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CHINESE POETRY
漢詩
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殷王湯鼎銘文
「大学」曽参 編
より
又 日 苟
日 日 日
新 新 新
又 日 苟
日 日 ニ
ニ 新 日
新 ナ ニ
ナ リ 新
リ ナ
リ
この詩と私
紀元前千六百年頃、古代中国の殷王朝を興した湯という王の青銅製の洗面器に刻んであったと言う銘文。彼は毎朝、この詩を一行唱えては一洗し、また唱えては一洗したのだろうか。まことに明るく力強い詩である。湯は伝説の聖人であった堯や舜とは違い、努力してそうなったと言う。これも努力の一環なのだろうか。ちなみに、湯には伊尹という大臣がいて、その大臣は新という言葉が大好きだったそうである。
殷の時代は二十代目の王の時代あたりからいわゆる甲骨文字といわれる文字が使われ出していることが知られているが、恐らくこの詩も甲骨文として彫られていたのだろう。ただし、この話の直接の出典は孔子の遺言集と言われ、孔子の弟子の曽参が編んだといわれている「大学」という書物である。孔子は当然、殷の時代の人ではない。ただし、孔子は魯に生まれたものの自分の家系は商(殷のこと)が滅ぼされたときに最後の王だった紂の兄にあたる人物が周王によって封ぜられた宋の公族であった、と晩年言っている。つまり、殷王朝の末裔である。
まことにひにあらたなり。ひびあらたなり。またひにあらたなり。
声に出してよめば、元気が出てくる気がする。どんな技巧もこの力強さには及ばないのではないだろうか。この詩をもって最初としたい。以下、徐々に付け加えてゆくつもりでいる。
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