歴代 pine 一覧
天地開闢以来、私のメインマシンは pine であった。その歴代の pine たちは、そのまま私のパソコン遍歴である。それらをここに堂々一挙公開する。読者の中にもきっとあまりの懐かしさに涙するものがいるに違いない。思い切り泣くがいい。
初代
JR-100
- あなたはご存知だろうか。松下が独自アーキテクチャマシンを出していたことを...。初代 pine を襲名した、記念すべき計算機である。確か中古で 2 万円で購入した。しかし 2 万円といっても小学生のころであり、大変な大金であった。このマシンのおかげで 2 進数を指で数えられるようになった。今となっては消しゴムキーながらとても懐かしい。友人に貸したきり戻ってこない。
二代目
PC-6601
- 音声合成可能、しかも歌うパソコンであった。マルチメディアの先駆として高い評価を与えたい。今ではビデオ周りがいかれてしまい表示ができないが、音声合成回路は矍鑠としているようで、いまだ歌うことが可能である。なお、このマシンはいまだに所有している。
三代目
CZ-800CW
- CMT デバイスの速度はなんと 2700bps という驚異的な数字を叩き出していた。しかし、なぜか私にとってあまり楽しいマシンではなかった。ここではまっていたらきっと CZ-600 系に突入してしまい、今ごろは私の精神はどっかにいってしまっていただろう。なお、このマシンもいまだに所有している。
同時に、二代目 pine は初代 bamboo となった。
四代目
FS-A1
- また松下である。しかし MSX2 アーキテクチャであった。このころからパソコンに対する興味が徐々に失せていった。天下は PC-8801 全盛期であった。このころから日電はなにがなんだかよく分からない製品ラインナップ戦略を打ち出し、消費者の混乱につとめていた。
五代目
忘却
- またまた松下である。しかし名前を忘れてしまった。いわゆる MSX2+ であった。これは売払うことに成功した。このころはパソコンを使っていることを秘していたこともあるし、第一パソコンに対してほとんど興味が失せていた時代であった。高校生のころだし他に楽しいことはいっぱいあったのである。しかし、パソコンを買うことがほとんど習慣化していたためにマシンだけは新調した。まことに情けないが、縁を切らなかったことで今日の私があると思えば、まあそこそこの意義はあったのかもしれない。ただしほとんど触らなかったが。
六代目
PC-9801DX2
- 永遠の名作 (?) AMD の 80286 互換チップ搭載機種。初期ロットは Intel の 80286 を搭載していたが、幸いそれに当たらなかった。また、 RX まで搭載されていた V30 の搭載を打ち切った初のマシンでもある。そのため、ゲームばっかりやっている奴等には不評であった。 V30 でなければ走らないゲームが結構多かったのである。しかし、それなら最初から V30 の載った PC-9801VM2 でも買えばいいのにね。当時はまだ VM2 でも現役であった。この機種からディップスイッチが格段に減ったのは印象的である。ユーザにやさしいマシンへの道を模索しはじめていた証拠になるだろう。また、このマシンではじめて Windows のプログラミングをはじめた。少ないメモリと置換してあるとは言え非力な CPU を従えてプログラミングにはまり込んだのは、逆に言えば非力であるからこそむきになっていたのかもしれない。
なお、このマシンは一時期まで三代目 bamboo として利用されていたが、モデムといっしょに友人宅に安置されている。いつの日か通信端末として息を吹き返す日がくることを祈っている。
同時にこのころ PC-9801NS/E を導入し、七代目が襲名するまでは二代目 bamboo を、七代目が襲名以後は
友人への譲与までを初代 plum を、六代目を売り払ってからは三代目 bamboo をそれぞれ襲名している。
七代目
PC-486HX3
- Intel 486DX2/66 搭載機種。この CPU は当時目玉焼きも作れる CPU として名高かった。今でもこの CPU を搭載してるマシンを使っている人は少なくない。ぎりぎり Windows95 を走らせることが出来なくもない CPU だろう。このマシンは、いわゆる 98 アーキテクチャ初の PCI バス搭載機種であったが、いかんせんパスの形状が C パスと同じだったために EPSON 純正品くらいしか対応ボードがなかったはずである。ただ、ビデオカードなどはなかなかのパフォーマンスを発揮するようではある。
メモリだけでも 6 万の価値はあると思うのだが、あっても仕方がないので知人に二束三文でうっパらってしまった。もはや私にとって 98 アーキテクチャなどは無意味の固まりのようなものだ。ここは一ついまだに 98 に存在意義を認めている人々に有効に活用してもらった方がどちらにとっても利口というものである。今ではこの男の通信端末として余生を送っている。
なお、売り払うまで四代目 bamboo の座にいたが、売り払ったので PC-9801NS/E が再び五代目 bamboo の座に返り咲いた。
八代目
無印 AT 互換機 (P5-100 , ASUS PCI/I-P54SP4)
- もはや一世代どころか二世代ほど前のマシンとなってしまった。
しかし、ここからは何をもって代替わりとするか難しいところである。まあ、換骨奪胎しつくして、自分が納得したときに九代目を襲名させる事にしよう。その時、八代目のなごりはケースとケーブルだけに残っている、というようなことになっているだろう。
九代目名代 (1996/12/4)
無印 AT 互換機 (P5-100 , ASUS P/I-P55T2P4C/100 Rev. 3.10)
- マザーボードやビデオカード、メモリ、 CDROM など、 CPU 以外のほとんどが変わってしまったため、十二月四日付けで九代目名代を襲名した。CPU が変わったとき正式に九代目を襲名することになる予定だ。
八代目の時に書いた通り、なごりはケースとケーブルだけ、というわけではなく、 HD や FD, MO などはそのまま引き継がれた。九代目を正式に襲名した折りは CPU も余るようになるので FD と HD さえあれば八代目がそのまま復活することになる。
九代目 (1996/12/14)
無印 AT 互換機 (P5-166 , ASUS P/I-P55T2P4C/100 Rev. 3.10)
- CPU も新調され、正式に九代目を襲名した。 150MHz 版が欲しかったのだがどこも売り切れで、是非も無く 166MHz となった。次は恐らく Pentium Pro になるだろう。
現在、定格よりも低い電圧しか CPU に供給されていないが、何の支障も無いようなので面倒くさくてそのままにしてある。ついでに CDROM のオーディオケーブルも系統を変えた。これで CPU の速度は 66% 増しになったはずだが、マザーボードを交換したときほども体感速度は変わらなかったがこれはやむを得まい。当分この構成で行く事になる。
- 註(1997/12/25)
- いつだったか忘れたがクロックを180MHzに上げた。多少早くなったような気がしないでもない。但し、クロックアップしていたことを忘れる程度ではある。
十代目 (1999/12/27)
無印 AT 互換機 (P3-500E , AOpen AX63Pro )
- 九代目は、ハードディスクを増設しようとしたときに、急逝された。死因は静電気によるマザーボードのショック死。享年4歳であった。合掌。
九代目だが、なにぶんかなり古いスペックなため、メモリも SIMM 、電源も AT 、ビデオカードも当時では最高スペックだったが、といった具合。あまりの九代目の旧態依然さに嫌気が差し、十代目の選定にあたったが、どうにも AT 互換機の特色であるところのパーツ交換程度ではかえって高くつくと判断されたため、ケースを含め購入とすることにした。
十代目を選定しているときには、まだ九代目も存命であった。データ転送も九代目から十代目へスムーズへ行われているようにみえた。十代目が購入すぐに HDD がとんだ際も、 IDE ケーブルを剥き出して、必死の救難活動を行ってくれていた。
だが、それが彼の命を奪うことになった。
ケースが開いていることをいいことに、彼に HDD を増設し、スピーカを内蔵させ、いろいろ有り余っているパーツを組み付け、新生マシンとして第2の人生に送り出そうとした刹那、彼は逝った。そこには、悲しみも嘆きもなく、ただ、虚しさだけがあった。大晦日直前のことだった。お骨上げをしようにも、彼のメモリ、ケース、電源、FDD や CPU は、あまりに古すぎる。
今、彼は、メモリや CPU や、その他雑多なパーツが組みつけられたまま、台所でモニュメントと化している。ただし、ケースの外装はコーヒーカップ置き場として現役バリバリの余生を送ってはいるが。
この十代目は、出生の瞬間から呪われている。徒然苔にも記したとおりだが、まず、ハードディスクとビデオカードが死んだ。正確には、熱でとろけた。 SCSI カードや LAN カードも、相性の問題から新規に購入したものとは別に、さらに不必要に買わざるを得なかったし、買い替え後の HDD も、何度飛んだかわからない。
だが、今では十代目を名乗るには十分な貫禄を備えるにいたっている。ビデオカードは TNT2-Ultra だし、なぜか不要な CDRW も組み付けた。冷却ファンも合計5個が元気にぶんまわり、騒音と引き換えに筐体内温度を下げつづけることに貢献している。 LAN カードも 100Base-TX 対応となり、 CPU 速度も、P3-500 のはずが 700MHz 近辺で安定動作しているし、メモリも9代目の実に4倍も搭載され、とりあえずこのスペックさえあれば当分困るようなことは何もない。どうでもいいが、モニタもいつのまにかドサクサにまぎれてフラットトリニトロン管になっている。
余談だが、十代目とは別に、一週間遅れで購入された新規マシンも、マザーがいかれた。これは、どうももとからメモリスロットに障害があったらしく、メモリを128メガほど増設しようとした際に死んだ。おかげで、買ってからたった1月弱で、外見は一緒ながら中身はまったく異なるマシンとなってしまった。元のマザーはオールインワンタイプであったため、モデム、 LAN 、音源、 ビデオカード、そして当然マザー、と、痛い出費になってしまった。実は、こちらのマシンに、9代目の一部が生かされている。具体的には、 SCSI カード、CDROM 、ケーブル類である。かたや、十台目には九代目のパーツは MO くらいしか引き継がれていない。オールインワンタイプで安めに、が目標だったものが、いつのまにか TYAN の S1854A をマザーに載き、メモリから HDD から、すべてにわたって十代目と比べてまったく遜色ないスペックにまで引き上げられてしまっていたのは私の不覚であった。九代目とも、比較にならないほど能力は隔絶している。
余談が過ぎたが、買ってすぐ換骨奪胎を余儀なくされた十代目も、最近は安定運用できてはいる。貫禄もつきつつある。が、しかし、これまでの経緯を考えたとき、これからの未来は決して明るくないような気がしてならない。
現状の AT 互換機関連の構成は次のとおり。
- 十代目pine ... ( 無印AT, AOpen AX63Pro, P3-500E Coppermine )
- 六代目bamboo ... ( Topper )
- tangerine ... ( 無印AT, TYAN S1854A Trinity400, Celeron-433 )
- maple ... ( Libretto70 )
- holly ... ( VAIO PCG-Z505D )
- 二代目camphor ... ( FMV 266DX )
- pasania ... ( 無印AT, TYAN S1846S Tsunami, P3-500 )
現在、 plum はこれまで同様、マックが襲っている。
九代目は、実に安定して貢献してくれた。十代目にも、期待している。九台目同様に、十一代目の導入動機が故障ではなく十代目それ自身の、その古さにあった、ということになってくれれば、言うことはない。
補足情報
補足 (1996/5/9 現在 )
この文章を書いてから、 bamboo を新機購入の AT 互換機カラーノートマシンが襲名したために多少変わってしまったために補足しておく。
- 八代目 pine ( 無印 AT)
- 六代目 bamboo (Topper)
- 三代目 plum (PC-9801NS/E)
- PC-9801F
- CZ-800CW
- PC-6601
bamboo には PowerBook も考えていたのだが、結局 Macintosh アーキテクチャに金を出す気にはどうしてもなれずに AT 互換機を購入した。また、入荷予定であった PC-9801DA は無事入荷し、その後は今まで PC-9801RX2 を使用していた友人 K 氏のもとで余生を送っている。その際、あまっていた HDD も処分することができた。
補足 (1996/7/22 現在 )
またまた補足である。入荷した PC-9801DA は無事に某K氏の元に嫁ぎ、さらに里子に出されてそのK氏の元にはなぜか H98 があるという、わらしべ長者(知ってる?)のような話になっている。ついでに、氏には 98用 SCSI カード 2 枚と HDD もうっパらってしまった。要するにもう 98DA の消息は追跡不能だ。まあ、幸せに暮らせよと織り姫様に祈って、記憶のかなたに放り込む事にする。
元六代目 pine を務めていた PC-9801DX2 のほうは悲惨である。某T氏の元に嫁いだ後、火を入れてもらえずにいるうちに(電源を投入してもらえない、という業界の隠語である・・・どの業界なのかは不明)ついに臍を曲げたのか、あまりの寂しさに耐え切れなくなったのか、お亡くなりになってしまったそうである。結局、モデム込みで氏に渡したのに通信もしないわ何にもしないわで死んでしまったわけだ。これは DX2 ちゃんも死んでも死に切れまい。名前は DX (デラックス)なくせに死に方は非常におチープであった。ここで慎んで冥福を祈りたい。
同じ 6 代目 でも、現役の bamboo を務めている Topper は長い工場返送の期間(おおよそ一ヶ月も交換だけなのにかかったというのは非常に心証が悪いメーカではある)を経た後にようやくまともに使える状態になって帰ってきた。液晶の裏側に某ビットアップルのシールを貼られた Topper は、入っている OS が Windows95 であることも手伝ってか、まるで PowerBook のような挙動を見せている・・・わけはない。きわめて安定して稼動し続けてオーナである私を喜ばせている。現在のところ九州に飛ばされているため、私のマシンは Topper をのぞけば Power Macintosh 9500/150 しかなく、この Topper だけが頼りである。あんな不安定な MacOS など、とてもではないが必要最小限以上は使わない方が賢明というものだ。あのマック、現状ではなんとトータルで 100 万円出さないと買う事ができない代物だが、あんなもんを崇拝している夫や妻に持った配偶者は悲惨である。特にアプラー(詳しくはナカムラヨウコさんに聞いてください)は大変である。このたかだか 20 万円のノートマシンと比べ物にならないと私などはおもうのだが、しかし Windows95 の発売日にも妨害工作に出動するような彼らの事だ、そこがまたいいのだろう。お金持ちの道楽だと陰口を叩かれなくなる日は永遠に来まい。
先日の Windows World Expo '96 にてメモリを買い込み、それぞれ pine と bamboo に増設した。このあたりについては確か徒然苔に詳しいはずである。
補足 (1996/11/10 現在 )
9/5に Power Macintosh 7500/100 が入荷した。これによって三代目 plum の NS/E が引退し、 Power Macintosh 7500/100 が四代目 plum を襲名した。現在の状況は以下の通り。
- 八代目 pine ( 無印 AT)
- 六代目 bamboo (Topper)
- 四代目 plum ( Power Macintosh 7500/100 )
- PC-9801NS/E
- PC-9801F
- CZ-800CW
- PC-6601
この新 plum には梃子摺らされた。FDD は死んでるわ HDD は飛んでるわでどうしようもないかと思われたが、大分から帰ってきてようやく復旧が終わり、今では家庭内 LAN の一翼を担うまでになっている。
三代目 plum の NS/E は相当長い間火を入れていないが、まだ生きているのだろうか。ちょっと不安ではあるが、まあ使わないのでどうでもいい。
補足 (1997/12/25 現在 )
数カ月前に九代目pineを166MHzから180MHzへクロックアップしたが、特に名称等に変更はない。
また、12/17にLibretto70を導入したため、これまでの命名規則では3台までしか命名できないので命名規則を変更することにした。命名規則は次の通り。
- 主に使うマシンは常にpineとする。
- それ以外に使用するマシンは竹および木偏の漢字を持つ植物名とする。
- 同時に重複しないように命名しなければならない。。
- pine,bamboo,plumの3つの名前は優先して使わなければならない。
- マシンがリプレースされた場合は、名を継いでも良い。
以上の規則から次のように命名した。
- P5/180(ASUS P/I-P55T2P4C)は現状維持(pine)。
- Topperは現状維持(bamboo)。
- Power Macintosh 7500/100は現状維持(plum)。
- Power Macintosh 7600/200をpaulownia(桐)と改名した。
- P5/200(FIC)をcamphor(楠)と改名した。
- Libretto70をmaple(楓)と命名した。
- PC9801NS/Eをcamellia(椿)と命名した。
- PC9801Fを廃棄した。
- CZ800CWを廃棄した。
- PC6601を廃棄した。
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