徒然苔


吉田さんに倣って日々の徒然を綴ることにした。徒然じゃないときは綴らないので日記ではない。
( 実質は日記である。 )



24, December 1997 (Wed)
今日は MSIME97 。クリスマスイブだが、縁がない。
最近、ゲームを買い込んだ。プレイステーション用のゲーム4本とパソコン用のゲーム1本なのだが、その中でも電車でGO!というゲームは面白い。JRグループはとても好きになれない鉄道会社だが、これはこの際関係ない。山手線に快速を導入すべく有楽町を通過しても、ATSによって緊急制動をかけられてしまうのは多少悲しい。ATSはまだ実車では切れるはずであることだし、ゲームなのだからもう少し自由度があってもよさそうだが、これはそういうゲームではないのだろう。それに、先日もATSを切っていて列車を衝突させてしまうという事故もあった。ちょっとこの試みは不謹慎かもしれない。きちんと停車位置を寸分たがわず守る運転士さんに敬意を表し、私もきちんと運転することにしよう。
パソコンのゲームはマイクロソフトから出ているクロース・コンバットというゲームで、これは前作もプレイして相当面白かったので今作も購入した。今回は実にハードなゲームに仕上がっている。第二次世界大戦のオランダを皮切りに史実に基づいた設定で連合軍乃至ドイツ軍の司令官となり数個小隊や分隊を指揮するものなのだが、史実通りであるだけに補給は乏しい上に敵の抵抗も頑強である。おまけに、司令官(私)が無能なために部下が次々と敵の銃弾に倒れて行くさまは正視に堪えないほどである。
かわいい部下が自分の無能のために無残に殺されて行くさまを見つつ、愚劣な作戦を性懲りもなく繰り返す。確か日本にもこんな時代があった。ゲームですらこんな気分になるというのに、どうして昭和の参謀本部はあんな愚劣なことを続けることが出来たのかと考え込んでしまった。あまりにひどい結論しか思い浮かばなかったので気分が悪くなってしまった。口に出すにも憚られる。
話題がかわる。
このファイルも100KBを越え、今年もあと1週間しか残っていない。そろそろ本年の総括をしておこうかと思う。
私にとって、今年はどうだったかと改まって考えてみた。2月から自社勤務になったのが大きな出来事であった。おかげで通勤時間は30分未満である。馬鹿みたいにぎゅうぎゅう詰めの日比谷線や京浜東北線に乗らなくて済むというのは実にありがたいことである。今考えてもまるで夢のようだ。殺人ラッシュの私鉄で3時間近くかけて通っていた頃を思い起こすと、もはや人間業とは思えない。
東京に帰ってきて、ニフティサーブのCBシミュレータに本格的にはまりだしたのも今年からである。それまでもCBシミュレータへは半年ごとに行ったり行かなかったりしてはいたが、基本的には草の根専門だった。まあ、ついに落ち着くべきところに落ち着いてしまったという感が強い。たまに IRC などもやることはやるのだが、CBの深夜帯は年齢層が高い点で気に入っている。気に入らない点はただ一つ、料金が青天井であるということだけだ。
このホームページに関して言えば、CGIを使えるプロバイダと契約したことも挙げられるだろうか。もっとも、CGIを有効活用しているかと問われれば沈黙するしかない。折角自動化したおばかフォームもあまり告白者がおらず、会議室も閑古鳥が啼いている。第一、私本人が書いていない。
四国初上陸も記念すべき出来事だった。大歩危の美しさには目を瞠った。河原で拾った石ころも大切に保管してある。もちろん単なる石英の塊なのだが、なにやら由々しげなのである。また、京都御所初潜入も果たせた。仙洞御所は公開されていなかったが、その後気をつけてNHKなどをチェックしていると案の定、仙洞御所についての番組を放映したのでしっかり録画した。江戸時代のものだったのですな。
マイナス面はというと、今年は金遣いが荒くなった。MDやら携帯やらリブレットやらを購入したのもその一つの現れである。必要のないものに大枚をはたくことに言い様もない快感を感じるようになった。酒量も増えた。ビールなどは500ml缶を箱ごと買わないと間に合わないほどだ。一日の喫煙本数も増えた。体重も増えた。より怠惰になった。ますます馬鹿になっている。
さて、出来事やらを列挙してみたが、結局はまた一つ歳を重ねるくせに精神的な成長を認めることが出来ないというところに結論が落ち着いたようだ。
メリークリスマス。

19, December 1997 (Fri)
今日は MSIME97 。
私事だが、17日にリブレットを検討中と書いたのだが、実は書いた後すぐに買いにいってしまった。購入したのはリブレット70アプリケーションなしモデルである。大枚をはたいて買っただけのことはある。なにせこれまで私が使っていたノートの八分の一の容積、入れようと思えばスーツの内ポケットにも入るほどの大きさでありながら、性能ははるかにこれまでのものを凌いでいる。CPUはもちろんのこと、ハードディスク容量に至っては実に倍である。惜しむらくはFDDが本体内に収容できずメモリも最大で32MBと貧弱(これを増設しない人がいるのだろうか?最初から32MBにすべきであろう)であることであるが、FDDはどうでもいいとしてもメモリのこの最大値の少なさは痛い。今時32MBではせいぜいOSと周辺アプリケーションを動かすのがやっとで、最近の肥大化したアプリケーションの快適な動作を望むなら、せめて48MB、できれば64MBは欲しいところである。ここまで強力なCPU(Pentium120MMX)を搭載し、1.6GBものHDDを搭載したからには、既に「モバイル環境にここまでの装備は必要ない」などという逃げ口上は通用しないのである。中途半端はもっとも忌まれるところでもあるし、思い切りが必要だろう。特に20万も出して買うのだから、もう少し頑張って欲しかったと思わざるを得ない。もっとも、20万でこれだけのものを実現したという価格対性能比については、先と反するようだが満足すべきだろう。さらにいえば、スペック的には多少劣るもののリブレット60ならば10万そこそこで買うことができるのだから、文句を言うのは筋違いかもしれない。余談だが、私は現状ではこういった数あるサブノートのうち、モバイルパック2が価格対性能比から言えば最高なのではないかと思っている。これはPentium100のリブレットをベースに、メモリを増設したりNTT DoCoMoの携帯電話用のPCMCIAカードや別売のFDDなどをまとめてリブレット60の市場価格並みで販売されているものである。これはすべて別々にそろえると16〜8万程度になってしまうだろう。
機種選定にあたって検討したのは実はリブレット20だった。メールの読み書きやこのような徒然苔を書くような用途が大部分である以上、スペック的にはそれで十分だと思ったからである。リブレット20ならば6万程度で入手可能であるという点も実に魅力的であった。しかし、実際に店頭で見てみると、リブレット70の大きくなったキートップが実に魅力的に見えてきたのである。キーボードはコンピュータを使用する上で最も重要であるにもかかわらず、ノートだからという理由だけでこれまで蔑ろにされて来たようにも思えるのだが、リブレット70ではそれが改善されていたという点で私は高く評価した。また、バッテリ駆動時間もリブレット70になって半〜1時間ほど増えたという点も評価が高い。バッテリが1時間や2時間少々しかもたぬならば、これまで使っていたノートマシンでは十分ではないにせよ間に合わせるべきだし、出費する価値はない思っている。だから、標準でバッテリ駆動時間が2〜3時間を実現したということは大きいのである。この2点が結局私をして20万を握り締めて店頭に向かわせしめる結果となった。店頭にはさまざまなノート、サブノートが展示されていて、どれもこれもすばらしいものだが、リブレットの対抗馬となるのはおそらく日電のものだろう。これはリブレットよりも1,2まわり大きく、液晶もSTNを採用していて見づらいのだが、それでもリブレット70に比べてCPUは同等、メモリは倍、しかも販売価格が4,5万ほど安く設定されており、なかなか魅力的な商品に仕上がっている。実を言うと多少迷ったのだが、先にあげた2点、つまりキーボードおよびバッテリ駆動時間のどちらともリブレットのほうが優っているために購入はしなかった。大体、リブレットよりも大きくてもよければ、富士通のBIBLOやソニーのVAIOを買ったほうがいいのではないかとも思うが、それぞれ好みもあるはずだし、もし私のような目的でこういった商品を検討している人がいるなら、是非対象に加える事をお勧めする。
しかし、ノートを買うたびに毎回思うことがある。よくもまあこれだけの大きさでデスクトップマシンを凌ぐ性能を発揮するものだ、という詠嘆がそれである。詠嘆というよりも悲嘆に近いかもしれないが、これは昔PC9801NS/Eを購入したときからずっと変わらない。特にNS/Eの場合は当時持っていたデスクトップと同等またはそれ以上だった。次に買ったノートもデスクトップには優らぬもののしかし悪いというほどでもなく、このリブレットもまた然りである。言い忘れたが、現在リブレットのインストール結果の確認とキーボードに慣れるためにリブレット70でこの徒然苔を記述している。まあ、これは余談だが、実に毎度毎度ノートマシンは私に驚きを齎す。基本的に私はデスクトップマシン(カスタムメイドのメーカー品などは私の眼中にない。即ち自分でくみ上げたAT互換機を指す)の自由度の高さをこよなく愛しているが、完成度の高いノートマシンもまた、閉じた世界の楽しさというものを私に教えてくれる。これはもしかするとM的な快感なのかもしれないし、あるいは区切られた環境の整理しやすさに対する快感なのかもしれない。ややもすれば比率はどうか分からないが両者ともということも十分考えられる。まあ、どうでもいいことだが。
さて、私事ついでにインストールについて触れたい。私の場合、既にノートマシンを持っており、赤外線ポートを経由してLANカードのドライバのインストールを行おうと考えていたのだが、この目論見は見事に外れてしまった。リブレットにはマイクロソフト標準の赤外線ドライバが付属していないのである。これではどうしようもない。結局有線(シリアルによる)でドライバをデスクトップマシンから転送するという方法を採らざるを得なかった。実に遺憾である。OSにケーブル接続によるファイル共有が標準でサポートされていなければFDDなりHDDをたかだかデータの移送のためだけに導入せねばならないところである。また、リブレット70のOSがOSR2.1ということで、デスクトップではOSR2を使ったことはあるものの、ノートでは初めてだったのでいろいろな手違いが生じた。最も困ったのがLANカードのインストールである。プラグ&プレイでインストールしても動作しない。結局これは情報をすべていったん削除し、このLANカードメーカのホームページから最新版のドライバを入手することで事無きを得たが、マイクロソフトはなぜこのような形でユーザを惑わせることに血道をあげるのかさっぱりわからない。モデムカードについてもカード付属のドライバは受け付けなくなってしまっている。たかがインストールだが、実際にやってみると丸々一日かかってしまう。ソフトウェアをインストールすだけではなく、自分の好みの環境に仕上げなければならないからだ。当然そのインストール作業は自分の使いなれていない環境で行うわけだから能率も芳しくない。
まあ、いくら愚痴ったところで作業が捗るわけもない。どうせ衝動買いである。急いでインストールすべき理由もないのだから、せいぜい気長にやるのが良いだろう。当分使う予定はないのだから。

17, December 1997 (Wed)
今日はことえり。
師走も半ばを過ぎた。世間ではテレビ番組による集団癲癇事件やら姉弟喧嘩による姉殺害事件やら囂しいが、私の方はといえばせいぜい年末の旅行先のホテルが1日しか確保できないくらいで淡々としたものである。
前回の徒然苔で携帯電話がどうのこうのという話をしたと思うが、結局買った。ついでにデータ通信キットも購入してみたが、なかなか良好な使用感が得られたようであるので今度は現在使っているノートにかわるサブノートが欲しくなってきた。今のノートは重量その他を度外視するにしてもバッテリが10分少々しかもたないのである。デスクトップに置きっぱなしで使っていたこれまでの状況からすれば全く問題はなかったのだが、しかしこれではモバイルも何もあったものではない。リブレットに大容量バッテリを搭載すれば3、4時間もつらしいので、現在検討している。OSにWindowsCEを搭載している機種も検討したが、値段的には相当アドバンテージがあると思われるものの、やはり使い慣れたツールを使えないのは痛いところである。結局はリブレットのどのモデルを買うかという所に焦点が絞られてきているようだ。
携帯電話は NTT DoCoMo (松下) の P205 を購入した。焦って203系(京浜東北線とは関係ない)を買わなくて良かった。最新機種で、縛りなしと言うこともあって安値の平均からすれば倍額という結構な値段ではあったものの、価格対性能比を考えるとそれでも割安感を感じられる。特に便利なのは漢字を使用することが出来る点である。これはいい。
ここで一つ告白したい。携帯電話は便利である。私はこれまでこんなにも便利だとは想像だに出来なかった。対人関係が疎である私にも割合連絡が入るので大変驚いている。持つならもっと早くもとべきであったと今更ながらにして思う。やはり実際に使ってみないと判らないものである。
話が変わる。
この徒然苔の中でも佐川急便についてはたびたび触れていると思うが、ついに黙って我が家のドアを開けて入るという快挙を成し遂げた。はっきり言って私は未だに信じられない思いである。どこかの寒村の大きな屋敷なら黙って門をくぐりもしようが、我が家は日本の首都にあり、しかもたかだか1部屋しかないアパートなのである。チャイムも正常に機能している。ドアは幸い木製で、ノックすれば室内に来客があることを知らせることも出来る。通常、このようなことはあってはならないと思うのだが、どうも私の常識と佐川急便の常識とは全く相容れないものがあるようである。そもそも、住居は遥か昔の不入の権を源とした主人の許可なくして無断で立ち入ってはならないという慣習が日本にはあるはずである。客商売のはずが客の機嫌を損ねるようなまねばかりするこの会社はいったい何なのだろうか。ただ驚く。

8, December 1997 (Mon)
今日はことえり。前回の徒然苔の日付が12日になっていたが、これは4日の誤りである。ここにお詫びして訂正する。
さて、その4日の徒然苔の続きである。携帯電話のプレゼントに申し込んだという話だったと思うが、この会社、 NTT DoCoMo と ASTEL から「指導」を喰らってプレゼントすることが出来なくなったそうだ。事前に確認を行わない点では実に面白いものの、こうなってくるといらぬはずの携帯電話が欲しくなってくるから厄介である。そのため、 P205 の価格を見に量販店に行ってみたところ3万円弱であった。こんなもんに3万も出せるか、とは思うのだが、無意味であれば無意味であるほど無性に欲しくなるひねくれた根性の持ち主であるところの私は理性と煩悩の間で悩んでいる。
話が変わるが、ニフティサーブでもユーザにホームページを開設させるサービスを始めるらしい。私が選択している料金体系の特典として5Mバイトまでは無料なようなので堕落の園3号館にしようか、あるいは別のテーマを設けてみるか、考えている。

12, December 1997 (Thu)
今日はことえり。日を無意味に重ねているうちに気付けば師走になっていた。非常に虚しい。
最近、NTT から ISDN 回線で使えるディジタル電話機の新機種が発表されているのを NTT のホームページを見て知った。現在 S1000 というディジタル電話機を使っているのだが、この新機種というのが型番から言って S1000 の後継機種なのだろう。旧機種の登録ユーザにくらい案内ハガキの一枚でも送ったところで悪くあるまいと思うのだが、 JR の次に親方日の丸体質が染み付いている民間企業であるところの NTT にはそこまで期待するのは無理な相談なのかもしれない。
まあ、日の丸だろうと二重丸だろうとなんでもいいのだが、この新機種は ISDN の普及に伴って需要の拡大が見込まれるためか、技術革新による低価格化の恩恵を浴したのか、 S1000 と同じ値段で留守番電話機能も附加されている。最近の電話機らしくナンバーディスプレィ機能にも対応しているようだ。
というわけで、早速注文をした。ようやく独り者らしく留守番電話が導入されるわけだ。ディジタル電話でなければならないという条件を満足しているので、躊躇なく購入することが出来る。
ただし、気になる点が1つある。 NTT の窓口のおっちゃん(専任課長だそうだが)ですらこの電話機の存在を知らないということである。売る気があるのだろうか。
まあ、それはいい。
電話ついでに、衛星電話対応という文字列に惹かれて携帯電話も導入することにした。但し、こちらはこんなもんに金を払うなど考えられないため、プレゼントしているところを探してそこに申し込んだ。検索エンジンで絞り込んで探したところ、いくつか見つかったが、旧機種や PHS などは腐るほどプレゼントしているのだが、新しい機種となるとなかなかない。まあ、いまのところまだ手元に届いていないので本当に貰えるのだかどうか判らない。別に貰わなくてももうものが来ないうちに飽きてしまったのでどうでもいい。詐欺なら詐欺で徒然苔のネタになろうかと思う。ついでに PHS も申し込んでしまった。馬鹿だ。こちらは一月ほど使ってみて解約する予定ではある。
大体、私に留守電も携帯もいらない。私に連絡をとりたがる者がいるはずもなく、万が一いたとしてもメールで用が済む。意味のないところに金を掛けるくらいなら早く給湯器を買えばいいのにと我ながら阿呆臭い。狭い部屋に電話機がこれ以上増えてどうするのだろうか。わけがわからない。

10, November 1997 (Mon)
今日はことえり。またレオン完全版を見たが、まだ飽きない。
明治の前半のころの世界は帝国主義が正義であるという気分が漲り、我が国も国土防衛の必要上韓国を開国させようとして征韓論が擡頭し、その旗手たる西郷が論にやぶれ、下野し、やがては西南戦争を引き起こしたことは周知の通りである。当時はロシアの南下を防ぐには韓国が自立して貰わなければ日本にとってロシアという超大国の防壁とはならなかったのである。今から見ればとんでもない理屈だが、韓国が日本のように西洋化してくれなければ兵を送ってでもそれをしなければならないというわけである。現代から見ればこの胸糞が悪くなるような理屈が、当時では堂々たる正義であった。それに猿まねの帝国主義が加わり変質しはじめ、いつの間にかグロテスクな鬼子が成長し昭和の陸軍参謀本部として成人し我が国が破滅したことは誰でも知っている。憲法を作ったはずの伊藤博文でさえ、個人としては戦争を常に回避しようとした人物ではあったが、それでも日清戦争当時からその自分の憲法によってしばられ、結局は軍の思惑通りの戦争となった。もっとも、戦争を始めることを決意した責任者は伊藤博文その人であったし、いったん決定した以上、あとは実務を受け持つべき軍に口を挟めないような憲法を作ったのも彼である。
その頃、アメリカも多少は帝国主義的気分によってハワイなどの他国からこぼれていた島々を拾ったりしていたが、基本的には米西戦争という現在のアメリカにも見られるような親切の押し売り運動があったもののモンロー主義と言われる、不干渉主義をとっていた。この少しの時期まではそのアメリカの軍隊は自国さえ守れればよく、将官はまれで、大将や中将はまずおかれなかった。ほとんどが大佐どまりで、たまに代将がおかれるという程度であった。かのペリーも代将で、階級は大佐であった。つまり、その程度しか必要ではなかったからである。余談だが、第二次世界大当時でもアメリカにはその気分が残っているのか、少将以上の大将や中将と言った階級は職に由来するものであって人に由来するものではない。例えば、アメリカの場合は、例外として大将のまま退役すれば大将と呼ばれるが、その職を離れれば少将に戻るのである。もちろん、解任された場合は大将を名乗ることが出来ない。現在はどうなのかは、残念ながら知らない。
維新後、西郷隆盛という維新の象徴ともいうべき人だけが一人陸軍大将という称号を得ていた。海軍には大将はいない。どうもこの人は大将というものを階級ではなく位階であると思っていた節があり、その証拠に西南戦争を決意したとき、「陸軍大将」の権威でもって熊本城の鎮台兵はもとより日本中の陸軍に命令を下そうとしている。征夷大将軍が武家の棟梁であったように陸軍大将も鎮台兵の棟梁だと思い込んでいたのであろう。
ところで、一部に自衛隊にも大将の称号を復活させようという動きがある。現在、陸海空将補は少将と同格で、陸海空将は中将と同格である。統幕議長あるいは幕僚長クラスを大将と呼びたいもののようだが、確かにここまで栄達したら大将と呼ばれたい気持ちは判るけれども、しかしながら専守防衛の軍隊にそこまで必要なのかどうか実のところ怪しく思っている。大体、いまさら大将もないのではないか。戦前の日本では中将になれば華族に列せられたりするなどして天皇の藩屏たるを期待されたりした記憶が甦ってしまい却ってマイナスイメージとなるのではないかと思うのだが、どうだろうか。現在の自衛隊は明らかに戦前の日本軍とは違うのであり、階級一つとっても違うのだというイメージを優先させたほうが、たとえ気休めにすらならなくても対外的にはいいのではないかと思うし、国内でも軍隊と聞くとあまり快く思わない人々が少なくないのだからデメリットが多いと思えてならない。大体、自衛隊は軍という建前ではないのだから、もろに軍隊を想像させる大将という呼称はなじまないように思う。それに、一度歯止めを外すと図に乗って今度は元帥だ元帥府を開設させよなんてことを言い出しそうで怖い。
ところで、防衛庁を国防省に昇格させようという動きもある。国防省という響きはよろしくないと思う。大体、世界各国、国防と名乗りながら侵略対外もろもろの戦争を担当しているのは国防省である。日本人に身近な国防省というとロシアおよび、特にアメリカであろう。アメリカの場合国防総省だが、この省は世界の警察の大元締で世界中に軍を派遣していることを日本人はよく知っている。だから、我が国の自衛隊も国防省となるからにはやっぱり世界中に出掛けていって引っかき回しはじめるのではないかと心配する人も多く出るはずである。それに、省に昇格することになれば、自動的に自衛隊の拡大闘争が始まるに違いない。省益を得るには自衛隊は大きければ大きいほどいいからであり、省益を追及しない省など考えられないからである。それに、このほど結んだ日米防衛協力ガイドラインの実態が明らかになるにつれ、外務ですらが勝手にこんな重大な条約を国民の代表たる国会に諮らず約束してきてしまうならもっと本質的に能動的である軍はすごいことをやらかすに違いないという危惧が濃厚にある。おまけに現在の橋本総理大臣は文民より武官の方が好きなようで、箍がどんどんすっ飛んでいる。もっとも、これはいままで制服組が不当に貶められていた面もあるために一概には批判できないが。
装備面でも専守防衛であるくせに空母を持とうなんて言っている人々がいることも不審をあおる。空母とは思い切ったものだ。国民は何も知らないと思って舐めているのだろうか。防衛力は過不足なく持つべきだが(もっとも、それが難しいのだが)空母はどう考えても防衛以上の兵器である。空母を持って、どこに浮かべるつもりでいるのだろう。
話がずれた。
大きくなった軍隊を持ったら使いたくなるのが人情である。大きすぎず小さすぎず、身の程にあった防衛力とはどのようなものなのかを論じる空気が稀薄だが、このままタブー視しているとどんどんおかしな方向へ進んでしまわないだろうか。右も左も極端なだけでは全く無意味だが中道だからといって正しいとも限らない。もう少し関心を寄せたいと思う。

6, November 1997 (Thu)
今日はことえり。便所の電球が切れた。
いつの間にか 11 月になってしまっている。言われてみればずいぶん秋めいてきているような気もするが、実は暦の上では明日から冬なのである。まったく街中で暮らしていると季節の変化がよく判らない。友人達と岡山から四国を半周してきたが、あまり秋らしくない。まあ、東京よりは随分と気温が低かったが。
四国で目に付いたのは三色のうち黄色しか点滅していない信号機の数の多さである。信号機を付けてみたまではいいものの、必要がないのだろう。なるほど、信号機などはよほどの交通量でないかぎり不要であるに違いない。いずれ交通量が増えてくれば青(緑)と赤も活用するつもりなのだろう。
香川県ではやけに不格好というか、見方を変えればこの上なく姿のよい山々が目に付く。いきなり平地に幼稚園の砂場で園児が砂を盛り上げたような形の山がぽつねんと佇立(佇立という言葉は用法が正しくないのは承知だが、しかし佇立と言う以外ないではないか)しているのである。それを横目に見つつ高知県へと近づいてゆけば峻険な山々が屹立している。まことに不思議な国であった。しかし、讃岐名物のうどんは美味であった。同行の友人いわく単なる関西風うどんではないかといっていたが、だからどうしたというのだ、讃岐うどんは讃岐うどんであって何ものでもない、という想いは禁じ得ない。その場その場を悦しまずしては損でもあろう。
徳島県と高知県の境にある国立公園の中に大歩危というところがあるのだが、これは実に美しいものである。生憎と紅葉はまだではあったものの川の流れは澄み、行く手には姿の良い景色が一杯に広がり、表現力の及ばぬ私にはまことに眼福であるとしか言い様がない。
高知県では飲み屋の娘さん(と呼べといわれたことについてはコメントはない)に聞いてみれば一升級の酒量がなければ勤まらぬという。噂では5合と聞いていたが最近の就職難で採用条件が厳しくなったものだろうか。ちなみに娘さんは二升だそうである。なるほどこの美味なる酒ならばとも思われるけれども、しかし並みではないとも思うのだが、さて如何なものだろうか。
土佐犬はブルドッグと交配して生まれた種だということを初めて知った。闘犬を見る機会に恵まれて観戦してきたが、雄々しさを通り越して実のところえぐさを感じてしまうほどに強烈であった。勇猛さではどの国にも負けぬことがこの一事でも印象づけられる。
そういえば、四国では一般的に納豆が食べられているのであろうか。土佐と讃岐ではだいぶ食べられているようだ。これは大変に意外であった。上方文化圏だとおもっていたが、食文化の一部は上方とは明らかに違うようである。
岡山県の倉敷市にある美観地区ではウダツを探したのだが、生憎見つからなかった。ウダツが上がらぬ、という言葉の意味を知ったときからずっと見たいと念じてきただけに多少心残りである。山口辺りには残っているのだろうか。いつか必ずこの目で見ようと思う。
最後になったが、今回を通して運転してくださった H 氏に感謝したい。車ならではの楽しみを享受することができたのは一に氏のお陰である。

24, October 1997 (Fri)
今日はことえり。2回目。
午前中に書き忘れたことがあります。実は先日、お金が600円ほど(だったと思います)普通の封筒を二重化したものに入れられて拙宅へ配達されました。内側の封筒には写真代として送ると記されていました。
この封筒、肝心なことに送り主の名前も住所も書かれていません。配達先として、私の旧住所が指定されていました。
私には金を貸した覚えが無く、受け取るべき筋合いのものであるのかどうかさえ判断がつきかねており、大変気持ちも悪いので心当たりの方でこれをごらんになった方は是非名乗り出て下さい。汚い字(失礼!)だったので送り主は男だと思われますが、筆跡にも心当たりがなく、旧住所を書いて送るくらいだから相当前に音信不通になった人に相違なく、ますます不気味さが増しています。
どうかこれをお読みになっていたら当方にご一報下さい。
尊敬するシャーロック・ホームズ氏にこの手紙の調査を依頼することが出来たら何といいだろう、と思ってしまいます。探偵学をかじったことのない私には実に難しい問題と成り果てています。
話と文体がかわる。
日本の対人地雷の全面禁止条約に対する態度の豹変ぶりについて各紙が報じていることはご存知の通りだが、新聞は一紙だけ読んでいると誤りやすいという好例にもなっているようである。例えば、A紙では条約に賛成したことを日本の英断だとほめたたえるばかりであるのに対してB紙ではアメリカの木偶とも言うべき日本の外交政策が、今回だけはアメリカを裏切ってもアメリカが総すかんを食っている現状では特に日本だけがアメリカに恨まれる事はないから大同に従った方が得策であるといううがった見方をしているものもある。
まあ、これまでの経緯はともかくも、この条約に賛成して悪いはずはなく、我が国の選択は正しいのだから文句は出ない。ついでに、京都会議の準備会合でのあの恥ずかしい提案を本会議では撤回して、是非アメリカの気息などうかがわずに二酸化炭素削減率の提示で世界の見本となれるような率を提案し、議長国として、そして世界に冠たる金満ニッポン(悪い言葉にはニホンよりもニッポンという響きが好ましい)の心意気というものを見せてもらいたいものである。そういった態度を示し続けることによって、初めて日本という国が立ち行くことが可能になるのではないだろうか。大袈裟でなく世界が海に沈もうというこの危機に際して、議長国たる日本のリーダーシップが強く期待される。現状のまま進むとすれば、まことに憂慮に堪えない。

24, October 1997 (Fri)
今日はことえり。
最近部下が辞めたということはここにも書いたとは思うが、戻ってきて今の仕事を続けたいというようなことを言い出したということに触れたかもしれない。これはその顛末である。
彼については仕事もいい加減だし彼を一人でおいておくと何をするか判らないために深夜まで彼がいたとしても一人で残しておくことが出来ないということが判っていながら夕方に会社に出てきて深夜まで作業するという(当然何人か残らなければならないことは言うまでもない)とんでもなく人を食った人間なので、正直なところ辞めてもらってよかったと思っていた。そもそも、仕事をおっぽり出して突然消えてしまうような人間に私はいてもらいたくないのだが、人手が足りないために私が慰留せざるを得ないのが非常に悲しかった。もちろん、いくら上長の命令でも私はいて欲しくないのだから積極的には慰留などはしなかった。仮に残ったとしても、私の下では働かせない、と上司には言ってあったので、残ろうが残るまいがもう私の知ったことではないと考えていた。ただ、会社のことを考えるとそうも言っておられず、消極的に(嫌な気分を味わいながら)慰留工作を行っていた。本人も、消える前まで続けていた仕事をやらせて貰えないなら続けたくない、と考えているようでもあり、私としてはもう一度消えて二度と姿を現さないでくれることを願わずにはいられなかったのである。多分、慰留に失敗したことで私の会社での評価はより下がるに違いないが、それでもこんな奴と仕事をするのは耐えられなかった。
彼が消えてしまった理由というのがふるっている。その彼の口から出た理由というのが「誰も友達がいなくて生活がむなしいから」というものであった。彼を知らずにこの台詞を聞いただけなら私もあるいは同情したかもしれない。だが、彼をここ数カ月使ってみて多少なりとも知っている私は、この台詞を聞いたとき、本当に縊り殺してやろうと思った。ただ、こんな理由で刑務所などに行きたくないから辛うじて押さえているだけで、どうせ刑務所に行くなら、もっとまともな理由が欲しい。仕事とはそんなことなどで放り出せるものでは決してないはずである。また、漫然と日を送っているような人間から、仕事も満足にやり遂げることが出来ない人間から出るような台詞ではないと思わずにはいられなかった。
そう思っていた。しかし、その台詞を聞いたあと、自分を振り返ってみたことは認めざるを得ない。友人がいないとは思ってはいないが(少ないがしかしいないというわけではない)、無味乾燥な生活を送っている事については同じだ。私も少し間違えばこのような人間になってしまうのかと思うと、背筋が凍るような気分を味わった。だが、毎日が充実した生活を送っている人がどれだけいるというのか。皆それに耐えているのではないのか。理想を追いかけるのもいいが、自分の本分を果たすことが先ではないのか。これから先も彼はまともな人生を歩めないだろう。そう考えたとき、うそ寒さが消え彼に対して憐れみのようなものを催したことは否めない。確かに彼の考え方はおかしいと思う。今でもそう思うが、彼を救えるのは現時点で我々しかいないことにようやく気づくことが出来た。救うという言葉は大袈裟だし、むしろ烏滸がましいく分をわきまえぬ言葉かも知れない。ともかくそれを行うのに対して私が一番近い距離にいたのである。そう思えるようになると、果然彼に対して好感情こそ沸きはしないものの慰留工作に力を多分に注ぐようになった。私は、何か一つでもやり遂げることを覚えさせることが、彼が放り出してしまった仕事をやり遂げさせることが、彼を救う道だと思ったからである。
だが、それも今では虚しくなってしまったようだ。彼にいくら説いても全ては徒労に終わった。せめて発つ鳥は後を濁さずということわざ通り自分の残した仕事だけでもやり遂げるように、と諭しても彼はそれにどんな意味があるのか理解できない様子であった。
結局、彼を救うことは出来なかった。今改めて手許にある彼の履歴書を読んでみると、ここで数社目であった。今後もまた数社、こういうことを繰り返してゆくのだろうか。今の私には、彼が一刻でも早く気付いてくれることを祈る他ない。
苦いというには苦すぎるものが残る。

23, October 1997 (Thu)
今日はことえり。
全く阿呆である私はチャットのしすぎでなんだか頭がおかしくなってきているような気がしてならない。
愚にも付かないことを延々と打鍵し続けるだけのことで、特に面白くはないかわりに特に詰らないというわけでもない。ただ、何年もし続けているうちに習慣と化してしまっているようなものである。実際、非常に恥ずかしい部類に属する習慣であり、なんの自慢にもならない事は言うまでもない。ちょっと気分転換などでやる分には恥ずかしいなどということはないが、私のように狂ったような時間をチャットに割いているとなると話は自ずから違ってくる。思えばなんの趣味もないから、これが趣味に成り果てているのかもしれない。不毛である。
判っているなら何とかしろという声が聞こえてくる。なるほど、もっともなことである。何とかすべきなのだろう。私は主に課金がかかるところでチャットをしているために、それに注ぎ込む金額を考えたら大抵のことは出来そうである。だが、世間に疎い私は何をすべきなのか、何が出来るのかさっぱり判らない始末である。馬鹿の見本と言えそうだ。
話が変わる。夢である。ここ数年よく見る夢なのだが、実に嫌な夢で、見ている最中もそれが夢であると判っているし、私は精神病なのではないかと戦慄きながら目覚めるのを今か今かと待ち続けるのである。待ち続ける間にも延々と夢の中でストーリーは進行してゆくのだが、判っているのにどうにもならないのでとても遣瀬無い気分にもなる。だが不思議なことに、起きてしまうとそういう夢を見たという記憶があるのに夢の細部を思い出すことが出来ない。これもまた苦痛である。これもまた、私が馬鹿であることに由来するものだろう。馬鹿でなければこんなことをウジウジと考える訳が無い。
今日の文章にも、意味はない。

16, October 1997 (Thu)
今日はことえり。東京は今日もよい天気である。
ゲルハルト・ベルガーが引退するという。ことしのドイツでは優勝しているし、何よりも私は彼が好きなので惜しい。確かに鼻の手術やご尊父の事故死で欠場が続いたが、それよりも三十八歳という年齢が引退を決意させたのだろうか。本当によい選手で、あの車両炎上事故からすら不死鳥のように甦ってきたのに、さすがに引退することは避けられないのは残念である。彼は引退しても長く記憶に残る選手である。
話題が変わる。
中国では飢饉の時に土を食べるという事があると聞き知っていたが、アメリカのノースカロライナ州やジンバブエにもそういう慣習があるらしい。それをカナダのトロント大学の研究チームが医学的な見地から土を食べる有効性を裏付ける研究を行い、十六日付でその成果を発表した。
それによると、中国での土食のサンプルについては飢饉の際に不足するといわれる鉄分、カルシウム、バナジウム、マグネシウム、カリウムが豊富に含まれていることが判明し、ジンバブエのサンプルからは市販の下痢止め薬の主成分である高陵石を検出し、また、アメリカのノースカロライナ州のサンプルには子供や出産適齢期の女性の健康に必要な鉄分とヨウ素が見つかったという。土をかつ喰らいかつ頬張る事によって健康ミネラルをふんだんに摂取することが出来るわけである。健康に関心がある向きは直ちに奔るべきである。但し、どの土を喰らっても豊富なミネラルが得られるという保証はない。
さらに話題が変わる。
マイクロソフトが配付している NetMeeting というアプリケーションをつかってインターネット経由での音声での会話をやってみたのだが、これがなかなか良い。ラグは片道一秒程度で気になるほどではなく、何よりもアプリケーションや文字による会話、画像等の情報を共有できる意義は大きい。まさかこれで直接向かい合っての会議はいらないなどと毛頭言うつもりはないが、電話よりは遥かに便利である。こうなってくるとますます動画像でもって双方向通話をしたくなるというのが人情ではあるが、 INS64 (NTT の ISDNサービス ) の 64K では苦しいだろうし、自宅からだとブースを設けなければ部屋の様子が丸見えで面白くない(それはそれで面白いという向きもあるだろうが)。
こういうものを使ってみて改めて思うのは通信網の貧弱さである。確かに通話網は日本全国津々浦々にまで行き届いているのだが、通信料(通話料)がやたらと高く、回線容量が低い。これまでこういった用途の需要が少なかったこともありそれは致し方ないのだが、今後はもっと大容量の回線を廉価で供給してゆかなければ日本は情報通信分野で世界に後れを取る。何を大げさなという向きもあるだろうが、インフラストラクチャとはそれを感じさせない空気のようなものになってこそ初めてその利用価値が増大するものであると私は考えている。逆に言えば、インフラストラクチャの整備の度合いを考慮に入れて物事を考えていてはどうしてもその考えが貧乏臭くなってしまい制限に制限を重ねたまことにつまらないものとなってしまう。なにか周りをあっと言わせるようなインパクトのあるアイディアは、こういった制限のある環境からでは生まれてきづらいのではないだろうか。もちろんそれを逆手にとったアイディアというものも出てくるだろうが、そういうものは情報網の発達によって廃れてしまう類いのアイディアに違いないだろう。そんなしけたものよりも、もっと将来に輝くようなアイディアを期待するには、こういうちんけな足枷を設けるべきではないと考えている。今、各界でそれを認識している人たちが急速に増えつつあるがまだまだ足りない。もっと我々もそういった動きに対して注意を向けて行くべきだろう。人々の関心の集まるところは必ず発展の度合いが高まるはずだからである。
余談だが、これに関連して今日十六日に郵政省が「電気通信サービスモニターへのアンケート調査」の調査結果を発表した。この調査は七月に千人を対象に加入電話、携帯電話の利用についての要望、インターネットの利用状況などを調査したものである。これによると、電話料金について高いと回答した人が 36.9% 、やや高いと回答した人が 42.8% となっており、約 80% の回答者が料金に対して不満を抱いている。また、各通信業者がさまざまな料金設定を用意していることに対しても 70.2% の回答者が「多様化よりも料金を下げて欲しい」と回答している。
以下は全くの私事である。
今秋の連休を使って岡山に行くことにした。あこがれの倉敷見学である。うだつが上がらぬという言葉があるが、そのうだつとは私の記憶に誤りがなければ防火障壁だったものが転じてまるで家屋の装飾品となったものである。是非そのうだつを見たいと常々思っていた。民芸の何たるかを私は垣間見なければならない。
なぜ倉敷かというと、大阪で大阪城公園駅の額を見逃した事が間接的な原因になっている(大阪城公園にまで行ってなぜ見なかったかというと前日に睡眠を毫もとれず、まともな判断力に欠けていたからだ)。なぜこれが岡山につながるのかわかる人はおよそ少ないであろうが、とにかくつながっている。
吉備団子でも食べてくるか。

15, October 1997 (Wed)
今日はことえり。東京はいい天気であった。
私は日本の発音としてニホンを好む。ニッポンだとスッポンやスッポンポンのようポンのところが非常に下卑ているうえに間が抜けているように思えてならないからである。それに対し、ニホンの場合は発音もすらっとしてスマートな感じがするし、得も言われぬ上品さが漂うような気がしないでもない。まあこれは多分気のせいだろう。注意して聞いてみると、 NHK などでは我が国の国号をニッポンと発音しているようだ。個人的には残念に思う。
だからというわけではないが、昨日よりアンケートをとることにした。現在合計四票が投じられているが、ニホンのほうが多い。もっとも、四票で云々するには気が早すぎる。
私の記憶が確かならば、国号の発音は明示的に定められてはいなかったように思う。要するにどっちでも良かったと思うのだが(さすがにヒノモトと発音する向きは少ないだろうが)、もし記憶違いであったら是非教えて頂きたい。まあ、私の記憶が正しいとすると、国号の発音が明確に決まっていないというこの現状が私にとってはとても愉快である。日本似非民主主義的国号であるとか日本的曖昧模糊の代表であるとか漢文本位主義の名残であるとか、色々な牽強付会が出来るのもまた楽しい。
だからどうした、といわれれば、一言もない。

14, October 1997 (Tue)
きょうはことえり。
先日蒸発した部下から連絡これあり、またここで働きたいとのこと。あまりの傍若無人さに眩暈を覚えた。
さて、10日から12日の間、連休をつかって大阪と京都へ行ってきた。東京駅のJR東海の駅前で京都行きの切符を買う段になって急遽飛行機で大阪に飛ぶことが決まった。私はこういういきあたりばったりのいい加減さが大好きである。喜び勇んで大阪行きの飛行機を確保して羽田を出発したのは、色々な手違いでもう真っ暗になってからであった。大阪到着後、宿が見つかったはいいが、運悪く友人の部屋も私の部屋も壁が薄く、右隣室の宿泊客が夜通し騒ぎ倒し、朝になると誰もいないはずの左隣室で工事が始まるという始末で結局一睡も出来ぬままで朝を迎えざるを得なかった。大変遺憾に思う。
大阪伊丹空港では大阪ならどこでも同じかと思って選んだ行き先がなんば駅であった。この選択は割合よかったのかもしれない。うわさに聞く千日前やら法善寺横丁、道頓堀を観光することが出来た。すっかり気分はお上りさんである。唯一、そこらの写真を撮ったはいいが生憎夜間でしかも私のもつデジタルスチルカメラの画質が非常に悪いためにかなり見難い写真となったことが心残りではある。
翌日はこれまた名高い通天閣や大阪城を見学し、その後京都へ私鉄をつかって移動したのだが京都などは友人も私も修学旅行以来初めてである。睡眠不足に加えてあまりに色々なところを回ったためにどこをどう回ったのか今一つ記憶が曖昧になってしまっているが、どうも知恩院や円山公園あたりをぶらついたのではないかとも思われる。確か清水寺では名水100選(10選だったろうか)の筆頭と自称する湧水も飲んだような気もする。
二日目の宿探しは危なかった。私はすぐ投げる性格なので、とある案内所に「今日の京都の宿泊施設は満員です」という張り紙が張り出されてしまうのを見るととっとと帰ろうと思ってしまうのだが、友人はその点賢かった。張り紙を出していない案内所を見つけ、そこでキャンセル待ちなのかどうかわからないがあいている宿を手配させることが出来た。おかげで京都の滞在日数が一日増えたのだから友人には感謝しなければならない。手配できた宿は二条城の隣にあり相当立派なもので、ますます感謝せねばならない。ところで、新しい京都駅は景観論争に火がつくのも当然かとも思わせる大変斬新なものであった。個人的にはこれもまた京都らしくて良いのではないかと思うのだが、さて。
翌日は二条城、御所、金閣銀閣を参観しつつまわったのだが、御所については秋の一般公開日に運良くあたり、御所内を見学することが出来た。京都御苑のだだっ広さにただただ驚かされつつ御所へ近づくと皇宮警察が入り口付近で手荷物検査をやっている。ボディチェックや身分証明の提示こそ求められなかったものの、やはり手荷物検査は気分の良いものではないが、悪心を抱く輩もいないとは限らないのでやむを得ないのだろうか。そういうことをしつつ御所内に入るとなにやら舞っている。これまた運良く舞を上演する時間帯にあたったようでずいぶんと目の保養をさせてもらった。
しかし、古文だったか日本史だったか、教科書に載っている御所の見取り図や説明と全く同じで、当然のことであるにもかかわらず感心してしまった。紫宸殿も清涼殿も右近の橘もなにもかもすべて習った通りである。歴史に興味が持てない子供たちを連れてきてこれを教材とするとこれをきっかけとして興味を持ってくれるかもしれない。やはり教科書に書いてあるのを読むのと実際に自分で歴史の舞台を見て歩くというのは違う。思い入れもあるいは可能かもしれない。もっとも、日本史がちょっとだけ好きな私の思い入れということでもある。
帰りは新幹線にしたが、日ごろの行いの悪い私は東京まで自由席で仁王立ちをせねばならなかった。二時間半で京都東京間を結ぶのはたいしたものだが、さすがに名古屋を過ぎてしまうとずいぶんつらかった。中には通路に座り込む人も出てしまう始末である。だが、私が引っ越す以前の住いから会社へ行く通勤に比べれば何程のこともない。そう思うことで気分的にはだいぶ軽くなった。気違いじみた通勤ラッシュもこういうメリットがあったかと皮肉っぽく考えているうちに東京に着いたが、皮肉というよりもあるいはひがみに近いかもしれない。
今回は紅葉までだいぶ間があるということもあり、多少それが心残りではあった。まあ、そんなこんなでいきあたりばったりの旅行の顛末を書いてみた。私と友人以外、特に意味のあるものではない。

1, October 1997 (Wed)
きょうはことえり。
突然蒸発した部下とようやく連絡がついて、話し合うことが出来た。プレッシャーに耐えられず逃げてしまったという。まともに向かい合うことも出来ず、うつむき、視線をうろうろさせていた。よく話を聞いてみると、単に働くのが嫌らしい。親元に帰ろうとは思うが、その後はまだ考えていないという。なるほど、親元に帰ってしまえば食が保証され働く必要がないので考える理由がないのだろう。こういう人間もいるのだ。以前も逃げ出してこの会社へ来たという。どこへ行っても同じことを繰り返すであろう。能力があるだけに、彼のためにも惜しまずにはいられない。が、命じられたとしても彼と仕事をこなすことはもはや出来ぬ。酷なようだが、我々も遊びでやっているわけではない。
さて最近、阪神大震災や重油流出事故をきっかけにして若年層のボランティア意識が高まってきているという。実際、東京消防庁では来春の職員採用試験への応募者が1万4千人を突破し、同庁発足以来最多の応募人数を記録し、その志望動機として、先の災害、事故発生時のボランティアの活躍を知り、人のためになる仕事を選びたかった、という理由が多く挙げられているという。
まことに心強いかぎりである。以前も書いたと思うが消防というのは、ある意味では軍隊よりも過酷な職業である。ごく自然に、強い公共奉仕の精神を保持してゆかねばならないということもある。時には命も危うい。この状況に対し、心温まるものを感じる。
話が変わる。
川崎市多摩区の生田緑地に建設している美術館を巡って、緑地に棲むキツネやタヌキを原告として公金支出差し止めを求める住民訴訟が現在東京高等裁判所に控訴中である。原告団の中には哺乳類だけでなくギンヤンマ、カネコトタテグモ、さらにはバラ科のワレモコウもいる。
第一審の横浜地裁は動植物には当事者能力がないという判断を下したが、代理人は「自然物にも当事者能力があることを主張したい」として、東京高裁に控訴した。代理人はさらに、高裁が自然の価値や、誰がどうやって自然を守るべきなのかということにどのような判断を示すのかも注目していると語っている。
非常に興味深い訴訟と言える。こんなことが日常的に起きてしまってはたまらないが、我々に自然とは何たるかを考えさせるためには素晴らしい効果を発揮するのではなかろうか。代理人もおそらくそれも目的の一つとしているのではないか。自然への関心が高まりつつある昨今、私も折角のこの機会に少し思いを致してみようかと思う。

20, September 1997 (Sat)
今日は MSIME97 。
たまに聞かれるのだが、書き出しに「今日はナニナニ」とある。このナニナニの部分は FEP または IM または IME などの、いわゆるかな漢字変換機構のことである。私は Windows95 では MSIME97 を、 MacOS ではことえりをそれぞれ愛用している。それだけのことで、別に暗号でも何でもないので安心してもらいたい。
さて、私宛てによく友情溢れる見ず知らずの人からのメールが来る。内容は、大抵「まずメール友達になりましょう」という文句が入っている。そんなに私に人気があるのかと言えばそういう訳であるはずがない。そういったメールに限って私が女性であることを条件に掲げているのである。そうでなければ是非お友達になって差し上げてもよいのだが、まことに条件に添えないことについて遺憾なことと強く思う。
要するに、私の名前から私が女性であると思い込んでメールを送りつけてくると言うわけである。このようなメールが余りにも多いので当園の筆者紹介にも男性である旨を明記したのだがまだだめらしい。メールアドレスに男である旨を記したほうがいいだろうか。どうでもいいが、見ず知らずの人にいきなりメールであゆみちゃんとチャン付けされるのは多少面映ゆいので確かに私の名前ではあるけれどもそれは勘弁していただきたく思う。もう少し知り合ってからにしてね。

17, September 1997 (Wed)
今日は MSIME97 。
兵庫県西宮市の甲子園学園小学校が、この小学校に通う姉弟二人を理由の説明もなく退学処分としたのは違法として、処分を受けた11歳と8歳元同校生徒の二人に退学処分の無効と慰謝料を求める訴えを神戸地方裁判所尼崎支部に起こされた。
訴えなどによると、両親は女児が同級生などからいじめを受けていることを学校に相談、いじめる側の両親とも直接話し合ったがその後もいじめは続き、同校長は今年六月父親を学校に呼びだし、姉と弟の二人の自主退学を要求した。父親がそれを拒否したところ、「辞めないなら強制退学してもらう」として、二人を退学処分にしたという。現在、公立小学校に通う女児は「いじめられたわたしがなぜ辞めなければならないのか」と話している。
これに対し、同小学校の西村幹生校長は「教育活動の問題が法廷に持ち込まれたのは残念だ。訴状の内容 を検討して対応を考える。」と話している。教育活動の問題だそうである。この話が本当であるならば、本当に教育活動の問題だろうか。そんなはずはない。教育活動を放棄したからこそ退学処分にしたのではないのか。放棄しておいて今更教育活動の問題と抜けしゃあしゃあと言い抜けようとするこの神経はどこから出てくるものなのだろうか。訴えどおりならこの校長は個人的にも罪を贖わねばならないはずである。もちろん、道徳的な罪(もっとも大きいのはやはり教育者を統べる校長という職にありながら周囲の期待を裏切り、それどころか幼い子供たちの人権を踏みにじった罪であろう。これだけで既に彼は救われない)は刑事犯とは異なるが、彼は職務を放棄した罪、責任を果たさなかった罪をも犯している。もはや弁護の仕様がない。
そもそも、彼は何のために校長になったのか。あるいは、校長職に就いたのか。金か?名誉か?成り行きか?少なくとも、子供たちや社会に対する責任を感じたことはないままにここまで来てしまったのだろう。私学ということで責任転嫁をしようとも考えただろう(そうでなければ退学処分に処せるはずがない)。これが教育者といえるのか。大人とすら言えまい。
最近はこのような問題がやたらと目立つ。一番大きな問題はやはり例の中学生による猟奇殺人であろう。容疑者の中学生に関してはこれまでも報道によると学校だけでなく親にも問題があったことはもはや疑いようがないが、特に学校がひどい。たとえば通り魔殺人がおきたとき「犯人は彼ではないか」と言った教師がいたと言う。彼とは自分の学校に通う、猟奇殺人を犯したと目されている生徒を指している。なぜこんなに他人事のように扱えるのだろうか。教育者としてだけでなく、ほとんど直截的な関係者とも言えるというのに。
もっとも、これは例としては極端かもしれない。この猟奇殺人はちょっと人間の理解を超えているところがある。しかし、いじめられた姉弟を簡単に退学処分にすることで問題を軽々と放り出すこの校長と自分の指導するべき自校の生徒を真っ先に疑うこの教諭の精神は実に不気味な多くの共通点を含んでいるように思えてならない。
おそらく、これは神戸市だけが異常なのではない。日本中の現場が狂ってきているのである。これまでもここで何度も触れてきたが、異常が多数派になれば、異常が異常ではなくなってしまうのである。自分がおかしな行動をとっていたとしても、全員がおかしな行動をとっているのだから気づくはずもない。それどころか、おかしな行動をとらない者までもおかしな行動をとるようになる。
もう、歯止めは利かない段階に入ってしまっているのかもしれないこの現代教育という鬼子を、どうしたらいいのだろうか。我々はもっと教育現場に目を向けるべきではないのか。すべて学校任せにしておいて良いのだろうか。

16, September 1997 (Tue)
今日はことえり。
釧路へ行った。空港で案内板を見ながらくだらないことを考えていた。つまり、東京では案内板に併記される外国語と言えば英語(アルファベット)である。九州では韓国語(ハングル文字)で、北海道ではロシア語(キリル文字)である。だからなんだと言われれば、返す言葉もない。
今月二十五日に打ち上げが予定されているスペースシャトル(アトランティス号)の乗組員が十一月に予定されている選挙にロシアのミール宇宙基地から不在者投票投票を行うという。
二年前に別の宇宙飛行士が宇宙に出てゆく前に不在者投票手続きを行うことを忘れたため軌道上から投票しようとしたが、当時のテキサス州の法律が米国の郵便を利用した場合にのみ不在者投票を認めていたため、これを行うことが出来なかった。今回は電子的な手段による投票が同州の立法府によって認められたため、NASAが開発した暗号化手順を用いて電子メールにて不在者投票を行うという。
この話は非常に興味深い。投票権の重要性を深く認識しているのはさすがというべきか。投票権を電子的な手段によって行使しようというこの試みは、既に連邦選挙者アシスタントプログラムがIBM, マイクロソフトとともに既に投票パッケージを開発しており、98年にはテストを行うという。この制度が普及すれば投票率もさらに上昇することだろう。日本の各選挙管理委員会もこの技術を導入し、各立法機関にこの制度の導入を働き掛けるべきである。自社の回線の利用率の向上にもつながるし、暗号その他も得意なNTTあたりが喜んで技術提供するに違いない。
日本では投票率がやたらと低い。地方議会の選挙など目を覆わんばかりである。こういう手段も導入してより選挙権の行使をしやすくすることも重要なことである。その一方で、より一層民主化教育をおこなうことは忘れるべきではない。我々選挙民も、投票権を棄てるということは自分の首を絞める行為だと深く認識するべきである。

9, September 1997 (Tue)
今日ことえり。
山梨県内の町立小学校の二年生を担任する教諭が態度が悪いとして男子児童数名を「病院班」として教室の最前列の席に集めるということをしていた。過去形なのは、このことが保護者に指摘され学校側が撤回、謝罪を行ったからであって自発的にこの教諭が告白したり改めたりしたわけでは決してない。これは想像だが、この教諭はおそらく何が悪かったのかも理解できてはいまい。ややもすれば最前列に集めたのが悪かったのだろうか、などと考えているかもしれない。仮にそうであったとしたら、相当なタマと言える。
この「病院班」というのはアタマがどのような構造で、そのアタマのどういった箇所から出てくる言葉なのだろうか。自分が教え導かねばならぬ児童らに対し、この教諭のアタマの中では、まずこの児童らが精神的に異常があり、隔離し加療せねばならないという仮定が成立していなければ「病院」なる言葉など出てこない。自分の預かる子供らをこのように扱う人間がいるとは驚きである。この際、この教諭が女性であるということは余り関係はない。仮に男性であったとしても、当然非難されるべき事柄であることは言うまでもないのである。
そもそも目に余る(?)児童を教室の最前列の席に集めるということ自身に問題があるという考えを持つ人も少なくあるまいが、それには私自身は与しない。むしろそうすべきであると考えている。児童四十人を一度に相手せねばならないし、第一四十人全員が同じ「濃度」で指導を受けても余り効果がない(言うまでもないが斑と言う意味ではない)。重点的に指導を受ける必要のある児童というのはいても不思議ではなく、むしろ居ないほうが不自然である。そういう児童を指導しやすいように教室の最前列、つまり教壇の目の前に配置することで効果的な指導を期待できる。ただし、指導する側が今回のような人間ではむしろ、悪影響の方が強そうではあるが。
子供相手に女王にでもなったつもりになってしまい、こういうトチ狂った人間になってしまうのだろうか。
話が変わる。
茨城県で埼玉県で発生したウサギ殺しを真似た事件で、窃盗容疑で補導されていた中学生四名が犯行を自供した。警察では窃盗事件での調子を終えた後、器物損壊容疑で家庭裁判所へ送致する方針だという。
彼等中学生どもが通っていた中学校の教頭の台詞がふるっている。曰く、「心の教育や命の尊さについて指導していたがこんなことになり残念」。
「心の教育」について教えられた人間が窃盗を犯すだろうか。「命の尊さ」について諭された人間がウサギを蹴ったり踏みつけるというような冷酷な殺害方法をとらせ、あまつさえ人目につきやすいように遺骸を配置するものなのだろうか。しかも四人のうちの一人が「埼玉県大宮市の事件を知り、常陸太田でもニュースになるようなことをやってやろうと思い、十九日深夜に遊びに来たほかの三人を誘」ったというこの異常性は、いったい何なのだろうか。こんなガキどもを指導するのは、あるいは、してきたのは冒頭にあげたようなはっきりと異常であることがわかる教諭であるということはまずない。いたって普通の教諭であったはずだ。そこに問題があるに違いない。いわゆる「普通」が、既に異常なのである。100のうち異常が70を越えれば、もうそれは異常ではなく「普通」である。現状の「普通」からほんの少しでもはみ出した瞬間、我々にもわかるような「異常」に早変わりである。
病的な異常性というのはこの場合は却って安全である。見ればわかるのだからそんなものにはだれも近づきもしないし指導もさせたりはしない。
もう手遅れなのかもしれない。だが、まだ間に合うかもしれない。

5, September 1997 (Fri)
今日はことえり。九月に入って五日も経ったとは全く驚く。
共同通信によると二日、黒竜江省牡丹江市でこんな事件があったそうだ。
友人が牡丹江に落ちて助けを求めた中学三年生の少年に対し、近くにいた百名近い市民が助けたいなら金を出せと要求しだれ一人として助けようとせず、この少年は健気にも助けてくれれば欲しいだけ金を払う、とも頼んでも民衆は救助隊へ頼めばいいと今度は別の屁理屈を設けて一顧だにせず、救助隊でも引き上げ費用をどうするのかといわれ、個の少年は父母を呼んできて必ず費用を払うと約束し、ようやく引き上げてもらったという。当然、この友人は既に死亡していた。
それは命が惜しかろう。当然のことである。一般人にはそんな伎倆もあるまい。金を払えと要求したことが気になるが、まあそれも逃げの口実だったと思ってなんとなく腑に落ちぬまでも納得できないでもない。しかし、救助隊までもこうだとは、お隣りの国はどうなってしまったのだ。全員が全員こんな情けない拝金主義者であるとは思わないが、しかし中国という国の病める度合いに慄然とせざるを得ない。こんな悪夢のような出来事が、実際に起きるなどはどう考えても異常である。これが改革開放政策の暗黒面なのだろうか。簡単に割り切れるものでは、もちろんないが、私は単にこれが改革開放政策による市場経済化が齎すものとは思えない。もっと根が深い問題のようが気がする。
結局、民主主義の理念と市場経済とは切っても切り離せないということなのだろうか。共産主義と市場経済との融合を目指す中国当局の遥かな理想は、ついに根付かぬのかもしれない。大漢帝国の武帝が民衆を飼いならすために儒教を導入したときからのツケを、未だに払わされている。

2, September 1997 (Tue)
今日は MSIME97 。すでに九月である。
仕事に対して誇りを持てない人がいる。飯を食うためだけに働いていると言いきる人もいる。これらの人々は情けないと言うよりも憐れむ感情のほうが先立ってしまう。誇りを持てないから、責任を果たせない。飯を食うためだけだから、面倒になるとすぐ辞める。金さえ手に入ればいいのだから、より割がいい仕事を見つければすぐ飛びつく。もちろん、遣り掛けの仕事はそのままほったらかしである。
こういう人たちは、仕事をしているのではなく金を稼ぐだけなのである。仕事をしているなどと言わないでほしい。きちんと仕事をしている人々に対して大変に失礼である。愚弄しているとすらいえる。金を稼ぐことと仕事とは同義ではないのである。仕事をした結果、報酬として金を得る。これは正しい。ただし、くどいようだがあくまでも仕事を行うことに対する副次的な作用としての報酬が得られるだけであることに注意しなければならない。
人間が、人間らしく生きて行くために必要なこととは、社会を形成し、その社会を支え、発展させて行く構成員の一人として全力を尽くすことである。大自然に囲まれて仙人然として隠遁生活を送ってみたり、社会からはみ出して路上で粗末な身形でゴロゴロしていることなどでは決してない。増してや、まともに仕事もせずその日その日を刹那的に暮らしてゆくなどは一見人がましく見えるがその実そこらの野良犬と同様である。
あなたは、仕事をしていますか?

29, August 1997 (Fri)
きょうはことえり。実は今日まで夏休み・・・のはずであったが、このように会社に泊まりを重ねている(今は午前3時45分である)。休みは終わんぬ、今年も夏はなかった。夏休みは要らないからせめて毎日帰宅したい。だが今週の日曜日は先週と違って今度は変電設備の工事で停電になるそうだから、先週のように日曜出勤ができないために1日作業日数が減ってしまったのが痛い。1日といえば大変なものだ。まあ、いい機会かもしれない。1日丸々休むなど久しぶりのことである。そろそろ目鼻がついてきたことでもあるし、たまには映画にでも行こうか、などとたった一日の休みにかける期待がどんどん膨らんで行く。
ところで、もうこんな生活が1月にならんとしている。最近、だいぶ前に通信販売で申し込んだ音楽CD屋から「運送会社から長期不在で配達できず会社に保管しているとの連絡を受けたがどうすればよいか」という旨の電子メールを受け取った。これには参った。別に私は長期不在というわけではなく数日おきには帰宅しているのに、運送会社が郵便受けに不在日数分溜まった新聞を見て不在票を投函するのをサボったのであろう、配達した事実を知らせる物証は何もなかったのである。せめて不在票でもきちんとサボらず置いて行けば会社に転送させるなどの処置を依頼出来たものを。この運送会社は以前もこんなことがあった。拙作のフリーソフトウェアを収録したCDROM本を贈呈したく発送したのだが住所不明で戻ってきたがどこへ発送すればよいのか、という旨の電子メールが来たこともあるのだが、発送元が確認したところこの時も同じ運送会社が不在票を置いていかなかったせいであると判明した。この運送会社全体がこのようにいい加減というわけでもなかろうが、ここの地域(三ノ輪一帯)を担当する人間は相当ずぼらなようである。同じ運送会社でも猫をトレードマークとした某社はきちんと配送してくるのだから、ずぼらとしか言いようがない。ちなみに、この会社は飛脚がトレードマークである。三ノ輪への発送はこの会社を使わない方がいいかもしれない。

24, August 1997 (Sun)
今日はことえり。
結局土曜から徹夜して今も働いている。ここ一月の間、相当日数会社に泊まり込んで作業を行っているというのにまったく目処が立たない。夏休みの予定も当然ながら流れた。最初から取れるとは思っていなかったが実際に取れないとなると少し残念ではある。私だけでなく私の下の者にも夏休みを与えることができない。とても心苦しい。
家に帰る日数が減ったので郵便受けに新聞が何通も突き刺さってとても見苦しい。以前、やはりこういうことがあって、溜めないよう新聞配達の方にお願いしたことがあるのだが、どうも担当者が変わったようだ。またお願いせねばなるまい。なんといっても見苦しいだけでなく不在をアピールしているようなものだから防犯上甚だ都合が悪い。
来月、九月七日は荒川区長選挙の日である。何がなんでも行かねばなるまい。
今日は私の会社のビルが点検だか工事だかのために数時間停電するそうである。そろそろその時間が来たようだ。いい機会だ、帰って寝てしまおう。あとはまた明日。

17, August 1997 (Sun)
今日はことえり。
コンパイルが終わるまであと2時間はある。これで今日の成果を得られるかどうか確認できるわけだが律義なコンパイラは400万ステップを超えるソースファイル群を愚直にこなして行く。寧ろ2時間で終わるほうが奇跡的なのかもしれない。
昨夜は仕事を早めに切り上げて数年ぶりに連絡を頂いた方と飲みに行った。元気そうで何よりである。
最近、留守電を導入せよと周りの人々がかまびすしい。まずまず家にいないのだからその要求もごく妥当なものであろう。そういう場合はISDN留守電がない等と理由にならないことを言って相手を煙に巻いているが実際のところ私に連絡を入れねばらならぬ理由を持つ人などいるはずがないと思っているからISDN留守電が廉価で登場しても導入しないだろう。第一、不在がちなのだから留守電に入ったメッセージは聞かれることはない。
9日に整理したはずの email だが、また200通近く溜まっていた。数通はかろうじて返信したが、いまさら返事をするのも却って非礼になるかと思い殆どのものは捨てざるを得なかった。こうしてどんどん友人が減って行くわけだ。まあ、やむをえまい。別に好きでメールボックスを溢れさせているわけではない。いつか時間的な余裕を十分に享受できる日が必ずやって来るに違いなく、その時までのお楽しみである。それにこうやって近況を伝えているのだから、何もしないよりはまだマシだろうか。
連絡がつかぬといえば、私の実家から会社に電話がかかってきた。それも日曜日にである。私の親は私に輪をかけて馬鹿であるので公私の分別がまったくつかない。拙宅に電話してもだれもでないから会社にかけてみただのと私が近くにいたなら必ず包丁でめったざしにせずにはいられないような台詞を平気で吐く。私は眩暈がした。おまけに内容ときたら盆にはかえるのか、だと。内心「貴様が死んでも子供らに帰ってきてもらえないような親が何を言うかボケが」と思いつつ日曜に会社にいるのにどうして盆休みが取れようかと懇切丁寧に諭してやった。彼にはおそらく理解できまい。相手をするのが疲れたのでそのまま受話器をそっと置いて突っ伏してしまった。こういう電話は本当に疲れを誘う。大体、日曜日に会社に電話して本人がいてなぜ盆には帰ってこれるのかという台詞をはけるのだろうか。近親者に宇宙人級の偽人類がいたとはうかつにも気づかなかった。彼の観察日記でも書けばややもすると文化人類学者と民俗学者の間で密かなムーブメントを起こせるような本に仕上がるかもしれない。冗談だが。
さて、世間では親というものは大切なものらしい。まったく信じられぬことであるが、どうもそうらしいのである。私の場合、親が死ぬことを願いこそすれ大切などと思ったことはない。子供の頃からずっとそうだった。時折、よく親を殺して刑務所に入らなかったことだと自分で自分を不審に思うほどである。こういう話をすると大抵の人は私を奇異な目で見る。宇宙人は私のほうかもしれない。それでもいい。どうせ我が家のような環境はだれも体験したことはないのだから他人に理解できるはずもない。せいぜい読者におかれては生ける親にも死せる親にも孝行することだ。それが仮に欺瞞(自分に対するということをも含む)だったとしても、騙されている間は幸福である。騙しとおせればなにも言うことはない。もちろん、こんな仮定などしなくとも本気で親が大切だと思える幸福な人も中にはいるのだろう。骨の髄から儒教がらみな人なのかどうか。おそらくごく自然にそういうことを信奉しているに違いない。親を大切にするということは強力な善のドグマである。一つのドグマに支えられているのもあるいはお気楽かもしれない。
まだコンパイルに時間がかかるようだ。
最近、世間では盆休みということもあって遊びの誘いが喧しい。無視するかお断りのメールを送付するかのどちらかになるが、実に心苦しく思っている。無視するのはメールが着いたその日や翌日に遊びましょうというような内容の場合である。そんな場合、そのメールに目を通すのはお誘いいただいた日以降になるわけだから返信しようにもわざとらしくて結果的に無視してしまうということに過ぎない。
それはいいのだが、自分が暇だからといって私も暇だろうと決め付けたような文面のメールを送り付けるような輩には腹が立つ。「私には私の行動予定があるのであって貴様とどうして行動を同期させねばならぬのか貴様の予定など知ったことではないわこのオトボケ野郎が」と、まさか返信するわけにも行かず、この時ばかりは恣意的に、せいぜい丁重に(?)無視する。それでもまだそんな調子で2通目、3通目と送り付けてくる奴がいる。このくどさには、「ああ、世の中にはこういう人もいることだ」と寧ろ感動してしまう。当然そんな無礼なメールには返信などしないが、ついつい興味深くてこの先どうなるのかとわくわくしてしまう。わくわくしてしまう場合等ではないことは重々承知しているつもりだが、それでもこういう輩の行動パターンを想定し、それがまず当たるのでおもしろくて止められない。第一、こんな無礼者からメールがこなくなればそれだけ喜ばしいのであるから、止める必要性も認められない。
今日はだらだらと打鍵してしまった。そろそろコンパイルも終わるようだ。

11, August 1997 (Mon)
今日は MSIME97 。
今日は久しぶりにいろいろなWWWサイトを訪ねて歩いた。中でも興味を引いたのがやはりマックユーザの Windows への誹謗中傷である。ここでマックユーザとはマッキントッシュを MacOS で使用する人々をさす。不思議なことにマッキントッシュで BeOS や MkLinux を使う人々はマックユーザ自身から本当のマックユーザとはみなしてもらえない。さて、誹謗中傷で現実を忘れざるをえないであろうマックを取り巻くこの状況に、ユーザたちはますます過激になってきているようで実に人間の心理というものの面白さをそこはかとなく示しているような気がする。中でもマックのほうが現実的という意見はもはや破壊的と言っていい。自分にそう言い聞かせても心の中では自分のいっていることが信じられないであろうこの台詞を書かざるをえないユーザ達の叫びは悲痛なほどである。すでにマックは好事家のおもちゃに過ぎないが過去の遺物として扱われる日も近く、私個人もマックを使う一人として残念さはあるにしても、それはそれでマック自身と、それを取り巻く状況を見れば自ずと納得が行くものである。
別に好きな計算機なら世間から消えても個人で使いつづければそれでいいのではないだろうかと個人的にはおもうのだが、なぜかマックユーザからはエヴァンジェリスト(福音伝道者)と呼ばれる他人にマックを押し付けなければならぬという使命感から(これは未熟な宗教者が自分の神を他人の神としようとするのとまったく同一心理であろう)日夜活動を続ける人々を多く輩出されており、このエヴァンジェリストにとってますます働き甲斐のある(?)状況になってきていることが唯一の不安だ。いいものなら黙っていても普及するものなのだが、彼らはどうもそう思ってはいないようで、積極攻勢に出つつある。私としてはこちらに彼らの熱い息がかからないように彼らのテリトリーの中だけで行動してくれることを夙に願うのみである。
ところで、新しい MacOS8 は当初の予想より4倍の120万本売れたそうである。久々に聞くよいニュースである。別にこの OS は中身はほとんど変わってはいないのだが、マックが消え去る前に一瞬でも輝きがほしいという願望にほどよく合致したといえるだろう。
マックに限らず、一般論として自分がいいとおもったものを他人はどうあろうと自分が使うことが自分のためにも望ましい。但し、それが一番だとおもっていても人に押し付けないほうがいい。なぜなら、残念なことにそれは実際には一番いいものであるということはまずありえないといっていいからである。マックに限って言えば、あれが一番だとおもっている人々はあれは使い物にならないと思っている、決して少なくない人々の存在を知ったほうがいいだろう。私個人は、何年使ってもマックが一番いいとはおもえない人間の一人である。もちろん、 Windows が一番というわけではないが、二者択一せよと言われれば迷いなく Windows を採る。

9, August 1997 (Sat)
今日は MSIME97 。最近更新していないのは二日おきに徹夜しても目処もつかない仕事の状況ゆえである。そのため、メールの返信もおぼつかなく溜まりにたまっており、勝手ながらそれらへの挨拶と当ページ更新をかねてここに現状を書かせていただいている。
それにしても忙しい。二日おきの徹夜がこう長いこと続くと徹夜に強いはずのわたくしでさえこの有り様である。忙しいのはいいことだ、と自分に言い聞かせながらがんばっているが、いつまで続くのやら目処すら立たぬ現状に途方に暮れなくもない。

22, July 1997 (Tue)
今日は MSIME97 。埼玉県戸田市の県立高校で男性音楽教師が女子生徒の頬を平手で約10回殴りつけて入院させるという事件があった。校長によるとこの生徒が友人3人とともに音楽室で課題曲を先生だけで決めるのはわがままで、生徒の希望も聞いて欲しいと申し入れたところ、この男性教諭は激怒し、犯行に及んだものという。生徒は教諭への恐怖心と不信感から精神的なショックを受け、一度退院したものの再度入院をしているという。
この教諭は39歳、社会的には堂々たる大人であるとみなされる。16歳の女子に対して感情の抑制がきかないこの男は尋常ではない。こんな人間でも簡単に教諭になれる現状は間違っている。10数回殴るというのも印象から言えば精神の不安定さを感じさせるものがある。このくらいの年頃の子供が生意気なのは当然でそれを承知していないわけでもあるまいにこの凶行に及ばせるとはいったいこの学校の管理体制はどうなっているのか甚だいかがわしいものを感じさせるのである。生徒を管理するのは(殴ればいいのだから)容易だが教師を管理することはこの校長にはできないものと見える。この校長あってこの教諭ありである。この校長は我々市民が是認したから存在している。だからこれまでも繰り返し述べてきたように我々は教育というものに対してもっと真剣になるべきなのだ。
先日、友人と教育についての考え方を交換する機会に恵まれた。なるほど世間にはこういう考え方もあろうかとは思うがまったく首肯しがたい。氏の意見はこうである。学校はしつけをするべき場所ではなく技術的なこと、要するに英数国理社さえ教えていればそれでよいとする意見である。人格的な形成からしつけまですべて家庭にこそ責任と義務があるとするものである。私が思うに、それはまったく別の意味で当然すぎて話にならない。家庭は社会の基本単位であり、基本単位で行う教育と学校という家庭の集合体ともいうべき一種の社会で行う教育とは自ずから異なるべきである。学校は集団生活の第一歩であり、家庭のしつけと同列に論ずるなどはそれこそ無理があるというものである。だが一面で、家庭の崩壊と社会の乱れは関連があることは間違いはなく、それぞれ関連付けて考えて行くという点については賛成である。ただし、繰り返すようだが同列に論じるべきでは決してない。
学校とは子供が接する初めての大人の理想像(多くの場合、だが)を見出すべき場所でもある。教諭にとって日々の糧を得る職場であるだけの学校ならそんなものは学校ではない。

17, July 1997 (Thu)
きょうはことえり。今日から明日にかけて全国的に大雨となる可能性があり、気象庁では警戒を呼び掛けている。関東では最大80〜100ミリ前後の降雨が予想されている。
カナダのブリティッシュ-コロンビア大学のヘア教授によると、次のような人間をサイコパスと呼ぶそうだ。いわく、「口達者。自己中心的でうぬぼれが強い。良心が欠如し、罪悪感とは無縁。他人の感情に関心がなく、冷淡、かつ情緒に乏しい。行動は衝動的で、抑制がきかない。」
サイコパスは精神病質と訳される。精神病ではなく、人格に問題があるそうだ。なるほど。実は、これによく当てはまる人間を知っている。この私がそうだ。以前から、私は人格に欠陥があるのではないかと常々危惧してはいたが、こうすっかり言い当てられるとむしろ小気味よいほどである。無論冗談だ。小気味よいことなどあるわけがない。
同教授は次のようなことも云っている。「いわく、一般論として、サイコパスはあらゆる人種、文化、時代に存在する。だが、そのあらわれ方は時代や社会によって違う。たとえば戦争中なら、彼らは情け容赦なく敵を倒す勇敢な兵士と称賛されるだろう」。なるほど、人格に欠陥があっても特殊な状況下では社会の役には立てる可能性があるわけだ。多少は希望が湧いてくるというものである。希望があるのとないのとでは大違いだ。
しかしなんだね。精神病なら精神病院なりにでも行けばよいのだろうが、人格に欠陥があるとされても、私はどうすればいいのかね。開き直るつもりは全くないが、途方に暮れる。

16, July 1997 (Wed)
きょうはことえり。
よくそこらへんのヘボ歌手が募る思いとか恋い焦がれてとか歌っているが、なんだかそんなものを聞いてるうちに頭がおかしくなってきそうだ。どうしてあんなにストレートに歌詞にすることが出来るのか、そこら辺がアーティストのアーティストたる所以なのだろうが甚だ感心してしまう。こんな気持ちを鎮めるにはもう酒も効かない。最近、何も考えられなくなった。考えることがつらくて、幼稚園児のような訳のわからぬことを口走ることが以前にも増して多くなった。反応を求められても、何も考えられないので意味不明な言葉がつい口を突いて出てしまう。
最近は、こんなこともだんだん快方に向かっているのかなという感じがあったのだが、昨日からあるきっかけを得て再び悪化してしまった。こんなことを、誰に相談すればいいのだろう。相談しても、解決なんか得られない様な類いだとしか思われないのでますます酷くなる予感がする。
最近、夢を見るようになった。最近といっても、もう3カ月ほどになるだろうか。毎晩の酒量が増えたのも、実際のところ夢を見たくないからというのも理由の一つだった。どうもうなされているようで、起きると大抵寝汗を酷くかいている。当然、寝た気もしない。起きてから、わずかに覚えている夢の断片を拾い集めてみると、とてもじゃないがまともとは思えない。げっそりしてしまうほどだ。私は常々夢などは単なる脳のアソビ、電気信号が無秩序に飛び交うだけのことだと思っているが、どうも夢は日ごろの精神状態を反映するものだと云わざるを得ないような気もしてくる。
流されてゆきたい。何もする気が起こらない。

11, July 1997 (Fri)
きょうはことえり。意外なことがわかったので九日の話の続きをしたい。
十日23:30付けの朝日新聞ニュース速報によると、先日紹介したベッコアメへの抗議文と思われていた文章は、なんと本人へ送ったものと同じ抗議文を「参考のため」として神戸市からベッコアメへ送られたものだという。なんの「参考」なのかしらないが(ベッコアメに送り付ける必要はないであろう)、まずは決着がついた形である。神戸市はベッコアメのホームページからリンクされていたその抗議文の削除を要求し、ベッコアメ側はそれに応じた(それゆえ現在ではその文書は見ることはできない)。なお、くどいようだが、削除したのは神戸市から送付された「参考」抗議文およびその文書に対するベッコアメ側の見解を併記したページである。
それにしても、あんな文書を参考として送り付けるならばそれなりのかたちがあろうと思われ、ベッコアメ側が自社への抗議であると受け取って当然のものであった。神戸市側はもう少し配慮をしてけばこんな恥を晒さずに済んだであろう。「お役所仕事」を地で行く好例になってしまった。残念なことである。ちなみに、神戸市へベッコアメへ削除を要求するのは勘違いではないかという内容のメールが九日までに数十通も送られてきたという。当然ではある。
話題がかわる。
千葉県内の話だが、登校途中の駅で生徒の所持品検査をし、たばこなどをもっていたことを理由にその生徒に対しその日のうちに「自主退学勧告」を行った学校がある。この学校に対し東京弁護士会は九日までに校外の所持品検査は違法である旨の勧告書を出した。
まったく、あほらしい。千葉は実に後進性が高い地域であるというのがこれまでの徒然苔を読んでいただければわかる通り私の持論であるが、それはこの際どうでもよく、この学校は生徒を人間扱いしていないのだが、これはなにもこの学校に限ったことではないと私は常々考えているのである。大体、何様のつもりなのか(教諭様のつもりなのだろうが、教諭には持ち物検査をする権利など他国はいざ知らず日本では認められてなどはいない)。さらに、この処置(登校途中で持ち物検査を行い、その結果「自主退学勧告」(なんといかがわしい「勧告」であろうか)を行ったことを全校に知らしめたり、その日に勧告を行い実質的に退学処分に処し生徒に対し釈明の機会を与えなかったことなど、次々に学校という教育施設であるはずべき施設が行ったとは信じられない事実が明るみにされてきている。もっとも、これまでの学校側と弁護士会の交渉の過程で学校側は行き過ぎを認めているという点が唯一の救いである。まだこの学校はまともになることが出来るかもしれない。
そもそも、学校内で所持品検査などもあまり褒められたものではない。学内での所持品検査の根拠といえばせいぜい施設管理権の行使といったところで、教育者と呼ばれたいならもうちょっとマシな方法があろうというものである。もっとも、教育の美名のもとにさまざまな校外に出れば犯罪になるような破廉恥な行為が頻繁に起きている。一例を挙げると、最近、男性小学校教諭が児童の卒業式に際し、卒業記念と称して自分の担任するクラスの女子児童だけを体育館の体育準備室に集めて上衣を脱がせて胸のサイズを測るという「教育活動」があった。こんなもの校外に一歩出れば即犯罪である。色キチガイめ。なんで卒業記念に女子児童の胸が出てくるのか全く理解しがたい。これが教育の一環ということで、この男性教諭はこの行為が明るみになった後、児童や父兄に対し謝罪したのみで、罪には問われない。校内だからである。こんなものは児童への精神的虐待というのである。立派な犯罪ではないか、現内閣が教育改革を志すならば、まずはこんなやつらから処分してゆくことだ。常識に照らしても弁護の仕様がないようなこんなことまで保護されるべきではない。一つ提案があるのだが、この男性教諭を剥製にし虫ピンでとめて理科実験室にでも設置し、変態の標本として教材化すればどうだろうか。教育者としてこの男性教諭も本望であろうし、世間に何らか資するところがあるのではないか。
もちろん標本云々は趣味の悪い冗談だが、この事件はほんの一例なのである。まだ先に挙げた「自主退学勧告」の方が理解できるというものである。教育の名の元に、こんな気違いじみた行為が一般的に行われているのである。
学校とは、社会の一部であって、社会から逸脱した行為は許されてはならないと思うのだが、なぜこんなことをいまさら云わねばならぬのか。

9, July 1997 (Wed)
今日は MSIME97 。東京周辺以外では全国的に天気が悪いらしいが東京では毎日酷暑と言っていい日々である。まあ、雨は申し訳ないようだが北関東の水瓶地帯にのみ降ってもらえればそれにこしたことがないというのがエゴむき出しの本音といったところである
朝日新聞の速報によると環境庁が農水省の横槍を受けて長崎県の諫早湾干拓事業の視察を中止したという。こんな馬鹿な話があるか。環境庁が水質がもっとも悪化する夏季に視察せずにいつ視察するというのか。大体、農水省の鼻息をうかがうくらいなら環境庁など農水省の一部局として縮小統合してしまえばよい。さらに防衛庁長官からも暗に視察中止を要請されたというが、いつから環境庁は防衛庁の指揮下に入ったのか。さらに、環境庁長官は「諫早にはいずれ行かねばならぬが中止になったのは残念である。農水省はやや過剰反応の感じがする」などとコメントしているが、そんなものは長官の決断一つであろうが。中止と決めたのは自分の責任であり、環境庁に責任を転嫁したようなこの発言にも腹立たしいものを覚える。
そもそも、環境庁は省への昇格を望んでいたはずであるのだからそれを周りに納得させるだけの実行力を備えねばならぬ。それには具体的な活動を行うこと以外になく、自分の計画を横槍を受けたからといって中止するくらいなら庁ではなく総理府かどこかの課や部で結構である。税金の無駄だ。これは他省庁との協調などというものではない。何のために環境庁として存在しているのか常に考えてもらいたいと強くねがうものである。
話が変わる。IIJがKDDとアメリカのAT&Tから150Mビット/秒もの大容量回線の提供を受け、7月下旬より運用を開始するという。これにより、日米間は合計254Mbpsで接続される計算になる。どうでもいいが費用は月額4億円以上と見られている。ちなみに、AT&TとKDDはアメリカから日本へ155Mbps国際プライベート回線サービスの提供も発表している。
それにしても150Mbpsとは恐れ入る。世界初の提供ということでKDDとAT&Tは相当力を入れているようだが、情報ネットワークは社会インフラの一つであり、いわば電車や道路などの交通網といえる。需要がなければ交通網は発展しないが、ある程度の供給もなければ需要は増大しない。これほどの大容量回線の運用を可能にする技術があることを知ることも含め実に気分のいい話である。これからますます日米間のトラフィックが増大すると考えられ、それのみならずさらにはアジア・太平洋地域のバックボーンとして重要な役割を担うことになるだろう。
常々思うのだが、日本はアジア地域での金融センターの地位を確保することができなかった。大蔵をはじめとする省庁の(諸外国にとって)意味不明な指導や法制の整備の遅れ、日本の金融市場の後進さなどさまざまな要因があったわけだが、金融センターがだめなら情報センターになるという手はどうだろうか。日本は情報というものをさっぱり理解しない国である。当然法の整備は遅れている。行政機関はと言えば郵政省と通産省とで利権争いを繰り広げている。警察は警察で意味不明な理由をつけてトラフィックを検閲しようと策動している。どいつもこいつも法の整備が遅れている今のうちに自分が有利な状態に持って行こうと蠢く輩どもばかりである。余談になるが、神戸市は今年7月2日付でベッコアメに対し例の小学生殺人事件に関連して法的措置を行うことを検討しているというまるでオドシのような文書を市長名で送達している。こんな事でどうするか。この言語明瞭意味不明な文書には怒りを禁じ得ない。市長はベッコアメに対し各会員のコンテンツを検閲しなかった責任を問うているのである。この市長はおそらく不審な電話がかかってきた場合、NTTに対して電話を普及させ、あまつさえその通話の内容を検閲せずに中継したとして抗議するのであろう。ご立派な市長である。不特定多数へ発信するホームページと特定個人へ発信する電話は違うということを云われるかもしれないが、電話もホームページも検閲を前提にしてはならないという点で全く同一である。責任は発信者が負うべきである。ベッコアメは単なる回線やハードディスク等の時間貸し業者に過ぎない。従って、神戸市長の要求するようなコンテンツの削除は不可能である。場所貸し業者に対して文章の検閲や削除等を含め管理責任を負わせるなら、まずそれを憲法上の自由を制限することの是非について議論を尽くすことを含めて管理責任の及ぶ範囲等を明確にし、法によって定めるのが先である。管理させるなら管理能力を管理者に与えねばならないのは自明の理ではないか。ただし、道義的責任、という問題に関しては今後の議論を待たねばならない。
我が国の情報民度(私の造語だが曖昧ながら大体ご理解いただけるであろう)はまことに低いといわざるをえない。言うまでもないがこの神戸市長の件はこれはベッコアメや神戸市だけに限ったことではなく、我が国の情報民度の低さをを雄弁に物語っている。参考までに市長名の文書の全文およびそれに対するベッコアメの反応の全文はHTML化されて本日現在ベッコアメのホームページからリンクされている。興味がある向きは読まれるとよかろう。
こんなことでは情報センターなどになれるはずもなく、大至急法整備及び国民全体の意識の改革を行わなければならない。情報産業はこれからの我が国の立国の基礎になるはずであると私は確信している。いま、まさに今その基礎を揺るぎ無いものにしておかなければ我が国の明日はないのである。それには官主導であってはならない。我々一人一人が、切磋琢磨し情報民度を高めてゆかねばならない。具体的には、まずインターネットとは特殊な媒体ではないという理解からはじめようではないか。迂遠に似ているかもしれないが、その理解がなければ始まらぬのである。

7, July 1997 (Mon)
今日は MSIME97 。確か今日は七夕様ではなかっただろうか。
ウィンブルドン女子シングルスは下馬評どおりヒンギス選手の優勝であった。男子はサンプラス選手の優勝である。今年も十分に選手各位の素晴らしいプレイを堪能できた。来年の選手権が今から待ち遠しい。
昨日は東京都議会議員選挙の投票日であった。投票率はご案内の方も多いかと思うがなんと40%であった。投票所もそう遠いわけでもないのに意味もなく棄権してしまった諸兄は反省したほうがいい。もっとも、棄権をもって政治的スタンスとする方々はまた話が変わってくるが。また、これもご案内の方も多いと思うが共産党が議席を倍増した。これはわたし個人の感想からすると非常に順当であると思う。
投票後、あまりの暑さに脳みそがとろけたためだろうか、荒川自然公園なるところへ行ってきた。話が飛ぶようだが、昔、千葉市民であった頃に都内へくる場合は京成本線を利用していたのだが、その車中から青砥−日暮里間で工事をやっているのをいつも眺めていた。その工事とは、どう見ても2〜3階建ての相当広そうなビルらしきものの上に庭園を建設しているのである。いったい何なのかいつも謎であったのだが、じきに千葉から離れてしまったのでその事をいつのまにか忘れていた。そして、ここで話が戻るのだが、その工事とはつまり荒川自然公園建設工事だったのである。ビルらしきものとは三河島処理場であった。そのまたその公園というのが相当広い。すべて建築物の上に造成されている公園なのだが、立派に自然公園となっている。池があり、樹木が植えられ、マラソンコースがあり、小さな子供たちのためのプールや昆虫観察館や交通園、さらには野球場やテニスコートまである。大袈裟に言えばこれこそ空中庭園ではないかという感動がまるで積年の疑問が解けたような快感とあいまって私に込み上げてきたものである。もしやあの車中の風景を逆から見ることができるのではないかと思い、園内をうろうろしついに私が電車の車中からいつも眺めていた風景を探し当てたときには本当に驚いた。都心にこれほど大規模な公園を、汚水処理場の建物の上に作ろうと考え出した人とは、どんな人なのだろうか。一度話を伺ってみたいものである。実に面白いアイディアであり、感嘆の思いを禁じ得ない。見事に市民の憩いの場となっており、税金が生かされているという実感を持てない向きにもお勧めできる。きっとその認識の一部を驚きをもって訂正せざるをえまいと思う。(アクセス:都電荒川線荒川2丁目駅(三ノ輪橋駅の次の次))下車目の前)

2, July 1997 (Wed)
今日はことえり。既に7月である。
神戸の小学生殺害の容疑者は、中学生であった。この容疑者は、調べによるとどうもこの小学生だけでなく通り魔も行ったことを認めたという。
フライデーという雑誌が少年の実名を伏せて顔写真と所属するクラブなどを掲載した所、各地で販売拒否が相次いでいる。法的な拘束力はないながらも法務省も「指導」に乗り出すという。また、この雑誌は少年法に触れる可能性があるとして捜査を受ける可能性がある。少年法への理解が進んだのか、単にみんながそういうから売らないのか、そこのところはどうも判然としない。
朝日新聞によるとこれまでの捜査によると容疑者は登校しなくなっていたようだが、きっかけは同容疑者が同級生を殴って歯を折る怪我をさせたときに生活指導の教師から学校に来るな、といわれてからだという。この教師は誰からなんのために金をもらっているのかと読んでいて腹立たしいかぎりである。大体、大学を出てそのまま教師になるという今の制度は間違っている。以前も徒然苔でかいたかと思うが、小中学校の教師とは単に技術者であってはならない。全人格をもって児童生徒に対し指導を行うべきであり、そんなことが大学を出てそのまま社会を知らないままで、できるはずがない。狭い学校だけがその「教師」の社会すべてと成り果て、例を挙げればキリがないほど奇態な「教育」が跋扈している現状はご存知の通りである。もちろん、本人が「これは教育である」と思い込んでいるだけで、そんなものは教育でも何でもない。馬鹿らしさを通り越して悲しくなる現実がここにある。前述の、いわば職務放棄をするような教師には言うべき言葉もない。仕事ができないならやめてしまえ。
某地方自治体ではそんな現状を憂慮したのか、教師を地方自治体内の民間企業に年単位で出向させ、社会を体験させている。1年2年で何ができるかと思わないでもないが、しないよりはよほどましである。
小学生時代の指導要録の所見欄に「親子共々問題を引き起こす」と書かれた男性がおり、これに「担任教諭が感情的に書いたもので、親にまで言及しており、私への評価にあたらない」として小田原市に対し所見欄の訂正を要求している。所見だから何を書いても勝手であるというわけでもあるまい。かりそめにも公文書であるという自覚が書き手にあれば、こういう表現はとるまいと思うのだが、どうだろうか。
まあ、それは当人と市が解決すべき問題なのでどうでもいいのだが、この書かれた側が書かれているということを知りえたということは非常に重要なことである。同市には個人情報保護条例があり、その条例の定めるところによりこの男性はこのことを知ったのである。これは最近の趨勢で、以前には考えられないことであった。教育機関も社会の一部である。こうあってしかるべきだ。
現在の政府(橋本内閣)は政策の一つに教育改革を掲げている。これまでなにを改革したのかしらないが、この問題は長い時間をかけて日本の社会の底を総浚いして行くような作業が必要になることは必至である。本当に成し遂げることができたとしたら、それは改革というよりも革命といった方が適切であるということになっているはずである。展望を、果たして政府は明確に持っているのだろうか。確実に少しずつ変わってきているという感触はある。この動きを、この政府はどのようにまとめ、どの方向に持ってゆくのか。

25, June 1997 (Wed)
今日はことえり。土曜日に、ずいぶんと懐かしい人たちと会った。皆元気そうで何より。
先日からウィンブルドンで緒戦が始まっている。思えば去年は大分市内の安ホテルで見ていたものだった。あれから一年経ったのかと思うと、私は一年間何をしていたのかと思わざるを得ない。
今年はマルティナ・ヒンギス選手の活躍が期待されている。もちろんそれは実力から考えて当然のことである。だが、昨日の試合内容は勝ちはしたものの素人目にも世界ランク一位の試合とは言えないものだった。もちろん、対戦相手のクレイマー選手の調子のよさも一因だったには違いないだろうが、それにしても先行きがちょっと不安ではある。もっとも、16歳という年齢であそこまでプレイできるなど、天才としか言い様がない。話がずれるが、ヒンギス選手はだいぶ太ったのではないだろうか。
日本勢は惨憺たる様子で、見ていて白けてしまう。去年の伊達選手のプレイは、いいときはいいのだが、いったん崩れると見ちゃいられないというような感じで、まだ観戦しようかという気にもなったものだが、今年は観戦しようという気を失わせる。もっとも、日本人だからといって応援するわけではないので、どうでもいい。

21, June 1997 (Sat)
今日はことえり。昨日、18日に購入した計算機が届き納期の早さに驚いた。
モニタはSONYの安物を購入したのだが、大変画質がよいので驚いている。宣伝文句通り映込もなく、価格対性能比は満足できるものであった。これで入力系統が2系統用意されていれば個人的にもぜひ購入したいところである。計算機自身は、まあこんなものであろうというところである。そもそも必要な能力を計算してそれに相当する計算機を購入したのだから当然の結果である。
さて、今年度の全国統一防火標語をご存じだろうか。『つけた火は ちゃんと消すまで あなたの火』というのがそれである。まことにもっともである。消防という軍人よりも命の危険の大きい危険な職業に携わっている皆さんには頭の下がる思いである。私は煙草呑みなのでこの標語を胸に刻んで常に注意を怠りなく行いたいと強く思う。
社会人になると、消防や警察の講話を聞くことが少なくなる。困ったことである。もちろん、講話を漫然と聞くだけなら時間の無駄だがたまには消防や警察に関心を持つのもいいのではないか。

16, June 1997 (Mon)
今日は MSIME97 。昨日は懐かしい友人に出会った。その友人とは行動パターンが似ているのかもしれないとは思っていたが、案の定という感が強い。
昨日は評決という映画を借りてきたのだが、実に良い映画であった。アルカトラズ刑務所が閉鎖される契機となった実話を映画化したものだが、ケビン・ベーコンの演技がまことに素晴らしく、珍しく素面のまま見切ってしまった。戦争映画2編も借りたのだが、これもなかなかの出来栄えで久しぶりに映画を見たという気分になれた。
映画といえば、先々週だったかスターウォーズの特別編を友人に連れられて映画館に見にいったが、結局1,800円を払って寝に行ったようなものであった。まあこんなものであろう。映画館の椅子はもう少し寝心地が良ければ良いのになどと理不尽な思いを抱いてしまう。マーク・ハミルは今どこにいるのだろうか。
数学の公式集を購入してきた。どれもこれもきちんと高校の頃勉強しとけば覚えているはずのものである。文系だからと避けてとおってきた自分を今更責めてもはじまらぬ。せいぜい本を読んで勉強することにする。別に誰かにテストされるわけでもなし、気楽にやる。
以上、日記終わり。

12, June 1997 (Thu)
今日はことえり。お気付きとは思うが過日 CGI や SSI の使用を許しているプロバイダと契約し、早速フォームの復号やおばか登録の自動化を行った。今後逐次機械化の分野を広げ、また、新しいサービスを導入しようと考えている。これまで使っていたプロバイダ(つまりここだが)はそのまま継続して使用してゆくが、新サービス等はすべて新しく契約したプロバイダに置くことになるだろう。
さて、先日ロシアの Su27 や MiG29 を自衛隊が購入する計画をたてているというニュースがあったが、その後さらにロシアの太平洋艦隊のミサイル駆逐艦が晴海埠頭に入港するという。私には国際政治とか軍事力の均衡とかなんとか、そういったことはよくわからないが隣の国なのだからこれくらいあって然るべきだとは思う。遠交近攻なんてセリフをはく人もいるかもしれないが、攻める理由なんかどこにもない。
自衛隊で思い出した。十二日の参議院外務委員会のメモを読んでいたら、防衛局長の答弁からなんと自衛隊には交戦規定がこれまで存在しなかったということを知った。曲がりなりにも諸外国の国防軍にあたる自衛隊に交戦規定がないとは、自衛隊の存在そのものを象徴しているように思えてならない。戦争の放棄をうたった諸外国はたくさんあるのだし、いくぶんは特殊性があるとしてもなにも日本だけが他国と懸絶しているほどの相違はないはずである。それらの国が保有する軍の交戦規定をよく分析してどうかわが国にふさわしい規定を構築して欲しい。
戦争の放棄で思い出した。何も戦争の放棄を憲法であきらかにしているのは日本だけではない。よく世界に冠たる平和憲法などというが、別にそれほど特別なものではない。たとえばお隣の韓国もそうなのである。この流れを諸外国にもたらす努力を続けようというなら素晴らしい話なのだが、どうも「日本だけが戦争の放棄をしている。ケシカラン」などというチンプンカンプンな話が時々聞こえてくるのはなぜだろうか。日本のマスコミも、こういったかたがたにもうちょっと世界の流れを見せてやるべきではないのか。もっとも、日本のマスコミはほとんど右のようだからあまり知らせたくない情報なのだろう。残念なことだ。右傾化すると楽なので最近はその傾向が顕著だ。

4, June 1997 (Wed)
今日はことえり。今日の John Mitchel 君 (現在私の使用しているマッキントッシュの名前) はとてもご機嫌が斜めらしい。こんなお天気屋に尊敬する人の名前などつけるのではなかった。あまりこういうことが長引くなら、そのうちこいつの名前は○藤教授(都合により伏字)になるだろう。
自力では動けないほどの重い病気にかかった娘に食事も満足に与えず寝具も清潔に保ってやらず放置し、ついには床ずれした皮膚から汚れた寝具を介して雑菌が侵入し敗血病にかからせ死に至らしめた母親が逮捕された。当然だろう。被害者が死ななければ逮捕されなかったことが悔しいではないか!なぜこのような死に方を強制されなくてはならないのか?最近、こういった犯罪が目に付く。餓死させる、放置する、etc etc...ほぼすべて自分の子供に対する犯罪である。
ロシアで給料未払い等による生活苦から自殺する者が相次いでいる。今日も士官二名が自殺したそうだ。徴兵された兵や下士官ではなく、士官がである。この前は工場長が部下に給与を支払うことができないことを苦にして自殺した。このニュースを読み、そして先のニュースを読んだときのこの怒りは、いくらかの読者と共有することは可能だと思いたい。
福岡では部下にあたる人物が自民党のパーティ券を出入りの業者に斡旋していたことを苦にした交通局の管理者が自殺した。自殺するほどなのだから福岡では上司が部下の行動をただすことが相当難しいのだろう。ならば上司が上司である意味がない。この自治体はいったいどうなっているのだろう。かりそめにも福岡といえば歴史もある九州の顔と言っていいほどの立派な土地のはずであると思っていたのに、その認識があっさりと崩れ去ってしまった。住民は怒っているに違いない。
話を変えよう。
まず、グラフが世界ランキング三位に後退してしまったそうだ。これは87年3月以来のことだという。このような形のニュースでさえ、グラフの偉大さを感じることができるのは、翳りが見えるとはいえさすがに「グラスの女王」というべきか。それにしてもグラフから先々月だったかに一位を奪ったヒンギスもものすごい選手だ。二位のセレシュを霞ませてしまうこの二人の迫力。
イギリスのメージャー元首相はもしかするとクリケットの解説者に転身するかもしれないそうだ。なんでも、元首相は公務のせいでクリケットの試合を見ることができないとうんざるする、と言い切ってしまうほどのクリケット好きだそうだが、まことにイギリスとは素晴らしい国だと思わざるを得ない。日本ではこんなことはありえないだろう。
イギリスといえば、ブレア首相がわれわれも世界史の教科書で学び空恐ろしくなったアイルランドのじゃがいも飢饉に対して公式に謝罪の意を表明した。プロテスタント系の政党はあまりこの発言を歓迎していないようだが、この宗教対立が今のアメリカ合衆国さえ生んだ事実までさかのぼらずとも、現在のIRAという凶悪なテロ組織の存在するまさにそのためにうかつに触れることができない。能無しの私にそんな深い対立を理解できるはずがない。だが、口に出して謝罪することは勇気が要ることだし、その勇気をふるったブレア首相はやはりリーダーシップを発揮できる人物ということを証明しているように思える。

3, June 1997 (Tue)
今日は MSIME97 。お天気もいいし、おなかもいっぱいなのでなかなかご機嫌である。ちょっと崩してみよう。
人が噂を好むのは、ある意味当然ということもできると思うが、それによって被害を受けるのが自分であるということになると俄然話は変わってくる。
私が人のことをいえるかどうかは、とりあえず棚上げしておく。口が軽い人は、罪作りな人だ。
そういえば宇宙開発儒教団ネタで1年後にこれをやろう、と決めていたものがあったのだが、とっくに1年を経過していてネタが使えなくなってしまった。なかなか間抜けである。そこで、新ネタをと思ってみたが、ここの所ますます人間的につまらなくなってしまってきているので思い浮かばない(もとはもっとつまらなくなかった、といってるように読めるな、これだと)。ホームページを維持するのは難しい。
さて、和は美しい。うれしい。どうしてこれを保つことができるのか理解不能なだけに、あこがれる。なんでこんな事を急に言うかというと、特に理由はない。とりあえず現在私には対立する人はいないと認識している(あくまで自分の認識であるけれども)。で、和を保とう保とうと思うのになぜだか壊れてしまうのはやはりこちらに責任があるからなのだが、なぜこういったことは先に気が回らないのか。いや、普通なら気が回るのだろうが、まったくたいしたもんですねぃ。
話題が変わる。
私の住む部屋は一般的に見てゴミタメなのだが(まだメタンガスは発生するに至っていないようだ)そのゴミタメの中で日常を過ごしていると人格に欠陥があることが明らかに自覚できる。大体、普通の人間がごみの中で生活できるはずがない。かといって掃除なんかしない。なぜなら欠陥人間だからだ。
我ながらほれぼれするような不毛な論法だなぁ。
で、そのごみの中でもぞもぞと蠢きながら自堕落な生活をだらだらと続けることがなかなか愉悦であったりする。他人に厳しく自分に甘くをモットーに、だらだら朝まで酒を飲んで暮らす。これほどの悦楽はそうないに違いない。そんなわけない、ってツッコミを入れたあなたは、きっと正常です、ヨカッタデスネ。
首都機能移転の中止について、各地方自治体の首長の反応はさまざまである。東京から首都機能が移転してもらっては困ったことになる地方自治体、たとえば東京都や東京のベッドタウンと化した地域などは歓迎の声が上がっているが、そりゃそうだわな。千葉なんかを考えると東京が首都でなくなったとたんに存在価値が半減どころの騒ぎではないものね。そうではない地域は大概静観か遺憾の意を表明している。これもまた、そりゃそうだわな。まあ、これほど単純なものではないことは言うまでもない。
中央官庁にお勤めの皆さんはお気の毒としか言いようがないが、別に東京にあってくれなくてもいいからどこか環境がよくて空気のうまいところにでも移転してもらってどうか仕事の能率を上げていただきたい。そうそう、いい機会ですから移転するときに今度こそ敗戦を経てすら生き残ってしまった戦前の体質は置いていってくださいね。処分しておきますから。それと、どうせ移転するなら、国会も移転するときに参議院を処分して一院制にしてしまえばスリムになるのではないですか。移転するまでにその存在価値をみんなが認めてくれるといいですね。健闘を祈ります。それから、皇居は京都に戻して東京都は東京県とかにすればいいんじゃないでしょうか。まだ京都が首都であるとかなんとかいってる人たちがいますから、彼らの夢をかなえてあげればきっと喜んでくれます。そうすれば薩長に乗せられて東京にうやむやのうちに遷都してしまった歴史的事実も、きっと例の一風変わった歴史観をお持ちの先生方が何とかしてくれます。みんなが信じるかどうかは、ちょっと保証できかねますけどね。
東京は、たとえばアメリカ合衆国のニューヨークのような文化と経済の街+イギリスのケンブリッジのような学園都市になれば住民の一人としてとても喜ばしいなあ。

2, June 1997 (Mon)
今日はことえり。昨日から6月である。実に早い。
今週末は金曜の夜から私事で割合色々なことがあった。特に日曜日は大いに恥をさらしてしまい、醒めた今思うと顔から火が出そうだ。実にどうもバツが悪い。ゴミタメのような部屋で私の妙な自戒標語をみてしまった客のことを考えると、ますますバツが悪い。別に私は悪いことはしていないはずなのに弱みを握られてしまったような気がするのはなぜだろう。結局、拙宅に客を招待したのは軽率であったという事になろう。どうも酒が入ると気が大きくなってしまって、普段プロテクションを掛けているはずのものをどんどんさらけ出してしまい、失敗する。このことで私は当分悔やむのだろう。まったくご苦労なこった、と私の中の冷笑屋が皮肉たっぷりな顔で私に言うのだ。全くそのとおりだと思うので、言い返すことが出来ない。頭を抱えて後悔してももう遅い、とバッサリやってしまえればどれだけ楽になることかと想像はして見るものの、出来るはずもなく悶々とする。まったく、ご苦労なことだ。
話は変わるが、思わせぶりな口調で思わせぶりなことをほのめかされつつ結局全容を明かされないというのは辛いものだ。そのため胃酸が大盤振る舞いされているのが自覚できる。真綿で首を締められるような苦しみを味わってしまっている。どうかこの気弱な青年をあまり苛めないで下さい、などと言いたくなってしまうが、しかし種を蒔いたのは自分なのだから仕方ない。
胃が痛くなる。

30, May 1997 (Fri)
今日は MSIME97 。昼ごろに多少雨がぱらついたようだ。
以前、私は千葉市にすんでいたのだが(不本意ながら依然として本籍地は千葉市である)、その千葉市に建設された通称「チバリーヒルズ」という高級住宅街になる予定だった住宅地がある。ただし、高級なのは価格だけで、そのものにはなりきることができなかったようで、住民1名と法人3社がそこを分譲した会社を相手取り損害賠償請求を行った。高級住宅街にするという約束を果たさなかった責任を賠償しろというわけだ。なるほど、そういう罪の問い方があるのか、と感心させられた。さて、裁判所はどのような判断を下すのだろうか。
今日は実にうれしい知らせがあった。大学時代の後輩が就職したという知らせだ。最近受け取った知らせの中でこれほどのものはなかった。いろいろ事情があったらしいのだが、めげずに十全に持てる能力を発揮することを願ってやまない。
さて、先日のウサギ生き埋め事件とはあまり関連がないが、今度は誰もいない時間を見計らい学校に侵入してウサギ7羽を虐殺するという事件が起きた。この学校は埼玉県大宮市の学校ではない。
なぜウサギを虐殺せねばならぬのか理解も想像もできないが、それでも考え込まざるを得ない。あまりの貧困のために肉屋に売ろうとして殺したというならまだ理解できるが、仮に犯人が捕まり、動機として「面白半分」などと言い出されてしまったら、そこで私の理解を超えてしまう。なぜ子供たちがかわいがっている小動物を殺すのが面白いのか理解できる人がいたらぜひ私まで連絡して欲しい。犯人は、そのために法を犯すような真似をしてまで行う価値を見出しているはずだ。それほどまでに素晴らしい?ものとは、いったいどのようなものなのかぜひ知りたい。
話が変わる。
オウム元信者の富田隆被告が、松本智津夫被告のハルマゲドン説法は「未来少年コナン」「機動戦士ガンダム」などからの受け売りだったと証言した、と各新聞系、通信系速報は伝えている。信者は悲惨だ・・・。縋った教えのネタがなんと子供向けアニメだったとは。いくら皮肉屋の私でも「子供向けアニメにこそ真理が」なとどは、あまりの悲惨さに冗談としても、とてもいえない。

28, May 1997 (Wed)
今日は MSIME97 。昨日は午後に雷雨となったが、今朝もまた昨日の朝のようにとても爽快な天気となった。天変地異は幸い起きていなかったので今日も歩いて出社した。明日こそ天変地異がくるだろう。
昼に支給されたマシンのためにいろいろなものを買い足してきた。すでに気に入った101は保有しているので106を探しにいったのだが、残念ながら気に入った106が見つからず不本意ながらも109を購入してきた。だが、109にしてはなかなかスペースバーも満足度が高く、キータッチもよい。私が信頼する某キーボードメーカの製品を今回も選択したことに満足している。どうせ会社で使うものなので(要するに自分の金で買ったものではないので)いろいろと冒険をしたいと思っている。まあ、まず壊れることもあるまい。 手始めにサウンドカードと内蔵型のスピーカを買ってきた。サウンドはチープ、見てくれももちろんチープ。この両者の組み合わせの貧相さは、えもいわれない。私は、これを大変に気に入った。但し、このせいで IRQ がすべて埋まってしまった。SCSIも載らない。
さて、今日も気になる事件があった。埼玉県大宮市の小学校教諭が生徒の見ている前で生まれたばかりの一羽のウサギを生き埋めにして殺したという事件である。私はどうもこういった事件は苦手である。なぜこういう行動をとるのか理解どころか想像することすらできないからである。教師は児童を教室に戻す時間が迫っていたのでとっさにこういう行動をとった、という。とっさに殺すというこの発想は、どういった教育を受けるとするようになるのだろうか。あるいは、保守派の人々がいうように、これは生来の資質に属する問題なのであろうか。私は、環境や教育の影響であると思いたいが、もしもそうであるならばその教師は、一般的な高等教育に加え、教員を育成するための過程を経てなお教員としてのみならず人間として欠陥を抱えたまま全人的な指導を行うべき小学校の教諭になったことになる。こんな恐ろしい話は近来聞かない。
欠陥を直せなかったことと採用にあたって欠陥を見抜けなかったことと、この両者の意味において教育機関は滅んだも同然である。彼らは信頼を回復するためには少なくともこの教員を人間にするところから始めなければならない。もちろん、辞職させるなどは論外である。これは埼玉県や大宮市の教育委員会だけの問題ではないのだ。私ども一人一人に重くのしかかっている切実な問題ではないだろうか。

27, May 1997 (Tue)
今日はことえり。あまりの陽気のよさに歩いて出社してしまった。明日は天変地異するかもしれない。
まず私事から。新しい計算機が支給された。支給扱いというのがありがたい。早速普段使い慣れている道具やこれまで使っていた計算機ではディスクの容量の関係でなかなか入れることができなかった処理系などを入れる作業にとりかかっている。
さて、ニフティの運営するニフティサーブの某会議室でのフレームに対する訴訟が原告側の勝訴となった件についての報道が割合大きく扱われている。各報道機関はなおざりな、まるでおさむい評論を加えているが、これは確かにわが国では画期的な判決である。まずこの判決は歓迎すべきであると考える。というのは、一般社会で他人を誹謗中傷した場合と同じように扱われるべきであると考えるからである。また、ニフティサーブは非常に匿名性が高く、その運営会社の社風と関連があるように思われるのだが、くだんの女性も誹謗した相手を特定するためにニフティの協力を得ることができなかった。会社側は通信事業法がどうのこうのと言っているが、法の精神は誹謗者を隠匿することにはないのである。非常に遺憾であると言わざるを得ない。大体、名前すら隠せるあの運営形態は犯罪の温床のような気がしてどうしようもないのだが、このことは余談なので触れない。
ここで注目したいのは、誹謗者のみならずフォーラムの管理者(SYSOP)とBBSを主宰する会社側にも責任があると認定したことである。これは歓迎したい。これまで責任を果たしていると到底思えないようなフォーラムも存在したが、これを気に秩序が回復するかもしれない。
ただ、管理するもの、されるものという図式がこれまで以上に強調されるようになるかもしれない。そんなことは実際には重要ではないのだが、これこそ特に重要な問題であると錯覚してしまう人が多く出るような予感がする。そういう人はえてして声が大きく、和を乱し緊張をもたらすことが得意であるように思われる。
結局のところ、各人が気をつける以外に抜本的な解決策などない。管理がどうのこうのといってもそれは副次的な問題ではないだろうか。
話が変わる。
たった今、少年の頭部が鋭利な刃物で切り取られて置かれているという非常に残忍かつ猟奇的な事件が発生したというニュースに接した。また、暴力団員が少女を置き屋と呼ばれるところへ売り飛ばしたというニュースもあった。いったい、これはなんなのだろうか。
両者とも、子供が被害者である。子供。なぜ子供を?
これが人間のやることなのか?

23, May 1997 (Fri)
今日は MSIME97 。ますます頭痛が酷くなってきている。
私が最近手をつけている家庭用ゲーム専用機用の3枚組みのゲームがあるのだが、話が佳境に入ろうとするところで都合よくシークが出来なくなってしまう。おそらく面に傷があるのだろうが、場所が場所だけにこれはもう一組ユーザに買わせようとするゲーム会社の陰謀なのではないか?もちろん冗談である。
自衛隊の化学戦の専門家が今月発足したオランダのハーグにある化学兵器禁止機関(OPCW)の査察局長に就任する見通しとの報道があった。この一佐はジュネーブ軍縮会議に日本政府化学兵器専門家として7回参加し、化学兵器禁止条約案の起草にも携わったということだから日本政府がOPCWに推薦してもおかしくない人材である。それに、日本政府はこの機関の年間予算の16%を負担するそうだから日本人が枢要なポストをになうのは当然である。
なぜこれが興味を引くニュースかというと、自衛官として初めて国際機関の幹部としての要員を出すことになるからだ。しかもそれが化学兵器を加盟国がつくってないか査察する局の長になるという。戦前の日本軍は化学兵器に関して実に多くの問題を諸外国、特に大陸にもたらしてきたことで悪名が高いことは周知の事実であり、いまだに当時の化学兵器の処理は終わっていない。その国の軍人が(もちろんもはや大日本帝国などではないし、軍も解体されたが)そういうポストへ就くことを認められたということは、日本への信頼が回復していると見ていいのだろうか。
話が変わるが、今や数多くの日本人が国際機関で活躍しておられるが、その活動は実際のところあまり周知されているとはいえない。たとえば、国連難民高等弁務官が何をする職なのか知っている人はまれである。国内的にやれ国際貢献だやれ人的貢献だなどといっているがその実、紛争地帯に自衛隊を送り込もうとすることばかり考えている。国民のコンセンサスを得ることが難しいことはわかりきったことなのだからそれはそれとしてもっと地道に国際社会に人材を輩出させて行くことをこそ考えるべきではないだろうか。たとえば、小中学校の社会科の時間にもっと国際社会に目をむけた授業を行なう、例として国連の諸機関の活動内容を詳しく紹介したり実際に活動している人々を招き講演を行なってもらうなどすれば、将来の選択肢としてそういった道を考える子供も出てくるのではないだろうか。それ以前にまず日本と国際社会の結びつきを正しく認識することは大変重要なことであるが、現状ではその事に大変重要なはずの近現代史は敬遠されている。敬遠されているどころの話ではない、歴史を歪めてしまおうという勢力も存在する(いつも思うのだが、彼らはそれが「真実」であると主張するなら国内の無知な人々にだけではなく世界中に、特に大陸に渡ってその自説を披瀝すればいいのだ。生きて帰れるかどうかは保証できないが)。話がずれたが、そうした地道な活動を行なって行けばそのうち国際貢献などという国内と国外を明確に意識した言葉がなくなって行くかもしれない。そうなったとき、国際社会の一員として日本は立派にその地位を確立出来るだろう。迂遠に似ているが、しかしこういった活動を抜きにして本当の国際貢献などありえないのではないだろうか。

20, May 1997 (Tue)
今日はことえり。風邪を引いて頭が痛い。
昨日、ジェレミー・ブレッドが数年前に永眠していたことを知った。今さらながら冥福を祈りたい。
最近体調が悪い。それはそうだろう、夜眠れないで酒ばっかり飲んでれば体調だって当然崩れるというものだ。自業自得である。寝れば寝たで変な夢を見てうなされてすぐ起きる。全然眠った気がしない。別にそれはそれでいい。
参議院開設五十周年記念行事を行うそうだ。日ごろ存在感のない参議院はそのアピールに懸命だ。記念行事を行うだけの議会なら要らない。大体参議院は良識の府などと自称しているが大体なんで良識の府、上院に会派があるのか不思議だ。特に最近の参院の動向はちょっとおかしい。国民の関心が大変深いはずの法案はなかなか議案説明もなされず、某党の幹事長の議事を急ぐようにしてもらいたいとの発言に過敏に反応してみたり、説明にならないような言い訳をしてみたり、これが良識の府なのだろうか。
なんのために六年間安定した身分を与えているのか。別に、六年もの間、特権を与え且つ只飯を食わせるのが目的ではない。六年間その食、あるいは職を保証し特権を与えるのは各議員に衆議院とは違う「なにごとか」を期待しているからにほかならないだろう。だから世論の反映をある程度(つまり三年ごとの半数改選という程度)犠牲にしてまで身分を保証しているのではなかったのか(「参議院議員」であっても「代議士」ではないのである)。上院・下院の2院制には反対ではないのだが、現状の参議院なら必要ないように思えてならない。
話は変わるが、千葉県内にある某大学に某市長が、その市長の支持者や県議から頼まれ、支持者等の子弟のその大学へ入学を斡旋していたという。多いときには被斡旋者一覧というようなものまで作成し、大学の当局者へ渡して処理を依頼していたという。市長と大学の関係は、その市長が大学の役員だったか理事だったかをつとめていた。
いかにも千葉に起きそうな出来事である。イナカの名士、イナカの議員、イナカの首長。イナカの権力者はその持てる権力がどこに由来するか理解するどころかうっすらと感得することすらできない。その権力は自分に由来すると堅く信じている。
イナカの学校。暗黙の了解。どろどろとした人間関係。おぞけをふるうような光景が目に見えるような気がして仕方がない。

19, May 1997 (Mon)
今日は MSIME97 。雨が降り出した。
前回までのファイルはあまりな内容なので公開が不能と決定されてしまったため、97年3月〜5月(前半)を分割し、新たにファイルを作り直した。内容を変更するのは徒然苔である以上不可能なのでこのような処分を行なった。但し、決定者は自分自身なので、この場合受け身であらわすのは本来おかしいのだが書く自分と読む自分の二人がいるので特に気にしないでほしい。また、今後の方針として新機軸を打ち出すつもりはまったくない。
さて、今日は整理したかっただけで特に書くことはない。


    過去の徒然
  1. 平成8年4月1日(月)〜平成8年10月2日(水)まで
  2. 平成8年10月6日(日)〜平成9年3月3日(月)まで
  3. 平成9年3月5日(水)〜平成9年5月7日(水)まで


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