徒然苔


吉田さんに倣って日々の徒然を綴ることにした。徒然じゃないときは綴らないので日記ではない。
( 実質は日記である。 )



15, June 1998 (Mon)
今日はことえり。体中が酒臭い。
後悔先に立たず。昨夕六時から今朝四時まで呑み続けて、もうどうしようもなく胃の調子が悪い(頭も悪い)。呆れるほど強い人と一緒に飲んだため、ついついつられてペースを崩してしまったのが運の尽きであった。気付いたときには、もう遅かった。今思うと、サッカー観戦で昂揚した気分のまま入った三軒目が敗因らしい。さらに翌朝、こちらは胃がでんぐり返りそうになっているのに、すっかり元気で食事をしっかり摂っておられたのには、もう脱帽。参りました。しかも、その方には深夜まで仕事がある。私から誘っておいて勝手な言い分ではあるが、くれぐれも体には気をつけてもらいたいと強く思う。世の中にはすごい人がいる、としか、言葉が出ない。
今日の東京は、いい天気だ。

11, June 1998 (Thu)
今日は MSIME97 。
ICQ というツールがある。使っておられる方も多いように思うが、これを AOL が買収した。正確には、 ICQ の開発元 Mirabilis 社を買収したと言うことである。買収後も Mirabilis 社は開発を続け、 AOL はその技術を使い自社サービスを拡充するそうだが、 AOL 専用に特化してしまうことのないように願いたい。
都議会で羽田空港の国際化を目指し決議案を採択しようという動きがあることを受けて、千葉県議長らが東京都知事に羽田空港の国際化反対を申し入れた。成田空港の発展に水がさされるからというのがその主な理由らしい。長い間成田に苦しめられてきた千葉県にとって、羽田空港が国際化されてしまうとこれまでの苦労が水泡に帰す危険もあり、面目が立たず、困るのであろうが、どう考えても国際空港が、我が国の首都の都心から1時間以上もかかるところに1つきりしかない状況はおかしいと思う。もちろん、これまでの長い血塗られた歴史や、成田問題に翻弄されてきた県や地域住民には敬意も払いたいし、感情的には同情はするが、だからといって羽田が国際化してはならない理由にはならないであろう。この千葉県議長らが都に捻じ込むのはどうも筋が通らないように思える。それに、国際化をさせてくださいと、国などにお願いをしてゆくことにしましょう、と言う決議も、都議会はまだ行ったわけではなく、これから行うのである。
話が変わる。熊本市の市立中学校で、今月初め、男性教諭が同席して女子生徒の上着をめくるなどしての下着検査が行われ、子供が動揺しているなどの抗議が寄せられ、熊本県教育委員会は詳しい事実関係の調査を始めた。学校側は「普段から下着も含め適正な服装を心掛けるよう指導しているが、やり方に少し配慮が足りなかったようだ」と話しているし、県は「子供の人権を第一に考えてほかのやり方、場所で実施すべきだった」としている。要するに、このニュースは、男性教諭が下着を見たのが問題だと言いたいらしい。
ところで、私が思うに、県は場所を変えればよかったなどとのたまっておられるようだが、下着を検査するなどはちょっとキチガイじみた行為ではなかろうか。学校側の、このセリフを臆面もなく口に出来るこの学校はいったいどこだろう。さぞかし頭のいい校長先生以下、大変優秀な先生方が多数おられるに違いない。もちろん、これはイヤミとして申し上げている。
熊本県教育委員会の考え方を理解することは、ちょっと私には出来そうにない。下着なんぞは学校が管理すべき問題ではないと思えてならない。これに比べたら、男性教諭が下着を見た、見ない、という問題なんかどうでもいいのである。県教委や学校側が、生徒らの下着をすら管理しようとしている姿勢をこそ問題にすべきではないのか。完全に論点がズレているようにしか思えない。
さらに話を移す。アメリカ合衆国の某現職大統領も信奉している某キリスト教系宗教団体は妻の夫への忠誠を求めるとの一項を教義に追加して、某大統領は困ってしまったそうだ。もっとも、それはどうでもいいのだが、なんでもこの教えは神様がそうあるべきであると決めなさったそうだが、なぜ今まで項目に掲げられていなかったのであろうか。それとも、神様が時々気を変えるのであろうか。
宗教なんてこんなものか。
それにしても、アメリカの保守化は最近加速度的に進んでいるように思える。先日も二カ国語での教育を打ち切る州が出たり、極端な例では黒人を車で引きずって殺すなどという事件が発生したり、どうも徐々に思想的平衡感覚が喪われつつあるように思える。輝かしい自由を誇るアメリカは、どこへ行くのであろうか。
どうでもいいことだが、そろそろパソコンを新調しようかと思っている。ただ、チャットにしか使わないことを考えると、出費がばかばかしく思えてくるので、しないかもしれない。

9, June, 1998 (Tue)
今日はことえり。
どうも食中毒に罹ってしまっていたらしい。生まれてはじめてであるような気がする。いつの間にか六月になり、梅雨入りしてしまっている。これからの時期、食中毒には読者の方におかれても十分気をつけられたい。
先日、友人に秩父へ連れていってもらったのだが、思いがけぬ誕生日にしてもらった。思わぬイベントをくれたことに感謝したい。今まで意識の中に秩父という名前がなかった。帰った後で調べてみると、どうも東京から日帰りできる行楽地であるようだ。再度行ってみたいと思う。
日本ではベンチャー企業が育ちにくいとよく言われるが、NTT がグループ会社を含む社員からアイディアを募集し、優秀なアイディアを2件選んで、それの事業化を目指すというニュースがあった。これによると、アイディアを発案した本人らが社長などに就任、NTT が本人とともに出資するというもの。この記事でユニークだなと思った点は、仮に事業化が出来なかった場合、会社を清算し、提案者は元の職場に戻るということである。もっとも、プライドやらなにやらで、実際に戻ることが出来ない場合もあるのかもしれないが、これは大企業の投資先としてはかなり有望であり、かつ、一会社員が新規事業を興すにはまたとないチャンスとなる。何と言っても、投資してくれるスポンサーを探す手間がなく、失敗しても帰る場所があるというのは心強いのではないだろうか。成功すれば、投資した会社側にとっても小回りの利く子会社を手に入れることにもなる。常套手段ではあるが、これは優秀なアイディアを募るにはいい方法だろう。
さて、過日、久しぶりに錦糸町へ行ったのだが、再開発後の様変わり様には驚いた。これからさらに四ツ目通りに地下鉄も走ることだし、あの独特のいかがわしさが妙に懐かしく思われるのはなぜだろうか。

27, May 1998 (Wed)
今日は MSIME97 。週末、荒川へ釣りに出かけたのだが、土日ともまったく釣果はなかった。前腕の表部分だけが日焼けして風呂に入るとしみる。どうも情けない。今週末こそ釣り上げてやろうと、今から週末が待ち遠しい始末である。
ここ数日、再び道楽としての料理をしている。一人暮らしにとって、自炊ほど不経済なものはないのであるから、道楽としか言いようがないわけである。米を炊くだけなら、安上がりだが、生憎白米だけではどうしようもない。従って、菜を作ることになるわけだが、これがばかばかしいほど出銭になるわけである。一度材料を買い込んだら、腐る前に何とかしなければならないという強迫観念も生じる。自炊するたびに、さまざまな菜などをふんだんに取り入れてあるコンビニ弁当というもののありがたみが分かる。他の人たちは、どうしているのだろうか。
墮落の園にコンテンツが一つ殖えた。更生院と名づけたが、初期の意図とはまったく違った出来具合になってしまった。今後拡充して行こうと思うが、どうもキワモノ的な発展を遂げるような予感がする。結局、墮落の園附属である以上、そうなるのは必然かとも思うが、さて、一年後、どうなっているのか、楽しみではある。
この更生院、ただでさえ遅いサーバ上で稼動しているうえに、CGIとSSIを多用したため、ピーク時には動作しないのではないかと思うが、気が向いたらご覧いただければ幸いである。

19, May 1998 (Tue)
今日は MSIME97 。最近の東京はすっかり夏めいている。
先日新横浜にあるラーメン博物館を見学してきた。新横浜に行ったのは初めてである。話には聞いていたが、本当に新横浜駅はJR東海が運用していた。イオカードで電車に乗っていたので、精算出来るかどうか不安だったが、精算出来た。但し、乗車時にはイオカードは使えない。それはどうでもいいのだが、ラーメン博物館の狭いビルの地下にはうじゃうじゃと人だかりがおり、何十分もラーメンを食べるべく蒸し暑く暗い中を待ち続ける人々の姿はまことに不気味であった。そこまでして食うほどの価値があるかどうかを確かめる気にはとてもなれず、一通り見学をして出たのだが、このことは日本人のラーメン好きというよりも、むしろ行列好きというべきなのだろう。一種の狂気であるように思えてならなかった。
話が変わる。
日本では驚くべきことに同族が同族を差別するということを平然として行ってきた。戦時捕虜や異民族を奴隷に貶めたり差別したりということはざらにあるが、ある特定の地域に住むものや特定の職業に従事する者達を差別するという歴史が日本にはある。近い例で言えば、穢多、非人と呼ばれる階層があった。驚くべきことに、阿波には藩命で農奴に貶められた階層もあった。前者は政策上の理由で、後者は経済上の理由で、それぞれいわれなき差別を受けた者であろう。前者がなぜ政策上の理由で差別を受けたかといえば、元和偃武の後、徐々に世の中が安定するにつれ、徳川政権は身分制を以って世の中を仕切ろうとしたところに由来する。室町期には一度身分制が大崩壊を遂げ、武士も農民もない世の中になったはずなのだが(豊臣秀吉を見よ)、それを再び士農工商という身分にそれぞれ押し込めるときに、武士とも農民ともつかなかった者を農という被支配階級に押し込めると不満が募る。そのため、さらにその下の身分としてこれを設けたのである。差別されていることを第三者にわかりやすくするために、服装や髪型に一定の制限を設けたりもされた。しかも、これを穢れ多い、人にあらず、などとし、徹底的に抑圧した。この場合、徹底的に抑圧しなければならないのである。このような抑圧される様を見て、不満を散じさせなければならない。この機構が完成するのは江戸中期ごろである。
しかし、この陰惨さはいったいどうであろう。徳川政権は、徳川家の家政機関の拡大したものであるが、徳川家康の支配原理を具現したものとも言えるだろう。彼は、徹底した自家主義であった。それがこんな所にも現れているといえないだろうか。
話が外れるが、差別意識というのは、特に同和問題において、西において高く、東において低い。西では未だに部落差別が現実の問題として存在している。これは、寺院などの領地が西に集中していたことで、寺院などの領地では、室町期の大沸騰時代が直接には影響しなかったことで、古代からの奴隷経済のなごりが払拭されなかったというのも一つの理由ではないか。
話を戻す。徳川家の安泰のためにいわれなき差別を受け、未だに苦しむ人々が多くいるのは事実である。被差別部落出身のためというだけで、初等教育すら受られなかった人はざらにいるのである。結婚や就職にも影響があるのである。ふざけているとしか言いようがないではないか。
徳川末期、徳川慶喜という将軍がいた。彼は大政奉還後ではあったが、浅草に住んでいた弾という穢多頭を「開放」した。その時、「なぜ、このような大事を言わなかった」と側近を叱ったという。大阪城から逃げ帰ってくるまで、この件が松本良順によって上程されていることを知らされていなかったからである。なぜ彼が「このような大事」といったのかはわからない。ただ、もしかしたら徳川家一軒のために差別をしてきたことに対して後ろめたさがあったのではないかと、その著作「胡蝶の夢」の中で司馬遼太郎は言う。そうかもしれない。そうでないかもしれない。どちらにせよ、このことは明治四年に開放されるまでは、混乱の中でうやむやになってしまうのだが、最後まで徳川に翻弄されたとだけは言えるかもしれない。
差別は情けないものなのである。恥ずかしいことなのである。なぜこんな単純明快なことが理解できないのか、理解に苦しむ。

3, May 1998 (Sun)
今日はことえり。五月である。
先日、会社でまたも席替えを行い、私の占有スペースとして相当の広さを頂いてしまった。またどうせすぐに席替えを行うだろうが、実のところ、あまりの広さに面食らっている。管理職よりも広いのである。これはもう帰宅せずに働けという会社側からの圧力であるとしか思えない。もっとも、昨日も今日も休日出勤をしている。私の方としても、これだけの環境を得られるならば、その期待に報いたい。むしろ、もうこの位置から動きたくないという意味を込めて、植物類を持ち込んだ。ここに根を生やす、と言うわけだ。ただ、長期不在の時の水やりについては、これから誰かに依頼せねばならない。ついでに、会社用の寝袋も新調した。真新しい寝袋は心地よい。
さて、2000年の4月から東京都区部が市町村と同格の基礎的な地方自治体とされる新しい地方自治法が国会で可決、成立した。これはこれまで都が行ってきた清掃事業などを各区が行うことを意味してもいる。各区に清掃工場が必要というわけでなく、幾つかの区が集まって一つの清掃工場を造ればいいわけではあるものの、ゆくゆくは基本的には各区が各区内で処理しなければならない。ゴミ問題は相当デリケートな問題なので、どのようになってゆくのか見守りたいと思っている。
権利を得ると言うことは義務を負うということでもある。税などをこれまで以上に主体的に活用することが出来る反面、これまで都が行ってきた業務を区が負わなくてはならない。地元に密着した行政が期待できる反面、区によっては大きな負担となりうる可能性もある。だが、私は概ね、区毎の特色ある行政を期待できるのではないかと思っている。

25, April 1998 (Sat)
今日はことえり。
早いもので、もう今月もあと一週間弱を余すのみとなった。最近、徒然苔が書けぬほど忙しい。見返してみれば、先月はたったの一件、今月はこれが最初という体たらくである。そろそろ世間ではゴールデンウィークだが、連続した休み日数は少ないようだ。そんなものがない私としては、意地悪く内心ほくそ笑みたい心境である。
さて、いつだったか忘れたが、ふとしたきっかけで岡山へ行ってきた。特に何をするというわけでなく、現地で知人と酒を飲むためだけが目的だったのだが、大阪以遠に向かう場合は、普通、飛行機を利用するのが常なのだが、時間的にどうしても間に合わなかったために新幹線のぞみ号を利用した。のぞみ号を利用したのははじめてである。どうせ乗るなら500系が良かったのだが、500系のタイムテーブルが目的の時間に折り合わなかったのは残念である。
それにしても、のぞみ号を利用すると全席指定なために高くつく。通常期も繁忙期も閑散期も全席指定とは、JR東海もあくどい商売をするものだ。時間という足下を見られた思いである。あとちょっと時間的余裕さえあれば、ひかり号の自由席でよかったものを、と考えると、何やら口惜しい。国内の航空各社がもっと頑張って便数を増やせば、JRもこのような大名商売を改めよう。そして、そもそもJRなんぞを使う必要がなくなるわけである。三大キャリアと言わず、国内航空各社の奮闘を期待したい。
飛行機といえば、地方都市では空港までのアクセスが非常に悪いのはなぜだ。山の中や海際にあるのは止むを得まい。それはいいとしても、空港からバス、タクシーしかなかったりすることが実に多い。それこそ電車が通じている空港は数えるほどしかないのではないか。バスだと、都市部に差し掛かった途端に渋滞にはまりこんでしまったりして酷く具合が悪い。時間の計算がつきかねるのである。反面、設備投資額が安上がりであり、飛行機の到着時間が遅れてしまった場合などに融通が利くという長所もあるが、それにしても、県央部にくらいは電車の路線の一本で結んで欲しいものだ。飛躍的に空港へのアクセスが良くなるに違いない。どうせ我々都民から絞り上げた税金を地方交付税としてばらまくなら、公民館やナントカホールを作るより先にそっちを整備してもらいたい。どうせ何を作ったって赤字経営なら、地方公共団体が御題目のように唱える活性化のためにも、検討していただきたい。
話題が変わる。
日本テレビだったと思うが、早朝のニュースで、調査によると13歳から18歳までの女子中高生のうち、70%弱程度が男性に援助交際を求められたことがあるという。この数値はいったい何なのだ。全く信じがたい値である。おおよそ20人に1人の割合で性的な交渉を含む援助交際をした経験があるという結果も同調査では出ているが(性的な交渉、つまりセックスなどは行ったことがないという回答を含むとなると、さらに数値は3倍の率に跳ね上がる)、これは男性側、つまり声を変えるほうの率の高さの方が問題視されるべきであろう。声を掛けられる側、つまり少女らの父親の様な年齢層の男性からこのような声を掛けられる少女らのうち、自分の父親を冷静に見ることが出来なくなったという声も聞かれる。さらには、はっきりと嫌悪を感じてしまう子もいるという。当然だろう。
どうしてこんなに腐ってしまったのだろうか。これを社会の腐敗と言わずして、なにを腐敗というか。社会の屋台骨となるべき層が腐っていて、どうして次世代を担う層がまっすぐに育つだろうか。育つわけがない。まさしく「この親にして、この子あり」なのである。子供は呆れるほど素直なのである。金が欲しい→体を売る。明快すぎるほどの図式である。このような子供らを食い物にする馬鹿どもに対して、もっと強権的な制裁が必要ではないのか。社会を腐らせる、重大な犯罪を行っているということをなぜ理解できないのか。それとも、わかっていつつ、なお、反社会的な立場からこのような事を行っているのか。そうではあるまい、何も考えずただ刹那的なだけであろう。こんな奴等が支える日本の行く末は、自ずから見えようものである。朝っぱらから胸がむかつくような調査結果である。
話ががらりと変わる。
先日、初代和の鉄人として有名な道場の店へいってきた。これで鉄人の店は二台目フレンチの鉄人こと坂井に続いて2件目である。さすがに私のように常日ごろはジャンクフードばかり食べているようなものには余りに高尚すぎて、どのように表現すればいいのか、わからないほど、おいしかった。
だから、どうしたということもない。それだけである。ただ、帰り際に、逆方向の電車に飛び乗ってしまったことだけ、悔いが残る。

3, March 1998 (Tue)
今日は MSIME97 。
今日は桃の節句である。先日、東京では雪が降ったものの、今日は節句にふさわしい日柄となっている。
三女を大阪市大正区では、階段から突き落として殺し、その後長女に食物を与えず衰弱死させた親がいる。四女が生まれ、他の子が可愛くなくなったから殺す。北海道釧路市では、次男を柱に打ちつけるなど虐待を加え殺害した親がいる。おもちゃを片づけないから殺す。
中高生を買春する教師がいる。教え子であるはずの養護学級の生徒に猥褻行為を働く教諭がいる。腹が立つから生徒に虐待を加える教諭がいる。
こんなニュースが比喩でなく毎日のように入ってくる。
親は親である事をやめ、子供になった。教師は教師である事をやめ、子供になった。大人は、大人である事をやめ、子供になっている。
子供のいる場所は、元大人どもに占められた。子供が、人間である事をやめるのは当然ではないか。最近の中高生をみれば、あきらかだ。詐欺、強盗、殺人、売春、麻薬、なんでもござれだ。彼らは、人間であるべく育てられていないのだから、あたりまえだ。何も今に始まった事ではない。これからも悪化しつづける。間違いなく。誰が糾すというのか。居やしない。手後れだ。
気象庁はソメイヨシノの開花予想を発表した。今年は一部を除き、やや早めに開花するという。東京や大阪・横浜などは、今月27日と予想されている。
桜の散り際は美しい。せめて、この国も。

20, February 1998 (Fri)
今日はことえり。
昨日は久しぶりに旧い知人と食事をした。元気そうで何よりであった。
今日、またも、埼玉県大宮市の中学校教諭が、東京都青少年健全育成条例違反の疑いで逮捕された。罪状は歌舞伎町の路上で埼玉県の高校生を売春し、猥褻なビデオを撮影したというもの。
この男、15年前から中学生や高校生を売春し、ビデオをとることが趣味だったという。家宅捜索の結果、自宅や学校のロッカー(!)から撮影済みのビデオが数千巻も出てきたという。
今に始まったことではない。昔からこういう変態は学校に先生づらしてノコノコと来ていた。生徒に子供を産ませてしまうなどというキチガイ教諭もいた。こんな奴等ばかりではないことは重々承知しているが、しかしこういう人非人は確かにいる。
常々思うのだが、教育界と言うところには自分で自分を律するという概念がないのだろうか。昔からある問題がエスカレートすることこそあれ、収まる気配がない。既に抑えがたいならば、現在の学校制度は廃止されるべきである。学校の役割を根本から見直しをするとともに、その役割に見合った制度を考案し、実施してゆかねばならない。それには、現状の学校制度である必要はないのではなかろうか。おかみが教育を施すという制度は、もう使い物にならないことは教育現場の荒れ方を見れば明らかではないだろうか。制度とは、神聖なものではない。いわゆる方便なのである。一度決まってしまえばそれっきりというものなどでは決してないはずであり、人が決め、人が運用してゆくのだから、人がかえることは出来るのである。
先日、興味深いデータがあがってきた。中高教諭らの意識調査だが、それを見ると、生徒らを指導する以前に自分らをどうにも出来ない教諭らの苦悶が見え隠れする。先生になるべきではない人間が先生という職業を選択してしまった罪なのだから、先生が悩むのは当然としても、彼らに課された任務を果たせないということは非常に憂慮すべきである。果たせぬ任務を課することはこの上なく不毛であるばかりか、害すらある。結果として社会が崩れ行くのである。悩むのは当然、などと悠長に構えている余裕は、ないのである。そろそろ、もう現行制度は駄目なのだから、文部省廃止を含めて、どういう制度を作るべきかと言うことを、おかみ主導ではなく、我々が考えはじめてもいいのではないか。既に屋台骨は腐り、底は抜けているのかもしれない。しかし、諦観して黙って沈没するのを待つよりも、最後まで足掻いていたい。
ところで、この男、中学校では教務主任、生徒指導を担当していたという。こんな野郎に指導されていた生徒達はいい面の皮である。

2, February 1998 (Mon)
きょうはことえり。
最近、ナイフによる中学生の凶行が相次いでいるが、ついに亀戸で中学生による拳銃強盗殺人未遂事件が起きた。幸い防護服で貫通しなかったとは言うものの、巡邏中の警察官の右胸をナイフで刺すという考えられないほどの残虐性と、拳銃を撃ってみたいから、飾っておきたいから、人を殺してでも奪うというこの発想はいったい何なのだ。遊ぶかね欲しさで強盗しようというなら、まあまだ理解できるかもしれないが、ここまで来るともうお手上げだ。もはやどうにも理解できない。
学校側はまたなにやらごにょごにょとやるのだろう。親は多分愕然とするだけであろう。結局うやむやのうちに「そんな事件は二度と起こさないようにしましょう」というアピールを採択して、ハイおしまい。
彼が発狂しているなら、まだいい。だが、そうではないであろう。おそらく、彼の行動を、全面的にではないにせよ、肯定する中学生は多くいるだろう。
もう、根本が誤っている。駄目だ。きっと普通の家庭で普通に学校に行き普通に育ったはずの少年なのだろう。普通を普通でなくさなければならない。現在の普通は、普通じゃない。
だが、どうしたらいいのだ?したり顔して批判しても、何をすればいいのかわからない自分が情けない。
ところで、子供が護身用などと称して凶器を持ち歩くのは、単にかっこいいからと言うだけではなく、本当に身の危険を感じているのではないか。実際はそうではなくても、その子供らにとっては案外切実な問題なのではないか。自己の卑小感?何をしても駄目だという無力感?そこら辺のことは専門家に蘊蓄があるだろうから、きっちり仕事をしてもらうことにして、我々は地区を夜間などに巡回することで多少は子供らの心の安定を図ることは出来ないだろうか。守られているという安心感を与えられないだろうか。心に余裕を持たせるには、そんなところからはじめると言うのも一策なのではないか。大人どもにとっても、地域社会の一員であるという自覚が出てこようというものである。大人の自覚があれば、その子供にだって伝わるのではないか。根無し草のような核家族が激増している昨今、案外有効なような気がする。忙しいとかなんとか逃げる者は多かろうが、逃げるやつらこそこういう社会にした者どもであると指弾しても、そろそろよいのではないか。もちろん、こういうことは危険な考えに結びつきがちなので、十分慎重になる必要は当然ある。今までは本人の勝手であるという理屈が通ってきたが、勝手に振る舞うには、それなりの義務を果たしてもらった後にしてもらっていいのではないか。義務には、納税だけではなく、自分が住む地域社会を守ってゆくということも含まれていいはずだと思う。

29, January 1998 (Thu)
今日はことえり。
黒磯の中学校生徒の件について、栃木県教委は事件の原因究明などを行う教育次長や義務教育課長等から構成されるチームを発足させることを表明した。現地に職員を派遣して情報収集を行い、その結果を踏まえて今日にも各学校へ緊急アピールを出すという。この場合、拙速でも時間を措かないことの重要性は勿論だが、同時に、焦らないでじっくりと底の底まで原因を掘り下げていってもらいたいと切に願う。変な喩えだが、人間の怪我に喩えるなら、恐らく重篤な後遺症が残るほどの大事故であるはずで、怪我の緊急処置はもちろん重要だが、術後のケアも同じくらい、いや、それ以上かもしれないほどに重要なことは言うまでもない。そしてもっとも重要なのは、事故を再び起こさないような対策をとれるように、徹底した原因の調査を行うことである。
職員の方々への期待は大きく、責任は重い。身内の恥だからと言ってうやむやなまま終わらせたりなどないよう、任務を完遂させて欲しい。また、今回の事件で、同校の生徒は深く傷ついたに違いない。これに対しても、有効な措置をとることを期待したい。同校では1限を生徒らに作文を書かせる時間に充て、ようやく生徒らの心を知ろうとしはじめたようだ。今それを行うのは最良のタイミングであるとは思えないものの、やらざるを得ないだろう。こんなときでなければ生徒の心を切実に知ろうとしない、できない、現実が暗澹とした気分にさせるが、しかし、そんな中で、真っ向から取り組む姿勢を見せたことについては、一筋の光明のようなものを感じさせもする。殆どすがるような気持ちで、成果を期待している。 話が変わる。
阪神淡路大震災の災害義援金の郵便振替の各対策本部等宛の送金手数料の免除期間が今年の3月末日で切れるが、日赤兵庫県支部については来年平成の平成11年1月末日まで延長された。振替口座番号は 01110-1-990 。明日はわが身だ。

28, January 1998 (Wed)
今日はことえり。
私が勤めている会社は中途採用がほとんどで、直接関係ない仕事をしている新人は名前すらわからない。彼らは入社後一月ほど経つと電話の対応をしはじめる者もいるのだが、彼らは例外なく社内の人間に対して敬語を使う。例えば、こんなふうに。「生憎課長の○○さんは席を外しておられます」
電話を取るだけマシといえばマシではあるが、呆れて指導する気力を失うから、だれも彼らに対して教えない。敬語なんか大人になってから覚えるものではない。だから、入社1年2年の者も未だに社外からの電話で社内の人間に敬称をつける。こんな事柄、教えるとか教えないとか言う以前に、ちょっと考えれば自然にわかりそうなものだが、考えることなどしないのだろう。言われた通りのことを言われた通りやれるだけ上等である。殆どの者は言われたことすら理解できないのだ。最近は小中学校は義務教育ではなくなったのだろうか。そんな話は寡聞にして聞かないのだが、おそらくこれも教育改革というやつの一つの成果なのだろう。
最近、学級崩壊という言葉が小中学校の教師の間にあるという。子供たちが、ほんのささいなことで大げんかをはじめたり、授業中にふらふらと気ままに席を立ったりするのが予兆だという。自分のことは話すが他人の話には全く興味を示さないというのも特徴らしい。
ある中学教師は他人と関係をつくる力が弱く、自己否定感も非常に強いと分析し、生徒の内面が大人にはわかり難くなっていると話す。この教師が担任するクラスではガスライターのガスの吸引やブランド物のシューズの盗難、下級生の恐喝などが相次いでいるという。生徒本人や保護者と話したり、生徒達に討議させるなど様々な対策をとったらしいが、改善は見られなかったという。
これは一例で、子どもたちが自侭にふるまったり、衝動的な暴力を振るったりして授業も成り立たないような例が、実際に各地で生じているのだという。
実際のところ、生徒達がなぜこのようになってしまうのか、原因がわからないかぎりお手上げだ。対症療法的な後手後手の対策に追われる現場の教師達に、原因を究明してゆくだけのゆとりがあるのだろうか。もう、これまでの教育制度は完全に破綻を来しているのではないか。社会が変われば教育制度も変わるべきだし、そもそも教師たるべく道を選んだ大人も、教育者としての資質や才能があるかどうかもおおいに疑問がある人も多い。極端な話、中には忌避されて然るべき人間だって平気で教師づらを下げている。もちろん、そんな人間よりも遥かに立派な「教師」がおおいこととは思うものの、誰にだって限界はある。いくら優秀な教師であったとしても、一人でこうまで荒れてしまった生徒達の心をいやすことは不可能に近いのではないか。
社会が変われば教育も変わるべきと言ったが、それはむしろ逆で、結局、社会そのものを変えなくてはならないのではないか。学校にではなく、我々に責任があるのではないか。今社会を構成し支えている40代前後の人々が作り継承してきた社会は失敗だったのではないか。我々の世代が継承すべき点、せざるべき点を見極めなくてはならないはずだ。そして、今の教育は継承すべきではない点の一つに違いないし、ひいては価値観は全く別物でなければならないだろう。価値観は変わってゆくものだが、変えてゆくものでもあるはずだ。価値観が変わればおのずと社会は変質してゆく。変質してゆく方向が、どのどちらを向いているかは、ひとえに我々にかかっているのではないか。原因を突き止めるよりも数倍難しいかもしれないが、突き止められるべきその原因そのものが社会の低質化に違いないと私は思う。
もっと私どもは危機感を持っていい。
(これを書いている最中、13歳の少年が女性教諭をナイフでめったざしにして刺殺したというニュースが入った。理由は未だ不明だが、13歳の少年が先生を惨殺する(現時点での可能性としては「(少年の主観として)せざるを得ぬ」と言うことも考えられるかもしれない)社会とは、いったい何なのかと考え込まざるを得ない。我々には、もはや時間は残されていないのではないかという不安、というよりも絶望が脳裏を占める。)

22, January 1998 (Thu)
今日はことえり。
いわゆる整備新幹線が、3区間において今年度内に新規着工が決定した。優先順位としては、東北新幹線、九州新幹線が同率1位、実質3位の北陸新幹線の順だそうだ。東北新幹線は新青森から八戸、九州新幹線は船小屋から新八代、北陸新幹線は長野から上越間だそうだ。何だかよくわからないが、同率1位の両新幹線はやけに区間が短いような気がする。両区間とも現行で2時間の距離だが、まあ運営主体となるJRも着工に同意したというし、事業費も今年度は各区間とも10億とそれほどでもないが、採算が見込めるなら最初から直通の特急でも走らせておいておけば余計な費用もかからないし、新幹線の建設費の一部だって出そうなものだ。東海道新幹線や東北新幹線等の超弩級とも言うべき幹線ならいざ知らず、100km強の区間に新幹線を建設するに当たって国庫から税金を出す必要があるのだろうか。地元住民にしてみれば欲しいのは欲しいだろう。それはもっともなことだ。財政構造改革集中期間中に建設する必然性を十分に議論した末の結論だと思いたい。財政改革は財布のヒモを堅く締めることが基本ではあるが、それだけでは意味がないのだから、議論を尽くして決定されたなら、それはそれでいい。
しかし、どうも某駅のような政治駅がまた一つ誕生するだけなのではないかという危惧を払拭できない。杞憂に終わることを願ってやまない。
どうでもいい話題。先日、デジタルスチルカメラの画像を整理していると写した覚えが無い写真が出てきて驚いた。どうも酔っ払っていたようで、写された側の方に私がしっかり写していたと指摘されてガックリ来ている。いい笑顔が写っていたのがせめてもの救いか。被写体に救われた。

21, January 1998 (Wed)
今日はことえり。
千葉大の飛び級入学の合格発表が先日行われた。中退の癖にどうこういうのも気が引けるが、今更とも思う。もっとも、やらないよりやったほうが私はいいと思っているので、まずは一歩前進というところだろうか。合格者の皆さま、おめでとうございます。
ふとしたきっかけから小松未歩というアーティストの存在を知って、CDを買ったのだが、一発ではまってしまった。特に輝ける星という曲には参った。新人らしいのだが、なぜもっと早く知らなかったのだろうと非建設的な愚痴が出るほど素晴らしい。ディスコグラフィーが1枚、シングルが3枚出ている。近いうちに4thシングルも出るらしい。久しぶりに期待できるアーティストに巡り合えたような気がする。
ここのところ、複雑なことを聞いたり考えたりすると眩暈がする。幼児退行が着実に進行(退行?)している証拠だろうか。精神年齢がますます低くなるのに肉体年齢や社会年齢はどんどん老いてゆく。ついでに最近は電話魔と化している。遠距離を朝になるまでおしゃべりしつづけ、NTTや新電電各社を喜ばせている。無論、一番喜んでいるのは私である。毎度チャットの最中に電話落ちしてごめんなさい。生活のリズムがぐちゃぐちゃになっても、続けられるかぎり続けてやる。もっとも、チャット三昧の毎日で、生活のリズムなんざ既に無くなって久しい。人間の屑でも人間だ。

16, January 1998 (Fri)
今日はことえり。
昨日の成人の日は関東地方を中心にまたも大雪が降り、成人式の式典を中止した自治体も多かったようである。私のときも、雪だか雨だかが降っていたような気もするが、忘れた。とまれ、新成人の皆さまの輝かしい未来を祈ってやまない。
いきなり私事になるが、昨日、私宛に心覚えのないメールが来た。猥褻なホームページに関するもので、そのホームページのWEBマスタ宛てのメールアドレスが私と非常に似ている。今後もこういうメールが来るかと思うと気が滅入る。とてもつらい出来事があった直後だったので、余計そう感じてしまったのかもしれない。よほど私は日ごろの行いが悪いと見える。少し気をつけなければ。
空元気を出すということについて、ちょっと考えてみたのだが、まとまらなかった。いずれ触れるかもしれない。
話題がかわるが、東京都では来年度(1998年度)から下水処理場の放水流を利用して、発電をすることにした。これは全国初の取組だそうで、都民の一人としてまことに喜ばしいことだと思う。下水道の放水流は増水時を想定して、海や川よりも高く設定されているとのことで、これによって24時間の安定した発電が可能であるという。東京都の下水処理場は12箇所あって、それぞれ処理場内の全ての電力を賄うというわけには行かないようだが、それでも年間数百万円程度の電気代の節約になるそうで、これが12箇所なら数千万円の節税につながる。廃品の興味深い利用例といえるだろう。
また話題がかわる。先日触れたクレー射撃のリハーサルでの不祥事についての追報が来たので少し触れたい。今日、名古屋市内で日本クレー射撃協会というところが理事会を開き、今年10月の大会への参加を辞退することに決定した。これは経緯から考えれば当然とも言えるが、直接被害を受けた生徒達はもちろん、真面目に大会に向けて取り組んできた人々を傷つけ、多大な迷惑をかけ、競技のイメージを失墜させ、さらには国体そのものに泥を塗ってしまったのは一部の選手や役員が行った破廉恥な行為によってである。言うまでもないが。
あまり気分のいいニュースではないので、またちょっと話題を変える。
最近気に入っているTVCFがある。全日空のそれ(ALL FOR YOU)である。選曲といい映像といい、環境ビデオのような感じもして、心地よい。ちなみに、使用されている曲名は「FLY AWAY」、歌うのは CRYSTAL. K. WILLIAMS という11歳(!)の女優だそうだ(11歳であの歌唱力とは、ひたすら恐れ入る)。前回のANAのCFも良かったが、今回はさらにイメージを訴えることに専念しており、洗練されたように感ぜられる。マイレッジサービスのTVCFは欲望に訴えていてそれはそれでTVCFとしてはいいのだろうけれども、見ていて気持ちが良くなるというようなことはない。逆に、このCFを見たからと言って利益を得る事が出来るかといえばカードの情報もなにもないわけだから無意味といえば無意味なのだが、見ていることで企業のイメージがよくなり、仮に路線で競合する他社を選択させないことが出来るかもしれない。
まあ、見ていて気分が良くなるCFがあったという話で、結論はない。

7, January 1998 (Wed)
今日はことえり。
神奈川県伊勢原市で昨年の9月に行われた「かながわ・ゆめ国体」のクレー射撃のリハーサルで、ボランティアで参加して入場行進の際にプラカードを持ったり、国旗掲揚係や審判補助員を務めた、県立伊勢原高校の女子生徒等が、一部の選手・役員からスカートの中をのぞきこまれたり、卑猥な言葉を投げ付けられたり、揚げ句の果てには何と心得るのか茶を持って来いなどと侮辱されていたことが今日わかったという。ちなみに、競技参加者は30歳代〜50歳代が多かったそうだ。外見の上から言えば大人のはずではある。
なんで去年の9月の出来事が今日になってバレたかは知らないが、同校では大会後、生徒に感想文を書かせるなどしてこのことが発覚したもので、昨年12月に県の国体担当者と県のクレー射撃競技協会の幹部が謝罪に同校に訪れたという。担当者が頭を下げに来るのになぜ2、3カ月もかかるのだろうか。
さらに、競技参加者は先にも触れたが30〜50歳代が多い。折角ボランティアで来てくれている高校生に対して、このような破廉恥な行動をとった彼らは日ごろ日本を支えるのは自分らだと思い込んでるのだろうが、それが大うそだということがこの一事でよくわかる。こんなやつらこそ実名公開リストを作成して町内会で回覧板にのせて配付したほうがいい。下手をすれば自分の子と同じくらいの生徒に対して、平気で傷つけようとするこの神経には開いた口がふさがらない。
当然、リハーサル終了後に被害の声が上がったため、生徒が協力を拒否する姿勢を見せたためもあってか、同校は今年10月に行われる、本番での協力を白紙撤回した。当たり前である。学校側も学校側だ。即刻協力拒否を打ち出し、関係者に対し今後の具体的な対策を求めるべきではないのか。自分が預かる生徒ではないのか。ごめんなさい、いいですよ、で終わらなかったことは幸いであると思う。結果として協力しないことにしたのだから、まだいい。
県の国体局次長は「高校生に嫌な思いをさせ大変申し訳ない。今後二度とこのようなことが起きないよう指導する」と話しているそうだ。謝罪するのはいいとして、もう少し具体的なことは、まだ考え付かないらしい。これではますます協力してくれる人などいないだろうと思うのだが、どうだろうか。
新年早々、胸が悪くなるようなニュースである。
話題を変える。
長野オリンピックの聖火リレーで、青森と宮崎で聖火が消えるというハプニングが起きた。おかげで五輪組織委員会は蜂の巣をつついた様子らしい。もっともなことだ。まあ、それはどうでもいいが、そんなときでも委員会の副委員長を務める長野県知事は「火だから消えることもある」と意にも介していない様子だったという。やはりこうでなくてはと思う。別に長野オリンピックに賛成するわけでもないが、上に立つものはこうありたい。火は消えるのである。但し、下位の者が火は消えるものだという面をしていたときにも、こんなことを言っているようでは、だめだが。

6, January 1998 (Tue)
今日はことえり。
やめておけばいいのに、3日から4日にかけて、記憶が正しければ、少なくとも延べ12、3時間は飲んでいたらしい。朝八時までは記憶があるのだが友人によると、六時だとも言うし七時だとも言うし、要するに全員の意識が朦朧としてたらしい。それ以後、気付いたら床で寝ていた。何を口走ったかと思うと背筋がうそ寒い。
おかげで、体の節々が痛み、おまけに頭も痛い。5日になっても抜けず、朝一の打ち合わせはまるで拷問だった。仕事始めからこんな体たらくではどうしようもない。
ところで、これまで書きためた先月27日からの徒然苔を一括して登録した。上から順に読むと訳がわからなくなると思うので、念のため。

3, January 1998 (Sun)
今年は MSIME97 。新年明けましておめでとうございます。
というわけで、先日の続きを大みそかから書きたい。
関東に帰ってきた後、予定では友人達とどこかへ行こうかという話になってはいたのだが流れた。そこで、大みそかではあっても、家にいても特に何もすることがないので年越しソバを食べに長野にでも行くか、とも考えたが、また新幹線に乗るのも芸が無い。そこで、羽田で最初に出る飛行機に乗ることにして、とりあえず着替えを用意して羽田へ向かった。羽田でタイムテーブルを見ると広島行きが時間的にちょうどよい。それに友人達と行くことになっていたのも日本三景のうちの松島を除くいずれかであったのでより好都合と思い、早速カードで航空券を購入しようとしてつまずいた。暗証を3回、入力に失敗してしまった。どうも番号が私が覚えているやつと違うらしい。じゃあ別のカードで、と思ったものの担当の方が走り回っていて声をかける隙がない。あれよあれよという間に搭乗手続きが始まってしまうし、ついには機内への搭乗も始まってしまった。いい加減にあきらめて次のやつにしてください、とよっぽど言おうかと思ったのだが、あまりに一生懸命に対応してくれているので結局声をかけずじまい。ようやく手続きが完了したときには離陸10分前だった。 まだまだ時間はありそうに見えるが、実はまだ宿の予約もしていないので宿をどうにかしなくてはならないのだが、到着予定がおおよそ午後9時半ごろになる見込みだったので今やらないとまずい。大急ぎで広島のホテルガイドを売店で購入し、小走りに走りながらページをめくりつつ、リストの上から順番に電話をかけまくろうとしたが、あっさり1件目で見つかったのでなにやら拍子抜けしてしまったような感じもする。最終的に離陸5分前に搭乗することが出来、フライトを楽しむ余裕を持つことが出来たのは幸いだった。
離陸は新滑走路からと言うことで、えらく長い距離をタキシングしてゆく。今回乗ったのはANA機だったが、ちょうどJAS機が自領のボーディングブリッジから出て滑走路へ向かうような感じだ。新滑走路が出来たのだなと思いつつ、外の風景を見ていたが、生憎夜間で、しかも通路側の席だったのであまりよく外が見えない。残念なことである。毎度のことながらANAもJASの一部のように離着陸時に機内の照明を全部落としてくれたら外の風景もよく見えてうれしいのだが、と思う。羽田の夜景はいつ見ても美しい。
広島空港に着いてみると、どうも最近新しく作ったらしく、これがまた相当きれいで立派な空港である。と言うことは、設備も新しいのだろう。まことに結構なことである。
まあ、空港でうろうろしていても時間の無駄だから広島市街へ向かうバスを見つけ、それに乗ることにする。所要時間は50分、まあ時間的距離としては一般的な数値ではないだろうか。色々な空港に相違わず山奥の道を疾走してゆく。
とりあえず広島駅に無事到着したので先程確保した宿へ向かうべく、距離的にはおおよそ1.5kmといったところのようなので、地図を参照しながら散歩がてら歩いてゆくことにした。さすが水の都というだけあって、川が多く流れている。岸は綺麗に護岸工事が施されているのがいかにもという感じである。
無事迷わず宿にたどり着き、フロントで手続きを済ませてから、食事を摂ろうと思ってふと気付いた。ホテル内のレストランは10時まで、ということはオーダーストップは9時半ごろ。今の時間は9時40分。部屋まで運んでくれるサービスも、ここではやっていない。まあ、外ならどこかあるだろうと思ったので外に店を探しに言ってみると、さすが年末年始だけあって、見事にどこも休業である。数軒、営業している店を見つけはしたが、当然ながら大入満員。結局あきらめてしまった。
翌明けると1998年が始まっている。生憎の雨だ。そこで先に原爆ドームの方を見ようと思っていた計画を変更し、傘を買うついでに駅に出て、宮島へ行くことにしてタクシーに乗り込んだ。タクシーの運転手さんによると、この時期には広島も普通は雪が降っているそうだが、今年は雪が降る気配はない。新潟もそうだったが、どこも雪が遅いのだろうか。もっとも、観光客の立場から言えば、雪が降っていたほうがいいのだろうが、雪が降らないことを喜んでいる人もいるはずだし、天候だけはどうにもならない。駅で傘を買いつつ券売機の方で行き先を調べていると、往復切符を駅員が売り子になって宮島初詣切符を販売している。どうも宮島へは宮島口からフェリーで行くらしいので、それらの券がまとまっているというその切符を購入した。手間が省けて幸先が良い。
なるほど、宮島口で下車すると、少し道を隔ててフェリー乗り場がある。よく見ると、JRが運航しているらしくフェリーの横にJRの文字がある。10分間隔で運航しているそうだ。佐渡ではフェリーが欠航したばかりだったので多少嫌な予感もしたが、幸いこの予感は当たらなかったのでよかった。フェリーに乗り込むと、あっという間に宮島に到着してしまった。人の流れに従いながら歩いてゆくと、鹿がうろうろしている。社領には鹿がつきものなのだろうか、そこら辺のことはよく判らない。まあ、それはいいとして、歩いてゆくとじきに社が見えてきた。拝観料の300円を納め、早速お参りしようと中に入ると、さすがに人が溢れかえるようにいるものの、実に美しい。社の床下はもう海で、水もエメラルドグリーンがかった綺麗な色で湛えている。有名な鳥居を社内から望むと、雨の中でもなかなか良い眺めである。要するにどの季節でもそれなりに美しいのだろう。
参詣を終え、散策をかねて島内をうろうろしようかと思ったのだが、雨足もちょっと強まってきたため、社と参道の周辺にとどめ、広島市内見学をすることにした。
市内に帰ってきて、さて平和祈念公園へはどう行けばいいのだろうとガイドを繰ってみると、市電で原爆ドーム前まで行けるらしい。早速乗り場に行って自動券売機を見つけたものの、値段が判らない。きょろきょろしていると、外国人向けの案内に書いてあったので、150円券を購入して乗り込んだ。ちなみに、都電は160円である。
地方都市にはなぜか市電が多い。私のアパートの家の前が都電三ノ輪橋駅なので都電には興味があるのだが、残念なことに詳しいことは何も知らない。東京ほどになるとかえって市電(都電)は邪魔になってしまうのに対して、こういった都市では有効な交通手段として生き残っているのだろうか、古くから大人口を擁している所によく市電が走っているようだ。
原爆ドーム前駅は、本当に目の前に原爆ドームがあって驚いた。雨の中佇む姿は見る人にある種の感慨を催させるような気がする。なにやら気持ちが引き締まるのを感じながら慰霊碑のほうへ行ってみると、この雨の中でも訪問者がちらほら見える。線香を供えようかとも思ったが、どこで購入すればいいのかわからなかったのでたばこを供えるにとどめた。
その後、広島城やらを見学に向かうと、どうもバスセンターというところが近くにあるらしく、ここから空港へ向かえるらしい。そこで、そこから空港へ向かうことにした。空港へ向かう客は時間的に折り合わないのか一人だけである。
空港について、早速航空券を買おうとすると、予約は受け付けるけれどもそれ以上は今のところ出来ないから後でまた来てくれという。どうも様子がおかしいと思って眺めていると、行き先表示板に全便「天候調査中」の註がついている。こりゃまずいな、と思いつつ今日初めての食事を摂りながら眺めていると、私が乗ろうとしていた便が欠航になってしまった。外を見やると、ガスが立ちこめてきて滑走路も見渡せない始末である。どうも佐渡島といい広島といい、結構なことである。まあ天気だけはどうしようもないのだから止むを得ない。
東京に帰ってくると、友人の提案で皇居の一般参賀に行くことになった。まさか日の丸を振ることになるとは我ながら驚いたが、正月であることだし、まあいいだろう。時間的にちょっと余裕があったので40分くらい待ったろうか、ようやく天皇がおでましになると、ものすごい勢いで旗が振られ、あちこちで万歳三唱が沸き起こり、なんだか別世界のようである。釣られてこちらも旗を振りだしてしまった。
それにしても、やんごとない方々がお住いになっておられるおかげで、千代田城の遺構の見学を満足にできないのは残念なことだ。そのかわり京都御所を見学できるのだからまあいいとしなくてはならないのだろうが、このときばかりは前島密が恨めしい。彼が大久保に献言さえしなければ今ごろは大阪が首都となり、天皇も大阪にいただろう。もっとも、おかげで山の手言葉をベースにした日本語が出来たことだし、東京も首都となったのだから満足すべきだ。
ところで、天皇が奥へ引っ込み、群衆が移動しはじめた直後、携帯電話が鳴って心臓が止まりそうになった。おでましを待っている間、携帯電話で友人と遊んでいたのだが、間抜けにも私が着信音を切るのを忘れていたのである。もしこれが陛下のお言葉の最中になっていたらと思うと、未だに冷や汗が出る。もうマナー以前の問題である。今後はより深く注意しなければならない。
その後は、飲むくらいしかやることがない。新宿で飲んでいたときは同僚も同じところにいたそうだ。皆同じようなことをしているいい見本だ。

29, December 1997 (Mon)
今日は MSIME97 。
一昨日は新潟の地酒を堪能した上に、阿呆のごとくチャットしに出かけて夜更かししてしまったが、なんとか朝起きることができたので予定通り佐渡へ渡ってみることにした。幸い曇天ではあるものの昨夜の雨は上がっており、晴天に向かいつつあるというので、さっそくフェリーに乗船すべく埠頭へ行ってみると、生憎フェリーが出たばかりで次の便まで2時間以上もある。そこで一番出港時間が早い高速艇を利用することにした。この佐渡行きの高速艇の名はジェットフォイルと言うそうで時速80kmを誇り、フェリーより半分の時間の1時間で新潟〜両津間を結ぶという。ただし、片道の料金はフェリーの約三倍で6000円弱もする。しかしこれ以外に2時間以上待たされて移動に2時間少々かかる選択肢しか残されていないのだから、それならばとしてこの高速艇を利用することにした。
この高速艇は全席指定で2階建て、最高速度46.4ノットだそうだが、これを時速に直すと80kmになるのかどうかは知らない。船体の前面にはカワサキとボーイングのロゴがでかでかと記されている。おそらく船体がカワサキでエンジンがボーイングなのだろうと思うが、よくわからない。内装は新幹線の普通座席を横に列を多くしたイメージでとららえるとやや近いだろう。前面にはテレビと速度表示計が備えられている。速度表示計については、旅客船で時速80kmを誇るものはそうざらにないので、備え付けたくなる気持ちは良く分かる。なぜ1時間なのにテレビが備え付けられているか最初はわからなかったが、出港した途端、気がついた。なにしろ大変に揺れるのである。大分空港のホーバークラフトほどの騒音と振動はないものの、揺れは優るとも劣らない。私は幸い船酔いをしないのでいいのだが、船に弱い人はなにもなければとてもではないが1時間も耐えられないだろう。しかもあまりの揺れの激しさに通路をうろつくこともできず、シートベルトをしっかり締めて座席に座っている以外にないのである。だから余計酔いやすくなるわけで、それを多少なりとも防ぐという意味でテレビが備え付けられているに違いない。単なるサービスというわけではなく、航行に必要な設備というわけである。
日本海をものめずらしく見ながら、ふと速度表示計を85kmと出ている。日本海をこんな高速で疾走するとは大した物だ。時折船底から鈍い衝撃音が伝わってくるが、ここまで高速になるとちょっとした流木などが当たっても相当大きな衝撃になるに違いなく、おそらくそういったものが船底に当たっているのであろう。これはちょっと不気味であった。
順調に航走しているとじきに佐渡島のシルエットが見えてきた。さすがに23区・淡路島の1.5倍あるということで島影は全体を見ることはできない。佐渡島のもっともくびれている部分の東側に位置している両津港に何の支障もなく接岸し、無事に上陸したのはいいのだが、さてどこへ行こうかと思って観光案内所を見てみると、どこもかしこも11月いっぱいで終わりのようである。有名な佐渡金山へも行きたかったのだが、ここへ行く路線バスは運休してしまっている。あれこれ地図などを見てみたがどれを採ってみても可もなく不可もなく、という印象を受けたので、とりあえず何かないかと港の周りを2,3キロ歩きまわってみたのだが、何にもないどころかひとけすらない。その上にみぞれ交じりの雨がぱらついてきてしまった。雨はすぐ止んで助かったものの、何もないのではお手上げである。そこで最初にバス停にきた路線バスの終点まで行くことに決めた。そうしてバス停でバスを待っていると相川行きというバスが来たので、相川はどこにあるのも知らないで勇躍乗り込んでみた。終点まで1時閑弱だったろうか、狭い島にしてはやたらと速度を出していたわりにはずいぶん長いことバスに乗っていたので、終点でバスを下車する際に運転手さんに聞いてみたところ、なんと相川は両津から見て島の反対側に位置しているとのこと。なるほど、1時間かかるはずである。納得。
どうも通常なら相川からさらにバスを乗り継いで金山までいけるようなのだが、運休なのだから致し方ない。バスが運休するくらいなのだから仮にタクシーで行っても金山へも入れないのだろうから、おとなしく日本海を眺めて過ごすことにした。もし乗れていたら、金山へ行くバスはフリー停車区間と書いてあったのでさぞ愉しかったろう。停留所でなくても手を挙げればバスが止まってくれるなどは実に気持ちよさそうであるだけに次回は是非乗ってやろうと思う。
相川でも風が強く、くもりがちだったので多少残念ではあったが、しかしそれでも十分に日本海はきれいだった。実に海の色が複雑なのである。緑色のところもあれば暗色のところもあり、波泡の白が実にうまく海の色を引き立てる。これだけでも十分佐渡へ渡った価値はあると思えたが、さすがにこれだけでは時間は余ってしまう。すぐ帰るのもつまらないと重い、そこで、バスで来た道を時間が許す程度、記憶を頼りに歩いて戻ってみることにした。てくてくと戻りつつ脇道に入ったり、面白そうな風景を見つけては写真を撮ったりして、2,3キロほど戻ったところだったろうか、私をバスに乗りはぐれたと思ったらしく、親切にもバスターミナルまで送ろうかと声を掛けてくれる方がいた。あらかじめ佐渡行きをすすめてくれた方からも佐渡の人々の親切さを教えられてはいたのだが、実際にここまでくると感動ものである。好意を重々謝しつつこのまま歩くことにしたが、余韻はいまこれを書いている間も残っている。人気が穏やかでとてもいいところだとつくづく感じ入る。
じき、日が傾いてきたので、最初に見つけたバス停で時刻を確認すると、あと10分程度で両津行きのバスがくるようなのでそのバスを待っていると、ぜんぜん違う行き先のバスが来たのには驚いた。まあそういうこともあるかと思いつつ、面白いからそのバスに乗ってみると、幸いにも佐和田バスターミナルというところへ行き着くことができたので、ここで両津行きのバスをつかまえ、港に帰ってみると、ジェットフォイルは既に全便の運航を完了してしまっていた。実は帰りの船の時刻を確認してはいなかった。5時ごろまではいくらでもあるだろうと勝手にたかを括っていたのである。ところが、冬季だけは3時台ですべて終了してしまっていたのである。幸いフェリーはあと2便残ってはいたものの、次のフェリーまで2時間以上ある。このフェリーに乗らなければ最後の上り新幹線には間に合わない。仕方なく切符を購入して、とりあえず待合室で土産物でも見ていようかと考えながら茶を飲んでいると、なにやら事務所のほうであわただしく動きが出始めた。何事かと思って見ていると、なんと係員が事務所から飛び出てきて(なぜあんなに急いでいたのか、いまだに思い出すとおかしくなる)切符売場や案内表示板に欠航の札を貼りつけたのである。窓口に行って聞いてみると、機関故障により新潟港へフェリーが引き返してしまったという。機関が故障してしまっては致し方ない。まさか泳いで帰るわけにも行かず、それに急いでいるわけでもないし、時間も時間なので結局佐渡島に宿泊することにした。幸い観光案内所はまだ開いていたので宿を探してもらったところ、すぐに見つかったのでそこに宿を取ることにした。宿に向かいつつ歩いていると、雨がぱらついてきた。宿が見つからなかったらどうなったかと思わずはいられなかった。
宿に着いて早速部屋に入ってみると、さすがに新潟市内のホテルよりは劣るものの悪くはない。テレビを点けてみると新潟市内とはずいぶん番組が違うようだ。文字放送のような自主放送も行っていたが、これは大変興味深いものだった。島内の生活全般について扱っており、少しこの島の生活というものが見えたような気がした。また、新潟への船や飛行機の運航状況や時刻表なども放送していて助かった。朝9時にフェリーが出るようなのでそれに乗ることにしてとりあえず時間になったので食事に出かけてみた。食事は最上階の展望ラウンジのようなところで摂るのだが、見晴らしはなかなか良い。埠頭を見ながらの食事とはなかなか良いものだ。しかしなぜか食事時だというのに私一人しか客がいない。多少いぶかしかったが、食事は大変に美味であった。特に海鮮類はさすがに海際である。散々堪能させてもらった。食事中に携帯電話に電話がかかってきてしまったものの冷えて困るようなものもなく、どうせ独酌して飲んでいるよりもよほど良い。ただ、ちょっと長電話しすぎたようで、これがあとに響いた。これはまた後で触れる。
食事後、部屋に戻って馬鹿の一つ覚えのようにモジュラジャックを突っ込んでメールの確認をしてみると、どうも回線状態が安定していない。携帯経由でこれを行おうかとも思ったが、昨日今日と電話を使いまくっていたので既に電池の電力量も乏しい。まあこの回線状態ではチャットは無理だろう。今日はだいぶ歩いたしゆっくりすることにして本を一冊読みきることにした。
翌朝、起きてみるとまだ空が暗い。時計を見るとまだ6時である。二度寝するには惜しいと思っていると、昨日フロントで大風呂は四六時中沸いているといっていたのを思い出し、行ってみることにした。途中フロントの前を歩くと、なぜ昨日、食事に私しか現れなかったのかがわかった。宿泊客は私一人だけだったのである。なぜわかったかといえば、部屋番号のついたキーが箱にならべてあり、私が持っているキー以外の全てがそこにあったからである。なるほど、静かなはずだと思いつつ風呂に向かう。
だいぶ長湯してもまだ7時になっていない。そこで散歩することにして出かけてみた。さすがに今年も後わずかとあって寒いことは寒いのだが、身を刺すほどの寒さというわけではない。やはり暖流が側をとおっているせいなのだろうか。あてどなくそこら辺をうろついていると、既に島民は活動を始めているようだ。特に港湾関係者が多くて早いのかと思いながら商店街などを歩いてみると、どの店も遅くとも8時には営業を始めるらしい。実際にあとでフェリーに乗るべく8時半にチェックアウトして道を歩くと確かにどの店も営業をしている。東京などに比べると2時間は朝が早い。もっとも、東京と比べるべきではないだろう。ここは夜は何もないのだから寝る以外あるまい。早寝すれば早起きする道理である。
フェリーに乗る時間になったのでチェックアウトして桟橋に行ってみると、どこからこれだけの人間が沸いて出てきたのかとびっくりするほど人がいた。まあせいぜい1,200人程度といったところだろうが、それでも二日間のうちで、まばらにしか人影を見ることがなかったために随分驚かされた。今度は無事出港できるようなので乗船券を購入し乗り込んでみると、相当立派な船である。なんでも総トン数は10000トンを超え、乗客定員1000名以上、大型バスでも30台以上を収容することができるという。船内設備もかなりなもので、船体自身も改装したのか新しいのかわからないが相当きれいである。ロビーは磨き込まれ、汚れがちな二等客室も清潔さを保たれている。実に立派なものだ。
新潟につくまで2時間少々あるので、気持ちの上でも相当ゆとりを感じた。船室から出て海を眺めたりロビーを見学したり本を読んだり朝食を摂ったりとさまざまなことをしたのにまだ時間があるといった感じで、気分が良い。そうこうしつつ、ふと携帯電話の電池が残りわずかだったことを思い出して、電話を転送するか留守番電話を開始させようと、携帯電話に目をやると、既に電池が切れていた。もともと私のもつ携帯電話は待ち受け時間や連続通話時間が他の機種と比べて短めな上に、あまり電話を掛けすぎ(そう言えば一回に付き一時間を超えることもざらだった)、さらに充電設備を持ってくることを怠ったために、もうどうすることもできない。こうなる前にすべきであったのだが後の祭りである。MDの充電器やデジタルカメラの予備の電池は抜かりなく持ってきておきながら、よりによって携帯電話の充電器を持ってこないなどは、どう考えても間が抜けている。
携帯電話の電池が切れると、こんなに不安になるとは今まで思いにもよらなかった。これまで携帯を持っていなかったのにもかかわらずである。単にこれまでの状態に戻るというだけの話であるのに、いざ電池が切れてみると、ああ、今この瞬間にも電話がかかってきてやしないかと大変に気になってしょうがない。あまりにも不安なので新潟に上陸後、急いでDoCoMoショップを探そうかとも思ったほどである。もっとも、探したところで電池接続キットのようなものがあればそれを買うくらいが関の山だと思うと馬鹿らしくなってしまった。おまけに年末であるから店自身がやってるかどうかもわからないし、そもそもどこにあるのか見当もつかない。しかしこの不安感はどうにも堪らず、結局新潟についたら最初の新幹線に乗ってしまうことにした。本当は緩行線だけを使って帰ろうと思っていたために早い時間の船に乗って本州へ帰ってきたのだが、結果的には一刻も早く充電するために帰るということになってしまった。まあ、それも間が抜けていていいだろう。どうせまたくればいいだけの話である。今年だけでも、休みはあと2日もあるのである。
というわけで、この文章は上越新幹線臨時列車あさま246号の中で書いている。行きとは異なって自由席もガラガラだというのになぜか私の隣だけ見知らぬ壮年男性が座っている。なぜだろう。今、ちょうど大宮に着くところである。さすがにほとんどの駅を抜かすだけあって早い。次はもう上野である。空を見てみると、佐渡ではだいぶ雲があったのにここら辺は雲一つない快晴である。湿気は山々を越えられないことが良く分かる。関東平野に帰ってきたのだということが意識される。

27, December 1997 (Sat)
今日は MSIME97 。
昨日は仕事納めであった。私の勤める会社では毎年年末に大掃除と称して大改装を社員の手で行うのだが、これがなかなかの重労働である。特に今回は9階から3階へ移動するグループもありなかなかの作業量であったが、翌日の今日になって多少腕が筋肉痛を呈したのには驚いた。まさかここまで筋力が衰えていたとは思いにもよらず、衝撃は小さくない。大掃除後の打ち上げで調子に乗りすぎて深夜まで酒を飲んで大暴れしたおかげで筋肉がほぐれて軽い痛みでとどまっているものの、そのまま寝てしまっていたらより痛みがあったろうと思うとなおさらである。 さて、今日は久しぶりに新潟に滞在している。午前中から午後にかけてはなかなかいい天気で助かったが、午後4時ごろから雨が降り出している。だいぶ気温は暖かく、雪なども同地の人の話によるとだいぶ前に降ったもののすぐ消えてしまったそうである。新潟までの途中、停車はしなかったが越後湯沢も雪などは日陰にかすかに残る程度であった。雪のないスキー場はよほど寒々しい。
酒の残る体には多少つらかったが時間どおりの新幹線に乗ることができたのは幸運であった。確か最後にここへきたのは十年以上前の話である。駅を降りてみると風景が記憶とはかなり異なっている。まあ当然だろう。
どうでもいいが、リブレットを買ったおかげでよほど長期の出張ではない限りノートを持っていかなかったのに対してこうまで気軽に持ち歩けるというのは非常にありがたい。
話がずれた。前回新潟にきたときには上越新幹線などはなかった。苦行としか言いようもない長い道程の果てにたどり着いた新潟の美しさをよく覚えている。それが、今では3時間足らずのうちについてしまう。ところで新幹線のグリーン車に初めて乗った。グリーン車しか席が空いてなかったからだが、自由席の立ち席はさすがに仕事納めの飲み会翌日の自分の状態を想定して必ず座っていかねばならぬと決めていたので考慮しなかった。結果としてそれでずいぶん楽ができた。グリーン車は飲み物のサービスがあるとは知らなかった。おそらくこれは飛行機の影響ではないだろうか。親方日の丸体質企業の見本のようなJRが自分の判断で自発的にお茶を乗客に振る舞うなどはちょっと考えられない。ここには飛行機対新幹線の影響がよい面で出ているのであろう。おまけに機内誌よろしく車内誌まで備え付けられている。
まあそれはいいのだが、高い金を取るだけあって座席も通路を挟んで2列ずつ計4列の配置で左右に思い切った余裕を設けてあり、それだけでなく前後の座席間の余裕も十二分に設けられている。足を組んでも余裕があるほどである。これはさすがに魅力的なサービスである。公共交通機関で何が贅沢かといって、1つあたりの客席の広さ以上のものはないであろう。いかに茶を振る舞おうと車掌が踊ろうと座席が狭いのでは話にならない。その点、さすがに二等車だけのことはある。グリーン車の座席は十分乗客を満足させる広さであろう。これでもう少し料金が安ければ何も言うことはない。
そう言えば、上野駅でよく見かける新幹線つばさの脇に大書されている400という文字は何を表しているのか以前から気になっていたのだが、ようやく今ごろ気づいた。あれは400系の車両という意味に違いない。新幹線は初代東海道山陽新幹線用車両の0系からはじまり、100系、200系と進化し(東北新幹線や上越新幹線の路線も走っている新幹線は東海道新幹線の車両よりも対寒対雪などの面で改良を加えてある)、300系が東海道新幹線を走る、いわゆるのぞみで、これは東京駅から品川方面へ向けて京浜東北線や山手線、東海道線と一緒に並走しているのでよく見かけることと思う。500系がJR西日本が誇る世界最高速を謳う500系ののぞみである。この間に400系としてやまびこが位置するのであろう。だが、車両の横部に大書している意図はよく理解できない。一般の人にとってそれがどういう意味を持つのだろう。まだパンダや熊のイラストでも入れたほうが気が利いているような気もしないでもない。そういえばあさまの車体の横にもなにやら意味ありげでありつつも意味不明な図柄があしらわれているが、あれもどういうわけなのだろうか。JR東日本の陰謀かなにかが隠されているのか、どうか。
話がずれるが、500系のぞみは最近東京乗り入れを開始したはずなので、そろそろこの目で見てみたいものだ。JR西日本の500系のぞみのCMは最悪につまらないのだが、500系自身が持つ車体フォルムは実に斬新で、美しいと思う。同じのぞみでも、300系のぼったりした感じとは大違いである。JR東日本では最近開通した長野新幹線用の車両あさまが実に不格好だが、さらにMaxは輪を書けて最悪のデザインではなかろうか。乗客輸送力の向上を形にするとああなるのだろうが、しかしなんともはや、見苦しい。長大な棺桶がぞろぞろと時速200kmを超えて驀進するところをどうしても想像してしまうのである。その中では唯一、つばさのカラーリングとデザインは良いように思われるが、やはり500系にはデザインは一歩も二歩も譲らざるを得ないのではないかと思う。まあ、もちろんこれには異論が多かろう。これは私の主観的な印象ないし好みの話である。
ずいぶんと話がずれてしまった。今日はいつものようにはデジタルスチルカメラで撮影して回るということができなかった。明日はこちらにすむ方の提案により佐渡へ渡ってみることにした。野郎が一人なので何の気兼ねもする必要がないので気軽なものである。

25, December 1997 (Thu)
今日はことえり。
新年まで書くことはないと思っていたが、気が変わった。
名護市の市長はなぜああいう真似をしたのだろう。市民の意見を聞くための投票をしておきながらわずか三日で反故にしてしまうということはいったいどういうことなのだろうか。相当深く悩んだろうが、だからと言って法的拘束力がないというものの過半の市民を裏切ってしまったことについて正当化できるかどうかは今後の展開をみなければならないだろう。確かに受け入れることで国内の米軍基地の縮小化の方向に進まないとも限らない。ただ、大袈裟に言えば地方自治の在り方に対する危機を迎えたということは出来るのではないかと思う。比嘉市長の決断への評価は、事態が沈静化した後も定まらないかもしれない。まあ、市長は辞意も表明しているうえに未だ知事の意向も不透明で、従ってこの問題の決着はまだ先の話になりそうである。
話が変わる。
郵政省のATM等の民間との接続費用として17億円強が認められた。これは国鉄長期債務の処理に郵便貯金から一兆円を繰り入れることに対する見返りとして認められたもので、民間銀行は警戒感をなお示しているものの、確かに便利になるには違いない。現状では都銀などは接続を希望しておらず、信託系や証券、信販系、外国銀行等に限られているが、郵便局と銀行の両方に口座を持っている人だけでなく、片方にのみ口座を持っている人にとっても利用できるATMやCDが増えるのだから是非都銀や地銀にも接続を検討してもらいたいと思う。それにしても郵政省はうまくしたものである。
郵政省から連想して、NTTではADSLおよびSDSLのフィールド実験モニタを公募しはじめた。実験期間内でも有用性が確認されればサービスの提供を開始するという。現状ではアナログ公衆回線のみでモニタ資格も局番によって制限されるが、是非成功裏に終わって早期の導入が実現されることを期待したい。私も応募したかったのだが、荒川区民には応募資格がない。
さらに話題がかわる。
自民党本部に首相の顔写真が背景に入ったプリクラが設置されたそうだ。一回三百円だそうである。感想は、ない。


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