徒然苔


吉田さんに倣って日々の徒然を綴ることにした。徒然じゃないときは綴らないので日記ではない。
( 実質は日記である。 )



31, May 1999 (Mon)
今日は MSIME97 。今日で今月も終わるが、仕事上も、且つまた個人的にも、困った事である。
ロシアの地下鉄で将棋倒しになりおおよそ 350 人もの死傷者を出した痛ましい事故が起きたが、このニュースを読んで寒気がした方も多いのではないか。
筆者は主に東京の近郊で電車を利用しているが、場所により一時的に大変危険度が増す。例えば、朝のラッシュ時における階段付近や狭いホームにひしめく乗降客である。これらは、他の時間帯は何の変哲もない普通の階段でありホームであるが、この時間に限り危険この上ない場所へと変わる。それらの受入許容量を超えて人間が一度に殺到するからである。改善するにはあまりにも巨額な費用がかかるために、なかなか対処できないのが実状である。そして、朝のホームから人が押し出されて死に、それは不慮の事故として処理される。不慮どころか、熟慮してはいるがどうにもならないと言う、より深刻な事態なのだが。
確かに、個々の駅などを改修して行くよりも、遷都して抜本的な解決策を模索しようと言う動きは当然なのだが、それはそれとして、まず危険な個所を改修して行く必要性に変わりはないのではないか。言うはやさしいが、土地の取得、工事中の安全の確保のあり方、工事の為に閉鎖される個所が担う機能の代替手段、そして予算の確保など、少し考えるだけで眩暈がするほど課題は多い。
当然、こうした事をやっていない訳ではない。日本では特に安全と言う名目に対して多大な費用を惜しまないという美質がある。その額たるや、部外者が見ればおかしいのではないかと思うほどの巨額なのである。しかしながら、安全を確保するには莫大な費用がかかるのであり、経営を脅かす程度にその費用が膨らむ事も、ままある。それを惜しまずコツコツと積み重ねて行く事は賛辞に値する。
だが、まだ足りない。ロシアの例は、祭りの日でたまたま天候が悪化した、という悪条件が重なったという事もいえるが、日本の首都圏の場合、毎朝なのである。見方によっては価格対費用を考えればこれほど割に合わない投資はないし、そもそも安全の確保と言う課題は、底無し沼のように際限なく膨らみつづける悪魔のような存在である。費用然り、マナー然り。その折り合いをつけるには、かなり難しいバランス感覚を要求される。
担当している人々の、更なる奮闘を期待したい。また、我々利用者も、乗車マナーの向上を心がけて、協力するようにして行きたい。利用者の協力なくしては、真の安全の確保などありえないからである。
話題が変わる。
大阪では子供の人権が尊重されている事が薄いようだ。もっともそれ以前に、健康診断のときに女子生徒の体重を読み上げると言うのは、これは生徒をモノ扱いしているということであろう。或いは、人が嫌がる事が理解できない程度の人間が教員をしている。それをようやくやめるそうだが、それ自体は欣快と心得たいが、しかしこの都市は我が国有数の、東京と並び、或いはそれを超えるほどの大都市である事への自覚が薄すぎはしないか。人の嫌がる事をしない、というたったこれだけのことが大阪の教育界の一部(であってほしいが)では出来ないでいる。結局、府教委が指導に乗り出さざるを得ないと言うのは、どういう事か理解に苦しむ。たったこれだけの事で府教委が指導に乗り出すと言う事は、一事が万事この調子と考えられてもやむをえまい。日本に誇る大阪としての誇りを、根拠あるものにして頂きたい。また、他の各都市も大阪に見習い、自分達が誇れる点をより多く持って頂きたい。
しりとり話のようだが、誇りへの根拠、という事では、我が国の今の学生は、このままでは彼ら以前と彼ら以後に対して負い目をおい続けるのではないか。というのは、彼らの責任ではなく、我が国の教育政策の誤りを一身に受けてしまっている不幸からであるのだが、つまり、学力が低すぎる。
ある一定の分野においては並々ならない教養を持ってはいるものの、汎的な知識が欠如している。繰り返し言うが、彼らの責任では全くなく、社会が彼らをそうしてしまったのだが、結局使い物にならない人間を大量生産していたことになり、彼らは自分等で何とかしなければこのままでは社会のお荷物になってしまう。更に言えば、ある時期がくれば彼らがこの国を担う中核となってしまう。これは恐ろしい事である。せっかく持っている資質を活かしてやれないまま社会に出しては彼らも不幸、我々も不幸である。是正するなら今しかないのだが、それには彼らを迎えてやる社会と、むかえられる学生双方がその点を認識していなければ、社会側からは使い物にならない以上つまはじかざるを得ず、学生側はついてゆけずドロップアウトする事になろう。
おそらく、来世紀前半は我が国は大変な暗黒な時代を迎えるであろう。それを乗り越える為には、これまで以上に全体を見渡す事が出来る能力を持った人間でなければならないのに、一点しか見えない人間ばかり大量生産している我が国の将来はまず危うい。繰り返すようだが、チャンスは、今しかない。
さて、土曜日に筆者の勤める会社で育てている観葉植物を植え替えた。これまで余りに小さなポットで、見るからに窮屈そうであったが、さて、根づいてくれると良いのだが。次は余りに成長し過ぎたポトスをどうするか考えなければならない。

28, May 1999 (Fri)
今日は MSIME97 。
酒は百薬の長などといわれ、多くの人が嗜む。私も好んでこれを飲む。が、酒を飲んで、例えば車を運転するなどと言った行動は厳に慎まなければならない事は言うまでもないのだが、自戒を込めて敢えて言う。
まず、飲酒運転に纏わる事故は致死率が通常の事故に比べ 20 倍も高いと言う事実を踏まえ、事故を起こされる側から見ると、酒に飲まれ路上に寝てしまう、道路に飛び出す等がある。飲酒により警戒心が乏しくなり、適切な判断能力を喪い、反応時間が長くなり、視覚機能が低下するからである。これは事故を起こす側にも当てはまる。
事故を起こすとどうなるのか。一般的に、飲酒運転で死亡事故を起こせばまず実刑が下る。また、まず免許取消処分に処される。保険は、自損分は支払われないし、損害賠償責任は保険で賄いきれない分でも当然消えない。それに、警察の資料によると、 1 割以上の会社ではそのような人間は解雇したり、廃業に追い込んでいる。つまり、失業する。また、世間の非難の目に耐えられなくなり、転居を余儀なくされる場合もかなり多い。要するに、損害賠償責任を果たせなくなる。
起こすほうも起こされるほうも、事故はあってはならないのは言うまでもない。いわんや、飲酒が原因で事故を起こすなど愚の骨頂等と言うよりもむしろ、本人の人格そのものを疑われても当然である。日頃の自制も効かない人間であるが故の結果であるからである。
自戒したい。

26, May 1999 (Wed)
今日は MSIME97 。
前々から思っているのだが、つい先日も思い知らされたことに、常識とは、それを常に持している人間以外には、何の影響力もないということがある。要するに、こちらから見て非常識であると思われても、思われている本人が頓着していないのだから全く無意味であるという事である。また、こちらにとっての常識は、あちらにとっての非常識であるという場合もまた、多々ある。
こうした場合、所謂一般的な常識という妙に漠然な、曖昧模糊然とした観念では結局のところ折り合いがつく訳が無い。常識を持ってして常識を覆すという再帰的作業の徒労さというよりもむしろ没意義な労務は、迂遠に似て虚しい。つまりは、馬鹿馬鹿しくて構う気力も失せる。
そもそも常識とは、人々が共に暮らして行かねばならないためにトラブルを未然に回避するために自然と出来上がった暗黙裏の了解事項の集まりではないだろうか。その証左として、実際に人々が生活する上において、例えば対人関係や自らを律することなどに対して役立っていると考えられる。その機能を果たすには、むしろ常識それ自体はまことに茫々とした中にあらしむべきであり、常に移り変わる社会に即応できる、いわば形の無い大きな袋であらねばならない。そして、常識とは実際に渺呼とした存在である。確かに常識は存在するといえるのだが、しかし翻ってみるに常識とは何かと問われた時、これとこれが常識である、と明確に答えられる人はいないであろう。
つまるところ、常識とは、人々がそれを身につけている限り無用なトラブルから身を護る事が出来、且つ他人に迷惑をかけずに生きて行く為の知恵であるという事が出来るであろう。その事から言えば、常識とは、他人に迷惑をかけないという一点に集約する事が出来はしまいか。翻って言えば、どういう事が他人にとっての迷惑かということの判断を個々に行っていると収拾がつかない為に、大まかな行動典範の共有を図る必要性から常識が成立したのではないか。その弊害として、人によって常識の定義が甚だしく異なったり、或いは全く通じ合わない事も起こりうる。また、この事は個人的にも大いに反省しなければならないのだが、同じ人間であってもその時々において常識の定義が変わってしまう事も、よくある。常識とは、良く言えば柔軟、悪しく言えば恣意的ですらあると言える。
ところで、常識の適わない人付き合わねばならないという事は精神体力を甚だしく摩耗させる。結局のところそういう人と付き合い始めた自分の不分明に負うところが大であり、責任は全て自分に帰せられるべきなのだが、一方でうんざりすることも確かである。
常識を、最終的な拠り所にする事は、これを出来ない。最終的には、自分の判断と責任に帰せられなければならない。あくまでも基本方針としつつ、しかし時に採り、時に採らないという姿勢にならざるを得ないのかもしれない。
まことにとりとめもない。

25, May 1999 (Tue)
今日は MSIME97 。
先日、ある教師が授業中騒ぐ生徒の首を絞めて失神させたが、学校関係者側はこれを体罰と見なしたいようである。なるほど体罰のほうが穏便である、殺人未遂よりは。それにしてもカッとして首を絞めると言うのは稚拙すぎる衝動ではないだろうか。
捜査情報を漏らした警部補が自殺すると言う事件があったが、情報を漏洩させ、さらには自殺すると言うのはまことに慙愧の念に耐えない。ところで、情報を漏らした幹部が自殺をせざるを得ないほどの重圧とはどこから由来するものなのか。職業的倫理観に由来するとすると、警察には強い ( 強すぎるほどの ) 自浄作用があると言うことになるかもしれず、今回の事件はまことに遺憾なことではあるものの、世間で騒がれているほどには警察は腐敗していないのかもしれない。まだまだおまわりさんと呼ばれ親しまれる警察官への信頼感は強い。もっとも、警察機構が腐敗をはじめたら、それを擁する国家としての末期症状であると言うことであるのだが。

17, May 1999 (Mon)
今日は Wnn 。
まず、先週、 X 端末エミュレータを見つけ、一通り使ってみたが良好である。
次に、金曜日に定期を紛失してしまった。ほんの 5 分の出来事であった。まことに遺憾であり、間が抜けていると言わざるを得ない。
更に、つれあいにばっさりと髪を切ってもらったものの、短気な私がちょこちょこと邪魔をしてしまった。せっかくの成果に水を差したことに対し、慙愧の念に耐えない。
また、一週間が始まった。欣快と心得たい。
さて、書く事はない。

16, May 1999 (Sun)
今日は MSIME97 。
怒りで眩暈がした。久しぶりである。本当に怒ると、目の前が真っ白になるのである。おそらくよほど血圧も上がっているであろう。体が弱っているときはこれで楽に死ねるかもしれない。

12, May 1999 (Wed)
今日は MSIME97 。天気が良い。
冬、会社で育てていたポトスを剪り、家に持ち帰って水に浸けていたのだが、なかなか根が出ずにいた。会社で殖やそうと水に浸けたそれはいずれもすぐに根が生えてくるのに対して、自宅のポトスは枯れこそしないものの、根が出る気配も見られない為に半ば諦めていたのだが、昨日、ふと目をやると、しっかりとした根が伸びていた。おそらく、平均最低気温の上昇のせいだろう。都内の会社は常に計算機などの電源が熱源となっている為に平均して暖かい上に日較差が少ない。それに対して自宅は関東北部の内陸であり、かつ、人間がいる時間が短い為に暖房されていない。つまり、寒い。言わば温室に対して露天と喩えても良いだろう。
それにしても、驚きを禁じ得ない。というのは、自分の繁殖に適さない環境であると思えば、ただひたすら生きることにのみ専念する植物という生命に対してである。それは、大地に張るべき根すら出さないほどの吝嗇さであり、恐るべき執拗さである。枯れぬと言うただ一点に全力を傾注し、且つ、繁殖するチャンスが訪れることを待ち続ける。そして、すかさず機会を捉える。機会を捕まえる為に生きている、と言っていい。
陳腐だが、人間にとっても、これは学びたい姿勢である。特に私が属する業界は、これから冬を迎え、いつ来るとも知れぬ春を待ち増殖する機会を窺うことになる。その間に潰れてしまってはそこから先はない。当然なことではあるが、非常に示唆に富んでいる。
ところで、苦しんでいるときに顔を摺り寄せて、さぞ苦しいことでしょう、という手合いがいるが、あれはどういうつもりなのか。理解に苦しむ。

8, May 1999 (Sat)
今日はことえり。
窓の外から囃子が聞こえる。私の勤め先の近くの下谷神社からである。今日は祭りなのだ。縁日も出そろい、朝からかなり盛り上がっている。思えばもう五月である。初夏の東京の風景と言っていい。
さて、情報公開法が昨日成立した。たかがこれだけに実に 30 年近い歳月を要していること自体に疑問を感じざるを得ないが、成立した法律はこれだけの間求められていたにしては、余りにも不完全である。歯抜け法と言っていい。第一、知る権利の保証が立法目的ではないと言うのはどういうことなのだろうか。要は、見せる側の恣意的な運用を許すと言うことなのである。現に、公開できるのは記者会見資料だけだ、などという発言をする法の精神を踏みにじるふざけた役人もいる。
ただし、四年後に法を見直すという条項が盛り込まれている点は評価したい。もちろん、この条項があるということは、この法律はろくな法律ではないと自ら言っているようなものなのだが、この四年間を利用して役人の言わざる、見せざる、聞かせざるという姿勢を糾し、より効果的な法へ改正出来るような下地が出来ることを期待したい。
だが、実のところ、この法律は役人が自らを省みなければなんの効果もない。そして、役人には自らを省みるなどとは露ほども思わない。なぜなら、まだ役人は明治時代の太政官そのままの体質だからである。内務および陸海軍省だけが戦後廃された筈なのに、今でも内務省の亡霊が垣間見えるほどである。廃されていてなおこうである。たかが法律の一編など意に介するはずがない。おまけに、現代的な腐敗、例えば汚職や怠業、悪しき癒着がはびこり、むしろ役人の質は太政官の頃に比べて酷く品下がっていると言わざるを得ない。
いったいなぜそうなのかといえば、それは我々国民が余りに無関心だったからである。まさにわれわれの大部分は有司どもに牧される民であった、といえば大袈裟になるだろうか。私はそうは思わない。むしろ、そうされることを望んでいるのではないかと思えてならないのである。結局のところ、我々国民が役人を監視し、本来の意味に於ての全体の奉仕者としての自覚を持たせるようにしなければならないのである。それを怠ってきたからこういう仕儀になるのである。
この法を改正するのも改悪するのも、ひとえに我々の意識にかかっているのである。

28, April 1999 (Wed)
今日はことえり。マックにつなげている SONY のモニタのピンボケがだいぶ酷くなってきた。
最近の初夏を思わせる風が心地よい。会社では、なぜかいつも数少ない開閉可能な窓、いわゆる消防隊進入口というやつだが、を占有する座席配置を得ており、今回の配置替えに際しても、窓際族の幸福というやつを味わっている。都心であるにかかわらず、実に爽快である。
ゴールデンウィークは、大阪でお仕事ということになりそうな雲行きである。ゴールデンウィークあけから本格的に忙しくなる筈だったため、多少早まるだけではあるが、多少残念ではある。
さて、今日は特に書くことはない。

14, April 1999 (Wed)
今日は MSIME97 。天気はかなり良い。配置替えも終わり、心機一転。
都道府県及び政令指定都市の教育委員会に対し、公立小中学、高校などでの性的嫌がらせの防止対策を講ずることを求める通達を行った。具体的には、各教育委員会や各学校に苦情対応体制を設置したり、配慮すべき事項をまとめたマニュアルづくりなどを求めている。これは男女雇用機会均等法の施行を受けた措置ではあるが、教職員以外に児童および生徒らへの性的嫌がらせをも対象としていることが大きな特徴である。実は、公になって猥褻行為で懲戒処分となった公立初中等教育機関の教員は、かなり多い。 97 年度で 49 人である。だが、大抵の人が経験があるように、こんなに「少ない」訳が無い。特に弱者であるところの生徒への性的嫌がらせは日常茶飯事である。氷山の一角どころの騒ぎではない。
同僚への性的嫌がらせなどはとんでもないことだが、それ以上に、生徒に対するそれは言語道断である。教育的によろしくないという以上に、人間として、弱者へそのようなことを行うのは、全く許されることではない。これは当然すぎるほど当然なことではあるが、出来ない人間が教職に就いている以上、対策をたてるべきであり、今回のこの通達は、情けない事ではあるものの、必要なものであると考えている。
話が変わる。自民党の義務教育研究グループの教育改革実施案として、義務教育の修業年限を 6 ・ 4 制から 5 ・ 4 制へと、中学校へ 1 ヵ年ずらすという案を作成した。義務教育全体としての修業年限そのものは変わらない。確かに、荒れる中学校への対策として、ゆとりを持った修業年限を定めることは効果があるかもしれない。もちろん、ただ 4 ヶ年にするだけでは何の意味も無く、その 4 年間をどう過させるのかと言うことが重要だが、 3 年間では余裕が無さ過ぎると言う主張は理解できる。中学校の修業年限のうち、 1.5 ヶ年は受験対策期間なのである。こんな事で「教育」を行え、と言われても、無理だ。教員に成果を期待するには、それを実現するだけのしっかりとした土台を作ることが重要である事は言うまでもない。今後の議論を見守りたい。

28, March 1999 (Sun)
今日は MSIME97 。
NHK の番組に「世紀を超えて」というシリーズがある。 NHK スペシャル枠で放送しているものだ。毎回なかなか興味深いテーマを設けており、評価は高い。ご覧になっておられる方も多いだろう。ヴィジュアル的(妙な言葉だ)にも、悪くはない。ご覧になっておられない方は、是非一度ご覧になられると良い。
さて、朝鮮中央通信によると、北朝鮮の工作船と見られる例の不審船2隻について、北朝鮮外務省スポークスマンは不審船という船舶について知るところではないとの談話を発表したという。なるほど、北朝鮮らしいといばらしい反応だが、この国にはほとほと手が焼ける。それどころか、我が国の自作自演だとか、訳の分からぬことばかり口走っているが、まあ、ここらは新聞による報道に詳しいので触れない。それよりも、我が国が、このところ、今までに無いほど「普通の国家」並みの反応を示していることに注目したい。いままでは、おそらく、まともな対応をしようとしても、出来なかった。威嚇射撃ですら、非難の的になっていたかもしれない。いいところ、泣き寝入りが関の山であった。
しかも、最も注目に値するのは、官房長官が「この機会に悪乗りして、日本が危険な道に走ってはいけない」ということを語っていることである。これは、野中氏個人の政治的姿勢というだけではないと考えている。徒に政府が右傾化すること無く冷静かつ沈着に事態に対処できるのではないかという期待を持つ事が出来る。これは、我々国民一人一人の民度が高まって来ていると考えて良いのだろうか。頼もしさを覚える。
世紀を超えて繁栄を続けて行くためには、成すべき事は多い。そのうちの一つを、我々は今、成そうとしているのかもしれない。重大なターニングポイントを迎えている気がするのである。

12, March 1999 (Fri)
今日は Wnn 。 どうでもよいが、昔から Wnn をウンヌと発音するたびに、 sun3 を思い出す。
中学生の気象予報士が誕生したと言う。立派なものである。気象予想は言うまでもなく自然科学の粋と言っていい。彼の今後の成長が期待される。
さて、政府は今日の閣議で、青年後見制度を実に 101 年ぶり、つまり民法制定後はじめての大幅な見直しを行う法案を決定した。大学などで少しでも民法の講座をとったものなら知らないものはないだろうが、禁治産という言葉のおどろおどろしさは、なんとも言い難い。戸籍にも記載されてしまうし、大体において現在の社会にそぐわないものだと思っておられる読者も多いだろう。それに、痴呆症が社会問題化している現在において、判断能力が低下する前に誰を後見人に選ぶかすら決められない現在の法規は全くナンセンスと言える。それを見直し、さらに禁治産、準禁治産という言葉をやめ、さらに程度の軽い痴呆者も保護の対象に含め、後見、保佐、補助の三類型に広げたのも大きな特徴である。現在の時代の流れに沿った法案と言えるだろう。
話が変わるが、我が国の防衛庁と韓国の国防省との間、正しくは防衛審議官級、空海軍作戦司令部幹部級の 3 系統だが、に、緊急連絡体制を整えることで合意した。将来的には、防衛庁長官及び国防省長官の間にもこの体制を創設する方向で検討を行う方針だという。要するに、有名な米ソ(ソ連は既にないが)間の「ホットライン」のようなものだ。また、年内に日韓共同で、初の海難SARを行う。
これはよいことであると思う。なぜなら、外務省間だけでの情報交換だけでなく、防衛当局間の情報交換は北朝鮮と言う脅威への対応としてだけでなく、両国間の忌まわしい歴史から見ても、好ましい。信用を得るには、まず対話が重要である。特に軍と軍 ( 我が国の場合は自衛隊だが実質的に軍と言っていい ) が直接対話を行うと言うことは、特に相手(韓国)が不安に思う場所をオープンにする効果を期待できる。対話をするには、それなりの雰囲気を醸成しなくてはならず、それにはこういった協力体制を一つずつ積み重ねて行くことは効果的である。それに、簡単なことに見えて実は大変重要なことなのだが、我が国の国防上から見ても隣国とは仲良くしておいたほうがいい。遠交近攻などと言い出す人間は、隣国に害意があるからそういうのである。太平洋の向こう側の国から援助が来るのを待とうと言う意見もあるだろうが、仲がよければ攻め込まれない。理屈は単純なのだが、実は大変に難しいことではあるが、かくあるべく努力を怠らないことは重要であると思う。
今週末は、晴れるらしい。

10, March 1999 (Wed)
今日は MSIME97 。ここのところダム端末を使っており腱鞘炎になりそうである。パソコンのスクリーンエディタに馴れた人間にとって vi はやはり辛い。
国内大手の BBS 運営会社が埼玉県内に在住の SPAM メールを出しまくっていた人物に対してダイレクト・メール送信禁止の仮処分申立をしていた問題で、浦和地裁は 9 日、送信禁止の仮処分を発令した。少なくともちょっとインターネットを利用したことがある人ならば大抵の人には経験があるだろうか、 SPAM メールは数十キロバイトはざら、時には百キロバイトを超える膨大な無意味な情報を無意味に送りつけてくる。あきらかに資源と時間である。であるばかりか、トラフィックの増大やスプールの圧迫など、直接的な害もある非常に迷惑千万なものである。この人物は、何度も注意や警告を与えられたにもかかわらず、プロパイダを乗り換えるなどして SPAM を送信しつづけた。大変悪質である。仮処分は妥当と言えよう。
話題が変わるが、防衛庁の空中給油機の導入の方針がどうも良く分かりにくい。もちろん、純軍事的に見れば防空のためにせよ侵攻のためにせよ制空権の確保に重要な役割を果たす空中給油機は不可欠に決まっているが、我が国は戦争を放棄しているため、他国への侵攻はありえない。また、他国からの攻撃を受けた際の対処と言うなら、別に戦闘機や早期空中警戒管制機に空中給油機で給油しなくても国内には主要と呼べるほどの空港はざらにある。導入するとしても、まず各国とのコンセンサスを深め、刺激を与えないように配慮をするのが先だろうと思うのが一般的な考え方だと思うが、どうもハードウェアが先行してしまって、いたずらに隣国に警戒感を与える結果になっていまいか。まことに拙速であると思われる。おまけに、国産で長距離大型輸送機を開発する方針も同時に示したが、ここまでくれば、疑念をただでさえ持たれている我が国が、逆にそれらの国々を刺激するために策定した方針であるとしか思えなくなってくる。いったい、官僚主導で決めるから、防衛庁の都合のいいような話ばかりするのである。軍事は彼らの仕事だから、ハードウェアの開発や、戦闘能力の向上を目指すのは当然だから、彼らの目だけで見れば、これらの方針は正しい。だが、我が国は防衛庁の国ではなく、防衛庁は我が国の国防を担う一役所に過ぎない(といっても、かなり重要であることは言うまでもないが)のである。
ここにも官僚主導型の我が国の弊が現れている。法務大臣を罷免させることだけが仕事だろうなどと皮肉を言うつもりは全く無いが、これらの政策を決定するのは防衛庁ではなく政府でなければならないはずである。政府とはお役人のお役所の謂いではない。政治家が政府の舵を取らなければならない。
政治家の皆さん、特に国会議員の皆さんにはぜひとも頑張って頂きたい。

3, March 1999 (Wed)
今日は MSIME97 。三月三日、雛祭り(桃の節句)である。この風習は江戸時代に完成したらしい。
最近関東では暖かい日が続いている。特に、今日などは北海道の一部を除いて全国的に晴天が広がり、穏やかな日和となっている。いかにも春らしい。そろそろ上野公園の大家桜も綻んできているのかもしれない。
さて、当園も今月で設立から満三年を数え、 4 年目に入る。今後とも読者におかれては宜しく叱咤鞭撻を賜りたい。

24, February 1999 (Wed)
今日は MSIME97 。東京は雨が降っている。関東甲信越の山間部では雪になると言う。
長く独りで暮らしていたが、 20 日、それに終止符が打たれて 5 日経つ。私の気侭な独り暮らしの生活態度がどうなるかと冷や冷やしていたが、何のこともなく順調である。尤も、狭い部屋に二人でいるのだから、近いうちに何らかの不満が出てくるだろうが、深刻な問題になり得ないことだけはわかっている。
二十日(「はつ」か)に旧い生活が「果て」たのだから、話としては、よく出来ている。語源どおりである。
さて、手前味噌で恐縮なのだが、当園に貧乏で不精な LANと言うリソースがある。これに Mac と Windows95 間の LAN を扱った章があるのだが、アップルを黒字にさせる程の iMac の普及に伴い、少しは役立っているらしい。メールをいただいて気づいたのだが、確かに言われてみれば iMac にはフロッピーディスクが附属していないので、 LAN 経由またはモデム経由で外部と通信する以外に手段はない訳である。 3 年前に書いたものが、今役立っていると知らされるのは、なかなか嬉しいものである。
今週は久しぶりに大坂へ行かなくても済みそうだ。助かる。

8, February 1999 (Mon)
今日は MSIME97 。早いもので、もう 2 月である。
ここ最近、大阪に出張する機会が多いのだが、早朝から深夜まで現場に釘付けられている。仕事であるため文句のつけようが無いのだが、多少残念ではある。
過日のことになるが、深夜にいきなり消防士の恰好をした男どもがいきなり拙宅のドアを開けたのには驚いた。聞くと存在しない部屋番号で火事が起きたと言う通報を受けたと言う。要するに彼らは担がれた。このようないたずらをして喜ぶ輩にはまことに迷惑なことである。

21, January 1999 (Thu)
今日は MSIME97 。昨日、近しい親戚が胃癌で死んだ。冥福を祈りたい。最近、親戚がよく死ぬ。
目の前のポトスやドラセナコンシンネは元気に育っている。しかし、明日には枯れるかもしれない。いつ枯れてもいいようにしておきたいものだと思うが、なかなか難しい。
さて、省庁名でごたごたが続いているが、やはりというべきか、大蔵省の名が復活しそうである。当初、三党の合意に基づき、財務省という名になることが決まっていたのだが、このありさまである。もっとも、名前などいくら変えたところで中身が変わらなくてはどうしようもないのだが、この調子では、中身も変わるか、どうか。

20, January 1999 (Wed)
今日は MSIME97 。 99 年最初の徒然である。
今年の歳末から新年にかけての旅行先は大阪であった。日頃お世話になっている方の家に泊めて頂くなど、様々なかたちで人情の篤さに触れることができ、よい年のスタートとなった。お世話になった皆様には心からお礼を申し上げたい。但し、日頃の行いの報いによりひどい風邪を拾ってきてしまったのだけは悔やまれる。
さて、大阪東京間の夜行に銀河という寝台急行がある。いい名である。名前だけで惚れてしまった。さっそく乗ってみたが、期待通りであった。全両が客車であり、牽引されなければ動かない。これがミソである。電車ならばなるほど乗り心地はいいのだが、機関車に牽かれて進むあの独特の揺れが無い。客車こそ夜行の醍醐味である。また、電源車が付随するのもいい。
銀河は、今日では数少ない客車急行寝台である。東京大阪間 559.3km を 8 時間 28 分で走破する、伝統ある寝台急行である。銀河に、思い入れがある方も多いのではないだろうか。
ところで、寝台車と言えば、最近は三段のものをあまり見かけない。多少、物寂しくもある。
最後となったが、本年も読者諸兄におかれてはよい年となることを願っている。今年もよろしくお付き合い頂きたい。

30, December 1998 (Wed)
今日は MSIME97 。まだ会社にいる不思議。
今日はコミケと言う有明で行われるイベントにお誘い頂いたので行ってみる予定だったのだが、残念なことに行くことが出来なかった。コミケとはどんなものかを知る機会だったのだが、自分からつぶしてしまった。非常に残念である。お誘い頂いた方をはじめ、関係各方面諸氏にはお詫び申し上げたい。
さて、インターネットを経由して、パソコンで作成した文書や図面を印刷して郵便として出せるサービスを郵政省が 2000 年を目標に行えるよう、復活折衝で予算が認められた。これの特筆すべきは、クレジットカードによる決済が可能と言うことである。つまり、カードで手紙が出せる。国がカードを料金納付方法の一つとして採用したのは驚くべきことである。いまさら、という感もあるほど、この一般化したシステムを国は採用してこなかった。また、インターネットを使った不正アクセス元の追跡に関する研究開発費も予算化された(たとえ 5 億円にみたぬとはいえ)。これは実用化されればインターネットのセキュリティ、特にエレクトリックコマースに関して大きな信頼感を与えることに寄与するはずである。つまり、一般の人々が安心してオンラインショッピングを楽しめることにつながるだろう。
話題が変わる。今年の総括をそろそろしてみよう。
まず今年は、多端であった。挙げ句の果てには引越しまでした。また、これまで無かったことだが、来年もいい年であろうと言う確信を持てたのはすばらしいことだ。これに尽きる。
読者諸兄におかれては、本年のご愛読を謝するとともに、来年がいい年であることを心よりお祈りしたい。

25, December 1998 (Fri)
今日はことえり。今日はクリスマス。いい天気であったが、多少風があった。
私の場合、ほとんどの場合、誰がたとえ音信不通になろうと一向に構わないのだが、一人だけ少しでも連絡がつかないと不安になる人がいる。案外、幸せの範疇かもしれない、などと最初は気取っていたが、だんだん洒落にならなくなってきて、しまいには心配で心配でどうしようもなくなってしまった。結局、電話をどこかに放り出して、単にうたたね寝ていたり読書したりして元気に過していたらしいのだが、何時間もかかってようやく連絡がつき、声を聞いて、どっと緊張の糸が切れたら、今度はこんなに心配を掛けさせて、と理不尽な怒りが湧いてきてしまった。全く、勝手なものである。迷子になった自分の子が見つかったとき、まず思わず手が出てしまう親の心境にやや近いかもしれない。迷子になっているのは、実は親なのかもしれない。勝手に心配されて、怒られるほうも、いい面の皮である。
さて、のろけは措いて、パソコン通信で知り合った猟銃所持許可を持たない男に散弾を譲渡して、譲渡された側が銀行強盗を働いたと言う事件があった。さらに、強盗犯はメールや電話で、ある女性から数千万の借金を返済しなければならない、と言う相談を受けていたと言う。まるで冗談のようだが、実際に起きたケースである。
感想は、読者に任せたい。

24, December 1998 (Thu)
今日は MSIME97 。 22 日から 23 日にかけて、徹夜で過し、朝方電車に乗ったものの、東北本線を乗り過ごして大宮で京浜東北に乗り換え、駅に着いたようなので下車、精算後、浜松町にいることに気づき、といった具合に電車で関東南北をうろうろしてしまった。このような経験ははじめてである。間抜けだ。もっとも、乗車した東北本線の電車は黒磯行きであった。あるいは黒磯で目覚めていたとしたら、と思うと、多少残念でなくもない。もっとも、そうなった場合、ただでさえ面会の約束のあった相手にあまり良い印象を与えられなかった 23 日はさらに散々であったろう。読者諸兄も注意されたい。たったこれだけのことが、後々重大な事態を招きうるのである。今回は相手の配慮によってこれを免れることが出来たが、汗顔の至りである。
ここのところ、諸事においてあまり良い状況は続いておらない。特に、ある特定の人間関係においてあまり良くない状況に入りつつある。大部において私の至らなさのせいなので、尚更良くない。前述のようなこともあるし、妙に弱気になっており、相手の、ある行動に対して深く聞けず思い悩んでしまったり、こういうことはしてほしくない、とはっきり言うことが出来なかったりする。これが私の態度に出てしまうのであろう、相手に誤解を生む余地を与えてしまったりしているようだ。これが積もり重なると、重大なことになるとわかっているので、早急に何とかしたいのだが、なんともならない。不徳の至り、である。特に寛容さについて思いを致さざるを得ない。が、狭量で嫉妬深い私にとって、かなり遠い徳目である。
年末だと言うのに、まことにすっきりしない。

22, December 1998 (Tue)
今日は MSIME97 。明日は天皇誕生日で休日である。関連はないが、閑話数題。
最近意図不明な応対を受けて戸惑うことが多い。非常に疲れるが、無視する訳にも行かず困惑を覚える。いつまでぶん回されれば終わるのか見当もつかないので尚更である。こういったことには馴れていないので右往左往している。正直なところ、うろたえている自分が多少馬鹿らしいとも思う。放っておくに限るのだろうが、それが出来れば悩まない。しかし翻弄されつづけるのも疲れてきた。何らかの手を打とうと思うのだが、次の手が思い浮かばない。結局右へ左へとうろうろしつづけるのだろう。正直なところ、うんざりしないでもない。
先日某市の役所へ戸籍の謄本を取りに行ってきたが、役所が割合海に近く、多少風もあったためか、風に混ざる潮の香りがとても気持ち良かった。毎度本籍地へ行くのが面倒だから分籍して都内に本籍を移してしまおうといつも思っているのに、この空気のせいでそんな思いが吹っ飛んでしまう。口ではがたがた言うが、やはり生まれ、育った街が好きなのである。この匂いをかいで育った身としては、つい腰砕けになってしまう。
先日、秋葉原に久しぶりに行った。醤油漬けリブレットに US 仕様キーボードを取り付けてもらうためである。ついでに、インカムを使って手でハンドセットを持たなくても話せる電話機を購入した。以前からこういったものがほしかったのだが、手ぶらコードレスはかえって使いづらいし、インカムで話せる既存の電話機は高くて手が出なかった。実売価格は 4,500 円なのだが、事情により無料で購入することが出来た。買った当日から利用しているが、実に便利に使えている。お勧めである。
正月の予定がまだ見つからない。家でごろごろしているのだけは避けたい。近畿以遠を考えているが、何らかの行動を起こしているわけでもなく、考えているだけである。例のごとく羽田で行き先を決めようと思うが、今年投入された新しい夜行列車も乗ってみたい。結局決まらない。
年末という実感が湧かない。のんべんだらりとめりはりの無い生活を送っているからである。年賀状は珍しく書いた。といっても、プリンタで印刷しただけだが、ないよりましかと自分を騙す。
まことにとりもめも無い。

16, December 1998 (Wed)
今日は MSIME97 。今年も余すところ半月である。このような出だしで書き始めると、今年も様々なことがあった、と続けるのが穏当だろうが、晦日まで間があるのでこれはひとまず措く。
熊本へ行ってきた。仕事なので観光する余裕はあるわけ無いが、久しぶりに九州へ渡ったと思うだけで気分が良い。東京よりも 7 度も気温が低く驚いたが、季節にめりはりが利いていると言うべきだろう。
出張先で、愛用しているサブノートパソコンを醤油漬けにして破損してしまった。修理に出すのが面倒くさくてそのままにしてあるが、今年中には何とかしなければなるまい。
さて、民間調査団体の調査によると、パソコンを所有する率は約 37% に上るそうだ。うち、 4 割強が何らかのネットワークに接続していると言う。主観からすると、これはある程度納得の行く数値であるとともに、驚きを感じる数値でもある。納得が行く理由として、私の周りでネットワークに接続していないパソコン所有者は皆無、ゼロである。驚く理由として、数年前までネットワーク、特にインターネットなど接続しようにも個人ではどうにもならなかった現実を知っているからである。当時は、 uucp などでどこかつてを辿ってフィードしてもらうのが関の山で、通信と言うと個人では草の根 BBS や 2,3 の大手商用 BBS に接続すると言う姿が一般的であった。おまけに、パソコン通信と言うと、偏見というよりもむしろ小馬鹿にされたものだ。これを考えると、驚くと言うよりも、隔世の感があると言っていい。最近では、ノートパソコンなども普及し、それらの大抵はモデム内蔵であったりするし、クリックするだけでインターネットや商用 BBS などの接続業者と契約を済ませることも出来るようになっている。さらにはゲーム機を使ってインターネットに接続したりすることも出来る。まことに夢のような流れである。
ここまで一般的になった以上、ちょっと前からパソコン通信をしていたとかなんとか言うのは箔にもならない。それよりもむしろ「なんだか良く分からないけど通信してます」という人々とどう上手く付き合えるかが重要である。彼らが今後の流れを作り出すことは間違いないのである。
話の趣旨は多少飛ぶが、そもそもそういう人々は金払いはいい。これは重要である。彼らをよらしむべし、知らしむべからずといったところにおいておければいくらでも吸い取れるだろうが、そうは問屋が卸すはずもなく、恐ろしい勢いで知識や情報を貯え、賢くなって行くのである。彼らには常に高品質なサービスを提供して行かなければ、あっという間に取り残されるだろう。競争は激しいが、パイは大きく膨らみ続けているのだから、見様によっては大変な好機と言える。また、彼らを対象として提供されるサービスは、大概において我々にも有益である。
油断は出来ないが、面白い世の中となったことをほくそえんでいる人は多いのではないだろうか。

8, December 1998 (Tue)
今日は MSIME97 。 12 月に入って一週間経った。
先月末に引っ越した。先は浦和である。まあまあ、典型的な地方都市であろうか。埼玉県の県都である。人口は約 47 万人、これでも県下最大の人口だそうだ。大宮市が約 44 万人である。ベットタウンらしく県内各都市へ人口が分散している様子がうかがえる。電車で都内に出るには JR を利用するが、浦和付近は京浜東北線、埼京線、武蔵野線、東北本線等が錯綜しており、すべてが浦和駅に接続しているわけではないため、まことにややこしい。
どうでもいいが、引っ越してから、運が良いのか悪いのか、毎日必ず通勤中に電車が線路上で立ち往生している。引っ越してからわずかだが、必ず毎日立ち往生すると言うのはすごい。こんな路線ははじめてである。ダイア変更も結構だが ( JR 東日本は今日からダイアを変更した ) 、もう少し先に考えを致すべき点がありそうである。もっとも、いくら考えても現状では過密どころか既に限界に達しているのだろうが。
浦和市は他市と合併して政令指定都市になりたいらしいが、積極的なのは浦和市だけのようである。実のところ、掛け声だけ大きく、実現の目処は立っていないようである。
これが、私の地元である。

25, November 1998 (Wed)
今日はことえり。未だに MacOS 7.5.5 だが、これでいいのだ。
久しぶりにマックをいじってみると、ウィンドウが柔らかい(わかる人にはわかる)。これが快感でなかなか手放せないのだが、仕事に使えと言われてたら私は断然嫌だ。
週末は三連休だったが、なかなかスリリングであった。読者の週末はいかがだったろうか。
今日もちょっぴりスリリングであった。

22, November 1998 (Sun)
今日は MSIME97 。saving private ryan を観た。作品の終わりに、墓標へマット・デイモンが語り掛けるシーンで涙がボロボロ出て来て困った。陳腐だとおっしゃる向きもあろうが、私は素直に感動できた。中隊長役のトム・ハンクスもさすがである。また、戦争ものとして観るにも十分鑑賞に堪える。内容については深く触れないが、興味があれば読者もご覧になられると良い。
そろそろ冬である。最近寒い日が続いている。くしゃみが止まらない。読者の方におかれては十分に健康に留意されたい。

20, November 1998 (Fri)
今日は MSIME97 。昨日、なつかしい人々からメールや電話が来た。一年ぶりの音信であったり、半年ぶりであったりさまざまであるが、懐かしい人の声を、メールを読むのは愉しいことである。
SUN Microsystems vs Microsoft の JAVA 合戦だが、 SUN が一歩リードのようだ。90 日以内に Microsoft は Windows98 を改変しなければ出荷できない事態となった。これに関しては Microsoft は遺憾としているものの、 SUN に分があると思われるので、妥当な裁定であると思う。どちらにせよ、消費者を振り回すような真似だけはしないでほしい。
防衛庁の報告書を読んだ方もいるだろうが、一言で言って、まるで最悪である。やはり官僚と言うものはどうしようもないものらしい。十把ひとからげに官僚は駄目だというようなレッテルを貼られても仕様がないような昨今であるが、ここまでくればむしろ立派だ。仮に官僚全員を解雇という夢物語が実現したとしても、何の痛痒も感じさせぬこのどうしようもなさ。大臣に書き直されるような作文を書いてお給料をもらえるというのは、なんともうらやましい。もっとも、私たちの税金から彼らの給料は出ている。
某市立学校長の盗撮事件については、まあ、こんな屑でも学校長になれると言ういい見本だ。学校なんてこんなものなのであろう。結局馘になったが、ばれなければ無事定年である。これは氷山の一角であろう。心当たりの向きは、せいぜいご用心されたい。
さて、合衆国大統領のクリントン氏が TBS でガツンとやったかやられたか、どちらかは知らないが、やはりさすがに立派なものであった。一国の指導者としての格というものを、見せ付けられた。我が国の総理大臣もああできれば、とてもすばらしいことだ。

17, November 1998 (Tue)
今日は MSIME97 。今月も長いだろう、などと書いたが見当違いもはなはだしい。大忙しであっという間に半月が経った。
昨日マウスが死んだ。一年以上使ったので、長持ちしたと言っていい。ほぼ毎日使うものだから、損耗が激しい。ちなみに、死んだと言う表現をこの業界では良く使う、曰く、通信ポートが死んだ、マザーが死んだ、等等。この場合、機能を果たさなくなった状態を指すのだが、考えなくともかなり激しい表現である。最近では、かなりへばっている人を指して「死んだ」という場合があるが、これはおそらく同じような意味で使っているのだろう。間違っても、この言葉が通じない人に対して使ってはいけない。要らぬトラブルを呼ぶ場合がある。
久しぶりに初心者向けパソコン雑誌を買って読んだが、最新のマザーボードとかなんとか、記事を読んでも全く興味が湧かない。どれを購入しても必要を満たすだけの機能があるから、昔のようにパーツの一つ一つに目くじらを立てなくなったと言うことらしい。400MHzだの500MHzだのと言っても、なにがどうと言うことも無い。Z80全盛の時代とまでは言わないが、8086だのV30だのと目を血走らせていたころが妙に思い出される。最近までP2だのP5だのと言っていたような気もするが、あのころの熱気には及ばない。パソコンという語も定着、普及さえし、マニアだけの娯楽などではなくなって久しい。キーボードアレルギーなどという言葉も聞かなくなった。しのごの言ってはいられないほど我々の生活に入り込んできているということだろう。
あのころが時々妙になつかしく思い出されるのは、単に感傷であろう。素直に喜んでおくこととする。まだ年寄りとは認めたくないから。
話が変わる。育てているポトスがもじゃもじゃに茂って久しい。葉を切っては水につけて増やし、人に頒けてきたのだが、もはや手におえぬ。このままではオフィス密林化計画などと冗談を飛ばしていたのだが、冗談では済まなくなってしまう。生命力が旺盛とは思っていたが、実際に目にすると圧倒的である。
さて、新居だが、日曜日に見てきた。かなり汚い。引越しの予定は、まだ立たない。退室予告はしたので、かなりまずい。
今日は、獅子座の大流星群を見ることが出来ると言う。人工衛星に当たれば大事だが、それでもなお、流星というのは心を惹きつけるものがある。見るまで、起きていられるだろうか。
今回も、とりとめもない。

31, October 1998 (Sat)
今日は MSIME97 。時間が作れたので移転先の鍵を受け取ってきた。これまでの部屋に未練はあるが、ここまで来たら後戻りは出来ない。のだが、いまだに引っ越しの準備どころか退室通知も出来ていない。公共料金の清算もなにもしていない。時間を作る目処はいまだに立っていない計画性の無さ。
さて、今月も今日で終わりだが、長かった。来月も長いだろう。

25, October 1998 (Sun)
今日は MSIME97 。いつのまにか前回の徒然より一月経ってしまっていた。最近公私共にやたらと忙しい。仕事で平日の夜間はおろか週末も時間を取れない生活が続いており、私的な都合がほとんどつかず問題が相当に膨れ上がってしまっている。非常にまずい状況だ。
さて、痛んでいた歯を抜いた。今月初頭のことだったように思うが、よく覚えていない。親知らずが残るは左下の1本のみである。この歯は痛みもなく、必要はないのだが、上に歯茎がかぶっていることもあり、虫歯になる前に抜歯してしまいたいのだが時間が取れない。
引っ越さなければならないのだが、引っ越しの準備はまったく進んでいない。新しい部屋の賃貸借契約は結んだが、引っ越しはおろか今住んでいる部屋を引き払うということを管理会社へ通告してすらいない。長ければ家賃の二重払いが数ヶ月続くことになり、厳しい家計にさらに圧迫要因が加わる。もっとも、今住む部屋から引っ越すと、大変に不便な生活を強いられるため、実はあまり焦りを感じることが出来ない。まあ、来月中には何とかしなければなるまいが、今のところ時間をひねり出せる目処は立っていない。
今週末はなんとか休みを確保したいが、今日の状況では、難しいだろう。

27, September 1998 (Mon)
今日は MSIME97 。気づけば既に九月末であった。歯が痛い。そのせいで頭痛がひどい。
さて、今日は書く事が無い。のだが、ドイツ連邦議会議員選挙でドイツの社民党が第一党になり、16年間にわたるコール政権に引導を渡した。イギリス、フランスに続き、ドイツも社会民主政党の内閣が誕生することになるが、各国とも左傾化するつもりはないようだ。ドイツも、大きな針路変更は行わないようだ。もっとも、欧州連合がそれを許さないと言う事情もあるだろう。
コール首相と言えば、ベルリンの壁の崩壊から統一ドイツ初代首相、欧州統合と、歴史に残るような業績を残した。だが、未来への展望は、有権者には受け入れられなかったようだ。
話が変わる。
防衛庁背任事件と一般にいわれているが、国防を担当する防衛庁の国民への裏切り行為として、背任として追糾してゆこうという検察の姿勢を支持する。背任という言葉そのものが今回の事件で行われたのであり、その罪は大変に重い。それにしても防衛庁はここの所、不祥事続きで一般職員は迷惑しているだろう。同情するが、罪は罪である。防衛庁の信用は地に堕ちたのであり、回復することは容易ではない。防衛という国家の枢要に関わることであるだけに、一刻も早く回復するよう全力を挙げて取り組んでもらいたい。そのためにも早く膿を出しきってしまわなければならない。
さらに話が変わる。 地方自治体が税収不足であえいでいる。大阪府や神奈川県などが特に目立つが、これらの府県に限らない問題である。それにしても、この不況下、自治体だけがお金をがっぽりもらえるんだと思っているのだろうか。
それにしても、一般サラリーマンなどはいくら減税されてもほとんどそんな実感が湧かないのはどういうことなのだろうか。それで地方自治体が財源不足に陥って満足な行政サービスを受けることが出来ないとなれば踏んだり蹴ったりである。どうせなら、せめて税金を払ってないのだから行政サービスを受けられないと言うことが実感できる程度に減税してほしい。それならそれで、納得できないことも無いのである。

26, August 1998 (Wed)
今日は MSIME97 。金が無い、全く。あまりに金が無いと思考も鈍るということを知った。貴族への仲間入りの時期は近いのか。
さて、今年の11月、陸海空の各自衛隊が硫黄島で演習を行う予定なのだが、初めて一人の指揮官が指揮を執って行われる。これは、驚きであると同時に、当然のことでもある。
これまで、2自衛隊による共同訓練という形では行われてきたが、この場合はそれぞれの指揮官が指揮を執る。これでは軍としての連携がうまく行くまいと思っていたのだが、やはりみなそう思っていたのだろう、今回の統合訓練を実施することにしたようだ。
ただ、硫黄島という場所は、先の大戦で日本兵2万人が玉砕した場所でもあり、地元の感情としては、今回の統合演習は歓迎されない。それももっともなことである。だが、どこかでこの演習は行われるべきであることは確かだ。我が国を防衛すべき軍隊が指揮系統がバラバラのままでいいわけがない。もちろん、紙の上では指揮系統は確立されてはいるのだが、実際にはそうでもないところに問題の深刻さがある。
軍は、ないほうがいい。当然のことである。が、脅威となる国がある以上、それに備えざるを得ず、備えるならば万全を期すべきである。統一された指揮系統での演習は、基本中の基本である。基本をないがしろにしていては、成果は望めまい。
一方で、我が国の忌まわしい歴史が、統合された軍と言うものに対して猜疑の目をむけさせる。軍が一枚岩になることは、感情的には恐ろしいことである。だからこそ、これまで統合演習は行われなかったのである。この恐ろしさを忘れてはならない。繰り返してはならない歴史があるということを、常に頭の中においておき、かつ、国防力を強化しなければならない。一歩間違うと、千尋の谷に落ちるような危うさである。
我々の理性も試されている。右にも左にも傾かず、真っ直ぐに歩むことが出来るだろうか。多少、不安が無いでもない。

3, August 1998 (Mon)
今日は MSIME97 。もう 8 月である。
この一月間、実にさまざまなことがあった。徒然たる余裕が無かったため、気づけば最後の徒然から満一ヶ月経ってしまっていた。最近、さまざまな不安だらけで精神的に追いつめられ気味で、仕事がまったく手につかない状態なのだが、今日は多少落ち着いているようだ。
最近、 Windows98 が発売されたようだが、まだ入手していない。特に触手が動くようなものでもない。インストール作業を考えるだけでうんざりする。よほど暇にならない限り購入しないだろう。
カメラを買おうと思うのだが、よく分からない。高校時代から親しくさせていただいている友人がカメラ屋さんなので、相談しようと思うのだが、その友人も相当忙しそうだし、なにを相談すればよいかもわからないので思っているだけという段階である。ほんの一瞬、私も写真部だったりしたことがあったのだが、まったくその経験は生かされていないのが笑える。そういえば山岳部にもいたような気もする。山に関する知識はまったく無い。
今住んでいる部屋がそろそろ契約更新を迎えるので、引っ越そうかと思っている。今のところ、文京区を中心とした山手線沿線を考えている。今住んでいる部屋の選定基準が、秋葉原へ一本で行けるというものだったが、実際に住んでみると秋葉原などへはめったに行かぬ。だが肝心の金が無い。込み込みで 30 万程度で収まらないものだろうか。礼金無し・敷金 1 なら、まあ可能か。
まことにとりとめもない。

1, July 1998 (Wed)
今日は MSIME97 。今日から7月、良い天気である。
定期券を紛失してから三日経つ。やむを得ず購入。おそらく私の部屋のどこかにあるのだろう。自室内で物が無くなってしまうと、もはや探索不能である。
おいしいものが食べたいと思った。そこで、神田界隈を調べてみたら、評判の良い店が出てくる出てくる。さすがに神田である。目移りするほどだ。
うなぎ屋で、客ごとに座敷へ別に通されるという店があるらしい。割合安いらしく、どうも期待できそうである。ただ、創業二百数十年という老舗だそうで、堂々たる風格だそうである。臆病者の私には怖じ気づいて入店できないのではないかという心配がある。 予約が出来れば、行ってみたいと思う。

30, June 1998 (Tue)
今日は MSIME97 。良い天気である。今月も今日で終わりだというのに、ぜんぜん仕事が進まない。
昨日の昼、ポケットピカチュウを買った。どんどん趣味が幼児化している。まる一日で、4千歩強しか歩いていない。これでは腹が出てくるのは当然である。体型まで幼児化してしまう。

29, June 1998 (Mon)
今日は MSIME97 。
昨日も飲みに誘っていただいた。つぶされることもなく、無事帰宅。
さて、手紙、電子メールについて。
数ヶ月前まで、ここまで筆まめだったかと自分で驚くほど相当数の手紙を書いていた。今はもう書いていないが、かわりにメールをここのところほぼ毎日、3時間程度かかって書いている。これがやけに楽しい。
しゃべってしまえばほんの数分であるにもかかわらず、手紙や電子メールに起こそうとすると大変に時間がかかる。もちろん、内容にも依るが、充実した内容というわけでもないのに、時間ばかりが過ぎて行く。
手紙や電子メールだと、読み返すことが出来るため、内容をきちんと把握しようとして何度も読み返すことが多い。返信を認める際にも、言葉の選択や言い回し、構成を吟味しようとする。これは、重要なメールであればあるほど、慎重に行うようになる。だから時間がかかるのだが、それが手紙のいいところだと思う。時間がかかればかかるほど、血の通った手紙になるような気がする。あくまでも、気、だけだが。
口下手な人間からすると、もう一つ大きな利点がある。しゃべればたった数分の話でも、紙に起こすと結構な量になる。この量で相手を撹乱させる。というのは冗談で、話を長くもたせることが出来るのはありがたい。手紙だと、2,3枚書けば結構長い手紙のように感じるのだが、実際には言葉の絶対量は少ない。
もちろん、行間にも何らかの意味を持たせるのだが、これは相手が読み取ってくれて初めて成立する。書き手がいくら念を込めて行間に思いを託そうが、読み取られなければただの空白である。これがなかなか難しい。が、面白い。手紙の醍醐味とは、実にこれではないかと思うのである。この行間を活かせるか否かで、同じ出紙でも情報量が断然異なってくる。 手紙と違って、電子メールは送達のラグがない。パソコンさえあれば、手軽に書くことが出来る。悪筆がばれてしまうこともない。逆に、手書きの手紙は、文字の一つ一つに意味を持たせることが容易である。筆圧、字体、それぞれに重大な意味を帯びさせることも出来る。この差の利用の仕方も、また、面白い。
いずれ敷延してみようと思う。

27, June 1998 (Sat)
今日は MSIME97 。いい天気だが、日ごろの行いが祟って休日出勤。
昨日の徒然苔で、いい対処方法はないか、と書いた。あった。
飲もうと思っていたら、ふと旧い友人のことが思い出され、連絡を取ってみたら、都合よく空いていた。聞けば一年くらい会っていないそうで、そう言われてみればそうかとも思えるし、昨日会ったではないかと言われればそうかとも思う。来年の再会を約して別れたが、誰も本気で言っているわけでもない。
気分を晴らせていただいた。

26, June 1998 (Fri)
今日は MSIME97 。いい天気である。
久しぶりの出張である。今回は近距離で助かる。
日教組の調査によると、全国の小、中学校の電話回線数は一校当たりにつき二回線程度しかないそうである。一般家庭並みの回線数とは恐れ入る。このデータは学校の閉鎖性ないし特殊性を如実に表しているように思えるのだが、どうだろうか。
さて、どうも最近、鬱っぽいのだが、この抑揚はどこからくるのか。やけに沈んだ気分である。別に、機嫌が悪いとか、そういう訳ではまったくないのだが、他人と話していても、頭に話のネタが浮かばず、結果的に無口になり、話し相手の機嫌を損ねてしまう。これはいかにもまずいと思う。また、ハイな人を疎ましく感じてしまう。べらべらしゃべりやがって、なにが楽しいんだ、と、訳もなく不当に思ってしまう。まったく、こういう気分に陥ってしまうとどうしようもなくなってしまい、非常に困る。こういう状況は、定期的に訪れているようなのだが、未だにどうすればいいのかわからない。日数が経てば、また元に戻るとは思うのだが、どうもいけない。何かいい対処方法はないものだろうか。

22, June 1998 (Mon)
今日は MSIME97 。
16日付〜21日付の徒然苔、公開できないので、ファイルを革めた。
昨晩は寝汗を滝のようにかいていた。特に足の部分の寝間着には池のように汗が溜まっていた。最近こういう事が多い。特に室内が暑いと言うわけではない。
先日、鯨を一日おきに、2回も食べた。そんなにうまいものじゃない。
さて、と。特に書くことはない。


    過去の徒然
  1. 平成8年4月1日(月)〜平成8年10月2日(水)まで
  2. 平成8年10月6日(日)〜平成9年3月3日(月)まで
  3. 平成9年3月5日(水)〜平成9年5月7日(水)まで
  4. 平成9年5月19日(月)〜平成9年12月24日(水)まで
  5. 平成9年12月25日(木)〜平成10年6月15日(月)まで
  6. 平成10年6月16日(火)〜平成10年6月21日(日)まで


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