徒然苔
吉田さんに倣って日々の徒然を綴ることにした。徒然じゃないときは綴らないので日記ではない。
( 実質は日記である。 )
- 3, March 1997 (Mon)
- 今日は MSIME97 。確か雛祭りだったと思ったが、どうだったろうか。
先日触れた上野公園の桜は大家桜という銘柄であった。染井吉野はまだつぼみは固い。
- 28, February 1997 (Fri)
- 今日は MSIME97 。
上野公園ではもう桜が咲いている。想えばもう二月も終わりである。今年は幸い雪も降らずに二月が過ぎた。
もう桜が咲いているとは思いにもよらなかった。確かにこのところ暖かい日が続いており春めいた感もなくはなかったが、何といっても桜は春の代名詞である。その桜が咲いているとなると俄然現実味を帯びてくる気がする。梅は梅で悪くはないのだが、梅が咲く時期はまだ寒い。
ある程度寒の戻しもあるだろうが、それもまた春めいて良い。オフィスの中に一日中閉じこもっているとこうしたちょっとしたことがうれしい。今年の春はどんな春になるのか楽しみだ。
話は変わるが、またまた虫歯である。虫歯に関する妙な随筆が司馬遼太郎にある。確か風塵抄に収められていると思ったが、まことに妙としか言いようがない。その書物には歯科医と文明との揺るがしがたい関係について触れられている。我が意を得たり、とひざを打ちたくなるような随筆である。
- 17, February 1997 (Mon)
- 今日はことえり。
2月17日付けの朝日新聞ニュース速報に興味深い記事が掲載されていた。
お隣りの中国の中国共産党青年組織の機関紙「中国青年報」が実施した初の対日意識調査の結果なのだが、「日本と聞いて連想するものは」という設問に対する回答が興味深い。「南京大虐殺」が 83.9% 、「日本侵略者と抗日戦争」が 81.3% と目だって高かった。ちなみにこの設問は複数回答である。余談だが、「桜」や「武士道」といったものも 50% 前後あったようだ。
また、「二十世紀の代表的日本人は」という質問への上位回答のうち 3 人は東条英機が 28.7% 、橋本龍太郎 12.8% 、山本五十六 12.1% という結果だった。この設問に対しては 256 人の名が上がったそうである。上位 3 名のうち二人までが軍人であり、そのうち 1 位の東条についてはそのマイナスの所行(といった生易しいものではないのだが)ゆえに日本人の代表として認識されてしまっている。東条が代表と思われるのは私個人にとっては心外なのだがやむをえない。また、日中間の国交回復の実現を果たした田中角栄が 4 位 (11.2%) に位置し、中国人の義理堅さのようなものをほのかに感じ取ることが出来る。
またこの記事では「歴史に立脚した質問への回答は概して厳しく、 97.4% が「過去の歴史を美化し、若い世代を教育する動きは許せない」とした。」と触れている。実際、そのような動きがあることを我々は知っているだけにこの一言には深く反省すべきだろう。最近のナントカ史観などは論外としても、いま学校では現代史をなおざりにしている。これは消極的にその風潮を助長していることにほかならない。知識がないものを騙すのは容易なのだ。騙されるものは甘美な嘘を選ぶ。
自衛隊の国連平和維持活動参加は 75.4% が「受け入れられない」とし、「容認できる」の 8.2% を大きく上回ったのは、未だに日本に対する抜きがたい不信感を雄弁に物語っているものだろう。信じられない奴が近場を武器をもってうろうろするのはさぞ不快に違いない。我々は不信感を取り除く努力をしなければならないのにかえって不信感を植え付けるような真似を平気でしているのだからこれは出るべくして出た結果と言えるだろう。努力しても努力しても足りることなどない筈だ。
結局、日本の全般的な印象は「とても良い」「良い」が 17.5% に対し「悪い」「とても悪い」が41.5% 、「普通」が 43.9% という結論だった。この良いと悪いとの数値を逆転させるのは我々の義務である。金をばらまいても土下座してもどうしようもない。誠心誠意を以てするしかない。
- 14, February 1997 (Fri)
- 今日はことえり。風邪を引いたうえに歯の痛みの余りほとんど一睡も出来なかった。
時代は繰り返すというが、どうだろう。
今ではもう大正生まれどころか昭和初期の生まれはめっきり少なくなってしまったが(この間一周忌を迎えた司馬遼太郎は大正生まれだった)、昭和の前期に生まれてきた人達は私にはどうも素っ頓狂に映る。狂気の時代に思春期を過ごしたからだろうか、その行動は全くのところ素っ頓狂を通り越して不気味だ。一例を挙げるとするならば、本気で天皇は現人神だったなどと平気な顔をして言い切るのはその世代だし、その世代の前後に生まれた人々は瞬時たりともそんなことを本気で信じる人などいなかったのではないか。私の実体験で言うと、私が高校生の頃、世代間のそう言った機微を知りたくて手当たり次第に質問をしていった経験がある。特に印象的であったのは、私が在籍していたC県立のK高校の教員のうち(余談だが、この高校は退職前に最後に赴任する教職員が多くて有名であった。そのためかどうか、校風は駘蕩としていた不思議な高校だった)、大正生まれの先生方はことごとく「教科書にはあんなことかいてあるけどね、天皇が神様なんかね、しんじちゃいなかったよ」と悪戯を告白するような表情でおっしゃられたことである。それに対し、昭和生まれの教員はそれとは正反対のことを真顔でおっしゃられるのだった。私は気が滅入ってどうしようもなかった。
高度成長期などもあったが、あれは殆どキチガイ沙汰ではなかったろうか。バブル経済華やかりし頃も経済政策を担う人々は彼らであって、その彼らにはどうすることも出来なかった。いまでもどうしていいのかわからず右往左往している有様である。
その世代とその子の世代、特に後者はそろそろ社会を支える中堅層になりつつあるが、親の教育が悪かったのだろうかどうしようもなくいい加減でその場しのぎだけで窮々とするのみでその為すところを知らない。とんでもないのは日本に自信を持つなどと称して歴史を無視し、都合のよい俗説などをあたかも金科玉条のようにして振りかざし、それを抱きかかえながら自分の殻に閉じこもる人々が群がって出てきたということがある。自国の歴史を無視しておいて自信をもつどころの騒ぎではないではないか。自信とは、内省し(内省とは非常な勇気がいるものである)、原因を分析し、結果を分析し、どうすれば良くなるかを気が狂うほどに考え抜いたあげくに搾るように出てきたものこそ本物である。彼らの言う自信とは自信ではなく欺瞞であり、それも自己を欺くための欺瞞である。これほど醜い姿はない。
我々の世代は彼らと断絶しなければならない。
- 13, February 1997 (Thu)
- 今日はことえり。頭が重く、気分も優れない。風邪をひいてしまったようだ。
昨日、 2 月 12 日は司馬遼太郎の命日であった。つくづく我々が偉大な才能を喪なったことが悔やまれてならない。司馬遼太郎は常にその著作は「 22 歳の自分」への手紙だと言っていたが、その手紙は敗戦のその年の人間への手紙であるだけにはとどまらず、まさに吉川英治をはるかに凌駕するほどの国民文学であるとされて久しい。実際その通りであろう。
司馬遼太郎の著作は常に新しい。特に韃靼疾風録以後は小説を書かなくなってしまったのだが、それでも今現在読んでも新しいのである。また多くの対談集、随筆があるが、そういったものは通常風化しやすい筈であるのに不思議と風化しないのである。
まことに惜しいが詮のないことだ。
- 10, February 1997 (Mon)
- 今日は MSIME97 。今日は久しぶりにビールが美味しい。これは私にとって珍しいことだ。
我々は現代を生きるために機能に徹して生きている。ここで言う機能とは人間であることを止め、あるいは新聞を配達しつづけ、あるいは部品を売って歩きつづけるということである。
機能に徹するには人間である事を止めねばならない。たとえば、車を運転中にひき逃げされた人が道端に蹲っていても、道を走る車を止めて駆け寄るというような光景はまず目にする事ができない。それは車を運転する人々が機能に徹しているからである。
こんなばかな事があっていいものか、とほとんどの人は言うに違いない。言うだけなら何とでも言える。いざ自分がそういう状況に放り込まれたときに、果たして駆け寄って手当てなりをする事が出来かどうか。
機能とは、現代社会に必須のものである。機能である事を一人一人が止めてしまえば現代が崩れ去ってしまう。現代社会とはまことに脆いものなのである。仮に新聞配達人が人間を取り戻し、人間らしい生活を営むようにしてしまえば新聞は人々がおき出す前に配達されなくなる。朝読めない新聞など現代社会では不用の長物だ。商談に向かう営業マンが道端に蹲っている人を介抱していれば商談の時間に遅れ商談が成立しない。どのような理由があろうとも時間にルーズな人の商談など誰が聞くものか。
私は別に現代を否定しているわけではない。老荘思想にかぶれているわけでもない。老子や荘子の考えなどは、現代から見れば単なる夢想家の戯言になってしまう。
価値観と人生観の相克が、始まっている。
- 8, February 1997 (Sat)
- 今日は MSIME97 。先週から今週にかけてはまことに多事多端であった。ふとした出来事からいろいろな出来事か導き出されてきて、いろいろなことが連続して私を悩ませる、あるいは喜ばせる。そのせいかどうかは知らないが、結局今日は風邪をひいてしまった。この週末で治すようにしたい。
私淑というにはあまりにも不遜ではあるが、尊敬する司馬氏を悼む雑誌がまた出版されていたので買ってきた。この追悼雑誌とでも言おうか、この手の雑誌は各出版社から数多く出版されてきているが、このことが司馬遼太郎の偉大さをあらわすことは言うまでもない。それは措いておいて、これらの雑誌はすべて同じ目的で編纂されておきながら、すべからく各出版社ごとのにおいというものが見事に出ていて面白い。
最近軽忽さということに思いを致すことが多い。自分自身、である。
- 26, January 1997 (Sun)
- 今日は MSIME97 。 朝 7 時、そろそろ都電も動き出してきたようだ。
さて、つらつら吉田松陰という人を眺めるに、彼ほど狂の一字が似合う人も稀ではないかという思いが強くなる一方だ。山口県の片田舎でありながらあのような煌びやかな人生を送った人というのは私にはどうにも解釈が難しい。もとより容易などとは言うつもりもないし言えるはずでもないのだが、かといって難しいという言い方以外にはちょっと(語彙不足も甚だしいのだが)言葉が見つからない。あの時代、どうしようもなく魅力的な人物がそれこそ星の数ほども出現しているが、なんと吉田松陰の魅力的なことか。別に見習いたくはない人生だが、惹かれる。
ハードディスクがそろそろ限界に達してしまったので増設してしまってパーティションをまとめようと思っている。しかし Windows95 のディレクトリに闇雲にインストールするようなソフトウェアが増えてきたがこれはこれで一つの流れなのだろう。以前はどんなものでもインストール先をきちんと聞いてきたものだが決めうちにしてユーザに負担をかけまいという設計思想なのだろう。個人的には嫌な考え方だと思うが、初心者に負担をかけないという姿勢はとても正しいことなので従うしかない。
- 22, January 1997 (Wed)
- 今日は MSIME97 。このごろ嫌な夢ばかり見る。とても嫌なものだ。中でも嫌だったのは・・・もう当分忘れることができないだろう。こいつを筆頭にどいつもこいつも強烈に嫌な夢だった。結婚の夢なども最悪だった。片方は僕ではなかった。飛び起きたときに汗をかいていなかったなどとは言わない。
ところで、例の漫画家小林某などの自虐史観を唱えるものどもが教科書検定に物申したらしいが、それを撥ね付けた文部大臣に敬意を表したい。もっとも、検定制度そのものは議論百出といったところだが、中曽根元首相のとりなしでなければ自分たちの意見も取り上げられないと分かっているならおとなしく引っ込んどけばいいのだ。中曽根元首相も相当な右だが彼らに肩入れするなど首相経験者とはおもえぬ軽率さと思われてならない。彼らの軽挙妄動にはほとほと呆れ返らされる。聞きたくないことに耳をふさぐだけでなく、あまつさえ何も知らぬ子供らに誤った知識を与えることを教育行政当局に要求するなどいったいどういう料簡なのかさっぱり見当もつかない。何が自虐史観か。彼らは日本の恥だ。
衆参両議院のホームページが開設されたのを機にそのパロディページを作ってみたのだが、いわゆる浮浪者を貴族と見立てて文章をちょこちょこ書いているうちに考え込んでしまった。だからパロディの割には切れの悪い文章になってしまった。
最近計算機の調子が悪い。マックの方はもうあきらめているからどうでもいいのだが、 95 がどうも挙動不審だ。
SEA QUEST2 が始まったが、クルーがほとんど変わってしまい、しかもスタートレック臭くなってなんだかがっかりだ。スタートレックは大好きだがスタートレックに及ぶものは何者もない。次世代版も所詮煎じ物だ。その点、どのようにオリジナリティを出して行くのか、これまでなかなか面白かっただけに今までのスタンスを半ば捨てたその勇気を汲んで固唾を飲んで見守って行きたい。
- 7, January 1997 (Tue)
- 今日は MSIME97 。 1997 年最初の徒然苔である。今年もどうか一つよろしくお付き合い願いたい。
月曜であったにもかかわらず昨日はそうでもなかったのが意外と言えば意外ではあったが、今日から営団日比谷線もいつもの殺人的なラッシュに戻り、日常性が回復されたかに見える。もっとも、新年といえどもこれといって変わったことがあるわけでもなく、これで良いのか悪いのかよく分からない。マックと新年のご挨拶をしたことが例年とは違うことだったといえばいえるかもしれない。今までは正月に触ったことがなかったのでハングアップした折りにリブートをかけたときに知ったのだがオープニングメッセージにあんなメッセージが出てくるなど知らなかった。ハングアップされて未セーブのデータがお釈迦になってしまったこちらとしてはそんな隠し機能をを入れる余裕があるならばもっと安定させてくれよと悪態の一つもつきたくなるところだが、正月早々ぼやいても詮もない。せいぜい今年も頼みますよと思わず語り掛けてしまった。
- 31, December 1996 (Tue)
- 今日は MSIME97 。今年も今日でおしまいである。読者の皆様には今年のご愛顧に感謝し、来年も引き続きご指南を賜りたいと願っている。多々至らぬところがあると思うがなにとぞ引き続き叱咤御鞭撻を賜りたい。
では、来年も皆様に幸福と健康が訪れますように祈りつつ。
- 29, December 1996 (Sun)
- 今日は MSIME95 。
昨晩は腹筋を使いすぎたため、多少こわばってしまっているようだ。何ということか。私がまだ学生だったころ、軟弱な体力のなかでも握力と腹筋力だけは多少自慢できるほどだったのだが、もはやそれもかなわぬというのか。運動をしないのだから自業自得であることは重々承知しているものの一抹の寂しさを禁じ得ない。こうなれば寝る前に毎日腹筋 50 回を行うことを日課にせねばなるまい。そういえば最近何もしないのによく足がつるが、これも体力の低下と無関係所の話ではないだろう。
今年を振り返ってみると、去年に比べ何事もなく過ぎた一年だった。最大の出来事といえばせいぜいこのページを正式に立ち上げたことくらいか。以前からあったページは自己紹介だけだったのでどうしようもなくつまらないページであったが、多少は自分以外が読んでも楽しんでもらえるだろうと思われるコンテンツを用意してみたところ、その道の人々から割合好評を博することが出来たようである。ただし、波長が合わない人にはこの上なくつまらないページではある。 1 年未満でヒット数が 1 万を超えているのはひとえに読者各位のおかげであり、お礼を申し上げたい。余談だが、アクセスカウンタは現在 8 千程度を示しているが、これは何度もクリアされてしまっているので正しい数値は誰にも分からない。ただ、少なくとも 2 〜 3 千少ないことを確認している。最近はトラブルが発生しても数日前のバックアップに戻されるだけで済み、以前のように数千のオーダでゼロクリアされてしまうようなことが無くなってきたようだが、それもプロバイダ側が用意したアクセスカウンタを使う限りこれからも正確な数値など誰にも分からない。実のところ、堕落の園を名乗る当園にふさわしい堕落したカウンタ(とそれを提供する堕落した管理体制を持つプロバイダ)であり、結構満足している面もないではない。これがてんでめちゃくちゃな数値を示すだけなら堕落なのではなく単に投げてるだけだ。最近では、先ごろ正式に運用が開始された NTT の OCN サービスの専用線版が都内でも開始されるのを待ってサーバを自宅に置こうかとも考えたのだが、月々 4 万円弱の出費となると多少考え込んでしまうものがある。実際のところ、専用線をつなぐ相手さえあれば OCN サービスなど不要なわけだが生憎相手がいないため結局商用サービスに頼る以外にない。線を引けば BBS を開局して telnet 接続による 24 時間の運用が可能になるし、サーバを落としかねないような色々な実験を気兼ねなく行うことが出来る。だが、余人は知らずそれだけのためにこれだけの出費をするほどの価値はない。話がそれた。
思えば、引っ越したのも今年のことだった。もうだいぶ長い間ここに住み着いているような気がするが、まだ数ヶ月も経っていないのだった。それまでが流浪の生活が長かったのでこのような感じがするのだろう。思えば大分でのホテル暮らしも品川でのマンション住まいも結構な期間であった。品川の前はカプセルホテル住まいだった。そういえばこのサーバを立ち上げたのは大分での暮らしを一旦切り上げ、東京に戻ってきて再び大分に行く合間のことであった。
さらに、今年は長年親しんだ電子掲示板システムとの個人的な乖離というか訣別の一歩手前というか、そんなようなものがあった年だった。幻滅を感じはじめてから 3 〜 4 年たった今年にようやくほぼ希望を砕くようなことがあったためだ。下地はあったわけだから些細なことではあったが衝撃は大きかった。確かにいまだに特定の幾つかの BBS には出入りしているが、もう何の期待も持たなくなったことは大きい。この期待とは、なんとも言葉にし難い。私はこの事に関して相当なオプティミストだったのだが、今ではまるでペシミストのようだ。それでも一抹の寂しさを禁じ得ない。まあ、未練たらたらではあるのだが、ともかくも一定の距離を置かなくてはならないことだけははっきりしたのだった。あるいは、まだ期待を抱いているのかもしれない。これが良いことなのか、悪いことなのか、良く分からない。
そういえば一気に 10 キロも太ってしまったのも今年だった。一応先日の健康診断では平均よりもやや痩せていると判定されたものの、あと 5 キロは減らすべきだろう。まったく気付いたときはひどいショックだったものだ。
こうしてみると結構あるものだ。だが、取りたててこれといったものもないのは事実であり、平穏な一年だったといえるだろう。
- 27, December 1996 (Fri)
- 今日は MSIME95 。
気付けばもう今年も残すところあと 4 日、また驚いた。最近こういう類の驚きかたで、毎日驚いているような気がする。クリスマスの日はもっとも驚いた。家に帰ってきて(例によって午前様だったが)テレビを点けたらあらびっくり、テレビを見てその日がイブだったということを知ったのだった。貧弱あるいは貧困な私は 24 とクリスマスイブが脳中で等号で結ばれていないのであった。こんなことでは嫌われるぞって嫌われる相手もいないのであった。あなすさまじ(古語)。当然?その日はワインを一本あけてとっとと寝た。
- 18, December 1996 (Wed)
- 今日は MSIME95 。ワインを気付いたらボトル一本あけてしまい、もう朝の5時に近い。そう、明日は納品、しかも健康診断があったばかりなのにこんなに飲む私は馬鹿である。
ところで、素晴らしいホームページを幾つか知った。表向きは墓と紀行文を主とする(表向きというのは、私にはそのページにはそんな薄っぺらいものには見えないからであるが、或いは私の浅薄さゆえかもしれぬ)私にすさまじい力を持って訴えかけるページがあるのだが(許可を得られれば近々読者に紹介するつもりである)そこのリンクページにあったものがとても素晴らしかった。また、奇特にも自分で当園まで知らせていただける方もいて、私はとても心豊かな思いである。
話は変わるが、思想も生い立ちも違う見ず知らずの人々と気軽にメール一本で連絡を取り得るなどはまさにインタネットの面目躍如といえよう。さらに、近頃ではホームページを読んでもらうことで自分の考えていることを広く知ってもらうことが出来る。余談だが、当園ではほとんどの人に理解してもらえないかも知れないが各所にメッセージを盛り込んでいるつもりではある。自分のページを「馬鹿」というジャンルに分類したがっている人でも、ふと自分の思想なり経験なりが文中に出てしまうものだということを実感している。まあ、余談は措くが、その事に対して何事かを感じたとき、すぐさま連絡をとることが出来るというのは素晴らしいことである。或いはその手軽さゆえに軽視している向きも世間にはなくはないようだが、甚だ遺憾なことである。インタネットの真価を真に理解することはまことに難しいことだが、しかしその一つがまさにここにあるような気がしてならない。当然であるようだが、しかしまた一度原点に戻り、俯瞰してみたいと思っている。
- 16, December 1996 (Mon)
- 今日は MSIME95 。今日は健康診断があった。前日強かに呑んだので変な数値が出ないかとちょっと不安ないでもない。
もう 16 日、早いもので師走も半分を過ぎてしまった。あと半月で今年も終わりである。毎年言っているような気もするが全く一年が過ぎるのは早いものだ。光陰矢のごとしとはよく言ったものであるとつくづく思う。
さて、先週の土曜日に CPU を新調したので正式に pine が九代目を名乗れるようになった。来年はついに十代目が登場するのだろうか。考えて見れば凄まじいことだ。
そういえば雑誌への掲載依頼があったがその雑誌の名を聞いたことがないことと当園を掲載しようという雑誌とはどんな雑誌なのだろうか。随分変わった雑誌がある事だ。当園に言われたくない科白か。
- 13, December 1996 (Fri)
- 今日は MSIME95 。早く MSIME97 が欲しい。
先週だったか先先週だったか、 MS フライトシミュレータの 95 版がリリースされていたので早速買ってきた。今まで DOS 版だったので起動の手間を考えて二の足を踏んでいたのだが、 95 版ならば迷うことはない。あわせてジョイスティックもこれのために買ってきて、さらに JAPAN シーナリーも購入し、興味のない人には何が楽しいのかと言われそうだが、これまで乗ったことのある航空路をそのまま飛んで楽しんでいる。それにしてもよく出来たもので、羽田や成田などの第一種空港はもとより、下総航空基地や大分空港などの地方の空港も記憶どおりに配置されており、大変満足感が高い。さらに朝のフライトでしょっちゅう見かけた JAL のリゾートエキスプレスとかかれた機体を再現したデータが配布されていたので、早速それを利用してみたが思わずにやついてしまった。これであの離陸・着陸時の重力加速度まで再現できたらなんて楽しいのだろう!とますます欲求が深まるばかりという面もあるにはあるのだが、それは無理というものだ。
その数日後、何を血迷ったかマザーボードとマウスとビデオカードを新調し、CDROM ( 12 倍速!信じられん ) とメモリを増設した。マウスは今回は PS/2 ポートに差すようにしたため COM ポートが一つ空いたので TA とモデムを両方一度に使えるようになり、さらにCDROM が 3 台も差さり、メモリは 8M の SIMM が 5 枚 (40M! といえば相当なものではないか ?) も余ってしまうという体たらくだ。そのうち CPU も新調する予定なので、そうなるとあとは筐体とディスクさえあれば新しい計算機がまた 1 台組みあがってしまう。しかもそれは今まで使っていたものと中身はほとんど一緒だ。ところで置き場所がないためにもう台所にすら計算機がある。計算機がない場所といえば風呂と便所しかない。これは組上げたものかどうか迷うところだ。こんなことで悩むとは想像だに出来なかった。馬鹿らしい。
- 3, December 1996 (Tue)
- 今日はことえり。今日は割合気候が穏やかな一日であったようだ。
本日付の日経によると、遂に NTT が分離分割に条件つきで郵政省と合意に達した模様だ。しかしその一方で、毎日新聞ではやはり本日付けのヘッドラインで堀之内郵政大臣の談話として NTT 分離問題の決着のめどについて週内は困難である旨を報道しており、情報が錯綜しているようだ。余談だが、第2次橋本内閣発足時の深夜の堀之内郵政大臣の就任挨拶のあの模様を覚えておられる方もいるだろうが、この人はほんとうに(総理のいうところの)火達磨内閣にふさわしい仕事が出来る人なのかどうか、ほとんど絶望的な感じを抱いた人がほとんどではないだろうか。まあそれはあくまでも感じであってどうでもいいことなのだが、日経が先走ったのか大臣が情報操作を行っているのか、はたまた大臣が蚊帳の外におかれているのか。真相はいずれ分かることだろうが、これで NTT は重要なカードを一枚失ったことになるのか貸しを作ったことになるのか。
さて、早いもので 12 月である。風もすっかり冷たくなり、町中を歩いていてもクリスマスツリーや年賀葉書の印刷案内など、年の瀬らしい雰囲気に包まれつつあるようだ。
- 18, November 1996 (Mon)
- 今日はことえり。今日は朝から天気がすぐれない。
今日、ついに NTT が OCN を認可するよう郵政省に対し申請をした。これが分割民営化論にどのように影響を及ぼして行くのかとても気掛かりである。私自身は NTT の民営化に反対なのだが、政府を含め世間一般の声は分割すべしという声のほうがかなり優勢なようで、おそらく十中八九そうなるのではないかと私自身も思う。ところで旧国鉄の分割民営化と、 NTT の分割は同列に語られることが多いようだが、しかし同列に語るにはちょっと土台が異なるのではないかと思っている。というのは、 NTT を分割せずとも現在独占している権能を解放して行くのが先でもあるし、そもそも分割と既得権の放棄とは直接には結び付かず、かえって分割して決算が分割されて小さくなった会社ごとに行われるようになるため、直接の利益に結び付かない研究開発費が大幅に削られてしまうかもしれないという危惧を抱いているからだ。それに、分割しても各々の会社が既得権を抱えたままなら何の意味もないと思うのだ。もっとも、これを杞憂という向きもあろうし、杞憂であって欲しいとも私は思うのだが、議論の仕方を誤ると、分割したからとりあえずそれでよい、という事になってしまわないとも限らないし、そういう事はままあることだと思う。しかしまあ、旧国鉄における成功例はそんな杞憂など寄せつけないほどに魅力的だし、何といっても具体的な成功例があるというのは心強いわけで、仮に NTT を分割してもうまくゆくのかもしれない。いずれにせよ、このことは一利用者にも恐らく多大な影響をもたらす事は十分に考えられるので、注意深い議論を望みたいと思う。
話は変わるが、ドイツの中央銀行は今日、電子マネーがこのまま一般化するなら、その発行権を中央銀行が独占すべきであるとのコメントを発表した。まことにもっともなことで、一国の経済政策を統括する中央銀行がそうしたいと言い出すのは当然のことだろう。厄介なことにこの電子マネーというものはいわゆる一般の通貨と比べると法整備も遅れており、安全性の確保も遅れている。電子マネーへの需要がこのまま高まるようならばますますこれらの整備が急務になってくると思うのだが、それを組織立って行うべき機関がなかったところへ、中央銀行がそれを行うとなれば或いはふさわしいのではないだろうか。行政機関、日本でいうならば大蔵省や郵政省が主管する場合のメリットと中央銀行が主管する場合のメリットを軽々しく比較することは難しいが、関係各機関には議論を尽くしてもらいたいものだと思う。少なくともあの権はあちらの省、この権はこちらの省、というような事がないようになって欲しいと思う。
- 12, November 1996 (Tue)
- 今日はことえり。今日は朝に雨が降ったものの、午後は曇り空ながら泣き止んだようだ。
今日はどうも体調がすぐれない。昨日よりは大分よいのだがそれでものどがおかしくなったままだ。
さて、関東圏だけだと思うが、土曜日にジェレミー・ブレッドとエドワード・ハードウィックの名コンビが素晴らしい「シャーロックホームズの冒険」の再放送(もう何回も再放送を行っているので知っている向きも多いだろう)をまたやりだした。実に喜ばしいかぎりである。 LD や CD-VIDEO も出ているのでぜひ買いたいと思っているのだが、それをなかなか買えずにいるだけになおさらである。
なぜこの番組が好きかというと、いかにも大英帝国の馨りが漂い、ブレッドの演技はぴか一で、見る度に深い感銘を受けるからである。もちろん私が英国が大好きであるということも理由の一つである。土曜日が待ち遠しい。
- 10, November 1996 (Sun)
- 今日は MSIME95。今日もあまり天気はすぐれない。
今日は日付は更新しなかったが全部のホームページに改変を加え、さらにようやく1つ書き上げて当園のメニューに追加できた。これだってまだ満足の出来というわけではないのにまだまだ書かなければならない物がたくさんあり、中途半端な形でしか出来上がっていない。まだ中途半端とすら言えないようなものもたくさんある。もっともっと時間が欲しい。時間が足りない。このままではディスクの藻屑と消えてしまう。
- 4, November 1996 (Mon)
- 今日はことえり。昨日のうちに書いてしまおうと思っていたがもう1時を廻ってしまった。
東京に帰ってきた。やはり東京はいい。
さて、マックの修復も無事終わり、ついでに雑誌の付録についていた漢字TALK7.5.3をインストールした。これでようやく家庭内乱、ではなくて家庭内LANを敷設する準備が整った。もともと95同士でLANを組んであり、そこにマックを追加するなどどうということはないので今回はLANのどのマシンからでも必要なときにダイアルアップしてインターネットに接続するという目標を立ててみたが、あっけなく構築しおわってしまった。これで128K乃至64Kの専用線が引かれているのと使用感は同一になった。必要なときに接続して不要なときに切断するし、もとより午後11時以降はつなぎっぱなしにする予定だ。
マックとのファイルの受け渡しに95とマックの両方でFTPデーモンとHTTPデーモンが立ち上がっているが、これがまた使用感が良いクライアントソフトがあるのでわざわざ AppleTALK を喋る NT サーバや samba などを導入しなくてもよくなったので助かった。あたかもファイルシステムをマウントしているような使い勝手である。そのうちまとめて貧乏人の家庭内乱とでも題して紹介したい。
- 27, October 1996 (Sun)
- 今日はことえり。昨日の分を登録しないうちにもう翌日になってしまっていた。
店で買ったカテゴリ5のRJ45ケーブルがストレートとかいてあるにもかかわらずどうもリバースらしかったことから散々苦労させられた。元々怪しいマシン、怪しい LAN カード、 怪しい HUB と怪しいもの尽くしだったので原因を特定するまでにえらい金と時間を取られてしまった。仕事に使う怪しいアイテムは1つだけでいい。
さて、マックが自宅に来た話は確かあまり書いていなかったと思うが、そうなのである。そのマシン、FDDは壊れて動かないしHDDはクラッシュしてしまうしで満身創痍だったのだが、メモリは十分につんでいるしビデオキャプチャができるマシンだったので是非使いたいと思い、会社からシステムCDとついでにコンパイラを借りてきて復旧作業をするための準備がようやく整った。来週に東京に帰った際に復旧することができるだろう。ただ、マックなど本当は私にとってコンパイラを走らせる以外には(今やっている仕事がマック用の通信アプリケーションの作成なのである)使い道などなく、ワープロはよく落ちるわディスクパフォーマンスは悪いわ CPU は遲いわでどうしようもない。もうマックを使い出してからだいぶ長いこと経つが、世間のマッキントッシュ信者の方々が何でこんなものをあんなに力を込めて布教してまわるのか(今私の頭の中には昨年の Windows95 の発売日に現れた人々を含めた世の著名なマック教布教活動家たちが浮かんでいることは言うまでもない)いまだに実感として理解不能である。vi 教徒と emacs 教徒との世紀末的戦いの方がまだ理解できるというものである。まあ vi 云々は余談だが、良いものを認め称えるならそれはそれでよい、しかしそれだからといって他人に影響力を行使しようと考える人々が多すぎる印象があるのである。増してや万人が良いものであると認めることが出来ないマッキントッシュをどうして?という感じをどうしても拭うことが出来ないのだ。好きならば好きでそれはそれで良いのである。黙って使えばいいのである。いいものであればそのうち万人が使うようになる。
布教家たちを見ていると、どうもマックしか知らない人が多いようだ。そうなると、これは井の中の蛙大海を知らぬのみならず布教時のみ外に出てきてまた井の中に帰ってしまうのだろう。勿体無いことである。世の中には彼らがけなして止まない Win95 のみならず目的に応じたそれぞれ優秀なものがあるのだから。
- 26, October 1996 (Sat)
- 今日は MSIME95。昨日のうちに書いてしまおうと思ったのだが、帰ってきたのが翌日になってしまっているためにどうしようもなかった。
最近は全くアルコールに親しんでしまっている。私は元々下戸で強いどころではないのだが、まあそこそこは飲む。夜は暇だしテレビもつまらぬとなれば飲むしかないではないか。そこで、まあ色々とやるわけだが、他の人はいざ知らず私の場合は夏を過ぎると急にビールがまずくて飲めなくなるので大体去年まではウィスキーにいっていたのだが、今年は大分にいることもあって焼酎がいいようだ。特にお湯割がこたえられない。大分人いわくお湯割りを好むのはよっぽどの酒好きなのだそうだ。水割りやロックと違って飲んでも飲んでも薄まらないからというわけであるそうだ。なるほど、そういう考えもあるかもしれないが、私にはお湯割にすることで焼酎のあの香り(安物の焼酎は駄目である)がさらに高まるのがこたえられないだけであって酒は前述の通り弱い。焼酎の水割りやロックもなかなかうまいものではあるのだが、この時期から冬にかけてはやはりお湯割がよい。
もうちょっと酒の話題を続けよう。最近の安物のワインもなかなか味があがってきていることに驚いた。500円クラス(まあ一般店ではいくらするのか知らぬ)でもだいぶのめるようになってきている。以前まではすっぱいだけとかアルコール分があるだけといった、ただ酔うためだけのためにあるような代物であったのが信じられぬほどである。もっとも、私が単に酒飲みになってきただけなのかもしれず、客観的な視点をかくために何ともいえない。それに、なにやら最近の私は安酒を好むようだ。量を飲むようになったから止むを得ず、というわけでは決してないのだが(私はそんな量など飲まないのだから)まあ、今までだってそう高いような酒をたしなんでいたというわけでもないから、分相応になったということなのかもしれない。
それにしても他人はどのように一人晩酌をたしなむのであろうか。私は淡々と本を読みながら、ちびりちびりと眠るまで続けるのだが(酒量は焼酎で大体5合強といったところである)、中には相手がいるわけでもないのに叫び出したり笑い出したり、いろいろ忙しい人がいるそうである。中でも、泣きながら飲むという話をその当人から聞いたことがあるのだが、なんでも自分の一日を振り返ったりすると涙が出てくるそうなのである。私にはそこらへんの機微というのが分かるほど精神が成長していないのか淡白なのか(おそらく両者だろう)さっぱり分からないのだが、そう聞くとなるほど私は泣くにも笑うにも怒るにも値しないような日常を送っているのだろう。よほど他人は私からすれば波瀾万丈な日常を送っているようだ。
- 23, October 1996 (Wed)
- 今日はことえり。バグがたくさんたくさん出てきてとても憂鬱な今日このごろである。
そろそろ自宅の様子が気になりだしてきた。郵便物は雨ざらしになっていたり盗まれていたりしないか?空き巣には入られていないか?火事は起きていないか?...とても不安である。実家にいるころにはそれこそ数箇月単位で出張に出たり他に一時的(といってもこれも数箇月も住んでいたが)に部屋を借りていたりしたものだが、やはり必要がなくなったらすぐ引き払うべき住みかとは全く比較になるものではない。だが、不安は不安だが、帰るべきところがあるというのはいいものだ。今のホテル暮らしもいつかは必ず終わることは間違いのない期待として気持を落ち着かせる。
- 22, October 1996 (Tue)
- 今日はことえり。とうとう私の友人T氏が通信をはじめてくれた。なんだかすごく長いことかかったが、これで氏との連絡がさらに楽になるだろう。
さて、昨日、ようやく八月に行った OFF の模様が出来たとの連絡を受けて HISA のホームページに追加することが出来た。余りにも時間が経ち過ぎてなにがなんだかわからないとおっしゃる向きもあるかも知れないが、やむにやまれぬ事情があったのでお許しいただきたいと思う。
最近、当園の企画を一つ思いついたのだがなかなかまとまった時間を取れず具体化することが出来ない。まあ、具体化させても面白いかどうかはまた別の話なのでそう焦ることもないのだが、それにしても当園の毒を毒とも思わぬ強者達には感嘆の念を抱かずにはいられない。彼らをぎゃふんと言わせるには(実際に言うかどうかはまた別の話だ)一体どうしたらいいのか頭を悩ませる毎日である。さらに HISA の記念事業も遅々として進まず、これまた頭を悩ませる。
- 18, October 1996 (Fri)
- 今日はことえり。もうこれでサーバへ登録していない徒然が3日分にもなってしまった。忙しい合間を縫ってちょこちょこと綴ってはいるものの、なかなか登録作業まで手が廻らないのである。おまけに今はホテル暮しであり、深夜まで仕事が山のようにあるので夜にやるという分けにも行かない。そろそろ登録したいと思う。
衆院選挙も近く、ここ大分でも地元の候補は街宣に余念がないようだが、ここは村山元首相の選挙区でもある。今日は本人が走り回っていたがしかしこの人はいっちゃ何だが罪作りな人だ。首相になったはいいが引っ掻き回すだけ回しておいて肝心なところで職を放り出すし、自分が拠って立つはずの政党まで滅茶苦茶にしてしまった。それどころかそれをおたかさんに全部おっかぶせてしまうというものすごいことを平気な顔をしてやってのけてしまう。こんな人が内閣総理大臣だったなんていくら何でもひどすぎやしないだろうか。まあ、しかし彼は当選するのだろう。なんといっても「首相経験者」であることだ。こんなことが二度と起こらないようにするためにも、今度の選挙は重要である。
話は変わるが、内輪の BBS でも開局しようかと思っている。内輪だから単回線のみの運営になる。マシンは 98 と Mac がそれぞれ一台づつ余っており、電話回線も(加入電話ではないが) 1 回線余っている。電話番号はすぐ得ることが出来るし、アナログモデムも余っている。問題は、技術的或いは金銭的にはない。しかし、都内の私のこの内輪の BBS に来てもらう人がいるかどうかが問題だ。私の友人はなぜか都民が少なく千葉市や習志野市、柏市を始めとした千葉県内に集中している。千葉から23区内への通話料金はばかばかしく高いため、今まで通りインターネットや Nifty-serve などの商用 BBS などを利用していれば事はすむ。これでは新たに BBS を開局する意味がない。だから、まっさらな状態であるテーマを(どんなものになるかは分からない)設定して、それに沿って新規に会員を募集して行く方法をとるとすると、今度は 1 回線では物足りないどころかまったく足りない。今は借家で、しかもアパートだから電話回線は増設出来ない。だから内輪の・・・と堂々巡りだ。全く無意味である。まあ、要するに設備はあるのに・・・という貧乏性が出てきただけだ。なんだかまた良く分からない事を書いてしまった。
- 17, October 1996 (Thu)
- 今日はことえり。昨日はさんざんであった。ディスプレイは壊れて仕事にならなかった。これでこのプロジェクトでかったこのディスプレイの実に 1/3 が故障したことになる。ひどい話だ。故障率 33% な製品など聞いたことがない。こんなものを平気で売るアップルという会社全体に対して元からもっていた不信感をさらに募らせることになった。もっとも、アップル純正のディスプレイの評判は、3年前から下落する一方であることは事実であり、このようなものを買うほうが不勉強であるともいえるかもしれない。どちらにせよ、購入に際して私が決定権がある分けでもなくこうしてぼやくのが関の山だ。
- 16, October 1996 (Wed)
- 今日はことえり。今日の大分は空も清く風も涼やかで素晴らしい秋晴れである。まさに秋を実感できるような日である。
昨日は嫌な夢を見た。久しぶりに入った BBS に発言が一件もなかったという夢だ。我ながらよほど負担になっているとみえる。しかしつくづく嫌な夢を見たものだ。しかもおおいにありえそうなのがとても嫌気を誘う。もし本当にこうだったらおさらばしてしまおう。
さて、私が今いるオフィスは昼休みにゲームの音が高らかにひびいてくるようなところである。こんなこと信じられるだろうか?ちょっと尋常ではない。いくらナンでもここは職場であってゲームセンターではないと思うのだが、社風というのはこんなところにも違いが如実に現れてしまうようだ。
- 15, October 1996 (Tue)
- 今日は MSIME95。昨日から大分にいるが幸い電話回線を確保する事が出来(市内通話専用回線だそうだが、おそらく構内 PBX でそのような制限をかけているのだろう)、おかげでこの文章もホストへ送る事が出来る。少なくとも今月いっぱいはここからの徒然苔になる。
昨日の朝はどうも雨が降っていたようだが、空港に着いたときには既に雨が止んでおり、今日などは大変に良い天気でまさに秋晴れといった空模様である。こんな日にはせっかく観光地に来ているのだし・・・と危険な考えがむくむくと頭をもたげる。
話は変わるが、インターネットプロパイダ業界も再編が始まっているようである。BNN が事業を撤退したり夜間土日のみというユニークな手法をとったプロパイダも経営母体が代わったりしている。それだけでなく、NTT の OCN サービスが年度内開始という正式なアナウンスもなされ、この再編の動きは活発化せざるをえない状況になっている。特に新規の加入者や月に長時間使わないユーザは NTT というブランド名もあり OCN サービスの魅力を十二分に感じるはずである。今でも書くプロパイダはつなぐだけでなくいろいろなサービスなどの付加価値を高めてゆく事に積極的だが、それにはこのような事情があるからである。もっとも、一日中使ったりするユーザは料金からすれば一も二も無く OCN を選択するのが正解であろう。
ところで、当園のホームページでヤマハからもらってきた曲が自動的に鳴り始めるのはご存知の事と思うが(マックの場合はちょっと面倒であるが)、この曲を私のノートの内蔵音源ではじめて聞いてみたがじつに貧相なものだ。いつもは MIDI 音源を通して聞いているためにこんなに貧相だとは思いもよらなかった。私のノートは特に貧相だ。やはりどうせ聞くなら SC55 等の音源が最低限ほしい。間違っても SB16 などでは聞かない方がいい。
- 12, October 1996 (Sat)
- 今日は MSIME95。今朝の朝5時ごろ、変なことをやってしまいマックが起動しなくなってしまった。OS が入った CDROM は会社にあるので来月以降に修復の予定である。なぜなら、来週月曜日から大分へ少なくとも今月中はずっと出張にいかねばならないからである。しかし壊れたと思われる HD-FD のみは購入してきた。動作が確認できるのは来月以降になるのにも関わらず買ってしまった。あまり誉められた行動ではない。
今日は友人たちと飲んだのだが、久しぶりに過ごしてしまった。元々強い方ではないのだが、幸い気分も悪くならず、このようにキーボードを打鍵できるだけの理性は残っているようである。理性?いや、これは或いは本能かもしれない。まあ、それはおいておいて、実に過ごしてしまったのだが、気分が良く、やはり楽しく飲めば変な酔いかたをし辛いということなのだろうか。ISDN 回線も TA も好調なようでリアルオーディオによるラジオ放送を聞きながらこれを書いていると、あまりの幸せさに頓死してしまいそうになる。こっちに転居してきて本当によかったと思いつつ書いている。
まあ、そんな事はどうでもいいのだが、本当に楽しい酒というのはいいものだ。気分が滅入っているときや付き合いで飲む酒ほどまずいものはない。酔いかたも当然よかろうはずもなく、この快さは全くみなに支えられた楽しみであることを実感する。
話は変わるが、友人がRPG系のゲームを購入したのだが、そのRPGをやりながらそのRPGの主人公になりきってその主人公として日記をつづることを友人に勧めていると、自分でいっているその言葉に自分自身が感化されてしまったのか無性にRPGがやりたくなってきてしまった。この事は、自分とそのRPGの主人公が完全一体となっていなければとても恥ずかしくてかけたものではないが、しかしそれができればそのRPGはとんでもなく楽しく遣り甲斐のあるものになることは間違いない。それこそRPGの本来の姿であるとおっしゃる向きもあるだろうが、しかし我々大多数のものには何やら妙な羞恥を感じてしまってなかなか出来ないものである。しかし、その羞恥心を破ることができれば世界が一気に広がり、さらに楽しい時間を送れることは疑いのないことである。これは別にRPGに限ったことではなく、どんなゲームでも、たとえば経営型のゲームにおける経営者に自分自身を擬してもいいし、格闘ゲームなら自分が選択したキャラクターでもいいだろう。おそらく、これをやっている人は多くおられると思われ、さらに検索したり直接見た事はないが、 WWW サーバ上にその日記を公開しておられる人も沢山おられると思うのだが、その一員に加わってなんら悪いことはない。むしろ積極的にその一員に加わることでゲームという非生産的ともとれる時間をもしかしたらより一層有意義に、たとえば想像力の訓練を図ることができたり、より有効に気分転換を図ることができるようになるかもしれない。まあ、それよりもなによりも、自分自身がより楽しい時間を過ごせるということになれるかも知れないということを思ったことである。
まあ酔っ払いの戯言である。先晩も徹夜してしまったことだし、睡眠不足から来る妄想かも知れない。そろそろ寝る。
- 11, October 1996 (Fri)
- 今日は MSIME95。今日は朝5時過ぎに書いている。漢詩をうつしていたらもうこんな時間になってしまっていた。
TV朝日では政見放送をやっているが、いくらなんでもこんな早朝では見る人が限られてしまう。まあ仕方がないかもしれない。こういう時にはやはり NHK の有用性について思いを致さないわけにはいかない。
さて、読売オンラインを読んでいると、昨日体育の日に中高年の怪我が多発しているというヘッドラインがあったが、9日の若年層の体育能力が近10年来最低となっているというニュースと絡み、おかしみを誘う。子どもも子どもなら大人も大人というわけである。もちろん、中高年層は普段しつけないことを急にやるから怪我をするのであって、子供たちの体育能力が落ちているという深刻さからすればかわいいものであることは言うまでもないことである。まあ、しかしあまり長生きしてもそう恵まれた生活をできるわけでもなし、そこそこの寿命さえあれば特に不満はないのかもしれない。無目的に長生きしても仕方あるまい、とも思うが、しかし長生きすれば世の中がどうなるのかを見届けることができるし、それはとても楽しいことだと思う。まあ、こればかりは天の定めという奴に従わなければならないだろうから、しのごのいっても始まらない。諦めが肝心だと悟りきったようなことをいうつもりはさらさらないが、まあこれといった定見もない。長生きしたいときもあるししたくないときだってある。今すぐ死んでしまいたいと思うときだってないとはいえない。
話は変わるが、赤字国債を来年度も年度始めからいきなり発行するつもりのようだ。全くひどい話である。圧縮傾向にあるとは言え、いつになったら健全な財政に復帰することができるのだろう。国家とはいえ返済するあてのない借金まみれな状態が常態であるなど言語道断である。身近にも税金の無駄遣いとしか思えないような建物などがあるのだから、そんな借金をする前に無駄を省く努力をしなくてはどうにもならないということを今回の選挙を通じて知らしめることが重要である。問題は抽象的ではなく実際的なのだ。のらりくらりと自分の立場を明らかにしない候補者や曖昧模糊なことばかりを口走っている候補者よりも、もっと具体的なことを、極端にいえば利益誘導型の候補者に票が集まるだろう。利益誘導型の候補者に票が集まることは決して誉められたことではないが、しかし小選挙区型というのはそういう選挙になってしまうことがほとんどである。その点で次点いかに投ぜられた票を生かすための比例代表制併用制度が大所に立った意見を吸い上げるという点でも生きてくるわけであるが、しかし小選挙区と比例代表の両方から立候補できてしまうというのはやはりおかしいのではないだろうか。
話がずれた。まあ、利益誘導型とまではいかないが実際的なことを訴えている候補者でもそれを実行するだけの能力があるのかどうかということを見抜くのは難しいものだが、それでも我々は棄権だけはせず、きちんと投票したい。まずは投票することが第一歩なのである。
- 10, October 1996 (Thu)
- 今日は MSIME95。またこんな夜中に書いている。
今日は体育の日である。それとは全く関係ないが、コーヒーの摂りすぎは痔になりやすいというのは本当だろうか。私は仕事柄椅子に長時間座ることが多く、それだけでなく徹夜も多いのでブラックのコーヒーばかりを大量に摂っている。少なくとも日に10杯は軽い。おまけに喫煙という悪習慣もあり、ますます痔になりそうな感じがする。もしこれで本当に痔になったら報告しよう。
またもや関係ないのだが、今回の小選挙区制について、誰も不思議に思わないのだろうか。以前、よくTVでやっていたはずなのだが、奄美列島が中選挙区制でも選挙区内で当選者が一人だけしかないという特徴ある選挙区だったのだが、ここがとんでもない腐敗選挙区だったのである。有名な両候補がいて、毎度毎度その二人で議席を争うのだがこれがまた極端にいえば金を多くまいた方が勝ちなのである。それだけなのだ。政策も糞もない。世論の批判にさらされようがTVで批判されようが彼ら両候補と島民はお構いなしである。こんなことが実際にあったのである。それなのに世間は小選挙区制万歳とか分け分からん事を言っている。こんな選挙が日本中に蔓延するということなのだということが分からないのだろうか。みな聖人君子ではない。ないのだが、ここで我々有権者が金を受け取ってはならないということをもう一度確認したい。有権者がしっかりしないと日本中が奄美群島区と同じになってしまう。こんな恥ずかしいことがあるか。
- 9, October 1996 (Wed)
- 今日は MSIME95。油断していたらもう9日になってしまった。夜遅く帰ってくるからこうなるのだな。情けない。
get したマックだが、フロッピーが壊れていることが月曜日に判明した。これではいくらイーサネットの口がついていても、それを利用するためのソフトウェアをインストールできないためにどうしようもない。まあ、自宅に帰ってきてまでマックなど見たくもないとも思うのだが、しかし私の性分としてちょっと手を入れれば動くようになると分かっている計算機を抛って置くことが出来ない。どうせ修理しても何をしても埃をかぶらせるだけということが分かっていてもである。我ながらケッタイな性分である。今週の木曜日は幸い体育の日でお休みなので、秋葉原にマック用のソニーのFDDを買いにゆかねばならない。金がない時に限って私の金遣いは荒くなる。これもまたケッタイである。
今日、卓上にある S-1000 という ISDN デジタル電話機をみて気付いたのだが、これにはなんとリダイアルボタンがない。さすがに NTT 純正の電話機は違うものだと変なところに感心してしまった。買ってから初めて気付いた自分には呆れたが、まあ間抜けなのは重々承知しているから今更呆れても始まらない。そこで、どうしたら一番楽にリダイアルできるか探ってみたところ、発信記録をディスプレィに表示させると、受話器をあげたりスピーカモードにしておくなどしておくと自動的にそこに鳴動をかけてくれる事が分かった。なるほど、これはリダイアルボタンがいらないはずである。しかも、最後にかけた番号だけでなくヒストリに残っている限りの電話先を再び鳴動させることができるのである。これは便利そうだ。
では、着信記録の方ではどうなのか?と思ってやってみたら、そちらでも同じように鳴動させることが出来ることが分かった。なんと便利なものだ。仮に悪戯電話がかかってきたとして、相手が INS-64 回線で且つその番号を愚かにも相手が隠すようなことをしていなければ相手の電話へすぐに掛け直すことが可能ということだ。まあ、悪戯電話をするような人間はそこまで間抜けではないかもしれないが、会社からかかってきてすぐ掛け直すとかという場合、短縮ダイアルに記録してある方よりも便利だ。それにサブアドレスも判明することが分かった。これはまことに便利なものだ。会社でも ISDN デジタル電話機(こちらは富士通製のターミナルアダプタ付きの豪華なものだ)を使ってはいるのだが、この家庭用のデジタル電話機もそれに劣らず便利に使えるようだ。特に会社のだれかれからかかってきたというとき、サブアドレスまで分かるので受け付けを通さず直に席の前にワンタッチで電話を掛け直すということが出来るというわけだ。まあ、あまりこの方法には使い道がないかもしれないが、それにしてもこれが AC100V の電源も不要で使えるとはさすがに NTT 、と感心してしまう。やはり餅は餅屋であるのだろうか、たいしたものである。
- 6, October 1996 (Sun)
- 今日は MSIME95。5日に引越し及び新しいマックを get し、今日6日になってようやく整理に一段落をつけることが出来た。だが、まだまだ整理しなければならない段ボール箱やらが残っている。今週一杯かかるだろう。
- 3, October 1996 (Thu)
- 今日は MSIME95。ふとサーバに入ってリストをとったら徒然苔も 100,000 バイトを超えてしまっていたため、ファイルを革めた。普通なら月毎や年毎に区切りをつけるものだが、まったく我ながら気ままなものだ。どうせキロバイトでの表示だったら 102,400 バイトで区切ったことだろう。
思えば早いもので徒然をつづりだしてからもう半年を経た。にもかかわらずいまだに文章が下手でどうしようもない。別に文章がうまくなりたいと思って書き出したわけではないのだからそれはそれで構わないのだが、何年か書いていればそのうち上達するものなのだろうか。そんな事がある訳がない。考えつつ書く訓練をしないでただ書いているだけでうまくなるなら、それこそ誰でも名文家ではないか。我ながらおかしな事を考えるものだ。
私には日記をつける習慣というものがなかったのだが、考えてみると、こう続いたのはやはり筆をとって紙に書くのではなく打鍵すればいいという手軽さと、毎日書く必要はないという気楽さと、日記ではなく徒然をつづっているのだという(理由にもならない)理由によるのだろうと思っては見るものの、実のところ良く分からない。まあ、よくよく考えて見れば連続性がなくはないといった程度で、毎日書いているわけでもなく、これが「続いている」と自信を持っていいきることが出来るかといえば、それは出来ないし、第一、日記なのか随筆なのかも曖昧模糊然としている。何事でもない。全く意味のないことを書いてしまった。あほらしい。
意味がないついでに一つ。引越しを控え、家具の配置を懸命に考えているのだがどうしてもどうにもならない家具が出る。せめてあと1平米もあれば・・・と愚痴ってみたところでどうにかなるわけでもない。大体、和室を洋室風に使おうというのだからどうしても配置に無理が出てしまう。この部屋の設計者は布団はここ、箪笥はここ、と考えながら設計したに違いない。間取りを見たときに、和室として使うならどこにどれが置かれるべきかということが一見しただけで分かってしまうほどの没個性的というよりもむしろ意思表示の強烈な部屋である。それを無理矢理洋室にしてしまう自分も強引は強引に違いないが、なにも設計者に縛られる必要はあるまい、と、へ理屈をならべつつ配置に苦しんでいる。苦しむくらいなら・・・と思うかもしれないが、これまでの生活用式を変える方がよほど苦痛であることを思えば、この苦痛はむしろ先憂後楽という故事成句を地で行くクチではなかろうか。なによりも、この部屋を和室と承知で借りる契約をしたのは私自身であり、住まうのも私自身である。まあ、勝手に借りて勝手に苦しむざまは傍目から見れば大変滑稽であるに違いない。
それにしてもまあなんともならぬ悲しさよ。
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