徒然苔


吉田さんに倣って日々の徒然を綴ることにした。徒然じゃないときは綴らないので日記ではない。
( 実質は日記である。 )



21, August 2003 (Thu)
今日は MSIME2K 。キーボードを新調したので1年ぶりに更新してみる。
前回の更新の日付を見ると、もう1年経ったのかという感慨がわずかに浮かぶ。マシンを新調したり、車を買ったり、北海道を一周してみたり。新しいネットワークゲームに手を出したり、飽きたり。とはいえ、本質は何の変わりも無く、まるで昨日の日記の続きのような生活である。
一つ変わったことといえば、さらに無気力化が進んでいるということであろうか。何もする気が起きない日々である。いまのところ、これを改善する予定はないし、その気もさらさらない。
これではいかんとは思うのだが。

11, June 2002 (Tue)
今日は MSIME2K 。 ここのところだいぶ暑くなってきたようだが、風邪には注意されたい。私事になるが、先日わき腹から肩にかけてひどい痛みが数日引かなかった。特に肩はもげるかと思うくらいの痛みであった。そこで整形外科でみてもらったのだが、医者の診立てによると風邪らしい。一応、つぼやら気功やら(外科でも気功を取り入れているとは知らなかった)の治療も行われたのだが、その後数日して痛みが引いていったところを見ると、風邪だったのだろう。全くの素人には予想もつかない病名であった。
話は変わる。教習中に学科の時間で聞いた話だが、とある教習所が、毎日車に乗っていて、なおかつ何十年も無事故無違反で過ごしてきた人たちをあつめて、いったいなぜそんなことが可能なのか、ということを調べたことがあったそうである。もし共通することがあるのなら、それを教習の種にしようという魂胆だったらしいが、当然、十人十色であって共通点などほとんどなかったそうである。
但し、一点だけ共通する点が見つかったという。それは、何をされても決して怒らない、ということだそうだ。
ムリに自分の感情を押さえつけて怒らない、というのではなく、本当に怒らないらしい。たとえば、無理な追越をされても、本気でそのようなことをするにはそれなりの理由があったのだろう、ということを考えるだけで、無理な追越をされたことに対しての怒りは全く感じないという。多くの人は、そんなムリな追越をされれば自分が危険さらされたということを考えなくても、かなりむかっ腹を立てるのではないだろうか。
確かに、言われてみればそのとおりかもしれない。怒ったり急いだり、通常とは違う状況に置かれるとその分だけ注意力が疎かになることは誰でも理解できる。逆の言い方をすれば、冷静でなくなったときに事故はおきるということなのだろう。逆上しているときには普段見えているものが見えなくなる経験は誰にもあると思う。大変参考になる話である。
もっとも、ちょっと気に入らないからといって煽りまくって挙句に自宅までついてゆき、そのまま相手を殺害してしまうような人間が立派な社会人でございなどと大手を振って歩いているような今の世の中では、なかなか実践は難しいかもしれない。だが、私もかなり短気な方ではあるものの、できればこのように心のゆとりを持つように心がけたいと思うことはできると思う。

8, June 2002 (Sat)
今日は MSIME2K 。教習所を卒業して、免許証を取得した翌日、早速車を見に行ってきた。実際のところ、見るべきポイントや状態と値段の折り合いのつけ方などさっぱりわからないのだが、まあ見るだけ見てみようと思い中古車屋にいってみたら、格安と思われる車があったのでその場で買ってしまった。後から同じ車種がどの程度の値段で市場に出されているのかを見てみると、格安というわけでもなかったようだが、納車されてからの具合を見てみるまでは良い買い物だったのかどうかは判断の仕様のないところではある。

5, June 2002 (Wed)
今日は MSIME2K 。このところ初夏らしい陽気が続いている。風が快い。
教習所通いだが、今日で全て終わった。もう行かなくて良いと思うと多少気が楽になるが、実は予想していたよりも気分が晴れない。自分の運転に全く自信がないのがその大きな理由だが、だからといっても今後は自分の車を買うまでは練習はできない。車を買うには保険に入って駐車場を確保して車庫証明を取得して、等と先は長い。購入前に運転などできなくなってしまいそうである。尤も、それ以前に免許を取得するために試験を受けに行かなければならないのだが、所詮ペーパーテストのみなのだから、これはどうでもよい。ただ、早朝6時には電車に乗っていなければならないことだけが多少つらい。

16, May 2002 (Thu)
今日は MSIME2K 。今日も新幹線の中で書いている。 AirH" は新幹線の走行中であっても接続が切れることはない。前回と同じ前振りで恐縮だ。なぜなら、コピー&ペーストだからである。
では体調のことでも、と思って書こうと思っても最近体調が思わしくない。前前から思わしくないといえばまさにそのとおりなのだが、特に最近は思わしくない。おまけにやけに疲れる。といったような台詞しか出てこない。まあこんなものだ。
教習所通いだが、まあまあ順調に進んでいる。一ヶ月足らずで仮免取っていれば順調といっていいだろう。もっとも、修了検定には一度落ちた。あきらめなくてもいい所で諦めたのは実に私らしい。2回目の修了検定で、私と同じ所を2回も失敗してもなお受かっていた人がいた。諦めは肝心ではない、決して。今月以降は2週間に一度通えれば御の字となる。早めに取ったのが、吉と出るか凶と出るか。
ガラガラの新幹線なのに隣に人が座っている。しかも「こだま」だ。すばらしい幸運である。最近ツイていると思っていたが、こう如実に目の前に突きつけられると多少へこまないでもない。お隣さんもそう思っているに違いない。申し訳ないとしかいいようがない。私が後から乗ってきたのだから、よりへこんだのはきっとお隣のお嬢さんにちがいない。
指が他愛もないことばかり書きまくる。それを小指が申し訳なさそうに消す。バックスペースキーを押下するというだけだが、実に申し訳なさそうだ。
ビールを売りにこない。とても私は幸せである。そう決めた。
ゆえに、新幹線を乗り継いで帰ることにした。そう決めたから。
しかし席は空いていない。書くこともない。

25, April 2002 (Thu)
今日は MSIME2K 。新幹線の中で書いている。 AirH" は新幹線の走行中であっても接続が切れることはないので便利に使える。もちろんトンネルの中では接続が中断してしまうが。
さて、最近教習所に通い始めた。自動車のである。我ながら驚きである。何を思ったのか自分でもわからないが、長続きするかどうかはなはだ疑問ではある。なにせ入所後まだ 4 回しか教習を受けていないのである。週に 2 時間のペースなので、どうもこれは教程どおりこなせて、毎週休まず 2 時間こなせたとしても 32 週間かかることになる。月に 4 週として実に 8 ヶ月かかる。途中に出張や体調不良、急な用事が入らないはずがないから明らかに無理だということになる。さらにいえば、この年齢で教程どおりすべてこなせるわけがない。さらに言うと、最近は警察の指導を受けて、技能はかなりきびしくなっているそうだ。ありがたいといえばありがたいのだが、まあ痛し痒しといったところか。ちなみに、入所後 9 ヶ月以内に教習所を卒業しなければならないことになっている。余裕は一ヶ月しかないということだ。既に半月経った。
話は飛ぶが、世間はゴールデンウィークということで、警察が予想人出を出したりしているが、早速友人が海外へとんずらしてしまった。ずいぶん気の早いことだ。地中海方面をうろついてくるらしいが、せいぜい無事にかえってきてほしい。ギリシャ語が読めるのだろうか。私はギリシャ語などはアルファベットの読み方すら知らない。アルファ、ベータ、ガンマ以降はもうまるでだめだ。ただし、これらも理解できるのは小文字だけである。
このところいろいろと考えさせられることが多い。年齢が大台に乗るまで残り一月ということも影響しているのかどうか。様様なことを考えはするものの、ただ考えるだけだ。行動に結びつかないというところが、また歳を自覚させる。刹那的な衝動をうけて行動に直結するタイプだったはずなのだが、ここ数年はかなり後ろ向きな方向への行動が発動することはあるものの、前向きなことが何一つなくなってきていることに気づいたときは、多少愕然としないでもない。何もかもうっとおしいというのが先に立つというのが、我ながらいかんなあ、とは思うものの、だからどうするというわけでもない。
そろそろ昨年死んでしまった先輩の一周忌が近づいてきた。人のことを置いてさっさと死んでしまうような不人情な人なのだが、まあせいぜい代わりに飲んでおいてやろうかと思っている。

8, March 2002 (Fri)
今日は MSIME-2000 。久しぶりという表現を充てるには、あまりにも怠惰な更新である。
最近までにさまざまなことをやってきたし、さまざまな事柄が起きてきたが、今回ほど何かに残しておきたいと思ったことはなく、むしろ残すのであれば徒然苔こそと思わせた。但し、今回は全て私事である。
仕事で長野県の富士見町というところに住み着いて二月になる。ここは今まだで住み着いた中でも最も景色がよく、かつ標高が高い。普段の生活の中で、毎日景色を飽かず眺めることができるというのは、これは最高の贅沢のひとつとして良いのではないか。
特に、八ヶ岳の眺めは格別である。朝の蒼い峻厳さを感じさせる色から昼に移るにつれ堂々とした色合いとなってゆき、夕方には夕日を浴びて赤く燃えるようなふもとと紅色の頂きを眺めていると、地元の人間は地元を離れたがらないのではないかと思わせるに十分である。余談ながら、長野県は県内の失業率が最も低いという。それは県内での仕事を見つけ、そこに定着してしまうからではないかと思わせるような気もする。
ただ、富士見町というからには富士山が見えるはずであろうと思うのだが、これまで一度も見たことがなかった。八ヶ岳は十分見えるのだが、富士山はどこにも見えない。20号線をずっと東京方面へ上ってゆくと、ようやく甲府市街に近づいたところで富士山が見える程度である。気象条件によっては見えるのか、と思っていた。
が、違った。私が住み着いたところがあまりに山の中なので見えなかっただけで、役場からははっきりと見えるということを今日はじめて知った。なるほど、富士見町役場から富士が見えれば立派に富士見町である。もっとも、富士が見える町だから富士見町なのだが。
話が変わる。小海線という小さな単線のローカル路線がある。小さなといっても、総延長はかなりありそうだ。小諸から佐久平、小海、野辺山、清里を経て小淵沢へ至るワンマン運転のディーゼル駆動の列車である。一度秋田新幹線導入時に地元を納得させるために新設された路線に、この車両が投入されたという話を聞いたことがある。鉄分の高い人向けに型式にふれると、キハ110と書いてある。噂によると気鋭の車両だそうだ。どう気鋭なのかまでは失念した。どうでもいいのだが、野辺山駅はJRで最も高いところにある駅だそうである。その旨を記した標識がホームに突っ立っている。標高にして1,345.67mだそうである。いやに細かい。しかし覚えやすい数字ではある。
この路線、いろいろ名前がついている。八ヶ岳高原ライン線、小海線、やっピーくん(ピはカタカナ)の3種類である。どれが正式名称かは知らないが、八ヶ岳高原ライン線(小海線)と表記してあるものをどこかの駅で見たことがある。小海線は愛称なのだろう。もしかしたらやっピーくんというのは、110系の愛称なのかもしれない。由来はさっぱりわからない。が、ひらがなとカタカナが混在しているということから察するに、車両や路線、地元に関連のある言葉をつなげて略したのではないかとは思う。
この電車が、1両から3両の間で運用されている。時間により連結する車両数を変えているようだが、乗車率は結構高い。しっかりと地元の足として利用されているようである。
一度、夜に乗ったことがあるのだが、真っ暗で何がなにやらさっぱりだった。そこでもう一度乗車してみることにした。目的地は終点の小諸である。富士見からは一度中央線で小淵沢までの二駅ほどを上り、小淵沢にて乗り換えることとなる。前回乗ったときは3両編成だったが、今回は単両のようだ。両数が自在なのも、この車の気鋭である所以のひとつに数えられるのかもしれない。
余談だが、目的地だけを見て、富士見から小諸に達すればよいというだけなら、実は一度都内に出たほうが時間的に有利な場合がある。または、一度松本へくだり、松本から長野方面へ上るのも経路としては最も有力な選択肢のひとつである。県内の移動というより、これは立派な旅行である。
小淵沢から乗車してしばらくすると、富士山が見え始める。さすがに甲斐の国からは富士山が見えるというわけである。出来過ぎな気もするが、まあ旅情を醸すには十二分に都合がよい。清里を越えると、かなり雪が目立つ。富士見でも実はまだ雪が増るのだが、それ以上にこちらは山影になるせいか解けないようだ。
一度富士見から佐久平まで、白樺湖を経て車で移動したことがある。そのときは凍結した白樺湖の湖上で公魚(わかさぎ)釣りを楽しむ人々がいたが、この時期になってもまだまだ人が乗ってもびくともしないほど凍結しているのには驚いた。
白樺湖が凍っているくらいだから、道も凍る。よって、使用するつもりだった道が冬季は凍結につき通行止めとなっていたのには驚いた。麦草峠という峠を越えるところが凍っているらしいが、むしろ白樺湖を経由して山を越える道が凍っていないのには驚かざるを得ない。日当たりの問題なのだろうか。
野辺山・信濃川上間に、列車(単両で列車と呼んでいいのか、どうか)から見下ろす谷間に、線路らしきものが見えた。車は線路上に乗っかってはいなかったので、本当に線路かどうかはわからない。もしかしたら、野辺山からどこかに向かう線があるのかもしれない。
この列車、ひたすら山の中を縫って走ってゆくが、トンネルがそれほど多くないのには少々驚く。普通なら集落間を結ぶには、山をぶち抜いて走ったほうが経路的には楽だろう。それにもかかわらず、きちんと地表を縫って走るのは、それだけ集落が山の中にもかかわらず多いということになるのではないか。考え合わせて見ると、車で移動したときにも友人が指摘していたことだが、山中にもかかわらず、民家を見かけないことのほうがまれであるということである。かつ、連続的に集落が行く手に現れてくる。この列車に乗っていてもそれは十分感じられ、かつ、どの駅でも極端に辺鄙なところは全くないのである。それなりに民家があり、商家も建ち並び、はなはだしい所では立派な橋梁が架けられている。駅前の車両通行量も、割合あるようだ。
これは、何を意味するのだろうか。これらの民家は、元来は農業をもっぱらにする家がほぼ全てだったろうが、今はむしろ県内の往来を阻害するこの赤岳をはじめとした八ヶ岳という峰峯や、その麓が成す高原が、外の人間を呼び込み、その外の人間に応接することによって糧を得ることを生業とすることが可能になっていることも、その理由とすることができるのだろう。農業だけ見ても、高原は野菜、花、酪農などを行うにも、他と差別化しやすいだろう。山は、禍禍しいだけでなく、人を食わせるにも役立っているように思える。ただ、理由はどうであれ、このような山に住んでいる人たちがこれほどにもいるという一事だけで、私のような都市生活者を震え上がらせるに十分である。そこには、人の営為の空恐ろしさといったものを否応なく突きつけるものがあるような気がしてならない。
小海に達すると、律儀にも列車の行先表示板からワンマンの表記が取れた。どうもここで連結するらしい。連結してしまうと、車掌が乗るのだろう。車掌が乗務すればワンマンではないというわけであろう。
と感心するうちに、振動が列車を大きく揺らした。連結したのである。これで躊躇なく列車という言葉が使えるようになる。
どうでも良いことながら、こういう路線は、すれ違いを行うためか駅での停車時間が奇妙に長い。奇妙に、というのは、あたらないかもしれない。もしかしたら、普段なれている列車のほうが奇妙なのかもしれない。確かに、首都圏や大都市圏といっても、なれているのは本当に中心部だけで、地方ではこれがあたりまえだと言われれば、そうなのかもしれない。
この停車時間の長さが、また一種駘蕩とした気分を醸し出す要因となる。数分おきで入線するような路線では絶対に味わえない雰囲気としか言いようがない。
気になるのは、常に駅に差し掛かるたびに、昔の黒電話のようなATSの例の大音響が車内をこだまするのがわからない。ATSというよりまるで構内進入信号のような使われ方である。ここは、このような小さな路線にもATSを配備したというところに感心しておくほうが健全かもしれない。
この小海を出ることには、もう日も暮れてしまった。日が延びたといえ、まだまだ冬、雪もこれからが重い雪が降るという。言われてみれば、今までの雪は確かに軽い、さらさらとした雪が多かったが、ここ最近は重い、べったりとした雪が多いようだ。富士見よりもさらに標高が数百メートルも高いここあたりでは、これからが重い雪の季節なのだろう。
小海を出ると、あとは山間というより市街地を抜けていくような印象のほうが強くなる。駅間距離もかなり短くなり、特に佐久に近づくにつれて、なにやら表現不能ながら、ごく普通、といった印象が強くなる。いや、むしろ家に密着しすぎている。そこだけの印象としては、鎌倉の江ノ電に近い。カーブの多さも、やや似ている。
かと思うと、東北本線にたとえるなら蓮田、久喜あたりの印象、とでも言うべきか、そんなところもある。乗車率もかなり高くなる。吊革につかまって立つ乗客の姿も目立つようになる。
総じて、まあ普通、といった表現に落ち着いてしまうのである。
ただ、佐久平駅だけは、変わっている。新幹線の高架かと思わせるような立派な橋梁を、この列車が走ってゆく。新幹線は、その下を走る。
全くの余談ながら、これだけの長時間を、だらだらと印象を書き連ねてゆく事ができるようになったのは、全く信じがたいことのように思える。バッテリの持ちと通信手段を考慮せずにモバイルコンピューティングなどと気安く言ってはならない。
燃料電池の試作に成功したというニュースにふれた。ミニノートクラスで連続20時間の稼動が可能だという。実用化はあと数年かかるらしい。燃料だろうがなんだろうが、使う側はどうでもいい。最低でも12時間は稼動させることができて初めてモバイルを謳うことが許されるのではないだろうか。どうせ他の付随する機器を使うと連続稼働時間は半分やそれ以下になりがちである。せめてカタログ値が20時間を越えないと本当の意味でのワイヤレスなど程遠い。携帯電話などでは、連続通話時間、連続待受時間ともにほんのわずかだ。機能の高性能化によって消費する電力はうなぎのぼりであるにもかかわらず、電力の供給能力自体には目覚しい進歩は望めない。望めない以上は待つしかないのではあるが、待ち遠しいことではある。
長くなりすぎた。
小諸についたら、そばを食おうと思う。

9, January 2001 (Tue)
今日は MSIME2K 。一年ぶりの徒然苔である。昨年一年間まったく更新しなかった。おまけにCGIサーバとの契約が、出張中に切れてしまっていたという体たらくにて、この有様である。新年早々お詫び申し上げなければならない。
昨年末に新調したマシンの安定性が極めて低い。数分毎に勝手にリブートしてしまう有様である。ホビーユースのマシンはかなり安定しているのだが、パーツをとっかえひっかえしてどのパーツが悪いのかを調べてみても、個々のパーツはしっかりと稼動するから始末におえない。かといって、もう一台購入するほどの余裕もなく、困っている。
購入といえば、 今まで PS2 本体だけあって、ソフトウェアは DVD くらいであったのだが、それ専用のゲームソフトウェアを 2 タイトル購入した。なるほどたいしたハードウェアであることはわかるのだが、ソフトウェアそのものの魅力は、それほどでもないのがこのハードウェアの悩みであろう。 500 万台も売りさばいた SCEI としては、どのような打開策を打ち出すのか、そちらのほうに、むしろ興味がある。
興味といえば、最近は専らアンサンブルスタジオの Age of Empires というゲームの最新版が楽しい。最近といっても、やり始めてからだいぶたつのだが、不特定多数の人間と対戦するという楽しさは、なにものにも変えがたい。オンラインゲームが隆盛するのは当然だが、家庭用ゲーム機の世界でも、セガのゲーム機でモデムに接続させてオンラインゲームを楽しむソフトが売れているらしい。当然の流れといえばそのとおりだが、通信事情が改善されつつある現在にそのソフトをリリースしたことは正解であろう。往時の NTT 支配下における劣悪な通信事情では、いくらやりたくても電話代と時間がそれを許さない。一部のコアな人気を目当てにしてもたかが知れていることは言うまでもないが、誰でも気軽にいつでも楽しめることこそユーザ層の厚さにつながる基本であろう。更なる通信インフラストラクチャの整備が望まれる。特に、最後の一マイル問題を効果的に解決する方策を早急に打ち出す必要があろう。国、特に建設省 ( 現・国土交通省 ) が推進する基幹整備は、実は不要である。すでに民間の手によって、特に電力会社および NTT によって敷設されているからである。そこへさらに金をつぎ込むよりは、その基幹へ、いかにして枝葉を繋ぐかを考えるのが国の役割ではないだろうか。強力なリーダーシップを発揮し、混沌とした現在のラスト1マイルを取り巻く環境を快刀乱麻を断つごとくに整理し得るのは、民間企業の得意とするところではないと考えるが、どうだろうか。
年頭から、連想ゲームとなってしまった。
最後ではあるが、読者の皆様におかれては、今年もよい年となることを祈りたい。

3, February 2000 (Thu)
今日は MSIME97 。後続の巻を本屋で見つけることができず、かなり昔から気になっていたのだが、小松左京の虚無回廊がデジタル版として復刻していることを今日知った。この作品、一体に終りはあるのだろうか。
さて、特に何もない。

25, January 2000 (Tue)
今日は MSIME97 。寒い日が続いている。読者の皆様に置かれては、風邪に十分にお気をつけられたい。
新調したマシンだが、 P3-500E はクロックアップ耐性が高い様だ。一度 700 超まであげて一日運用してみたが、問題なかった。が、なにやら心臓に悪いので、今は 680 で使用している。自分でも 700 から 680 に落とす意味が分からないが、まあいい。半月ほど経ったと思うが、何の問題もなく安定して運用できている。もっとも、真冬であるということと、新しいということで、たまたま動いているだけかもしれない。長期間安定して運用できていても、突然動かなくなる場合も、今までの経験からしてあったので、まあ、別に期待はしていない。単に、このクロックで安定して動くのにわざわざ遲くしているのももったいないという貧乏性ゆえのクロックアップである。どうせ、 P3-500E なんぞは、そのうち捨て値である。
マシンといえば、ちょっと前になるが、さらに一台、購入した。ついでにフラットトリニトロン管のモニタも買った。今度は実にスムーズに設定を終えた。使用する OS が Windows 2000 なので、内臓モデムやらなんやら、デバイスドライバの準備状況は一応確認はしておいたものの、 OS そのものがベータ版である上、チップセットも新しいものなので、かなり手間を食うであろうと覚悟はしてはいたのだが、実にあっさりとしたものであった。あまりにあっけないために、気が抜けてしまったほどである。逆に、インストールしまくっていて、このような作業に慣れているはずの NT を入れるほうが面倒であった。
さて、これもちょっと前のことにはなるが、以前よりほしかった PC 用ゲームに加えて、知人に薦められて、あるゲームを買った。実際のところ、私自身が以前よりほしかったゲームはとんでもなくつまらないゲームであったのに対し、薦められて購入したゲームは面白い。実は、推薦されたゲームも、以前よりほしかったことはほしかったのだが、薦められなければ、自分がほしかったゲームを含め、とてもではないが買う気にならなかっただろう。私が、ゲームに対してはすぐ飽きると思っているし、一般的に価格が高めであることも手伝って極めて支出を惜しむからである。それゆえに、薦めてもらったゲームは、期待通り、またはそれ以上であったので、大変うれしい思いをしている。
ゲームといえば、 PS 用の 某 RPG で、どのようなシチュエーションでも先に進むことができないという現象に出くわしてしまった。そこで、ゲーム会社に非があればなんとかしてもらおうと、メールで問い合せを行ったところ、忘れたころに電話で大変丁寧な対応をいただいた。対応が遅い、とは思うものの、対応そのものは丁寧であったので、不満は解消されてしまった。我ながら、相当に単純な精神構造をもっていることが誇らしい。
さらに私事が続く。
ようやくめがねを新調した。レンズが白くなるほど傷だらけだっためがねを、よくもここまで使い倒したものだと、自分の怠惰ぶりに感心すると同時に、ここまでクリアに見えるものかと驚きを禁じ得ない自分が情けない。
眼鏡屋に行って驚いたのだが、最近のフレームは横に細いものばかりである。最近の流行らしい。まあ、私は強度の近視なので、凹レンズを使用するわけで、玉がおおきくなればなるほど玉の外側の厚さは厚くなってしまうわけであるから、玉は小さいほうがいいわけである。したがって、これは都合の良い流行である。さっそくその流行にあやかり、これまでのものに比べて横に細いフレームを買わせていただいた。ついでに、顔の形に合うフレームが、 1 種類しかなく、仕方なくそれを選んだところ、チタン製で実に軽い。なにやら意図しないうちに有利になっているようでうれしい。おまけに、レンズも、 UV を 100% カットしてしまうものだそうだ。良く分からないが、なにやら得した気分ではある。但し、これまでの眼鏡のように、風呂に入ったときに一緒に洗ってしまうといったようなぞんざいな扱いは、当分できない。本当は、これまでのレンズも、今回のレンズもプラスティックなので、水は厳禁なのだが、横着して風呂場で洗ってしまっていた。傷がついて当たり前である。わかってはいるのだが、ここまで傷だらけになるともうどうでも良くなってしまっていた。
出来上がって、実際に眼鏡をかけてみると、玉が小さいのと、フレームが軽いということで、結果的にこれまでかけていた眼鏡の中で、最も軽い仕上がりとなり、満足している。ただ、 UV カットの恩恵が、今一つ実感できないが、まあ、こうしてモニタを見つめている間も、目は楽をしているのであろうか、と思うと、なにやら得した気分になるから不思議だ。夏場は、目の周りだけ焼け残り、逆パンダになるのであろうか。それもまた、楽しみであるし、嬉しくもある。
今回は、私事だけで終わる。
とおもったが、そうもいかない。
某中学校の教諭が、生徒に対し、死ね、殺す、などと脅していたとして、書類送検された。某報道機関いわく、教諭の授業中の発言について刑事責任が問われるのは異例などとしているが、そんなところを強調するのではなく、教諭が生徒に対してそんな言葉を使って脅すことの異常さをこそ強調すべきではないのか、ということは措いて、教諭対生徒という関係の特殊性について触れるまでもないであろうし、増してや中学 1 年生という多感な時期である子供を捕まえて信頼されているはずの教諭が殺すだの死ねだのということは、立派な犯罪ではないか。と、いうよりも、むしろ卑劣な犯罪である、と言っていい。教師というのは、生徒に対して、大変な影響力も持っているのだし、それ以前にそもそも殺すだの死ねだのと平気で口走るような、劣悪な人格を持つ人間が教職に就いているという時点でおかしいとは思わないのだろうか。
ちなみに、この事件は昨年の 5 月に端を発しているのである。いわれた子は一時登校拒否になってしまったという。当たり前である。普通の子ならそうなって当然だ。子供が受けた精神的な衝撃は、推し量るに余りあるものがあることは考えるまでもなくわかるであろうに、学校側は結果的には手をこまねいていたことになり、結局警察の介入でこの事件が世間の明るみに出るなど、教育機関の甚だしい墮落であろう。当事者能力にかけているといわざるを得ない。断っておくが、隠蔽しろといっているわけでは決して、ない。
最近思うのだが、教師の子供への犯罪は陰湿である。つい先日の調査で日常的に行われていることが明らかにされた性的な暴行、虐待、いやがらせの数々は言うに及ばず、平気で生徒の心を抉るような言葉を投げつけたり、いわれのない肉体的虐待を与えたり(意味もなく、あるいは体罰を与えるに相当しない理由で手をあげたりするなど、体罰ではないと私は考えている)、生徒に対し、生徒をいじめさせるよう指導するなどといった、生徒の心を蝕むような犯罪が日常化し、多々行われている現状に対し、現場ではどう考えているのかを知りたい。荒れる学級、などというが、荒らしているのは、困っている、と言う当の教師ではないかと思えてならない。子供に、と言うより、社会に何ら辜がないとは言わない。むしろ社会の縮図であるといっていい。だが、だからといって、このような犯罪が許されるなどということは決してなく、それどころか許す、許さぬという以前の問題であろう。確かに先生といえども人間である。先生方も、そう主張する。それは、そのとおりであろう。だが、人間と主張するならば、せめて常に人間らしく振る舞ってもらいたい。感情をむき出しにするのは人間ではなく、禽獣と変わりないのではないか。仮に譲って人間であったとしても、決して大人とは言えない。自分のことを大人であると勘違いする子供が、大きな顔をして、本当の子供を教える、というのは、悲劇ではあるまいか。それを許す社会というのは、あまりに悲惨すぎないか。
別に教育者に対して、完全な人格などは求めない。求められても困るだろうし、そこへ少しでも辿り着こうと懸命に努力もしない教師が多すぎる。それはそれで仕方がないことかもしれない。でもしか教師、という言葉があるくらいなのだから。ただ、あまりに程度が低すぎる。どこの会社員としても通用しないような、そんな人間が、どうして人を導けようか。どうして人を育てられようか。
子供の心を傷付けることに対して、あまりに鈍感すぎる。
全員が全員、このようでないと信じているからこそ、このような苦言を呈することができる。まだまだ幸せなのかもしれない。
ただ、あと一歩で、もはや手後れとなるような気がしてならない焦り、あるいは不安は感じる。
いかがだろうか。

2, January 2000 (Sun)
今日は MSIME97 。 2000 年問題も、今のところ大きな問題もなく、むしろ落胆しておられる方もおられるのではないだろうか。
去年までの未発表分の徒然苔だが、かなりな分量になるものの、年も改まってしまったので、なかったことにしたい。読者の皆様におかれては、今年も改めてよろしくお願いしたい。
さて、私事で恐縮だが、昨年末、フロッピーもおかしくなっているようだったので、この際あまりにも旧式となってしまっていた、自宅にあるマシンを新調した。
が、これがいけなかった。
まず、今まで使っていたマシンから新しいマシンへパーツを組み付け替えようとしたところ、旧マシンのマザーを静電気で飛ばしてしまったらしく、POST終了時点でハングアップ。かなり落ち込む。いまさら、 P5-166 を使えるマザーや、 SIMM を刺せるマザーなんぞは入手すら困難である。古いマシンに刺さっていた資源は、お気に入りだった謎の SCSI カードや SCSI 接続の謎のキャディ式 CD-ROM を含め、 PCI カード類を除いてすべて無駄になってしまった。
おまけに、マザーをよく見たら、 FDD がおかしいのではなく、単に FDC からのケーブルが不安定になっているだけであった。無駄にフロッピーを購入してしまったことになる。
まあ、起動しないものは仕方がない。泣く泣くあきらめて、新しいマシンへ Windows 2000 を入れたところ、 LAN カードがうまく動作しない。さらに CDRW 書き込みソフトをインストールしたら Windows 2000 が起動しなくなってしまった。
仕方がないので Windows NT を入れたのはいいが、 Windows 2000 で作成した NTFS は、読めない。仕方がないので SP5 をインストールしたところ、 NT の起動時に SCSI ドライバを読み込む時点でブルーバックスクリーンとなる。もう踏んだり蹴ったりである。
まだある。
どうにかこうにかして SCSI 問題をクリアして、さあ起動したと思ったら、音源がシステム上から消えた ( 認識されなくなった ) り LAN が消えたり、どうもおかしい。 LAN カードを抜くと、きちんと音源は認識されるので、これは LAN カードがおかしいのかと思い、新しい LAN カードを購入してきても、同じ現象となる。
どうもおかしい、おかしい、と、カード類が刺さる PCI スロットの位置を替えてみたら、あっけなく両者同時に認識。古い LAN カードに付け替えてみても、あっさりと認識。単にマザーのクセだったラシイ。 AOpen なんかもう使うものかと力んでみても、もう遲い。 FDD に続いて、またもや無駄な買い物となった。
これだけではない。
さあ、ようやく起動だ、と連続運用に入ったら、翌日帰宅した時点で画面が崩れている。システムの状態を調べようとしたら、まあ、当然だとは思うが、ブルーバックスクリーンが出てハングアップしてしまった。これは何事かと思い、本格的に調査しようと再起動させようと思ったら、今度はブートアップすらできない。
一定時間置いて再度起動してみると、今度はうまくいくように見えたが、しばらく起動シーケンスが進むうち、モニタに水平周波数オーバーと出てハングアップしてしまう。
よくよく調べてみると、どうもビデオカードに通電して、熱を帯びるとこうなるらしい。それなら冷やせばいいか、と言うと、もうだめらしい。数時間の間、寒冷所に置いて冷やしてみたが、現象は変わらない。ものの数十秒でこのようにハングアップすると言うことは、もうこのカードは駄目なのだろう。あるいは AGP スロットがいかれたのかもしれないが、 AGP のカードは他に持っていないので確かめようがない。仕方なく今は PCI の古いビデオカードを刺している。 とどのつまり、ビデオカードが熱暴走した時点で、どこかが融けたか飛んだかしたのであろう。まとまった時間がないので、こんなにトラブってしまうと、もう何のやる気も起こらない。今はもう筐体のカバーどころかネジも締めないで放っておいてある。もちろん、とろけたカードはごみ箱直行だ。交換する気力もない。
このように、筆者は踏んだり蹴ったりの年明けを迎えたわけだが、読者におかれては良い年になることを心よりお祈り申し上げる。

30, August 1999 (Mon)
今日は MSIME97 。体調がひどく悪いが、酒の飲み過ぎが原因である。おまけに昨日のボーリングで指と腕が痛む。情けない限りだ。
名古屋市の某小学校の教諭がいじめる会として生徒全員に特定の生徒に対して悪し様に言わせる事を強制させるという大変に陰湿な事件があったのだが、この教諭は札付きの出来の悪さで、処分を受けたのは一再ではないらしい。要するに教員としてというよりも人間として、少なくとも尊敬はえられないたぐいの人物である。これはこれで問題だが、これよりひどいのが、名古屋市教委である。実はこの教諭を「担任を続けさせることが出来る」として、現在も担任させているというのである。この人あまりの時代に、特に教員などは高齢化が進む一方であり、さらには硬直化の危機が叫ばれているというのに、よほど貴重な人材なのだろうか。人は一面では判断できないものであることだ。中学生を孕ませる教員がいたかとおもえば今度はこれだ。うんざりだ。
ウンザリといえば、新幹線はどうしてあれほどに疲れるのだろう。ただ座っているだけだという向きもあろうが、いいから黙って私と同じように乗ってみろと言ってみたい。言うだけ無駄だが。やはりトンネルに入るときのあの衝撃や独特の揺れかたが、ほんの些細なことに思えて、じわじわと利いてくるのであろうか。特に名古屋を出たら次ぎは東京までノンストップであったりするし、長時間の利用が多いことも関係しているのかもしれない。

20, August 1999 (Fri)
今日は MSIME97 。八月も、もう下旬である。暑い日が続いている。暑中見舞いを頂いたのだが、残暑見舞いとして返信をするていたらくである。今日は本来ならば名古屋にいるはずなのだが、予定が延びたのでドキュメント書きの一日となる。来週もまた静岡と名古屋である。
15 日は敗戦記念日であった。といっても、十余年にも及ぶ戦争を知らない人間が、日本人の中にいる。驚くべき事である。知らないという事は、これは日本人である資格はないのではないか。知らぬという事は、日本の行った所業についてあれは嘘だこれはでたらめだなどと口走る愚かな連中どももいるが、それよりもはるかに愚かである。極端な事を言えば、反社会的な犯罪といっていい。近々 50 余年前の事ではないか。この時代を生きた人間だって多数社会の中に現役として活躍しているのである。我々は、あの愚かな戦争について、もっと認識を深めなければならない。
話が変わる。
昨日、ウラジオストック ( かなり物騒な名前だが ) におけるロシア太平洋艦隊司令官と防衛庁長官の会談において日露海軍間 ( 日本は軍ではなく自衛隊という建前ではあるものの、現実には軍としか呼べない ) におけるホットラインの整備を進める方向で一致した。これはいい事である。
まず対話が重要なのである。特に近隣諸国とは連絡を密にし、いざというときの連絡手段を確保しておく事は大変に望ましい事である。人間は結局は感情の生き物であるし、政治とは結局は感情であることは不変の事実であるのだから、いつも対話を通して信頼関係を構築するべきである。特に北朝鮮に限らず台中問題などの火種があちこちに転がっている我が国周辺域では、我が国が直接的な防衛力を発揮せざるを得ない状況を作らないように政治的に積極的に安全を構築して行く事が必要である。もっとも、信頼とは口で言うほど生易しいものではなく、その関係を作り、維持する事が我が国に出来るかどうかにかかっている。

22, July 1999 (Thu)
今日は MSIME97 。昨日は関東では大雨だったらしいが、名古屋は快晴であった。最近は関東近郊を除けば、静岡や名古屋など、東海づいている。おまけに近いうちに名古屋に缶詰になりそうである。
さて、良く分からないのが空中給油機の存在意義だ。我が国には空中給油しなければならないほど空港が少ないわけでもなく、国土が広いわけでもない。北海道の基地から東京や沖縄までカバーするつもりなら到達時間の点で話にならない。
そもそも、我が国は核を公式にもつ中国、ロシア、そしてテロ国家と考えられている北朝鮮を隣国とする細長い国土を持つ。その国土を一国で護ろうというのは全くナンセンスで、むしろ政治による防衛政策が有効であると私は考えている。究極的には、それらの国々にとってなくてはならない国にすればいいわけではあるが、その目標に沿って進める上で、空母も空中給油機も全く不要なものである。むしろ、我が国が対外攻撃力を高めれば高めるほど、反作用として警戒され、相手国も軍備を増強するのは当然な事であり、しかも、空中給油機を導入したから侵略者を撃退できるというような代物でもなく、おまけに、早期空中警戒システムのコアであるところの AWACS などの航続距離(時間)を延ばすよりもう数機買ったほうが経済効果としての軍備増強という観点からも、機体の整備、運用等からみても、有利であると思われる。もちろん、空中警戒機の直衛には戦闘機がその任にあたるわけだが、1機で護衛するわけではなく、複数機からなる支援隊が交代でその任に就く。
北朝鮮のテポドンが日本をまたいで発射されたとき、我が国は何もできなかった。その能力がなかったからだが、これはハードウェアの問題ではなく、国民や国家首班の危機意識の希薄さであったろうと考えている。その後、自衛隊の情報本部が活動に入ったり、韓国の軍当局と防衛庁や幕僚会議等が直接対話できるような環境を構築するなど、幾許かの進展を見せてはいるが、より一層政治的な対応をおこなって隣国との関係を密にし、一国単位ではなく、より大きな網を構築し、危機をあらかじめ摘み取るようなシステムづくりが最優先ではなかろうか。砕けていえば、ミサイルが飛んでくるのを見張るよりもミサイル発射ボタンを押させないような環境を作ってしまうと言う事である。
口で言うのはやさしいが、これが出来たら苦労はしない。確かにそうではあるが、それ以外に道はないのではないだろうか。
どうでもいいのだが、最近表紙の日付変更を怠っている。気づけば先月 3 日が最終更新日であった。いくらなんでもこれはまずかろうと思い、訂正した。

9, July 1999 (Fri)
今日は MSIME97 。
教師と生徒は敵であると言う趣旨の特集が週刊誌に組まれている。ここまで公の場で極論してしまう人間が出てきたのか、と暗澹たる気分になっていたところへ、茨城県の某地区校長会で学校で問題があった場合、隠せる事柄は隠すなどとしたふざけた内容の文書を配っていた事実が明らかにされた。この文書はマスコミ対策のために編まれたものだが、実際にはマスコミ対策と言うよりも学校の対外姿勢が記されている。要するに、彼らは社会を構成する一部である事を拒否している。この文書は、近く回収を指示するとしている。隠せなくなった為であろう。
そもそも、もっとも基本的なところから彼らは踏み誤っている。いい年をこいた大人が「隠せるものは隠す。ばれたとき、隠した理由を説明できるようにしておく」などと記された文書を配るというのは恐ろしいほどに頭が悪い。こんな人間に教わった人間は原則として同じような人間になるのではないか、と考えるのは自然な事だ。鳶から鷹が生まれるなどと言う事は、古来稀なのである。
朝顔市で買ってきた朝顔もあちこちでみかけるが、今度は浅草でほおずき市が始まった。夏の到来を思わせる。

4, July 1999 (Sun)
今日は MSIME97 。
終電を逃して徹夜作業。かえって時間に余裕が出来たと考えてしまうのは良くない兆候かもしれないが、善し悪しは終わらせてから考えるほうがむしろ建設的であろう。
舞鶴の誤射事件で、将官が停職処分をうけた。この将官は依願退職するもののようだが、将官の停職処分などは前代未聞である。このニュースに接したとき、あまりの事に唖然としてしまった。
さて、最近はなかなか仕事が多くて喜ばしい。この不況を考えるとまことに喜ばしい限りである。このことに連想して、人に使われるしかない人間と、人を使うことが出来る人間と、私の年代では既にはっきりと別れているということを実感している。
関東はようやく梅雨らしい天気だが、関西以遠では大規模な災害となっているらしい。災害に遭われた方々には心よりご同情申し上げる。

24, June 1999 (Thu)
今日は MSIME97 。
最近知ったのだが、ものを食べながら歩く事をなんとも思わないという不可解としか言いようがない人々が増えているという。特に 10 代に多いのだが、こうなれば我が国も、もうどうしようもなくくだらない国である。物を食べながら歩くと言う事がどういうことなのかを理解できないというのではなく、そもそも知らないというのでは、全く話にもならない。
いい年をして、食欲という欲望を公の場で抑えられぬ賤しさというのは、いったいに教えられなくとも分かろうというものである。それなのに、これはいったいどういうことなのか。嘆かわしい、というにはあまりにも深刻すぎる話である。
そもそも、常識とは、という事を以前触れたが、彼ら自身、欲望をむき出している事について不快感がないのだから、他人が不快感を持つであろうことを予測できるわけがない。その上、誰かが教えたとしても、常識は移り変わるものだとかなんとか抜かして聞く耳を持たない。不快感を持つ人がいる、ということは耳に入らず、自らの常識を疑われた、と思い込み、それに激しく抵抗してくる。まことに、面倒な人々である。おまけに、移り変わるには、それなりの社会の合意が必要である事が全く分かっていない。社会に出てくると、社会が間違っていると叫ぶ。社会の一員としてという立場が、分からないらしい。
本音を言えば、彼らだけの世界で生きていてくれれば、なにも言う事はない。私どもはそちらの世界に入り込もうとは思わないから、どうかこちらの世界に興味を持つなと言いたい。だが、これこそ非常識というもので、そんなことが出来るわけがない。
一人一人を見れば、いい人々なのだが、それだけでは不足なのである。生の人間としてだけで生きて行けないことを、もう少し考えてみてはどうか。

15, June 1999 (Tue)
今日は MSIME97 。二本目。
JR 東日本の今年度事業計画を見ていて、宇都宮線および高崎線の名前を見つけた。それによると、コストダウンとメンテナンス簡略化を目指した新形式の近郊型電車に導入するとある。同書で触れられている路線は輸送力増強が主眼であるのに対し、ずいぶんと奇妙ではあるが、企業の本音が出てしまったと解せない事もない。当然だが、企業は金にならない事はやらない。また、同書では触れられてはいないが、アウトラインのほうでは同線に「新型通勤電車 (4 扉 ) 新造」とある。来年度以降ということになっているが、通勤電車と言っているからには、おそらく小山あるいは篭原以南での運用ということだろう。これは実に待ち遠しい事である。
話がずれるようだが、両路線を利用していて痛烈に感じる事は、いつに乗車マナーの悪さである。大宮まで並行して走る京浜東北線と比べなくとも、絶望的にマナーが悪い。特にこの路線で目立つのは、酒である。人があふれんばかりの混雑の中で平然と酒を酌み、酒のにおいを撒き散らし、かつ大声でわめき散らす帰宅客の何と多い事か。また、他の乗客なぞお構い無しで通路に座り込むものもいる。トイレの中で煙草を吸う高校生に中高年。トイレを巣の様にしている人もいる。よほどトイレが好きなのだろう。まことに、すさまじい。携帯電話に至っては、これは東北線や高崎線に限った事ではない。まあ、これは JR の責任ではない。
ところで、ドア付近は身動きできぬほどに混雑しているにもかかわらず、車輌中央部付近はだいぶ余裕がある。こんな事態をよく見かけるのだが、なぜかと言うと、この路線は未だに通勤時間帯だろうが日中だろうが、そんなことはお構い無しに三扉のクロスシートの車輌が平然と入線してくるからである。驚くなかれ、 200% を優に超える混雑率であるにもかかわらず、未だに四扉の車輌が投入されていないのである。かと思うと、下り車輌にはロングシート車がゆるゆると走っている。もっとも混雑する時間帯に、である。上りがロングシートではない事は、仮に黒磯から来た車輌であるなどが考えられるから、別に構わない。下りがロングシートである事については、多少不思議でなくもない。もっとも輸送力が必要な時間帯にあそばせておくのはもったないなく思うが、そこはそれなりの理論があるに違いない。だからそれはそれでいいのだが、ちょっと詰めればいいのに通路の真ん中で頑張って通せんぼをする人々のおかげで車内の疎密がまちまちとなっているのは、よろしくない。ドア付近で悲鳴を上げる人も出ているのだから、尚更である。
だが、マナーが急に向上するとは思えない。それに、そもそも三扉のクロスシートでは、むしろそうなって当然かもしれない。入り口付近に固まっている人々がまず乗車を阻害し、乗車できた人がさらに奥にすすもうにも、途中で動脈硬化を起こした血管にへばりつく脂肪のように頑として奥に詰めようとしない客がそれをはばむ。そして、シートが通路そのものを狭めている為、ますますへばりつく人々がでてくる。というよりも、へばりつかざるを得ない。手すりも吊革も、古い車輌には入り口付近にしかついていないのである。従って、大揺れにゆれる東北線・高崎線で転ばぬ為に、奥のほうに入った客がなにをつかむかと言えば、シートの背にある取っ手しかない。一度つかんだら放したくないのはもっともである。なぜならば、また再びつかめるとは限らないからである。そして、取っ手は、普通、ドアに近いほうから埋まって行くのである。かくして、中はスカスカ、ドアはギュウギュウ、と相成る。こんなことは、当然すぎるほど当然である。マナーだけの問題ではない。
従って、一般的には多扉の車輌が導入される。ドアが多くなれば、乗降がスムースかつ迅速に行われる。さらに、大概においては、ロングシートが採用される。これで、車内の乗客が柔軟に配置されるようになる。また、最大輸送人員そのものも増加する。特に通勤線を名乗る路線はそうなる。むしろ、ならざるを得ない。これが甚だしくなると、京浜東北線や、山手線のように、 6 扉無席車輌までが導入されるようになる。
結局、東北線・高崎線も通勤線化している。特に、小山以南は通勤線以外の何者でもない。であるならば、一般的には複々線化されたり、運行密度を高めることになるのだが、実はもうこれらの路線のキャパシティは限界に達してしまっているのである。つまり、抜本的な対策を取らないとすれば、もはや策はない。
ただし、車輌そのものをどうにかする、という手段がある。上野−大宮間を三次元的にするなどと言った大規模な対策もいずれは必要になるかもしれないが、すぐにそれを行うことは全く不可能である。長期的視野に立ち、東京駅乗り入れや東海道線との直結なども取り入れて行くことも考えられるが、 10 年単位で図らねばならないこのような大規模な計画が、もし策定されたとしても、現今の輸送対策には意味をなさない。
そこで、車輌の改良となる。
だから、いまから待ち遠しい、と言うわけである。
ここからは余談だが、 おそらく E217 系の後継であろう。導入されるのは 209 系の 950 番である、とした記事が、地元紙に載ったと言う情報があったが、実は 950 番台などというものは試作車をあらわしている。 209 系というのは、あの京浜東北線でおなじみの、 209 系のことである。実は最近の新型車輌はすべて 209 系の改良型なのだ。したがって、実際には別の番号になるわけだが、更に言えば、まず常磐線をはじめ、東海道線や総武線快速で運用されている車輌の改良型が導入されるであろう。となると、 E217 系の改良型、と言う事になろう。このことは、コストの面から見ても有利である。同型種を大量導入すれば、スケールメリットを得る事が出来るからである。至極当然の成り行きだと思うのだが、実際はどうであろうか。
また、 4 扉と言う事は、乗車位置が変わる。
総武・横須賀線快速などは、電光掲示板などによって、次に入線する電車が 4 扉なのか 3 扉なのかということを乗客に知らせている為、整理乗車も割合スムースに行われているが、東北線・高崎線にはそのようなシステムを導入している駅はほとんどない。新幹線停車駅であるところの大宮にすらない。経費と時期的な事を考えると、おそらく ATOS 導入と同時におこなうものと考えられるが、そうであるとすれば、新車両投入はまだ先の話であるような気もしないでもない。早くとも、埼玉の新駅の供用開始以後となるのではないだろうか。
それに、所詮、人口の少ない路線を走るため、費用対効果を考えれば、あんまりやりたくない、と言うのが実状であろう。特に、JR東日本には中央線と言う巨大な問題を抱えた路線の改善が急務である。また、常磐線や総武線も引き続き輸送能力の増強を図らねばならない。まことに課題は多い。
だが、沿線住民としては、実に待ち遠しい。
話題がかわるが、また JR 東日本の話である。
2001 年度から、ついに IC カードのイオカードや定期券が実運用に入ることになった。それに先立ち、来年から、試験運用がおこなわれる。改札機に当てるだけで出改札が可能となるのである。これは非常に便利である。かなり改札口の混雑が緩和されるであろう。また、 IC カード化された定期券には、イオカードの機能が付加され、かつ入金すれば何度でも使えるという。
面白いのは、現在自動改札機を導入している駅に対して、一斉に一括してシステムを導入する、ということだ。逐次使える駅が拡大する、ということではない点に注意したい。つまり、 300 以上の駅で翌日から IC カード定期券が使えると言う事である。逐次導入だと混乱するだろうと思っていたのだが、まさか一斉にリプレイスするとか思いにもよらなかった。
以上、 2 つの混雑に関する JR の取り組みについて触れてみた。

15, June 1999 (Tue)
今日は MSIME97 。
寝不足、口内炎、胃のもたれ。まことに不摂生の報い。おまけに、定期券をどこかに忘れた。一往復で二食分の費用、という考え方をする程度に消沈気味か。
さて、北海道で包丁を振りかざして向かってきた男に警察官が所定の手続きを踏んだ上(警告、威嚇射撃等)発砲したというニュースがあったが、警察官の行動は支持されていい。弾は犯人の肩を貫通し、命の別状はない。
それよりも、このようなニュースがニュースとして扱われることは、喜ばしい、と言いたい。我が国の治安のよさを暗に示しているということだと考えられるからである。なぜならば、このような犯人は射殺されて然る社会も多く存在するし、そもそも、この程度ではニュースどころか話題にもならない国も多い。事件そのものは遺憾ではあるにせよ、喜ばしいと言いたいわけはここにある。
橿原で飛鳥時代の庭園が発見されたが、中でも流水装置まで備えた園池が興味深い。古代の日本の草深さを思いつつ、しかしこのような庭を作るような文化も受容されていたわけだ。ほとんどの黔は竪穴式の住居に棲んでいたはずである。そのような風景の中で、このような庭園を具えた都のきらびやかさはどうであろう。朝鮮半島や大陸から移入してきた人々の活躍を窺い知る事が出来る。彼らは、高度な技術も具えていた。このような庭園も、また彼らの影響であった。我が国の庭園文化の原形が、ここにある。

3, June 1999 (Thu)
今日は MSIME97 。もう 6 月である。速い。
さて、昨日は電車の中で大酔を発してしまい、気づいたときには熊谷であった。
社内で慶事があり、その寄り合いを行ったのだが、ここ数日の寝不足に加えての久しぶりのビールに、たまっていた疲れを全部吐き出させられたらしい。珍しい事である。
電車の中で間もなく熊谷に到着すると言うアナウンスを聞いたときには、まだよかった。下り電車を降りる前に、上り方面の電車もホームから出線しようとするのが見えていたからである。そこで、次の上り電車を待つべく、上り線に乗り換えようと袴橋にあがると、先ほど見えていた電車が上りの最終だったらしい。
これには参った。しかし、いくらないても叫んでも始発電車が出るのは翌朝 5 時 13 分である。それまで待つしかない。家に電車を乗り過ごして帰れなくなってしまった旨を連絡をした後は、生憎持ち合わせもなく、ただひたすらに始発電車を待たなければならない。よほど暇で、眠くもあったが、 4 時半に券売機が発券を開始した直後に切符を買い求め、改札が開くやホームに出た。
普段、現金を持ち歩かない私にとって、乗り過ごした分の電車代も危ないところであった。たまたまそれに足りたから良いようなものの、さもなければ、改札をすら出る事が出来なかったであろう事を考えると、多少ぞっとしないでもない。
それにしても、熊谷駅から下る車窓の風景は、なかなかに明媚なものである。また、ひどく懐かしい眺めでもある。東京からたった一時間のところに、忘れていたような世界を垣間見る事が出来たようでもあり、多少の慰めを見出す事が出来たのは、拾い物であった。 もっとも、これは転んでもただでは起きぬほどの吝嗇さによるものであろうか。
これだけのわけの分からない行動をとっておきながら、出社したら抜けしゃあしゃあと普段どおりの顔つきで仕事をしている。内実、酒と眠気が抜けていないのだが、それを他者に悟らせないところに自虐的な快さを感じないでもない。
今日は早く寝る。


    過去の徒然
  1. 平成8年4月1日(月)〜平成8年10月2日(水)まで
  2. 平成8年10月6日(日)〜平成9年3月3日(月)まで
  3. 平成9年3月5日(水)〜平成9年5月7日(水)まで
  4. 平成9年5月19日(月)〜平成9年12月24日(水)まで
  5. 平成9年12月25日(木)〜平成10年6月15日(月)まで
  6. 平成10年6月16日(火)〜平成10年6月21日(日)まで
  7. 平成10年6月22日(月)〜平成11年5月31日(月)まで


<ホームページへ>
Copyright © MCMXCIX - MMII Ayumi Matsuda All rights reserved.