四部合唱・インターナショナル




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なんで今ごろ合唱なのか
昔、初等、あるいは中等教育を受けていたときに経験した人も多いでしょう。合唱コンクールとか文化祭とかそういう季節にやった覚えはありませんか?あれです。決して合掌ではありません。どちらも主にするのは秋と相場が決まっていますが、決定的な差違があるので要注意です。
まあ、当時は合唱の楽しさなんかわかりませんでしたから、適当にやってましたが、さすがに小中高とやっているとだんだん楽しさが分かってくるようになりますね。で、最後の最後、高校2年だったかな?3年かもしれませんが、それを最後に合唱なんてする機会なんかぱったりとなくなるわけです。そんなわけで、もう何年も合唱なんてやってないよということで、突然やりたくなるんですね。
インターナショナルって?
深い意味はありません。ただ、合唱は万国共通なのではないでしょうか。合唱のない文化や文明があるでしょうか。合唱のない国があるでしょうか。私はそんなところを知りません。かならずところ変わっても合唱があります。そんな意味で、なんとなくインターナショナルです。あまり深く考えないでください。
何がそんなに楽しいの
やはり何が楽しいといって、みんなで歌うというのは楽しいでしょう。楽しいんです。大体、合唱なんて団結を強固にするとか、そういった政治的な理由以外には楽しいから、ということくらいしかないでしょう。大声だして町中を困らせるべきだ、とかそういうのが楽しい、なんてひともいないでしょう。結局、みんなで歌うということが楽しいからやるんです。それ以外に理由なんかないんです。それにまた練習してるときもなかなか楽しいんですよね。大体、ただ歌うためだけに人が集まり、練習し、そして歌う。こんな能天気な楽しみかたなんかそうざらにはないと思いませんか。カラオケ屋なんぞに小グループで行って他人が歌ってナルちゃんになってる間に次に自分が歌う歌をページをめくって探してる、なんてのとは次元が違うような気にすらなってきます。それに、練習を重ねて重ねて重ねた末の本番の合唱を迎えたときの緊張感、歌い終えたときの達成感、これらは、カラオケなんかでは味わうことができない喜びであり、楽しみです。合唱はあくまでも集団を作って行うものですが、合唱のすばらしい、あるいは恐いところは、個人個人の意識を高めてゆかなければ結局は集団としての合唱は失敗するということなのです。結局、個々の構成員の自分との戦いの集合体が、合唱団になるのです。個々の構成員が、他の人がうまく歌ってくれるから僕はまあいいや、と思いはじめたら、その合唱団はおしまいです。つまり、先ほど自分との戦いといいましたが、さらに全体と個人の戦いでもあるわけです。なんか、 All for one, one for all とかいう言葉がありましたが、そんな言葉を地で行ってしまいます。これほど緊張感を醸し出しやすい構造体もないんじゃないですか?そして、緊張感が高いほど、成功したときの達成感は大きくなることは間違いなく、達成感は喜びを引き出します。
だがしかし
そうは思っても、なかなか四部合唱などできません。仮に近くにクラブがあったとしても、入る余裕なんかないんです。あったらとっとと入って歌ってます。それが現実です。では、それが現実なら仮想世界で歌えばいい。なるほど、その手があったか。仮想四部合唱。なんて空しいひびきなんでしょう。空しすぎます。やっぱりやめましょう。
でもやっぱり
そう簡単にはスッパリとあきらめ切れるものではありません。未練たらたらです。そこで、これぞ!という解決策をお持ちのあなた、下のフォームをつかって、そっと私に教えてください。そっととは言っても、応募されたアイディアはこのページで公開されます。


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