悪い。 その証拠が現状の鼈甲飴−インターリンク間の速度だ。 ちゃんと追跡 コーナーの鼈甲飴−インターリンク間のデータを見てほしいものだ。大体、3万人を 超えるユーザや鼈甲飴を支えているスタッフに失礼である。厳に慎まれたい。 ただ、今まで外に出るのがかなり遅かったことへのフラストレーションが溜まって いただろうことは同情できる。確かにこの速度では誰かにあたりたくなるのも無理 はあるまい・・・。)

15, May 1996 (Wed)
今日は MSIME95 。ここ大分県でも水曜日は平等にやってくる。
千葉の BBS に入るとちょっと書き込むだけで 電話料金がすぐ 4 桁になってしまうのが快い感じである。一アクセスにつき毎度 そんな料金を平気で取る NTT を逆恨みしてしまいそうだ。
お食事会 ( 軽 OFF 会 ) に関するページを作ろうと思っているのだが、なかなか 筆が進まない。そうこうしているうちに記憶が薄らいできてしまってもはやニッチ もサッチもいかなくなってきた。まったく怠惰が成せるわざである。反省が必要 だろう。

9, May 1996 (Thu)
今日は MSIME95 。久しぶりに日記を書く。今週頭から私は大分にいる。 最近、 AT 互換機ノートマシンを買ったのだが、これがどうも交換しなくちゃ ならないらしい。そのためにもぜひとも東京に戻らなくてはならないのだが、 ここは九州である。東京まで往復5万円。帰ろうにも思わずためらってしまう額 である。一旦東京に戻る用事が最初から予定されていたために自腹を切る必要が ないのは不幸中の幸いであった。しかし、再度最初からセットアップし直さなけ ればならないし、そのための時間はほとんどない。今回の帰京は時間とのシビア な戦いになるだろう。

29, April 1996 (Mon)
今日は MSIME95 。今日はなかなか楽しかったため、機嫌が諸般の事情によ りよろしいのでタイトルの GIF アニメーションファイルをちょっと変えてみた。 随分地味になったようだ。
尊敬する司馬遼太郎が死んでから大分立つが、最近ますます彼の著作の深さを 感じている。彼が死んでから著作を繰り返して読んでいるが読めば読むほど 豊かになってゆくようである。つくづく偉大な思索が惜しまれる。

28, April 1996 (Sun)
今日は MSIME95 。久しぶりである。今日はちょっと以前から考えていたこと を過激目に文章にしてみた。読者からの意見などがくると有り難いと思う。また、 私のホームページに意外な読者がいることが判明。読んでくれてますか ? > 意外な読者様。
それにしても 27 日はかなり暖かかった。気温は 28 度まで上がったそうである。 こんな日こそピクニックなどに行って、平和になりたいものだ。なんか土手縁で ぼけっとするのも心地よさそうだ。気温が上昇しすぎたせいか、今は雨が降ってい る。恐らく明日の朝までには止むだろう。

25, April 1996 (Thu)
今日もことえり。 23 日に目的のホテルを当たって見たところ、とれなかった。 これは意外であった。これはいかんと思いつつ駅前にある某ホテルの 2 軒目に問い合わせたら あっさりとれてしまった。さすがに一軒目のホテルは天皇も行幸の際に宿泊したというホテル であるだけにいろいろな会合やなにかに使われる機会も多いらしい。前回宿泊したときも 3 回目の延長ができなかった経験がある。設備も相当整っている割にある裏技を利用して一泊 7,500 円で泊まれるためにぜひ利用したかったのだが、致仕方のない仕儀となってしまった。
ところで、連休中に仕事が入ってしまった。悲しい。今年の GW は既に無い。

23, April 1996 (Mon)
今日もことえり。昨日の酒席では昨日から私を補佐してくれる方に、相手が年上にも かかわらずなかなか面映ゆいながらも大いに語ってしまった。
ゴールデンウィーク明けからの大分行きに備えて航空券の予約をして見た。 6 日に移動 するということで予約を旅行代理店にとってもらったのだがすでに 6 日は午後の便はなく ぎりぎり昼の便がとれてほっとしている。万が一とれなかったらと思うとぞっとする。 但し、まだホテルの予約はとっていないのだが、これはもうゴールデンウィークの終わりで もあることだし、満室ということはないだろうと楽観しているが、さてどうなるか。 今度の大分行きは仕事に加えて今ある大分事務所の移転先も探さねばならないために かなり忙しくなるだろう。これは覚悟しておかなくてはならないかもしれない。

22, April 1996 (Mon)
今日もことえり。最近酒席が多いが(実をいうと今日もなのだが)、付き合いで飲む酒 はあまりないために気分はよい。本来下戸であるためにあまり酒席は好まないのだが、や はり親しい者達ととりとめのない話で時間をすごすというのも一見無意味なようでいて 実際には大きな影響があるような気がしてならない今日この頃である。特に昨日は久しぶりに とても寛いだ感じだ。やはり酒は楽しく飲みたいものだ。ちなみに今日のは完全におつきあい である。早々に切り上げるにしくはない。
最近欲求不満 ? が昂じてきているらしい。非常に衝動的な言動、行動、思考をとっているのが 自分でもよくわかる。やばい。定期的になるのだが、毎度のことながら抑えるのに苦労する。
欲求不満というのは語弊があるな。一定期間が過ぎると元に戻るために、これは躁鬱の躁の 仕事なのだろう。昨日も酔っ払った勢いもあるのか意味不明なメールを方々に発信してしまって 今朝になって数名には読まれてしまったのだが、あわてて取り消したりしている。この時期に 大抵大きな失敗をやらかすのだが、これですめば良いのだが・・・。ただ、心の中にちょっと 不穏な動きがあることを自覚しているために心配である。確信犯的に何事かをやらかしてしま うようなことがないようにしなければ。

17, April 1996 (Wed)
今日もことえり。徹夜明けなのだが、これからさらに打ち合わせがある。当分 眠れそうにもないようだ。ああ充実しているなあ。
今回は HISA(gs) の OFF があったのでそれに関するページを作成してみた。それに関連 してギャグのページも 1 つ追加したが、これのどこがギャグなのかさっぱりわからない やつもいるだろうな。頭は柔らかくしていたいものだ。
それにつけても眠い。

9, April 1996 (Tue)
今日はことえり。 CP-100 の増設メモリを購入してきた。 2M で 1 万 5 千円の 間違いだった。ザコンでなんと 200 円引きの 14,800 円だった。在庫が僅少なために ザコンでしか扱っていなかったのだが、なんかすげえ得した気分である。けっ。
新年度が始まったため昨日からなんか学生が増殖してきたようだ。最近の学生どころ か生徒どもは日中に山手線乗ってプリッツ食いながら携帯で大声で話やがる。いったい なにがどうなってしまったのか?ガキ共の行く末が心配である。これもみな大人が きっちり教育するどころかてんでんばらばらに適当なことばかりしているからだ。 文部省や学校を批判する前にわが身を正さなくてはならないだろう。
今日は帰宅しようと思う。

8, April 1996 (Mon)
今日も MSIME95 。昨日買ってきた CP-100 なるエプソンのデジタルスチル カメラで 愛機 を撮影したついでに ページをいくつか追加した。このカメラはなんと AC 電源が付けられない仕様に なっている。店頭で見たときにはきちんと AC アダプタ用の端子が出ていたのだ が、実際に買って梱包を解いてみたらパテ埋めされていたから驚いた。こりゃ詐欺 ではないだろうか。まあ特に必要ではないので構わないが。
撮影できる容量 がかなり少ない。標準だとフラッシュメモリが 1MB しか搭載されていないため である。明日あたり増設メモリ ( 確か 1MB あたり 1 万 5 千円だった ) を 買ってこよう。

6, April 1996 (Sat)
今日は MSIME95 。 私のマイクロソフトマウスは滑りが悪いので下に 紙テープを張っている。 こうすると滑りがよくて気持ちいいのである。ただ、 BSD を使う ときは LOGiTECH マウスなのだが、これはなかなか滑りがよい。 Mac の方は いわゆる一つボタンであるが、これでマウスは 1 つから 3 つのボタンが付く マウスを併用しているわけだ。それなのに不思議と混乱がない。 Windows95 と MacOS と X-window の併用で混乱することもなくなった。熟れというのは なかなか恐ろしいものだ。 一日中使うものだから、マウスは気に入ったものを使いたい。ただし気に入 らない OS は仕事上使わざるをえない。飯を食うとはそういうことなのか。

4, April 1996 (Thu)
今日もことえり。 AT 互換機のほうはジャンクで拾った DEC の 101 キーボードは今日も 快調だった。やはりキーボードはジャンクに限る。そのうち 103 も探してこよう。 106 は BTC がお気に入りである。 Mac の場合は Apple Extended Keybord II がお気に入りである。 一日中使うものだから、キーボードは気に入ったものを使いたい。
相変わらず PowerMac 9500/120 は調子が悪い。

2, April 1996 (Tue)
今日もことえり。MS-IME95 for Macintosh の発売はいつの日か。
ブラックのコーヒーを飲もうとコーヒーサーバにいってボタンを押して、でき上がったところを みてみると紙コップからざばざばと黒い液体が溢れてる。仕方ねえなあと思いつつ自席に戻って 一口すすって驚いた。紅茶とコーヒーのブレンドだった。しかも砂糖入。
本日の得点 : コーヒーサーバのスプールが溢れて -20 点。

1, April 1996 (Mon)
最近、世間ではべっこうあめ批判がますます好調だが、私のようにつなぎっぱなしで使う人間には まったくどうでもいいことなのでどうでもいいのだが、ただ、みんながみんなぎゃあぎゃあさわいだ挙句に 出ていってくれればこんなぶっとい線で各所と繋がってるプロヴァイダを占有できるのになあ、 なんて考えてたりする。はやくインターネットブームとかいう巷のおやぢさんまで巻き込んだ 熱狂はおさまって落ち着いて欲しいな。


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